縛られた過去と解けない尾 4
《灰の尾根》を離れ、仮拠点として借りた古い山小屋の中。
薪がパチパチと燃え、赤く揺らぐ火が天井に影を映していた。
フィリアは膝を抱え、ブランケットを巻いたまま炉のそばに座っている。
目を閉じると、さっきまでの光景が瞼の裏に浮かぶ――
リールの、冷え切った目。
ヴァルの、歪んだ執着。
そして――自分を抱くように巻きついたあの尾。
(あたし、変わったのかな⋯⋯)
「怖い」も「逃げたい」も、確かにまだある。
でもそれより先に、出てきたのは「守りたい」という気持ちだった。
――トン、と小さな音。
後ろを振り返れば、エリオンが静かに入ってくるところだった。
ローブを脱いで、控えめに火のそばへと腰を下ろす。
その動きは、どこまでも静かで、けれどフィリアにとっては安心そのものだった。
「⋯⋯ごめん」
ぽつりと漏れた声に、フィリアが目を瞬く。
「なにが?」
「俺の“尾”が、勝手に⋯⋯巻き付いた。嫌だったか?」
火が弾けた音が、二人の間に割って入る。
けれど、フィリアは小さく首を振った。
「ううん。⋯⋯むしろ、あれで助けられたよ」
そして、少しだけ笑う。
「正直に言うとね⋯⋯ちょっと、びっくりしたけど。嬉しかった」
「⋯⋯嬉しかった?」
「うん。“本能”なんでしょ? じゃあ、私のために“本能が反応した”ってことじゃん」
そう言って笑う彼女の横顔に、エリオンは言葉を失う。
この感情が、喉の奥をざらつかせる。
巻き付くような焦燥と、噛み締めたくなるほどの愛しさ――
「⋯⋯危ないと思ったんだ。あの時、ほんの少しでも傷ついたら⋯⋯もう俺は、理性を保てなかったかもしれない」
「じゃあ⋯⋯抑えてくれて、ありがとね」
「それでも、怖くないのか? 俺がこうして、近くにいても」
その言葉に、フィリアはゆっくりと視線を戻す。
紫の瞳が、まっすぐに黄色の蛇瞳を見つめた。
「怖くないよ。だって――」
言葉を切って、彼女はそっとブランケットの裾をめくった。
そこに、尾が触れている。
火の光に照らされて、鱗が金のように煌めいた。
「これは、優しく巻き付いてる。あたしを支えるように、そっと。ね?」
尾が、ほんのわずかに動いた。
それは、まるで照れているような仕草にも見えた。
フィリアがくすっと笑う。
「そういうとこも好きだよ、エリオン」
その瞬間、彼の瞳がかすかに揺れる。
「⋯⋯軽々しく、そういうことを言うな」
「ううん、軽くなんてないよ。あたしが言ってるのは――仮面の下じゃなくて、“素のあたし”の気持ちだから」
静寂が満ちていた。
炎のはぜる音、外の風の音、そして2人の鼓動だけが響く空間。
そっと、フィリアがエリオンの尾に手を添えた。
「この尾、嫌いじゃないよ。ちょっと冷たくて、でも⋯⋯安心する」
「⋯⋯⋯」
言葉が出てこなかった。
ただ静かに、尾が彼女の腰にゆっくりと寄り添った。
それは本能だった。
でも、それだけじゃない。
感情で、繋がろうとする尾だった。




