エピローグ
赤の家は巨大な施設だった。
だだっ広い敷地の中に殺風景な庭があり、子供たちが寝食を共にする大部屋がいくつも隣接している。二階建てとはいえ、トゥガァランの中でも有数の敷地面積を誇るこの建造物は僕に、ヅァニマ院を思い起こさせた。
そして、そこにはヅァニマ院ではけっして見ることのなかった光景が広がっている。
右を見れば母親。
左を見ても母親。
乳児に授乳する母親に、おしめを替える母親。
「バ……バブみ天国………!!」
思わず発してしまった不適切な発言に、先導してくれていたヘッラ夫人が不思議そうに振り返った。
「バブ……なんと仰いました?」
「なんでもないです!!」
元気に否定しておいたが、斜め後ろからイェンの突き刺さるような視線を感じる気がする。
可笑しいな。僕のマザコンはアラン由来だったはずなのだけど。意識汚染の名残りかな?
僕の言動に小首を傾げつつ、ヘッラ夫人は施設の説明に戻ってくれた。
サヴァラン邸でのハーヴァーラダののち、カリシュアットは養兵所に向かい、僕らは夫人に案内されて赤の家を訪れたのだ。
「一階には齡みっつ頃までの小さい子たちの過ごす大部屋と、女たちが交代で食事や休養を取る部屋、あとは調理場や家畜小屋、小さな畑なんかがあります。
二階は少し大きい子たちの小部屋がいくつも連なってるんですけれど……これは養兵所に倣って一人の年長者と三人の子供の四人部屋になっておりますわね」
「男の子はここを出て養兵所に行くのだとして、女の子はどうなるんですか?」
「女の子でも本人が希望すれば養兵所に進むことは出来ますよ。総督の近衛隊には何人か女性もいらっしゃいますし」
総督の近衛隊とか言うとなんか洗練された騎士団みたいなのをイメージしてしまうが、多分カリシュアットが引き連れていた世紀末覇者的な人たちのことなんだろうと思う。確かに女性兵士の姿も見た記憶はある。
「養兵所に行かない場合は市内で丁稚奉公に就いて、そのままそこの跡取りと縁付くことが多いでしょうかね」
「丁稚奉公ですか?奉公先はどうやって決まるんです?赤の家が斡旋を?」
「赤の家には、民会から持ち回りで手習いの教師を派遣して頂けるんです。機織りだとか、煉瓦作りだとか。職人は手習いを通して見込みのある子を探しますし、子供の方で強い希望があれば間を取り持たせて頂くこともございますよ。
まぁ、中には奉公先を決めかねてなんとなく養兵所に進む子もいますけど、養兵所での覚えが良ければ士官の道なども開けますからねぇ」
「へぇ~……」
アランのいた日本で言うところの義務教育の基本が民兵訓練になっているという感じだろうか。
トゥガァラン市民の半数以上が職業訓練の合間に歩兵としての練兵を経験しているというのだから、そりゃあ戦争のたび農民を徴兵しているような周辺国は練度では到底敵わないわけだ。
「まぁ!本当にカリシュアット閣下の仰るように、女の子でも兵を目指せるんですのね……!」
「アデレさんと仰ったかしら。女兵士に何か思い入れが?」
「わたくし、自分の子を最強の闘士に育てるのが夢なんですの!」
頬に手を当ててうっとりと語るアデレに、夫人は目をぱちくりと瞬かせている。
それはそうだろう。砂の都市群における闘士とは、奴隷崩れの見世物だ。好き好んで子供を闘士に育てたいなんてことを言う女性は奇異に映るに違いない。
「そういえば、今も王国では伝統的な闘士の在り方が守られているのだったかしら。砂の都市群でも巨人信仰の根強い土地はまだまだそういった風土もございますけれど、格式を重んじるお国柄というのも素晴らしいことですわね」
「ありがとう存じます!それでご相談なのですが、出来ることならばわたくしもカリシュアット閣下のお情けを頂けないものでしょうか!?」
「ぶっ」
サヴァラン邸での様子から言い出しかねないとは思っていたが、唐突にぶっこまれたアデレの直球ストレートに、ヘッラ夫人はぽかんとしている。
「まぁ、アデレさんは、カリーさんのことを?」
「いえいえ!妻になどとは申しません!一夜のお相手を務めさせて頂ければそれだけで!」
「あらあらまぁまぁ……」
夫人が落ち着いて受け止めてくれている様子なので、止めに入った方が良いのかどうか判断しかねる。
拳を握って前のめりになっているアデレに、ヘッラ夫人は優しく微笑んだ。
「そうねぇ……まぁ、お若い娘さんがそう自棄ばちに一夜限りとは言わず、ゆっくりとお話してみてはどうかしらね?あたくしもなるたけ機会を設けさせて頂きますし、カリーさんが所帯を持ってくれたら主人も喜びますよ」
「サヴァラン大議長が、ですか?」
「ええ……あの人たちはねぇ……お互いがお互いに家庭というものを持たせてあげたいと思ってるんでしょうけれど、そのあたりどっちも怖がりだから、譲り合ってへんてこな遠慮があるんですよ……」
「遠慮……?」
「まぁ、まぁ、それは置いておいてね」
微妙に言葉を濁しつつ、夫人はパッパッと手を開いて話を切り替えたようだった。
「シゼルさんは、少なくともシンがお戻りになるまではトゥガァランでご滞在なさるって話でしょう?
どうかしら、皆さんしばらく、昼間のうちはこの赤の家でお過ごしになるというのでは?」
「ここで?僕も、ですか……?」
「ええ、もちろん、シゼルさんは見た目のお年頃によらないとっても賢い方だと聞いていますから、ここの子供たちと一緒くたに考えているわけじゃあないんですよ?
けれど慣れない土地で暮らすのに、お世話をするお二方にも、お世話されるシゼルさんにも、情報が入りやすいこの場所は都合がよろしいんじゃないかと思ってね。ここにはカリーさんもよくいらっしゃいますから、養兵所に入られるっていうイェンさんも会いに来やすいのではないかしら」
そういえばバタバタしていて危うく忘れかけていたけれど、イェンをトゥガァランの養兵所にという話もあったのだったか。
僕はあわよくばイェンの気が変わってやしないかと横目で窺ってみる。
「……なぁにその目?ボク、お仕事出来るようになってシゼルをお嫁さんにもらう話、忘れてないよ」
「え……お嫁さんは初耳ですけど……?」
「“やしなう”ってそういうことなんでしょ?ボクはシゼルの“つがい”だって、ガラ様も言ってたもん」
「ぐぬぅ………ガラ様め………」
これだから男女の境が曖昧な種族は困る。アランの自覚はもうあまり残っていないとは言え、僕は未だ女性愛者的嗜好が強いのだ。
イェンの気持ちが嫌なわけではないけれど、そう簡単にそちらへ舵を切れるものではない。
とはいえ、イェンが自発的に集団生活を送りたいと言うのを押さえつけるのも忍びなかった。
「けれど、日中を赤の家で過ごさせて頂けるというのは良いですわね。
ヘッラ夫人が手習いも受けられると仰っていらしたでしょう?わたくし、帝国の機織り物にもとても興味がございますわ。王国とどのような違いがあるのか、見比べてみたいですわね」
「あら、それは良いですねぇ。王国の布は目が揃っていて肌触りが良いといって、こちらじゃ密かに人気があるんですよ」
「まぁ!それでは、手習いの教師の方と互いに教え合うということも出来るでしょうか?」
「あらまぁ~それはとっても素敵ですねぇ!トルドも子供たちも大層喜ぶでしょう!是非ともそういった会を設けましょうねぇ」
デボゥとヘッラ夫人が機織り交流会の計画立案に盛り上がる中、馴染みのある単語が耳に飛び込んできて、僕は思わず聞き返した。
「いま、トルド、と、言いました?」
「ええ。赤の家の女たちのこともですけれど、手習いを教えに来てくださる職人のことも、ここでは皆まとめて“トルド”と呼ぶんですよ。その方が、子供たちもややこしくないですからね」
「ということは……ヘッラ夫人も子供たちから“トルド”と呼ばれてるんですか……?」
「ええ。ヘッラ=トルドと」
サヴァランを彷彿とさせる朴訥とした微笑みを浮かべるヘッラ夫人と、僕が持っている“トルド”の印象が結びつかなくて、思わず周囲を見回した。
赤の家で子供たちの世話をしている女性たちは皆トルドと呼ばれるということは、あそこのふくよかでおばあちゃまという雰囲気の女性も、向こうの屈強そうな職人風の女性も、みな一括りに“トルド”だということだろうか。
そういえば、トルドという言葉の由来を、今の今まで気に留めたことがなかった気がする。
「“トルド”というのは、古語なんですか?どういう意味があるんでしょう?」
「いいえ?“トルド”は巨人語ですけれど……改めて意味と言われると難しいですねぇ……」
夫人はやわらかそうな顎に手をあてて、何か良い表現がないかと悩んでくれた。
日常的に使っている言葉の意味を説明するというのは、案外と難しいものだ。
けれど彼女ははぐらかすことなく考えて、僕の質問に答えてくれた。
「トルドはそう……“代わりの者”、でしょうかね」
「代わりの、者……?」
「ええ」
その意外な回答に、僕もイェンも侍女たちも、顔を見合わせ目を瞬いた。
改めて夫人に向き直ると、彼女はにっこり笑って、彼女なりの見解を答えてくれた。
「赤の家の者は、子供たちに対して親のようなことはしますけれど、実の親とは限りません。
では教師なのかというと、それらしいことはしますけれど、教えることを生業としているわけでもございません。
あくまでも、親“代わり”、教師“代わり”……そしてここで育って、ここに帰ってくる年長の子らは、子供たちの兄姉“代わり”なのですよ」
「まぁ……立派なお仕事ですのに、“代わりがきく”、なんて、なんだか寂しく感じてしまいますわ」
「うふふ。ありがとうございます。確かに、代えのきかない特別な立場というものは、素敵な響きですわね……けれど……そう……
あたくしはね、何事も、誰かの“代わり”から始められれば、それで良いと思っておりますよ」
ヘッラ=トルドはそう言って、慈しむように赤の家をゆっくりと見回した。
僕ら知らない人間が難しげな話をしていたからだろうか。ヘッラに話しかけたいのを我慢しているような様子の男の子がちらちらとこちらを窺っている。
ヘッラがその子に笑いかけ、手招きすると、男の子はオムツでもこもこに膨らんだ尻をふりふりしながら、ヘッラの足に抱きついてきた。
その子を抱き上げながら、ヘッラが続ける。
「親も、教師も、兄弟、夫婦もね。貴方でなければと言われることはとても光栄なことです。
でも、そんな代わりのいない存在を失った子はどうでしょう?代われる者などいないと、特別な人を想い続けること、それも美徳でしょうとも。
けれどね……あたくしは、代わりで埋まる隙間が僅かなりとあるのなら、そんな隙間にお邪魔したいと、そう思うんですよ」
「そんな……大議長の奥方様ともあろう方が……」
「いえいえ。それこそ、色んな方と肩代わり、埋め合って、なんとか務まっているお仕事ですとも。
それにねぇアデレさん。貴女は、特別にお強いカリーさんのお子を、特別に強くお育てしたいと仰ったでしょう?」
「え、ええ……はい」
「子に期待して、共に夢を見られたら、それは素敵なことですわ。
けれど、子種が立派だからといって、皆が皆、期待された才を持って生まれてくるとも、その才を喜ばしく受け入れられるとも限らないでしょう?」
「…………」
「そういう時にね、親と子の間にも、適度な隙間というのが出来ていいと、あたくしは思うんです。
そんな隙間を、その時だけ埋めるような、親“代わり”の者がいたって、良いんじゃないかとね。思うんですよ」
名指しされたアデレは、何を思ってか黙り込んだ。
僕はいつも明るく前向きな彼女のことを、親の期待と本人の希望が合致した稀有な存在だと信じ込んでいた。
けれど、男社会の王国に生まれ、武を重んじる将軍の家に女性として生まれた彼女は、強さこそ至上と習い、強い子供を産むことこそ己の幸福という理念に沿って努力を重ねてきた。
そうして果敢に挑んできた彼女だからこそ、僕は彼女と縁付くことが出来たし、帝国までついて来てもらえたことを日々ありがたく思ってもいる。
けれど果たしてそこに、親の理想に対する不信や不満が一切なかったと言えるだろうか。
「一時の代わりと思って、一生の連れ合いになることもあるでしょう。
代わりと過ごす時を経て、本物とふたたびぴったりの隙間で向き合えるようになることだってあるでしょう。
これだけ人がいますとね。その時その時、誰かが代われれば、それで良いのですよ。
あたくしでも、あたくしでなくとも、ね」
「それが……“トルド”……?」
「ええ……少なくともあたくしは、そういう“代わりの者”のつもりでございます」
ふくよかなヘッラ夫人と、儚げな痩身のあの人とは、まるで似ていない。
考え方だって、代わりで良いと微笑む夫人と、ただ一人の代えがたい人を求めて世界すら渡ったあの人とではまるで違うと思う。
けれどどうしてだろう。
誰かになれなかった存在、誰の生まれ変わりでもないヅァンに生まれた“僕”に“代わり”がいてくれたことが、なんだか今さら、すごく嬉しく、ありがたく思えた。
早めの夕食をご馳走になって、またいつでもいらっしゃいと微笑んだヘッラ=トルドに「はい!」と力強く答えたのは、誰あろうアデレだった。
帰り道、オアシスの街を歩いていると、イェンがこんなことを言い出した。
「シゼルは赤の家のトルドになるの?」
「……え?なんで?」
「なんとなく。なりたいと思ったのかなって」
「うーん……」
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
なんせ僕はまだ産まれて一年だ。
アランでも、ミサラでも、リンでもなくなってからを数えれば、まだほんのひと時しか、“シゼル”を生きていない。
「もう少し……もっとここで生きてから、考えるよ」
「……そだね!まだ始まったばっかりだもんね!」
「うん」
親の“代わり”をしてくれたひと。
教師の“代わり”をしてくれたひと。
家族の“代わり”になってくれたひと。
……それに、“自分”の“代わり”になってくれた、うるさくて煩わしくて、大切だった、“誰か”の記憶たち。
そういうものに育まれて、僕は生まれ、なんとかかんとか、生きて行く。
特別じゃなくていい。
あつらえたみたいにピッタリはまる、誰かの唯一無二じゃなくていい。
明日死ぬよりは、あと少し生きてみようと思わせてくれる、そんな“代わり”を務めてくれた人たち。
もし、そんな彼らにも特別な人を失った“隙間”があるのなら、それをほんの少し埋められる“代わりの者”に。
いつか僕も、なれるだろうか。
誰の生まれ変わりでもない。転生じゃない、“僕”自身で。
いつか―――
ヅァンのシゼルを主人公とした物語はこれにて完結となります。
最後まで読んで下さった皆さま、ありがとうございました。
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