その8
一方的で効率的な殺戮が繰り広げられる最中、ライール伍長は初めて直属の上官に恐怖を抱いていた。
「人が鬼になる。日本の伝説なんか嘘だと思っていたが、あのときは痛感させられた。彼は、一発も無駄弾を撃たなかった。俺達が、五、六発使って一人倒すのに、あの人は冗談みたいに淡々と歩きながら、頭か心臓に一発だけ。マガジン交換も、まるで機械みたいに自動的だった。だからって機械じゃないんだ。確かにあの人は、ごちゃ混ぜの感情に突き動かされた。それを日本人は鬼って言うんだと知った。別の世界から来た生き物だったらあそこまで怖くない。人が、その姿形を維持したまま、中身が入れ替わっちまうから鬼は怖いんだ」
僅か二十分ほどの殺戮。副島が扇動した百十八名の兵士が倒した敵は、千名を超えていたが、うち九十八名は副島自身の単独の撃破数である。
敵味方の銃弾が飛び交う中、背筋を伸ばしたまま一定の速さで歩を進め、時折ジグザグに動き、接近戦を挑んできた敵は、体術とナイフで仕留め、淡々と死を振り撒く死神。
他の部隊はいまだ殺戮行動を続けているなか、一度は感情的に副島の言葉に煽られてしまったライール達だったが、眼前でその姿を見せられすぐに冷静になっていた。
――いくらなんでも効率的過ぎる。
まるで芝刈り機が、雑草を刈り取るような効率。
頭上のヘリや後方の装甲部隊から、副島に対して戦闘をやめるように警告が何度もあったことも、彼らの感情を鎮めることに繋がっていた。
「とにかく頭が澄んでいました。敵の動きが全て頭に入って来て、敵の銃弾がどこに飛んで行くか分かりました。あとは、訓練通りに銃とナイフを操作すればよかったんです」
そんな殺戮が突如止まったのは、若い十代の少年を路地裏に追い込んだ時のことだった。
それまで屍山血河を独りで築き上げて来た彼の動きが、唐突に止まったのだ。
照り付ける陽射しの中、狭い路地裏の陰で、カートをやっているのか少年の瞳孔の開き切った眼は血走り、らんらんと輝かせ、全身をガタガタ震わせてAKを構えていた。
いつ発砲するか分からない。すぐにこちらから攻撃して制圧すべきだ。ライールはそう思っていた。
だが、隣に立つ副島が明らかに静止したのだ。
「隊長?」
訝るライールに向かって、左手で制止する副島。
何故か、そのときライールはどこかほっとした気がした。自分達の上官が帰って来た。そんな気分だった。
ところが、副島はさらに不可解な行動を取った。突然、自動小銃からマガジンを取り外し、コッキングレバーで薬室内の銃弾も排出してしまった。そのままライフルを、スリングベルトから外し、傍らの兵士に手渡してしまう。
それには、少年もぽかんとしてしまう。
対し、無言で右手を出し、くいっと挑発するように手招く副島。
少年の顔が憤怒に真っ赤に染まり、跳ね上がる銃口。
路地に響き渡る、たった一発の銃声。
少年のAKが弾き飛ばされ、彼の手元から消失する。
いつの間にか前方へ向け伸ばされた副島の手には、SIGザウエルP220。
「速すぎて、いつスライド引いて安全装置を外したのか分からなかった。あの人は、コンバットロードは好きじゃなかったですから」
コンバットロードとは、マガジンの中だけではなく、薬室内にももう一発入れたまま拳銃を携行することだ。これにより通常よりも一発多くの銃弾を運ぶことが出来るし、安全装置を外すだけで即座に射撃できる。しかし、運んでる最中に安全装置が外れ、暴発する恐れが無いわけではない。
副島は、目にも留まらぬ速さで銃を抜き、スライドを引き、安全装置を外し、少年が発砲するよりも先に発砲したということだ。
訓練された兵士達が見えなかったものが、少年に見えたはずがない。まるで魔法のように拳銃が現れ、自分の武器が弾き飛ばされたように見えただろう。
絶望に染まる少年の表情。
それを見て、副島は笑みを浮かべた。
「訓練中に見せる笑顔だった」
部下達の証言に、彼の本質が垣間見える。
もう次の行動には驚かなかった。SIGのマガジンを抜き、薬室から銃弾を排出、そして太腿のホルスターに戻し、再び徒手空拳に戻り、二度目の手招き。
少年は震えながら、腰にさげていた刃渡り五十センチほどのマチェットを振りかぶった。
その動きを、彼の手元にそっと右手を添えるだけでいなし、マチェットを空振りさせる副島。
呆気ない結末に少年は呆然とするが、副島がこちらを見ている。
少年は慌てて何度も斬り付ける。だが、副島はほとんど足を動かすことなく、全てをいなし、刃が空を切る音だけが虚しく何度も木霊する。
初めて足が大きく動いたのは、少年が胸元に向かって真っ直ぐ刃を突き出してきたとき。
左に半歩。突進してきた刃は、右腋の下で挟み込み、左掌で少年の胸元を軽く突き飛ばす。
それだけでたたらを踏み、尻もちをついてしまう少年。その手元にはマチェットは無い。
凶器を無造作に放り棄て、少年に歩み寄る副島。
その姿に恐れおののき、全身を震わせる少年。
跪き、両手を伸ばす副島。びくりと身を震わせ、目を固くつぶり、身を縮こまらせる少年。
副島は、無言でその肩を引き寄せた。
「痩せているな、と思いました」
十代後半にはなっているだろう。だが、日本にもバイドアにも当時ほとんど見かけないほど痩せ細った身体、汗や泥が混然一体となった体臭を嗅ぎ、その子が生きていることを実感した副島は、自身の奥底から熱いものが溢れだしてくるのを感じた。
「愛の時と同じでした。心細くて何かに縋ろうとしていた。でも、そこには私達――敵しかいなかった。薬物のせいかは分かりませんでしたが、錯乱したあの子の目の奥に、それだけは感じ取れたんです。そしたら、トリガーが酷く重くなってしまったんです」
自分が抱きしめられていることに気付いて戸惑う少年。その頭や背、肩を優しく、しっかりと撫でていくうちに強張った身体から力が抜け、喉から嗚咽が漏れだした。
――隊長が帰って来た。
心底安心したライール達。
副島は、ソマリ語で一言呟いた。
「すまなかった」
それは部下達へ向けたものか、腕の中の少年へ向けたものか、はたまたソマリアの人々へ向けたものか、いまだに彼は自分でも理解できない。
最初のゲートでの戦闘から三時間半あまり、市内への侵入を許してしまってから一時間半、正午を迎える前に戦闘は収束した。
バイドア軍側の戦死者四十二名、民間人の犠牲者百三十人、重軽傷者四百七十人に対し、殺害されたソマリア民兵は二千名を超えた。戦闘自体は、いかに一方的であったかを数字は表す。
一九九三年のモガディシュの戦闘同様、現代的装備を有する先進国の兵士と、後進国のゲリラや民兵ではその装備や練度に大きな開きがあり、直接ぶつかり合えば、このように戦闘能力の圧倒的差を示す。
しかし、この戦闘で緑の軍隊は創設以来の司令官、弓削巧を失い、さらに多数の被害を出し、交戦規定に抵触しかねない虐殺に等しい戦闘や一部の兵士の暴走まで起きてしまった。
今まで二十年に亘って来た平和への貢献が、たった三時間半で失われようとしていた。
日本国内のマスメディアはこぞってこの事件を報じ、防衛を失敗したこと、そもそもの防衛計画に瑕疵があったこと、一下士官の扇動で司令部の指揮から逸脱し、過剰な反撃で大勢の人を死に至らしめたことをあげつらい、一部経済紙を除けば、全国的な反緑の軍隊キャンペーンが展開された。
モガディシュの戦闘直後のアメリカ合衆国内の世論と、ほとんど同じ現象が日本でも起きたのである。
いわく、日本の若者達の命を削り、人殺しをさせるような意味はあるのか。
いわく、日本の人的、経済的資源を使ってまで救う価値がソマリアにあるのか。
いわく、他の活動地域でも似たようなことがあるのではないのか。
いわく、やはり単なる侵略行為ではないのか。
そんな論争に終止符を打ったのは意外な人物だった。
事件から一ヶ月。防衛省、緑の軍隊本部、緑の軍隊を指揮監督する東アジア機構事務局の事件の調査と公式発表がなされてから二週間たった時のことである。
民放の特別番組に引っ張り出された弓削の妻、理沙である。一見大人しめで、幸の薄そうな雰囲気を持つ物静かな女性であった彼女は、マスコミにとっては華々しい演出で視聴率を稼ぐための素材でしかなかった。
だから、夫を失って途方に暮れている女性を、公衆の面前に引き摺り出すような品位を疑うようなことが出来たのだろう。
多くの軍関係者も、弓削理沙の人となりを知っていたから、これで緑の軍隊も終焉だと覚悟したという。しかも、理沙自身が生中継を望んだということが決定的だった。
それが彼女による一大反攻の始まりだと気付いていた者は、おそらく全世界に一人しかいなかっただろう。
理沙と親交のあった、司堂敦大佐の妻だけは彼女から何かを感じ取っていた。
「司令官が戦死したなら、司令官の妻にもやることがありませんか?」
テレビ出演について文句を言おうとした司堂の妻に、彼女はそれだけ言って話を打ち切ったらしい。そう言って微笑む彼女の周りには、女性が読むには多すぎる軍事関係の資料や新聞、雑誌がうず高く積まれており、娘の沙織の世話も母親に任せっきりの様子だったという。
それほどまでに戦いの準備をしていた弓削理沙は、夫とは違うが間違いなく戦場に出陣したのだった。
それに対し、テレビ局はあまりにも無防備だった。
「六百二十八名です」
彼女が放った第一撃は、静謐でありながら誰もが意表を突かれるただの数字だった。




