いつかの話:わたし
わたしはその日、いつものように地下書庫にこもって、帝国各地から集まった物語の書き留めを行っていました。
妹たちにはたまには外に出て陽の光を浴びろと怒られるのですけれど、地下の方が粘土が乾き難いですし、それに……やはりわたしはどうしても、明るい場所で己の姿を晒すことに抵抗があるのです。
そんなわたしですが、筆記棒の扱いだけは自信があります。
思い切りよく、かつ粘土に棒を沈めすぎないのがコツです。こう、淡々と無心で行える作業というものは良いですよね。心が落ち着きます。
数年前まではわたしも妹たちと一緒に巡礼者の前に立って説法をさせられていましたが、シン様が現れ、祭殿が帝国の機関となって以来、こうして歴史書の編纂だけに従事させて頂けるようになりました。
帝国万歳、です。
「ハァッ!!」
「きゃっ!?」
わたしの前の席でうとうとと船を漕いでいたスズリが突然、大きな声を上げて立ち上がりました。
この末妹の突飛な行動はいつものこととはいえ、びっくりしてしまいます。
「な、なんですかスズリ?お腹が空きましたか?」
「ちがう!外!外出るぞノルズリ!」
末妹にぐいと手を引かれて、わたしは危うく粘土板に突っ伏しそうになりました。
けれどスズリがこれほど興奮している理由は、次の言葉ですぐに知れました。
「シン様が帰って来るんだぞ!」
「ほ、ほんとうですか?ああ、でも待って、せめてこの板を完成させてから……」
「そんなのどうでも良いんだぞ!シン様を一番にお迎え出来なくて、何が祭司なんだぞ!
食いっぱぐれたくなきゃ行くんだぞ!」
「あう……そそ、それは困ります……っ」
妹たちと違ってわたしはこの仕事以外で身を立てられる気が致しません。
祭司をお役御免にならない為にも、ここは動かなければならないのでしょう。
うう……太陽の光、何日ぶりでしょう。
スズリに腕を掴まれてずんずんと階段を上がり、祭殿の一階に出ました。
まだ屋内とは言え、すでに陽の光が差し込んで、わたしとスズリの肌の対比が良く見えるようになりました。
慌てて顔布を巻き付けます。
わたしが表に出るのが珍しいからか、スズリと並ぶと目立ってしまうのか、祭殿仕えの皆さまが清めの手を止めてこちらに注目しています。
わたしは袖をぐっと伸ばして自身の肌を隠そうとしました。
そこで改めて、スズリの黒曜石のような美しい肌が目に入り、知らず溜め息が漏れてしまいます。
アァナアダ=シンが男と女に分かれ、子を成した。その子孫が我々砂の民の祖であると言われています。
砂の民は皆、巨人の子らしい大地の色の肌をしていますが、スズリはその中でも闇を落とし込んだような特別な肌の色を持って生まれた子です。
小さい頃から勘が鋭く、特別な力のある子で、わたしのような取り柄のない人間が同じ祭司などに祀られていることは、いつも申し訳なく思っています。
ただ才がないだけなら良かったのですが、わたしは容姿が人と違っているのです。
それも、スズリのように良い方向に特別なのではありません。
わたしは砂の民にはまず見ることのない白い肌に稲のような金色の髪に生まれました。
自分では見たことはありませんが、瞳は空の色をしているのだそうです。
生い立ちのお陰で皆わたしの特異な容姿を祭司の力の表れだと捉えてくれています。
けれど、どうせ特別なら、やはりスズリのような美しい黒い肌が良かったと思ってしまうのです。
そう言えば、シン様がこのたびお出向きになられた東の国には、太古の蛇の末裔が暮らす土地があるのだとか。
シン様によると、蛇は皆わたしのような白い肌に明るい色の髪を持っているのだそうです。
もしもその国に生まれていれば、わたしもこんなことで鬱々とした気持ちにならずに済んだかもしれませんね。
「うっ……眩しい……」
「ずっと引きこもってるからだぞ!ノルズリはただでさえ目が弱いんだから、暗い地下で文字ばっかり見てちゃ駄目なんだぞ!」
「だ、だって……外は……その……苦手で……」
祭殿の入り口の大階段に出ました。
ここまで来ると、祭殿の関係者ではない一般巡礼の皆さまの姿が散見されます。
皆さまわたしの姿を見ると、驚いて二度見なさったり、指差して何か囁き合ったりしていらっしゃいます。
ああ、視線が痛い。気が重いです。
と、大階段の下から、見知った導師の方が走り寄って来るのが見えました。
「ノルズリ様、スズリ様!すでにお気付きになられたのですね!?さすが祭司様です!」
「ということは、本当にシンが……?」
「ええ、もう北門のお近くまでいらしているとのことで……ハッ!申し訳ございません!導師頭にお伝えせねばなりませんので、急ぎ失礼致します!」
それだけ言うと、止める間もなく導師は駆け去ってしまいました。
今の言い方では、まるでわたしまでスズリのようにシンの御帰還に気付いたような口振りになっていた気がします。
わたしにはそのような特別な才はありませんのに、妹の手柄を横取りしてしまったような気分です。情けないですね……
「北門だって!行くぞノルズリ!」
「き、北門まで走るのですか!?」
「当たり前だぞ!シン様をいち早くお迎えするんだぞ!!」
「は、はひぃ……っ」
わたしは他の妹たちと違って足も遅ければ体力もありません。
スズリに引っ張られて何度も転びそうになりながら……いえ、実際に何度か転びながら、わたしはなんとか北門まで到着しました。
ぜぇはぁと息の整わないわたしを門にもたれさせると、スズリはその足でするすると物見穴に上がって行きました。
巨人信仰の本拠地であるこのツィンガヲン市の古い建造物は巨大なものが多く、中には本当に巨人の手を借りて建造されたものもあります。
この北門は東西南北にある門の中では比較的小さな門で、ちょうどシン様の身丈で余裕を持って通れるくらいの高さになっています。
「見えた!見えたぞ!おぉーい!シン様!
アウストリとヴェストリもいるぞ!ノルズリも早く上がって来るんだぞ!」
「ま、まっ……て……い、息が……」
わたしが蹲って息を荒らげているせいで、周囲の門兵の皆さんがおろおろと心配そうに覗き込んで下さっています。
祭司として、こんなことではいけません。
わたしは皆さんに大丈夫ですと手で合図して、門の梯子を登り始めました。
これは下を見ないようにして一気に登ってしまうのがコツなのです。そうしなければ、途中で恐ろしくなって降りることも登ることも出来なくなってしまいます。
経験談です。
やっと梯子を登りきって、石造りの門の物見穴に入りました。
ここはまだ壁に囲まれていて風がないので落下の危険がなくほっとします。
戦時には盾の設置台にもなる手すりにスズリが身を乗り出して寄りかかっています。
機敏な末妹のことなので、間違ってずり落ちるということはないのでしょうが、わたしは見ているだけで怖いです。
「……やっぱりシン様、半分になってるぞ」
いつも元気なスズリが静かに呟いた言葉に、わたしも門の正面に目を凝らしました。
雄牛に跨り、悠然と歩いていらっしゃるシン様が見えます。
そしてスズリの言う通り、半分が稲穂色だったシン様の御髪が、黒一色に変わっていらっしゃいました。
数か月前、巨人のお力を感じ取ることが得意なスズリが突然「シン様のお力が半分になった」と言い出した時には、何か恐ろしいことがあったのではとただただ不安でした。
とにかくお身体が無事でお戻りになることだけを祈っておりましたが、まさか半分になるというのがこういうことだとは……
シン様の御髪が雄牛に揺られ、風にたなびきます。
シン様に初めてお目通りした時、わたしはわたし以外に初めて稲穂色の髪をした方にお会いしました。
祭殿の教えに守られていたとはいえ、奇異なるものとして常に好奇の視線の的でしかなかったわたしの髪を見て、シンさまは「愛い色だ」と微笑んで下さいました。
今でこそ、それが亡きウァラアラ様を懐かしんでの発言であると分かっております。
けれどその時のわたしには、そのお言葉が、お声の優しさが、月の光のようにじんわりと沁み入って……なにか、救われたような気がしたのです。
「……ノルズリ?泣いてるのか?」
「………っ、だ、大丈夫ですっ。なんでもありません……!」
スズリに指摘されて、わたしは慌てて袖で顔を覆いました。
わたしは愚か者です。
シン様の御髪の色が変わってしまったからといって、まるで自分との繋がりが断ち切られてしまったようだなんて。自分がまた一人、取り残されてしまったように感じるだなんて。
今一番お辛いのは、ウァラアラ様から受け継いだお力を失ってしまったシン様ご自身であるはずなのに。
自分のことで勝手に気を落としている場合ではありません。
「シン様――!!アウストリ!ヴェストリ!!おかえりなさいだぞ―!」
ことさら明るく振る舞うスズリを見習わなければいけません。
シン様たちを乗せた雄牛が門の手前で歩みを止めました。三人は雄牛から降りて、こちらに歩み寄ってきます。
いつもならこの物見穴に登ると、ちょうどシン様と目の高さが同じになるのですが、今日は違いました。
どうやらシン様は御髪や瞳の色だけでなく、お身体も僅かに縮んでしまわれたようです。
シン様のつむじを見て、わたしとスズリは顔を見合わせました。
「ま、待ってろシン様!今そっちに降りるぞ!」
「わ、わたしも……」
「良い。俺様が下ろしてやろう。ほれ、つかまれ」
そう言って、シン様がこちらに腕を伸ばして下さいました。
スズリの顔が輝き、ぴょいと跳ねたかと思うと、いきなり物見穴から飛び降りました。
わたしはヒッと息を呑みましたが、スズリは見事にシン様の腕の中に飛び込んで、受け止められました。
「ヒャハハ!おかえりシン様!!」
「うむ。黒いのも、変わらず活きが良いようだな」
シン様の腕の中に抱きとめられたスズリが、ぎゅっと首に抱きついています。
羨ましいです。わたしもシン様に活きが良いと言われたいです。けれど、わたしがやったら確実に足を踏み外して地面に激突してしまうでしょう
「ほれ、白いのも、来るが良い」
「………は、はいっ」
わたしは伸ばされた腕にぎゅっと摑まって、思い切って物見穴の手すりから踏み出しました。
けれど、案の定足首を捻ってしまい、がくんと体が落下します。
「―――ひぅッ」
変な声が出て、ぞわっとするような一瞬の落下感ののち、わたしの体はシン様によって掬い上げられました。
シン様の広くて温かいお胸に抱きとめられています。
ああ、今絶対、顔が赤くなってしまっているでしょう。わたしは肌の色が薄くて、血の色が表に出やすいのです。恥ずかしい。
「……シ、シン様……お、おかえりなさいませ……」
「うむ。白いのも、相変わらずどんくさいな!」
「ふ……ううぅ……」
どんくさいと言われてしまいました。穴があったら入りたいとはこのことです。
「フハハハハ!愛い愛い!さすがは俺様の女どもだ!今後も存分に個を生きよ!」
わたしがうじうじと縮こまっていると、いつもシン様はこうして笑い飛ばして下さいます。
本物の巨人だからというだけでなく、わたしはこうしたシン様のおおらかさをこそ、お慕い申し上げているのです。
わたしとスズリをそれぞれの腕に抱えたまま門をくぐられるのかと思いましたが、シン様はふと難しいお顔をなさって、両方が黒くなった双眸を北東の方角へ向けられました。
「白いの、黒いの。俺様はヴォノボノに会いにゆくつもりだ。付いて参れ」
「えっ」
突然の宣言に、わたしは目を瞬かせました。
今、白いの、と仰いましたか?スズリだけでなく、わたしを?旅のお供に?
「うわーい!旅だぞ!外国だぞ!森の巨人だぞ~!」
「わ、わ、わたしも、ですか……?」
「そうだ。貴様であれば、奴の所在におおかたの見当がつくのであろう?」
「そ、それは……知識としては……そうですが……でも………」
帝国の徴税官や砂の商隊を通して集めて頂いた各地の巨人伝承をまとめているわたしは、確かに森の巨人ヴォノボノ様のお住まいを推察することは出来るでしょう。
けれど、土地の名や伝承を知っていることと、実際にそこに辿り着けるかどうかでは、まったく話が違います。
わたしはアウストリのように騎馬が得意なわけでも、ヴェストリのように狩りが出来るわけでもありません。
「わ、わたしなど……足手まといにしかなりません………どうぞ、スズリだけをお連れ下さい……!」
「む?」
わたしが赤ら顔を隠すように頬に手を当てて俯くと、シン様は首を傾げてわたしの顔を覗き込みます。
そして、スズリまでシン様の真似をして体を乗り出してきました。
「ええっ!?何言ってるんだノルズリ!?スズリは物語なんてまるで覚えてないぞ!?シン様以外の巨人の気配だって、よっぽど近付かなきゃ気付ける自信ないぞ!!」
「その通りだ。黒いのは察しは良いが、物覚えは悪い。
俺様と黒いのでは、百年かかっても見つからぬ」
「スズリはそんなに生きられないぞ!!」
「で、でも、でも………」
「姉さま」
わたしが必死に言い訳を探していると、下から珍しい呼び方で呼びかけられました。
見れば、いつも勝ち気な妹二人が、なにやら思い詰めた顔をしています。
シンに視線で問うと、そっと妹たちの傍に下ろしてくれました。
駆け寄ったわたしの袖を、ヴェストリがきゅっと掴みます。
「……シン様の大切なお力が失われたのは、ヴェストリのせいなのです」
「違う。アウストリのせい。アウストリが肝心な時にお傍にいられなかったから」
「別にどちらのせいでもあるまい」
「いいえ……!あそこにいたのがノルズリとスズリなら、きっともっとシン様のお役に立てたのです……!」
「貴女たち……」
買いかぶりです。特別な勘の良さを持つスズリならともかく、ただ少し物覚えが良いだけのわたしに何が出来たというのでしょう。
そう言いたかったですけれど、今はそれよりも妹たちの気持ちです。
わたしはそっと二人を抱き寄せ、ふだん勝ち気な彼女たちの涙ぐむ姿が衆目に晒されない為に、長い袖で顔を覆いました。
「……シン様は、お力を取り戻す為に、ヴォノボノ様に会いに行かれると決めたんだ」
「お願い姉さま……!シン様の力になってあげて欲しいのです……!」
「…………」
わたしは妹たちの嘆願を受けて、シン様を仰ぎ見ました。
シン様はなんとも気不味そうです。
けど、ウァラアラ様との繋がりが失われた寂しさを押し込めて妹たちを気遣って下さっているのがよく分かります。
わたしは震えそうになる唇をきゅっと引き結ぶと、二人の妹に向かって頷きを返しました。
「わ、わかりまひたっ……が、が、がんばりまひゅっ……!」
「………さっそく噛んでる」
「すでに不安なのです……」
「ひんっ……」
自分で自分にがっかりです。まるで締まりません。
けれど姉として、泣いてすがる妹たちの願いを無下にはできませんよね。
わたしは改めてシン様に向き合いました。
「シ、シン様……!ふつつかで、根暗で、どんくさい祭司ですが……ど、どうか、お供させてくださいませ……!!」
「うむ。頼む」
「たっ……たの!!?は、はいぃ……!!」
「声が裏返ってるんだぞ……」
「姉さま……」
「心配なのです……」
「うううぅぅ……!がんばりまひゅっ……!!」
不安しかないですが……それでも、はじめてシン様の口から「頼む」と言って頂きました。
シン様から頼られて未だ動かないようでは、何が祭司と言えましょうか。
ああ、天にまします無垢なる全よ。どうか矮小な小人の決意をお聞き届け下さいませ。
わたしは今日、生まれ変わります。
皆の姉として、シン様の祭司として、この旅をやり遂げられますよう。
どうか、わたしの紡ぐこの小さな生まれ変わりの物語を、全知の瞳でお見守りくださいませ。




