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その5

「司堂将軍は、防衛省による湾岸軍に対するテコ入れですね?」

 白石報道官が長妻補佐官に放り投げた爆弾。それは少なからず長妻に揺さぶりを与えたようだ。

 公輔も白石と同感だった。おそらく司堂猛中将は湾岸軍の主流派――今まで楯に関与し続けた勢力が弱体化したことを見込んで送り込まれた、いわば刺客なのだ。

 牽制ならまだ生易しい。もしかすれば制裁人事に等しい。今まで流れが封鎖されていた湾岸軍の極秘情報も、これからは連邦政府に流れることになるだろう。

 常軌を逸した戦力を独自に保有していた湾岸軍。しかし、その存在を連邦政府も今まで知らなかったわけではない。シベリア紛争では彼らの能力は最大限に振るわれたし、そのおかげで日本は有史以来初めて信託統治の形で大陸に領土を保有しているのだ。つまりは彼らの力の恩恵を授かっていた。

 そのような状況では、失態続きとはいえ、防衛省が湾岸軍に制裁を加えることは日本連邦の地方自治の独立性を謳う連邦憲法に僅かながら抵触し、現場の反発も当然ながら予想される。

 一方防衛省、安保庁の言い分もある。

「一部の者の暴走を許すようなことがあれば、他国に対して弱みを見せることになりかねません。そんなことになれば……」

「分かっています」

 長妻の発言が大陸の隣国のことを指していることは、白石も公輔も承知している。朝鮮半島の統一に助力したことにより、統一朝鮮政府との関係はいくぶん改善したし、ASEANを取り込んだことで中国の動きを抑え込むことにも成功しているが、現場単位の小競り合いが無くなったわけではない。

 逆にシベリアの委任統治のために、日本の領土的野心(・・・・・・・・)は再び槍玉に挙げられているのだ。

 そんな長妻達の苦労は白石にも分かる。

「しかし、他に人選は無かったのですか?情報本部ということは、いわばスパイの元締めでしょ?当然、現場からの反発は免れないですよね?」

「候補としては第一空挺団の伊達少将でしょうか。しかし、彼は先月空挺団司令官に就任したばかりです」

「湾岸軍ってそんなに人材が無いんですか?」

 空挺団司令官が高位であることも、司令長官が大将クラスをもって任じることも知っていた白石であるが、さすがに先日少将に昇進したばかりの将校をいきなり昇格させるわけにはいかない。

「ええ。本来は准将クラスの普通科連隊長に大佐のままで就任するくらいには。――楯の叛乱から吉岡暗殺までの流れの中で有能な将校はことごとく戦死されているか、退役しています。元楯司令官である現在の浜本大将が退役間近である以上、待ったなしの状況かと」

 しかし、このままでは司令長官人事は湾岸州の最高意思決定機関――六知事による湾岸会議で紛糾することになる。州の共通代表や州知事を選挙で選ばない湾岸州は、各知事が年間六回の会議で二回行使することが出来る拒否権を持っているからだ。人口と経済力で強い影響力を持つ千葉とベイランドシティの動向は、それだけ注目しなくてはいけない。

 そんな風に紛糾するようなことになれば、防衛省の制裁人事が明るみに出て前園内閣まで槍玉に挙げられかねない。

 左手を額に当て、電子メモを凝視して熟考する白石。

「なあ、順子ちゃん」

「長官は黙っててください」

「おぅ。すまんな」

 いたたまれなくなって声をかけた長官閣下すら無碍にする報道官。

「長官のオーダーは、この件からいかに報道の目をくらませるか、でしょ?」

「う、うん。まあ、そや」

 ぞんざいな扱いにも、長官は神妙な顔をしてみせた。こういう時は、触らぬヨリ子に祟りなし、である。今頃彼女の脳裏には二ケタにも上る会見シナリオ、情報公開案が飛び交っているに違いない。情報の封鎖、目くらまし、誘導、欺瞞などなど。平和的な手段から、記者会見のサクラの動員のような姑息な手まで、それを全て検証するのが報道官室の任務だ。

「なら、これはどうすか?」

 場の空気にそぐわない軽いノリで提案したのは、志賀公輔報道官補。報道官を補佐し、二週間に一度は自身も会見に立つのが彼の任務だが、それにしてもまるで男子高校生のような軽いノリに白石は、もしくだらない話だったらぶん殴ってやろうと思っていたらしい。

 だが、その必要は無かった。

 無言で公輔から転送された資料――厚生労働省の医療委員会へ提出された新しい医療技術の臨床試験の申請書を流し読みする白石。一瞬報道官補の意図が分からず目を細めたが、それはすぐに大きく見開かれることになる。

 突如、顔を上げ立ち上がり、長妻に向かって身を乗り出す。

「長妻さん。吉岡元帥の詳細な経歴。大至急」

「え?あ、はい……」

「公輔くんはこの医師会にアポ。ついでに医療委員長かこの臨床試験の審査を管轄している部署のトップともお願い」

 言われて即座に手を動かす公輔。しかし、その口はわざわざ憎まれ口を放つ。

「今日の会見にぶち込む気ですか?」

「そうだよ。文句ある?」

「ありません」

 手早く資料に書かれてあった連絡先をメモし、必要な物を用意する公輔。

「長官。会見後に、そうですね二十時頃には資料を送れると思います。明日の閣議でぶち込んじゃってください」

 総理が外遊のため不在の今、閣議の主催者は嶋本である。

「俺も徹夜すんか?」

「選挙負けたいんですか?さっさとする!」

 両手を挙げて降参のポーズ。嶋本は速やかに立ち上がった。

「ほな、今日の会見には立ち会うさかい、よろしくな」

「もちろん。可能な限り派手に行きますよ」

「長妻はん。行こか?」

「え、はい?」

 たかが報道官に言いなりの官房長官に困惑の長妻補佐官。

 その背にかけられる公輔の通り過ぎざまの一言。

「早くしないと、あのおねえさん怖いですよ」

「あんたが早くしなさい!」

 飛んできた白石の罵声から一目散で室外に飛び出す報道官補。

 茫然自失の長妻を引っ張り出した嶋本長官の評価。

「こいつら、いつもこんなんやから」


「お前は天才だな、ペルシア」

 耳朶を震わす揶揄するような声音。いい年して愉快でたまらないと言った風情に感じた公輔。

「あんたのオーダーは前園龍内閣の維持。そして嶋本晃の総理就任だろ?楯がしくじったとしても俺達のやることは変わんねえよ」

 誰もいない虚空にこぼされた小さな声音。しかし、それは正確に相手に届いていた。

「いや、予想外に良い手だった。吉岡元帥の評価を上げることで司堂中将の湾岸軍司令長官就任の心理的ハードルを下げ、プログラム遂行派の政治家達の溜飲も下げさせる。ライオンは怒り心頭だったがな」

 誰もいないはずなのに、その声は確かに彼の耳に届いていた。

「そいつは悪かったな。直属の上司のご機嫌を損ねちまったか?」

「いや、別に大したことじゃない。既にライオンは次の手に動いている。この十年行政長官を勤めた手腕は伊達じゃないさ。陸関と東北の知事連と上院議員は既に抑えてある。彼はまだまだやる気だよ」

「いいのか?司堂兄は弟とは真逆だろ?湾岸軍の不正経理が露見する可能性もあるんじゃ」

「陸関軍への資金供与か?全て実体のある物資の流れだぞ。共同訓練の際に湾岸軍が使った燃料、弾薬、食糧、それらの経費の返還だ。ただ相場より心もち有利な金額だがな」

 ――それを不正経理だと言うんだ。

 公輔は呆れつつも辺りに目を転じる。

 夕暮れの日本庭園。間近に建つガラス張りの局面を持ったテレビ局のビルが映り込む、薄暮の水面を呆然と眺める。傍から見ると、その姿は仕事に疲れたサラリーマンが独りで癒しを求めて来たように見える。

 そう独りだ。彼の周りには誰もいない。

 しかし、彼の認識では四人の仲間がこの庭園内にいた。

「キティ。本題に入ってもいいかな?」

 割り込んできたのは、落ち着いた声音の持ち主。いや、むしろ抑揚がないと言った方がいい。

「悪いな、プロフ。あとはお願いしよう」

「まずは礼を言わせてもらおう、ペルシア。吉岡メモによる医療の進歩は目覚ましいものになる。これで多くの患者を救うことが出来る」

 吉岡メモ。内閣報道官によって今後臨床試験が実施されることが発表された、特殊潜行暗殺部隊楯の研究運用において積み重ねられた非合法医療技術の総称だ。遺伝子工学や高度再生医療のみならず、内科、精神疾患など多岐に亘る医療実績は、最も過酷な戦場に若者達を送り込んだ悪魔の所業と考えられていた。

 しかし、一部の現場で医療に携わる医師達にはその技術が楯という若者達を大切に育て上げ、技術人格ともに一流の戦士に育て上げるための物に見えた。それゆえに通常の医療にも応用可能だと感じていたのだ。

 そして何よりも圧倒的な臨床実績が、臨床試験に対するハードルを下げさせていた。

 公輔は、その医師達が吉岡メモによる臨床試験の開始を申請していたことを白石報道官に提示したのだ。

 彼女は、この件が湾岸軍人事の目くらまし、さらには解決策になると判断。政府方針としての吉岡メモの活用を大々的に発表したのである。

 外遊中の前園総理の承認を経ていない発表であったが、翌日の閣議でも追認され、厚労省医療委員会内にもプロジェクトチームが立ち上がった。

 楯という危険を生み出したとして批判される吉岡雷太だが、彼がその手記で自身の生み出した技術が一般社会で活用されないことを憂えていたことや、彼自身が新技術の一般医療への活用の際の注意点を残していたなど、彼の医師としての先見性、そして公共に奉仕する姿勢を、白石は記者会見の中で絶賛した。

 今まで楯というテーマに対して、楯の人格は認めるが権利を認めないなど中庸の姿勢を貫いていた政府だったが、その創始者を初めて評価した態度は、硬化していた湾岸軍側の態度も軟化させる効果をもたらし、司堂中将の湾岸軍司令長官就任は内定したのである。

「俺は内閣を維持するために最善を尽くしただけだ。すげえのは、吉岡さんとあんた達医療関係者だよ」

 白石報道官による吉岡メモキャンペーンは、以後半年余り定期的に行なわれ、こののちの吉岡雷太氏に対する評価を大きく変えて行くことになる。

「そうか。――本題だったな。例のペルシア(おまえ)が持ち込んだ薬物についてだが、分析が完了した。MDMAと同系統のアンフェタミン系で、幻覚作用のある向精神薬だった。色々と弄り回されているが、吉岡シミュレーターで高い幻覚性と多幸感をもたらすことが確認された。依存性は非常に強い。しかし、例のカプセルでは中和剤が混ぜられて依存性を著しく減退させてあった。セックスのような高い興奮状態にあれば効果は高いだろうが、普段はそうでもないだろう」

「枕営業向きということか?」

「そうなるだろう。件のホストは、おそらく他のクラブの客だったホスト狂いのご婦人から譲り受けたのだろう。色々な配合は違うが、同じような構成の薬物は横浜でも報告されている」

「ワンダーランドか?いよいよ叩き潰すか?」

「みなとみらいはいまや無法地帯だぞ。敵地と言ってもいい。下手に動いて我々の存在を晒す気か?」

 キティから釘を刺されてしまった。

「一応、聞いただけだ。それで俺達はどうするんだ?」

「俺達の今度の標的は、ベイランドシティにある商社という名ののヤクザ、その社長(ボス)だ」

 尊大なキティでも淡々としたプロフェッサーでもなく、荒々しい粗野な声音。

「タマか。そのボスが流通元ということか?」

「そうよ。ミケも確認しているわ」

 鈴かあるいは風鈴のような透明感のある美声。この野良猫会議に必要不可欠なメンバー、ショートヘアだ。

 歌舞伎町の一件からまだ四日。ホストのユウマが持っていた薬物の出所を、仲間達は既に把握していた。

「ペルシアへの要請は、この商社社長の殺害だ」

 プロフェッサーが端的に任務を告げる。

「ただの流通業者を叩いても効果無いんじゃないか?誘拐して尋問して色々吐かせた方が面白いと思うが?」

「お前はバカか?それで官憲に引き渡すか?そうすれば、せっかく拠点を築いてくれたみなとみらいから、連中は雲隠れしてしまうぞ。奴らを叩くには確実に息の根を止めなければいけない。そのためにわざわざ泳がせているんだ」

「んなこと考えてねえよ。プロフ。キティのこの回転しすぎる頭はどうかならねえのか?」

「無理だ。彼は子供の頃からそうだ。全身不随だからか、頭の回転だけは異常だ」

「どうだ。凄いだろ」

 ――誉められてないだろう……。

 分かってやっているのかどうか分からないが、キティのこのキャラだけはどうかならないものかと毎度思う公輔だった。

「なら、殺す意味も無いんじゃないか?」

「いや、あるぞ」

「どこに?」

「例の社長は、多くの家出少女を囲い込んで売春をさせ、薬物とセックス漬けにしている。いまだにこういう業者がいることに驚きだが、それだけベイランドシティの治安は悪いという証拠だな」

「今までに五人の十代の少女が捨てられたことが判明した。さらにあと六人が廃人すれすれの症状だ」

「彼女達の救援か?」

「それはミケの誘導に任せるさ」

「我々は被害者家族とのコンタクトに成功した。社長殺害の成功報酬は、三人の大手企業取締役の野良猫への協力」

 互いの利益に合致しながら金銭のやり取りが存在しないため、証拠の残らない暗殺依頼である。

 野良猫はこうして協力者を増やしてきた。

「それにしても、まるでガーディアン20のやってた依頼だな」

「その通りだよ。ペルシア」

 やたら声を張り上げるキティ。

「この作戦の最大目標はガーディアン20を誘き出すことだ」

湾岸軍の人事とか、ドラッグのこととか悩みました。


書きたいシーンと書きたいシーンを繋ぐ整合性に苦心しました。


この前後で合わせて1ヶ月くらい悩んだ覚えが……。


そして、初めての5日連続更新。


残念ながらここで一旦打ち止めです。申し訳ございません。

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