古遺跡の罠と解けない距離 4
エリオンの部屋はいつも静かだった。
窓から差し込む月の光が、薄紫の髪に淡く反射している。
彼は、横になったまま、まばたきひとつせずに天井を見ていた。
(⋯⋯フィリアを、巻き込んでいる)
魔導罠を受けた時、頭に浮かんだのは彼女の名前だけだった。
理性で抑えるはずの“本能”が、彼女を庇えと叫び、尾が勝手に動いた。
「⋯⋯愚かだな。自分の欲でしか、動いていない」
拳をぎゅっと握りしめる。
だが、脳裏に蘇るのは、フィリアが彼の尾に身を預けた時のあたたかさ――
(拒絶されなかった。いや、むしろ⋯⋯)
フィリアは、微笑んでいた。
あの時の柔らかな顔を思い出した瞬間、
エリオンの尾が、低く、静かに震えた。
(⋯抱きしめたくなる。もっと、近くに⋯)
「⋯⋯だめだ」
低く、押し殺した声が夜に溶けた。
“それ”を許したら、きっと彼は歯止めが利かなくなる。
だから、近づきすぎてはいけない。
けれど――。
「⋯⋯震えが止まらない」
彼の尾は、もう本能だけでなく、“感情”にも応え始めていた。
一方そのころ、フィリアもまた眠れていなかった。
「⋯⋯さっきまで普通にしてたのに」
あの尾の感触、腕のぬくもり、耳に落ちた声。
どれも消えずに、彼女の胸の奥をくすぐる。
“怖くない”なんて、口では言ったけど。
本当は、怖くないはずがなかった。
巻き付かれることも、彼の瞳が蛇のように変わっていくことも、
そして何より、自分の気持ちが“本気になりかけている”ことも。
「⋯⋯あたし、もう⋯⋯あの人のこと、ちゃんと好きになっちゃってる」
ごろんと寝返りを打ち、枕をぎゅっと抱きしめた。
顔が熱くて、胸がドキドキして、眠れそうにない。
「でも⋯⋯こっちから、ちゃんと伝えなきゃ、届かないんだよね」
彼はきっと、自分の気持ちを押し殺してる。
本能を押し込めて、理性で蓋をして――それでも滲み出るあのやさしさ。
だから。
「あたしが“好き”って言ったら、ちゃんと受け止めてくれるかな⋯⋯」
月明かりに照らされたその横顔は、不安と期待で揺れていた。
朝。ギルド《銀月の帳》。
フィリアが食堂に降りてくると、レイが先にテーブルについていた。
「おはよー、フィリア。顔真っ赤だけど、風邪?」
「ち、ちがうってば! ただの寝不足!」
「ふぅん⋯⋯寝不足ねぇ」
ニヤニヤしながらお茶を注ぐレイ。
そこへジークとリリィもやってくる。
「今日の任務は午後からだったな。ゆっくり朝食とれるのは久々だ」
ジークはパンをもしゃもしゃ食べながら言った。
「エリオンは?」
フィリアがさりげなく尋ねる。
「さっき裏庭の方にいたわ。ひとりで。⋯⋯蛇巻きながら悩んでた」
リリィがサラッと言った。
「⋯⋯!」
フィリアは立ち上がり、そっと裏庭へと足を運んだ。
裏庭には、朝日を背にしたエリオンの姿があった。
長い尾を静かに地面に這わせ、ただ、ぼんやりと空を見ていた。
その表情は、少しだけ寂しそうに見えた。
「⋯⋯おはよう」
フィリアが声をかけると、エリオンは振り返る。
そして一瞬、目を見開いた。
彼女の目が――迷っていなかった。
「⋯⋯会いたかったんだ」
フィリアがまっすぐにそう言ったとき、
エリオンの尾が、ぴくりと反応した。




