感情と仮面の綻び 4
ギルドの中庭。陽は西に傾き、空が橙に染まっていた。
フィリアは、ひとりベンチに腰を下ろしていた。
指先を膝の上で組み、何度も解いて、また組む。
頭ではわかっていた。
もう大丈夫。ここには味方がいる。
ジークも、リリィも、レイも、そして――エリオンも。
⋯⋯だけど。
あの口紅の艶やかさや、ヴァルの無神経な笑顔が、まだ脳裏にこびりついて離れなかった。
(“また”怖くなってる。こんな自分、ほんとやだ)
と、そのとき。
気配もなく、彼が隣に腰を下ろした。
「⋯⋯話したいことがあるなら、聞く」
低く、けれど優しい声。エリオンだった。
「⋯⋯ありがとう。でも、ちょっとだけ、黙っててくれる?」
「わかった」
沈黙が流れた。けれど、重くはなかった。
フィリアはうつむいたまま、小さく呟く。
「ねえ⋯⋯あたしさ、昔から“空気”ばっか読んでたんだ」
「⋯⋯」
「誰かが怒りそうなら、先回りして機嫌とって。
誰かが泣きそうなら、笑わせて。⋯⋯でも、結局は“ウザい”って言われる」
フィリアの瞳に、じんわりと涙が滲む。
「リールたちにも、そうだった。“読めすぎる”って怖がられて、気味悪がられて⋯⋯」
「⋯⋯」
「それであたし、自分の気持ちを隠すようになった。
“何もわからないフリ”をするのが、一番うまくいくって⋯⋯思っちゃったんだよね」
エリオンはそっと、ベンチの端に手を添えた。
フィリアの肩に触れることはしなかった。けれど、その距離はとても近かった。
「けど⋯⋯今は、なんか違うんだ」
フィリアは顔を上げ、夕焼けに染まった空を見た。
「エリオンと一緒にいるとさ、“怖くない”って思える瞬間がある」
エリオンの目がわずかに見開かれた。
「⋯⋯それは、俺の“本能”を知っていても?」
「うん。⋯⋯怖いけど、でも、それだけじゃない」
フィリアはゆっくりと、彼の方を向いた。
「エリオンが、理性で抑えてるのも感じてる。優しいってことも」
「優しくなんて⋯⋯ない」
「あるよ。だって、あたしに尾を巻いてこないでしょ?」
「⋯⋯それは」
「自分を抑えてるから。⋯⋯それってすごいことだよ。怖がって、逃げて、黙ってるより、ずっと」
ふと、フィリアは微笑んだ。
その笑顔はどこか、張り詰めた仮面が“ひと筋”ほどけたように見えた。
「ねぇ、エリオン」
「⋯⋯ああ」
「本当はね。さっき、巻き付かれてもよかったって、ちょっと思った」
その言葉に、エリオンの身体がピクリと反応する。
黄色の蛇のような瞳が、揺れる。
「⋯⋯それは、本音か?」
「本音だよ。今だけ、ちょっと弱いから。⋯⋯触れてほしかったんだ」
エリオンは、その場で深く息を吸った。
だが――それ以上は、何も言わなかった。
かわりに彼は、そっと自分のマントを広げ、フィリアの肩にかける。
体温のこもった布が、優しく彼女を包む。
「⋯⋯ありがとう」
ぽつりと呟いたその声に、今度は本物の笑みが混じっていた。
「へぇ、仮面の内側って、そんな表情するんだな」
木陰の下、リリィがひとり、小さく呟いた。
「⋯⋯どこまでが本能で、どこまでが恋か。その境目が、もうすぐ消える気がするわ」
その頃、ギルド内の応接室。
カルドは、リールとヴァルの書類を静かに閉じた。
「正式登録は⋯⋯見送る。お前たちがここで過ごす場所は、ない」
「⋯⋯は?」
「フィリアを“追ってきた”理由も、ギルドでの過去も調査済みだ。⋯⋯次に手を出したら、“処分”する」
リールが噛み殺したような表情で唇を噛む。
ヴァルが拳を握りしめる。
「ふん⋯⋯覚えてろよ」
そのまま2人はギルドを出て行った。
――だが。
扉の外で待っていた者たちの存在を、まだ誰も知らなかった。




