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その6

生まれて初めての6連発!


今頃送別会の最中か……。

 日本庭園を眺めながら仲間達に告げられた作戦概要を反芻する。

 既に仲間達の気配は無く、かすかに届く都会の喧騒は遠く、静寂の中風が起こすかすかなさざ波だけが広がっていく。

 不意に耳に届いた笑い声。一度聴いたら忘れられない、透き通るような清廉さ、少女のような無邪気さ、そして大人の色香全てが極上の配分で混ざり合った類い稀な美声。

「まだいたのか、ショートヘア。なんか面白いことでもあったか?」

「ええ。報道官補さんはえらく愉しそうだなって」

「そんなわけないだろ。お先真っ暗だ。あんな化け物とやり合えって言うんだからな」

「そうかしら?」

「勝ち目があるって?」

「そうじゃないわ」

 思いもよらない否定。

「勝ち目はないでしょ?でも、負ける気はない。そう思ってるでしょ?――私の耳は誤魔化せないわ」

 それを言われては、公輔に否定のしようが無い。

 立ち上がり、スラックスの埃を軽く払う。

「じゃ、せいぜい愉しませてもらいますか」

「ご武運を。最強の野良猫さん」


 手に持った狙撃用複合スコープを覗く。表示された距離は千二百七十メートル。三十口径以上の狙撃銃ならあり得る距離。

 しかし、スコープに見える被害者の倒れていたマンションのエントランスは、ビルとビルの隙間にかすかに見えるだけ。

「弾道を通す隙間は十センチあるかな?よくこんな場所思い付くね?」

 アパートのベランダに立った副島康は、現場検証に立ち会っている上司を振り返った。彼が二〇五一年の暮れに、ベイランドシティ警察本部特殊防犯課に招聘されてから半年ほどが過ぎていた。

 バイドア事件の“裏切者”の調査をしていた彼だったが、市警の第一機動捜査隊から急きょ現場検証の応援を要請された。専門の鑑識官達がお手上げのような事件に、ただの元軍人でしかない副島が役に立つのか疑問だったが、なるほど極めて難しい案件だった。

 現場はベイランドシティ北西部に位置する住宅街――新都。その一角にある高級マンションのエントランスに横たわる、頭部が八割がた粉砕されて顎くらいしか残っていない小太りな男の亡骸。撒き散らされた血液と、ピンクや肌色の破片。

 ――大口径弾による銃撃。

 若い鑑識官や警官が顔を青褪めさせているなか、初動捜査を担当する機捜の刑事たちに伝えた彼の所感。使われたのは一発で、弾道は水平に近い角度だと思われたから遠くからの狙撃だということも分かった。

 そして、それは鑑識の見立てとも一致していた。鑑識や機動捜査隊が知りたかったのはその先だった。

 しかし、副島には狙撃地点は判らなかった。周囲五百メートルには高級マンションが乱立していて、狙撃の状況と噛み合わなかった。何よりも目撃者の誰もが銃声を聞いていないという点で、長距離狙撃であると結論付けられたのだ。

「以前、似たようなことしたからな」

 淡々と答えたのは、市警のブルゾンを羽織った青年。鑑識官と一緒にベランダのプランターを熱心に観察するため、その長身を屈めている。

「昔の狙撃事件?家出少女達を食い物にしていたヤクザのトップを狙撃した奴だったっけ?」

 小さく頷いた磯垣海司は、そばにいた鑑識官に問いかけた。

「どうですか?」

「ばっちりです。硝煙反応もあります。詳しく分析しないとだけど……」

 今まで全く手がかりが無かったせいか、まだ狙撃地点候補が絞られただけなのに、その声は心なしか弾んでいる。

「副島さん、海司。住民の話を聞いて来たよ」

 地味だが、きちんとした身なりのスーツ姿の中年の刑事。最初に副島を事件に関わらせたアレックス・ホーガン警部補だ。名前で分かる通り、赤毛碧眼のアメリカ系二世だ。

 その日本語には乱れはない。生まれも育ちもベイランドシティの場合、外国籍のまま公務員になることもあるのが特別区たるゆえんだろう。

「この家の住人は昨日まで小笠原旅行に行ってたらしい。ゴールデンウィークだったからな」

 それを聞いて、副島はちらりと室内の若い夫婦を見た。活動的な印象を与える二人だが、そこに職業的に肉体を酷使する空気は無い。身体を動かすのはあくまでもレジャーだけだろう。今は、室内をうろうろ歩き回っている警察官にびくびくしている。

 シロ。この距離を狙撃するのは不可能だ。自身にも不可能なそれを、この夫婦には決して出来ないと副島は断じた。

「だが、まあシロだろ」

「自分もそう思います」

 ホーガンに続き、海司も同意する。刑事としての人格を見る目、軍人としての性能を見る目は一致した。

 しかし、海司の目は一味違った。

「ホーガンさん。最近、ハウスクリーニングを頼んだか聞いてもらえますか?」

「ん?どういうことだ?」

「数日間留守にしていた……、にしては埃が少なすぎます。ここの住人でないのならば、犯人がありとあらゆる痕跡を絶とうとしたということでしょう」

「なるほどな。ついでに聞き込みにも追加しよう」

「お願いします」

 背を向け、夫婦への聞き取りと捜査員の指揮に向かうホーガン。

「よく気付くね」

 感心を通り越して呆れ気味の副島に、海司は淡々としている。

「窓はピカピカ。サッシにもフローリングにも埃がほとんどない。康さんの奥さんも、ここまで部屋綺麗にするか?」

 辺りを見回してみる。フローリングの床はワックスでもかけられたかのように鈍く輝き、リビングの窓には曇りひとつなく、キッチンの床もグリルフードにも汚れが無い。

「いや、隊舎でもこんなに綺麗じゃないよ」

 規則正しく清掃にはうるさいことには定評のある軍でも、ここまで徹底して清潔さを維持していることは珍しい。普通の主婦の手際ではない。

「海司君はこの事件どう見てるの?」

「組織的な犯行だ」

 意外に思った副島。

 二〇四九年十二月、吉岡雷太国防委員長暗殺事件のひと月前、磯垣海司は一人の建設会社社長を射殺している。

 建設会社とは名ばかりのヤクザであったその会社は、裏では非合法の未成年売春の元締めを行なっていた。地方議員も関与していたため、当時の打撃力はあっても捜査力の無い市警は当てにならず、便利屋のようなことをして日銭を稼いでいた海司の元に調査依頼が来たのだ。

 調査の結果、判明したのは家出少女四名が薬物漬けの果てに慰み物にされて殺害されていた事実。それ以外にも十四歳から二十二歳までの十数人の女性がそれに近い状態にあり、十人が一度は堕胎させられていた。

 遺族、家族は首謀者の暗殺を海司に願った。

 そして、千二百二十五メートルの距離で、ビルの隙間を縫い、一発で会社社長の頭を粉砕した。

 副島の疑問は、海司が単独でその狙撃を実行したことを知っていたからだ。

「まず、この場所を使うには住人がいない日しかない。日数が限られている。おそらくチャンスは一回」

「そうだね。でも、そうなると狙撃はほぼ不可能じゃないかい?」

 僅かな射撃有効範囲しかないのだから、そこに標的が入らなければ意味が無い。

「停車位置が二メートルずれたら圏外だね」

「だから組織的なんだ」

「それって、被害者の乗っていた車の前後に停められていた路上駐車も犯人の一味の仕業だったってことですね。それなら頷けます」

 声を発したのは、金髪をだんごにまとめた褐色の肌の若い女性刑事だった。瑞々しいハリのある若々しい彼女は、パンツスーツ姿のしなやかな足取りで捜査員の間を縫って海司達の元へとやって来た。

「警部補のおっしゃる通り、現場で路上駐車していた車両は全て偽造ナンバーの盗難車だと判明しました。なんと十二台全てです」

 肌の色合いも相まって健康的な可愛らしい笑顔の刑事は、クリス加古崎巡査長。

「十二台全て……。それはびっくりだね」

「クリスか。どうだった?」

 夫婦への聞き取りを終えて、戻って来たホーガン。

「はい。事件発生当日の午後二十一時四十分ごろ、怪しい人物を見かけた人は周辺にはほとんどいません。ですが、バン、という物凄い大きな音を一回だけ聞いたという証言はたくさん取れました。この部屋の両隣も上下もです」

「ということは、狙撃地点はここでよさそうだな」

「そうですね。あと阪森氏の車の周辺に停まっていた路上駐車車両が全て盗難車だったことも判ったので、それを今特防課のお二人に話していたところです」

「あ?なんでおまえ、そんなこと調べたんだ?」

「夜通し現場検証してたのに、車のトラブルが無いからおかしいなと思ったんですよ。いくらなんでも動かす様子がまったく無いのはおかしくないですか?」

 あっけらかんと彼女は応えるが、なかなかに肝の据わった女性だと副島は思った。若い捜査員達が顔を青褪めさせるような現場で、そんなことに気が回る彼女の精神力は――あるいは精神性は称賛に値する。

 しかしふと目を転じてみると、何故か自分の上司は加古崎刑事のことを無言で凝視していることに気付いた。

 疑問に思った副島の視線に気付いたのか、海司はなんでもないと言うかのように小さく首を振った。

「複数犯説はいよいよ濃厚だな」

「いよいよ?なんかあったんですか?」

 何気なく漏らした一言に食いついた加古崎に気圧されるホーガン。

 そこで既に半数近い捜査員達がその作業を終え、自分達の話に注目していたことに気付いた。

「いや、これは後回しだ。撤収するぞ」


 初動捜査を担う市警第一機動捜査隊のホーガン達の報告により、特別捜査本部が立ち上がることになった。

 後の東京内戦に、この事件は表面的にはなんの因果も存在しない。

 しかし、事件が迷宮入りしてしまったのは、ひとえにこの事件が歴史の転換点だったからだと言えるだろう。

 当時の捜査員達にとっては、はた迷惑なはなしではあるが。

 当時の捜査資料によると、磯垣海司はアドバイザーとして犯行状況の説明を行なった。

「複数の組織的なバックアップはあるものの、手法としては単純な狙撃です。被害者が撃たれた現場の盗難車の存在――これは被害者を狙撃に最も適した地点に誘導するためです。マンションのエントランスの真正面より左二メートル。ご丁寧にわざと斜めに停まっている物もありますが、優秀な運転手を理想的な位置に誘導する心理的な罠です。その誤差は前後五十センチほど。これだけの……語弊のある言い方をすれば、これだけの舞台装置を作り上げるのに単独犯では時間がかかりすぎるでしょう。マンションと契約しているレッカー業者や近隣の住人とのトラブルに繋がるでしょう。迅速に、正確に、数を揃え、理想的な配置に並べるためには複数の人手が不可欠です」

 しかも、盗難車は全て三日以内に北は福島、日光、前橋、西は奥多摩や鎌倉などからも盗まれていることが分かりさらに複数犯説を濃くしている。

「また、狙撃には十二.七ミリ前後の大口径ライフルが使用されていますが、当然そんなものが簡単に流通しているはずがありません。参考までに、同種の火器を持っていると思われる組織ですが、退役軍人会は監査に則って活動しており、厳密に管理されています。緑営はそもそも資金力が無いでしょう。李門(リーミエン)ですが、所持していても虎の子でしょうからほいほい出さないでしょう。これらの比較的大きな組織でないなら、ベイランドシティ外から持ち込むことになります。その際にも人では必要でしょう。単独で持ち込めるのは、楯くらいです」

 最後の一言に、説明を聞いていた副島はにやりとしてしまったが、捜査員達は誰一人反応しなかった。

 ――海司君のいけないところは、冗談が分かりにくいことだよね。

「そして、狙撃地点に使用したマンションの一室における清掃。住人に無断で行なわれたそれは、室内の痕跡を完全に消し去っていました」

 しかし、肝心の狙撃技術という一点において、磯垣海司は最有力容疑者であることに変わりなかった。

「最後に、私に対して疑念を持っていらっしゃる方も多いとは思いますが、私には本件を実行することは不可能だっと申しあげましょう」

 海司は敢えてその疑念に踏み込んだ。

「以前、私が同様の狙撃を行なったことを考えているでしょうが、私がその狙撃に要した期間は一週間です。バックアップの無かった私は、狙撃地点に七日間通い、やっとのことで標的を捉えることに成功しました。ま、楯では狙撃訓練で一ヶ月シエラレオネの密林に放り込まれたことがありましたが」

 真顔で放たれた彼の今度の冗談には、何人かの捜査員が顔を歪めた。ジャングルに放り込まれ、来る日も来る日も標的を待たされたのを想像してげんなりしたのだろう。

「本件においては状況が異なっています。痕跡を残さずに乗用車を盗むことは出来ますが、これほどの数をこれほどの範囲から調達しようと思ったら、警察や周りの目を避けても二、三日はかかりますし……」

 ――それでも二、三日なんだね……。

 普通の人間なら、一週間かかっても出来るかどうか。やはり規格外の存在であると認識する副島と全捜査員。

「狙撃場所も違います。私は最低限の証拠隠滅で済む屋上を選びました。散らかすのは得意なのですが、片付けるのは苦手なもので」

 散らかす=銃弾を?片付ける=人を?という奇妙な連想がそこかしこで発生した奇妙な捜査会議であった。

「最後にこれが一番重要ですが、この事件を完璧なものにするためには、優秀で意識の高い集団が必要です。脅しや金で動くような人間ではここまでの徹底的な犯行は実現できなかったでしょう」

 それは、それだけの人材を集められない磯垣海司には実行できないという証明であり、彼が規格外であるという論旨であり、そして彼の真顔の冗談は戦闘技術に反比例して不発や誤射ばかりという暴露であった。

狙撃って難しいですよね。


ヘッドショットって簡単に言うけど、それには手間暇かかるんです。


ここは比較的短時間で2日くらいで書けたんですよね。

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