16話 冷や汗
亜由美と別れたあと、
蒼真は夜道を一人で歩いていた。
車のライトが横を流れていく。
少し冷たい夜風が、火照った顔に当たった。
それでも、頭の中はまだ静かにならない。
——返ってこない方がいいかもね。
亜由美の言葉が、何度も浮かぶ。
「……意味わかんないだろ」
小さく呟いて、視線を落とす。
その時、不意に。
昔のことを思い出した。
小学校高学年のころ。
好きだった女子がいた。
当時は今よりずっと普通で、
仲のいい友達に、何気なくその話をしたことがある。
——次の日には、クラス中に広まっていた。
「そうま、○○のこと好きなんだってー!」
笑い声。
からかう声。
教室の空気。
今でも、なんとなく覚えている。
そして。
好きだったその子まで、
みんなに混ざって笑っていた。
別に、すごく酷いことをされたわけじゃない。
でも。
あの時、自分の中で何かが冷えた。
好きとか、恋とか。
そういう感情を持つと、
こういう風になるんだと思った。
だから、なるべく考えないようにした。
気づかないふりをして、
見ないふりをして。
そうしているうちに、
いつの間にか、自分でもよく分からないくらい、
恋愛というものを遠ざけるようになっていた。
蒼真はポケットに手を入れ、空を見上げる。
なのに。
今は、たかがダッカール一つで、
こんなにも頭の中をかき乱されている。
「……ほんと、意味わかんねぇ」
誰に言うでもなく呟いて、
蒼真は歩く速度を少しだけ速めた。
◇◆◇
次の日。
昼休みの教室は、いつも通りの空気だった。
仲のいいグループ同士で机をくっつけ、
弁当を広げる声。
購買帰りの生徒。
笑い声。
そんな中、蒼真は机に肘をつきながら、小さく欠伸をした。
昨日は結局、あまり眠れなかった。
昼飯より、今は少しでも寝たい。
蒼真はパンを机の端に置いたまま、
そのまま机に突っ伏そうとする。
その時だった。
「瑠華〜、そっち座っていい?」
聞き慣れた声。
蒼真の肩が、わずかに止まる。
顔は上げない。
でも、誰の声かはすぐに分かった。
亜里沙。
席替えで瑠華が隣になってから、
こうして瑠華の席の近くに来ることが増えた。
「いいよいいよー」
瑠華が笑いながら、自分の机を少し引く。
ガタッ、と机の動く音。
近い。
蒼真はそのまま寝たふりを続ける。
気づいていないふり。
意識していないふり。
でも。
すぐ隣から聞こえる笑い声も、
机に置かれるペットボトルの音も、
全部耳に入ってくる。
(……なんでこっち来るんだよ)
意味もなく、心臓が落ち着かない。
昨日あれだけ考えないようにしたのに。
蒼真はさらに深く机に顔を埋める。
眠ろうとした。
いつもなら、昼休みはすぐ寝られる。
なのに。
今日は、全然眠れない。
「ありさ、そのヘアクリップまだ使ってんの?」
瑠華の声。
その瞬間。
蒼真の意識が、勝手に反応した。
瑠華の声に、亜里沙は鞄についた水色のダッカールへ視線を落とす。
「んー、なんかこれめっちゃ使いやすくてさ」
そう言いながら、亜里沙は少し嬉しそうに笑った。
「なんか使っちゃうんだよね」
その声音が妙に柔らかくて、
蒼真は机に突っ伏したまま、つい耳を傾けてしまう。
(……まだ使ってんのか)
胸の奥が、また少し落ち着かなくなる。
その時だった。
瑠華の視線が、ふと横へ流れる。
そして。
「あっ!?」
思わず声が漏れる。
蒼真の鞄。
そこにも、まったく同じ水色のダッカールが付いていた。
一瞬、瑠華の頭の中で何かが繋がりかける。
だが。
隣を見ると、亜里沙がなぜかニコニコしていた。
その顔を見て、瑠華は口を閉じる。
なんとなく察した。
でも、今ここで突っ込む空気じゃない。
するとそこへ、七宮が近づいてくる。
「なに盛り上がってんの?」
自然に輪へ入ってきた七宮は、
亜里沙の鞄についたダッカールを見る。
「あ、それなに?」
「ダッカール。髪留めるやつ」
「ダッカー…ろ?」
七宮は興味本位でそれを指差した。
「ちょっと貸してよ、俺も使ってみたい」
亜里沙は即答する。
「え、やだ」
「えっ、なんで!?」
「これ一個しかないから」
いつもより少し早い返事だった。
七宮は軽くたじろぎながら、
「そんな大事なやつなの?」と苦笑する。
そして何気なく視線を落とした、その時。
「……あれ?」
七宮の目が止まる。
蒼真の鞄。
同じ水色のダッカールが付いていた。
「あれ? 米倉も同じの持ってんじゃん」
七宮の何気ない一言。
その瞬間。
蒼真の背中に、ぞわりと冷たいものが走った。
——やばい。
頭の中で、一気に色んな考えが駆け巡る。
もしここで、
亜里沙との繋がりを変に勘づかれたら。
もしまた、
「米倉って瑠璃ヶ浜のこと好きなんじゃね?」
みたいな空気になったら。
笑われる。
からかわれる。
昔みたいに。
小学生の頃、
好きだと知られただけで教室の空気が変わった。
あの時と同じだ。
胸の奥が、一気に苦しくなる。
違う。
別に、そんなのじゃない。
ただダッカールを貸しただけ。
ただそれだけだ。
そう思おうとするのに。
“そんなのじゃない”と否定するたび、
自分が一番、亜里沙を意識していることに気づいてしまう。
だから余計に、怖かった。
けれど。
亜里沙も、一瞬だけ動きを止めた。
けれど。
悟られないようにするみたいに、
すぐに笑ってダッカールを軽く揺らす。
「これ結構当たりだったかも」
自然な声。
何でもない話みたいに。
七宮は「へー」と呟くだけだった。
でも。
どこか引っかかるような顔をしている。
そして、ふと蒼真の鞄へもう一度視線を向けた。
「てか、なんで米倉も同じの持ってんの?」
その瞬間。
蒼真の背中に冷たい汗が流れる。
心臓が、嫌な音を立てた。
——やばい。
「あー、米倉くん前髪長いじゃん?」
亜里沙が、さらっと言った。
「米倉くん前髪長いし、パワー無いやつだと留まんなそうじゃん?」
あまりにも自然な言い方だった。
七宮は「おお、なるほど!」と妙に納得した顔をする。
「確かに米倉、前見えてなさそうだもんな」
悪気ゼロ。
でも、その言葉に蒼真は反応できない。
冷や汗だけが、じわりと滲んでいく。
そんな二人のやり取りを見ながら。
瑠華だけは、口元を押さえてニヤニヤしていた。
(……あー、なるほどね)
全部繋がった顔をしていた。
更新遅れました。半年。ごめんなさい。
(言い訳)
仕事の部署移動があって、なかなか続き作れませんでした。




