余 迷宮・組局
新星歴1455年、ホワイトウッド歴287年6月、ホワイトウッド王国は未曽有の災厄に襲われていた。
魔物が大発生し、国の防衛網が次々と破られていった。
この危機に国王は恐慌をきたし、かつて建国王が封印した魔神を使役しての魔物殲滅を企てる。
それに気付いた王宮筆頭術師ダレン・アーモニアは、封印の鍵たる『青水晶の護符』を奪い、最前線へと赴く。
ダレンは『青水晶の護符』の魔力を使い、魔物の侵攻を一人で抑えていた。しかし、数の暴力は圧倒的魔力だけではいかんともしがたく、いずれは魔物にのまれて死ぬだろうと思った。
一時的に魔物の波が引いた。おそらく次の大波の予兆なのだろう。しばしの休息が終わった後、自分と国の運命が終わる覚悟をした。
「兄上には申し訳もたたぬ。妻にも息子にも何も残せぬどころか、族誅として死罪を宣告されているやもしれん。わたしはどうすればよかったのか。誰も救えぬまま、この地で果てるしかないのか。ならばいっそ、魔神を蘇らせたほうが良かったのだろうか……」
後悔に打ち震えるダレンの耳に、かすかな声が聞こえた。助けを求める声だった。逃げ遅れた村民がいたのだろうか。
声のほうへ歩いていくと、むこうからも一人の男が近づいてくる。ダレンを見つけると声を上げて走ってきた。
二十代半ばの黒髪の青年だった。珍しい、茶色の瞳をしている。さらに珍しいのは、その服装だった。貴族の簡易礼服のようだが、生地が見たことのない物だった。
「いや、助かった。誰もいないのかと思ったよ」
「そなた、こんなところで何をしている? もうすぐ魔物の大群が押し寄せてくるぞ」
「魔物!? 魔物って、モンスター? え、なんだ? 何が起きたんだ!?」
「それはこっちが聞きたい。そなた、この村の者ではないのか?」
「違うちがう! オレは会社で深夜残業をしてて、うっかり寝落ちしたらそこで寝てたんだよ! こんな田舎に来た覚えはない!」
若い男は体中で不安を表現した。その様子からダレンは彼の言葉を疑わなかったが、不審点も多すぎる。
首をかしげるダレンの前で、男はさらに声を上げた。
「なんだ、あの変な生き物の死骸は! あれが魔物!?」
「そうだ。あれだけではない。もっと多くの種が群れをなして国中を荒らしている。……本当に知らんのか?」
「知らねーよ! 夢だろ、これ!? それともバイストンウェルか!」
「ばいすと……? 国の名前か?」
「異世界だよ! 妖精だとかいるところ! オーラバトラーはないよな!?」
ダレンはようやく合点がいった。『異世界』という言葉を知るだけで、彼は一般人ではないのだ。
「妖精はいるが、オーラなんとかは聞いたことがない。それより、そなたは魔術協会の者か? それとも、異世界人か?」
「異世界人……? 異世界人……。そうなのか、オレ?」
青年は急に落ち着きはらった。何かを納得したようであった。
「自分で言ったのだろう? この世界には、異界が存在する。神の領域たる神界、魔族の住む魔界、妖精のいる妖精郷。そういった世界の中に、我々と同じような人間がいる異界があったとして、なんらおかしくはあるまい」
「やっぱりここ、バイストンウェルだろ?」
「そのような名前ではない。ともかく、どうしてこの世界に迷い込んだかは知らぬが、不運であったな」
「……マジで魔物の大群がくんのか?」
「ま・じ? よくわからんが、来るぞ。もう一刻もすれば、周辺を覆いつくすだろうよ」
ダレンの言葉に、男は乾いた笑みを浮かべた。そして、逆上した。
「ざッけんな! なんでオレがこんなわけわからねーメにあうんだよ! あの声だ! あの声のせいだ! なにが助けてだよ! 手を貸して欲しいだよ! 助けてほしいのはオレのほうだ!」
「そなた、誰ぞに召喚されて来たのか?」
「ああ、たぶんな! 夢の中でなんかほざくヤツがいたんだよ! 影しか見えなかったけど、なんかデケー、ゴツいやつ! そのくせ『助けて~』っと来たもんだ! あれでオレはこんなとこに飛ばされてきたのか!?」
「おそらくそうなのだろうな。それが何かはわからぬが、その望みを叶えれば帰れるのではないか?」
「どこの誰ともわからねーヤツにどうやって会えってんだよ! その前に魔物にやられて終わるだろうが!」
「そうだな。だが、そなた一人くらいなら、逃がしてやることもできる」
「マジか! 頼む! すぐ頼む!」
「わかった。だが、わたしは共に行けぬから、そのあとは一人でどうにかしてくれ」
男はいぶかしんだ。
「あんたは? ここにいたら魔物に殺されるんじゃないのか?」
「それをとめるためにここにいるのだ。一匹でも多くの魔物を葬る。それがわたしの役目だ」
「あんた一人でか? 仲間は?」
「いない。わたしは陛下のやり方に賛同できず、逆らってこうしている。せめて国のために戦い、死ぬべきなのだ」
ダレンが拳を握りうつむく。
男は一回りも年配の術師の肩を叩いた。
「馬鹿なのか? 死んだら守れねーだろ」
「それは……っ!」
ダレンは言葉に詰まった
「いいかげん、そういう前時代的な自己犠牲はやめようぜ。しょうがねーから相談に乗ってやっから、いっしょに考えようや」
「いや、しかし、わたしは大いなる罪を――!」
「そういうのは終わってからでいいだろ。見たところ、この周囲の魔物を斃したのはあんたなんだろ? これができたんだから、次もできるだろうが。何が不安なんだよ?」
地面にどっかりと腰を落ち着ける男に、ダレンは毒気を抜かれて座り込んだ。
「……まず数だ。これからおそらくもっと増える。ここにいるのは先兵にすぎん。それに目撃された空からの攻撃もまだなかった。さらに侵攻はここだけではなく、国を囲むように多方面から来るのだ。抑え込めるわけがない……」
「なるほどな。数が圧倒的に足りないのか。なら、増やせないか?」
「……増やす?」
「あんた、いわゆる魔術師なんだろ? 安心しろ、オレは魔法には造詣が深いんだ。ウィザードリィやウルティマはもちろん、ドラクエもやりこんだ。だから知ってるんだが、魔術師ってのは死体を操ったり、土からゴーレムを作ったりできるんじゃないのか?」
「そなたの出す名前が何かまったくわからんが、ゴーレムはわかる。そうか、ゴーレムか」
ダレンは杖で地面を叩き、何やらつぶやいた。すると土が盛り上がり、人間大のゴーレムが現れた。
「おおー、できるじゃん! これをどんどん出して、数を補うんだ」
ダレンの表情は暗いままだった。
「『青水晶の護符』のおかげで魔力には事欠かんが、いかんせん、ゴーレムは寿命が短い。数時間で元の土くれに戻ってしまう」
「『青水晶の護符』!? ドルアーガのブルークリスタル・ロッドとウィザードリィの護符の合体か!? ……て、それはおいとこう。その護符はいったいどんなものなんだ?」
「魔力を無尽蔵に生み出す宝玉だ。しかし、いくら莫大な魔力があろうと、使う術師がわたし一人では、守れる範囲はしれたものだ」
「無尽蔵の魔力か……。それを溜めることはできないか?」
「……どういう意味なのだ?」
「電池、わかるか? わかるわけないよな。ファンタジーだし。ええとな、その魔力を、例えば――」と男は小石を拾ってダレンに見せた。「この石に溜めることはできるか、ってことだ。で、溜めた魔力石をゴーレムに入れる。動力原としてな。そうすれば通常より長く行動できないものかと言いたいわけだ」
「たしかにそれならゴーレムも長く動ける。だが、それと同じような働きをする魔石は存在するが、作るとなると時間も労力もかかる。今回は再充填を考えず、使い捨ての魔力放出専用の石を作るとしよう。それなら魔力を凝固させるだけだから楽にできよう。名前は放魔石とでもしておくか」
「ゴーレムの核になるんだから、核石のほうがカッコよくないか?」
男はドヤ顔で言ったが、ダレンは興味がなかった。
「どちらもでよい。さっそく量産するとしよう」
こうしてダレンは『青水晶の護符』の魔力を使い、大量のゴーレム軍団を完成させた。さらに男のアイデアを元に、矢に羽の生えたような鳥型の空戦用ゴーレムも生産した。それは高速で飛行魔物を貫く、突撃攻撃ゴーレムである。
その後も幾種ものゴーレムを産みだしながら、国の外周を回るように魔物を駆逐していった。余裕の出たホワイトウッド軍も呼応して魔物たちを追い詰めていく。そしてついに魔物の姿は見えなくなった。
「どうやら厄災は終わったようだ」
ダレンは静かになった地平線を見つめ、ようやく一息ついた。精魂尽き果てたのか、ダレンは酷く老いて見えた。
「これでオレも元の世界に帰れるかな」
男は伸びをする。あの夢の中で求められた救援の役目は終わったと思った。
「そなたのおかげだ。自暴自棄になりかけたわたしを救ってくれた。ありがとう」
「いやぁ、それはお互い様だろ? あのとき、あんたがいなかったら、オレは何もわからないまま死んでたよ」
ダレンから差し出された手を、男は握った。
「それで、帰れそうな予兆はあるのか?」
「ぜんぜんだ。もしかすると、まだ足りないのかもな。どうせ向こうの世界に未練はないし、しばらくはここにいるのもいいさ」
男は気楽に笑った。
「そうか。それはわたしとしても嬉しい。なにせまだ、事は済んでいないからな」
「まだ何かあんのか!?」
「後始末だ。魔物は去ったが、『青水晶の護符』を盗んだ件は終わっていない。今さら返還したとして、陛下が許すとも思えぬ」
「だろうな。それに、いったん魔神の復活を思いついたんだ。次の機会は逃さないだろうよ」
「うむ……」
ダレンはうなだれた。彼に残された道はないに等しい。何より、家族を犠牲にしてしまった後悔はより一層深くなっていた。
男はそんなダレンの気持ちを理解しつつ、話を続けた。
「あんたはもう、どこへも行けない。護符は強すぎる。異世界人のオレでもわかるくらいだ。それをどこかに隠すのも無理だろうし、他の誰に委ねることもできない。違うか?」
「……そのとおりだ。わたしは一生、いや、死んでからもこれを悪用できないようにしなくてはならない」
「そこで考えたんだが、いっそ王サマの前にぶら下げておくってのはどうだ?」
「どういうことだ?」
「どこにあるかわからないままだと王サマは暴走しかけないだろ? 持っているとアピールしつつ、守るんだよ。そうすりゃ、少なくとも余所に迷惑はかからない」
「……一理ある」
「で、ここからがオレの趣味と実益につながる話だ。それを守るために、そいつで魔物ひしめく迷宮を造ってみないか?」
「迷宮!?」
思わずダレンは大声を出した。王国一の頭脳を持つと言われた王宮筆頭術師ですら理解が追いつかなかった。
「王都の前にでもこさえてやって、護符が欲しければ取りにこいと言ってやるんだよ。王サマの意識は迷宮にだけ向くし、あんたはそれを阻めばいい。イタチごっこをやってれば、そのうち時代も変わるだろ。そうしたら改めて護符をどうするか考えればいいさ」
ダレンは腕組みをして考え込んだ。アイデアとしては悪くはない。が、懸念もある。
男はさらに利点だけを強調した。
「だいたい、今回の厄災でもっともダメだったのは国の軍備だろ? 個々の実力も低いから簡単に蹂躙されたんだよ。魔物との戦いに慣れる場を作るべきだと思わないか?」
「だが、鍛えるどころか死ぬかもしれんぞ」
簡単に突破されるような生易しい迷宮では『青水晶の護符』はすぐに取り戻されてしまう。かといって強すぎては兵を無為に死なせてしまう。
「だから階層ごとに魔物の強さを変えるんだよ。自分のレベルに合った敵と戦って経験を積み、次に進む。段階を踏んでいけばリスクは少ないはずだ」
「それは理想だな。陛下がそのような長期的な策を許すとは思えぬ」
ダレンの表情は暗い。目的のために兵の大量投入・短期奪還を望むのが目に見えている。
「けどな、そうやって時間を稼ぐしかないだろ。それに奪還を阻止するなら、どうしたって兵士を傷つけることになるぞ」
「……わかった、試すとしよう。具体案を教えてくれ」
ダレンは逡巡の末、男の提案に乗った。
「それじゃ、オレが最後にプレイした『デス・エク』を主体にして、いろいろ混ぜこむか。元は個人開発のゲームなんだが――」
男はダレンには理解できないウンチクを楽しそうに語りはじめた。
数週間後、迷宮が完成すると、男はダレンに言った。
「これで迷宮はほぼ自動で動く。数年ごとのアップデートも仕込んだし、もうオレはいらない。年をおうごとに攻略しやすいように変化もかけた。いずれはあんたのところへ誰かが来るだろう。そのとき、また国と向き合ってみな」
その仕込みというのが、魔術転送機や宝箱、カシャーンである。一方で色迷路などの個人的趣味も組み入れていた。
「ああ、そうしよう」
ダレンの返事に男は満足した表情を浮かべた。
「近くで見守ってるぜ。ここで商売を始めるつもりなんだ。迷宮に集まる人間相手のな。これでも元の世界では優秀な営業マンだったんだぜ? 元の世界に帰れるまで、楽しませてもらうさ」
「そなたには感謝してもしきれぬ」
「言ったろ、お互い様だってよ。これから迷宮で稼がせてもらうよ。……そうだ、この前、買出しに王都へ行ったとき小耳に挟んだんだが、あんたの奥さんと息子、世間的には死んでたぜ。あんたの罪の巻き添えでな。いや、落ち着け! 世間的と言ったろ? 生きてるよ。安心しろ。あんたの兄貴が私財をなげうって助命を嘆願したんだと。世には流れない話だが、ツテで聞いたんだ。平民落ちして名前を変え、王都から追放されたらしい。だが、生きてる。良かったじゃないか」
「ああ、ああ、よかった……。兄上には本当に申し訳ない。感謝の言葉もない。ああ……」
ダレンは膝をつき、かつての故郷のほうへ何度も頭を下げ、号泣した。
「……商売がうまくいったら、あんたの兄貴の家をお得意様にしてやるからな。そしていつか、再会する手筈を整えてやるよ」
「ありがたいが、それはやめておこう。わたしは迷宮で果てる。いらぬ波風は立てるべきではない」
涙と鼻水を拭いながら、ダレンは立ち上がった。
「そうかい。なら、せめてあんたの血筋の世話を影ながらさせてもらうよ。それくらいは許してくれるだろ?」
「ああ、それはありがたい。よろしく頼む、ホッタ殿」
「それじゃぁな、ダレン・アーモニア閣下。また会おう」
二人は握手を交わし、別れた。
それ以後、二人が会うことはなかった。
30年後――
男の執務室の扉がノックされた。部屋の主は「なんだ」と声をかけた。
「お客様がお越しになられました。お通ししてよろしいでしょうか?」
男は次の来客予定者を思い出し、顔を緩ませた。
「ああ、かまわない」
秘書が去っていく足音が聞こえる。戻ってくるまで数分はある。書類がいくつか片付けられるであろう。
再びノックされ、男は客人を通した。
「ようこそおいでくださいました、アーモニア嬢。あれから一月ほどでしょうか。お変わりないようで安心いたしました」
「そちらもお元気そうで何よりです、ボッター様。お時間をいただきありがとうございます。今日は私の友人より、あなたへの手紙をお届けに参りました」
席を勧められ、カテリナはソファーに落ち着いた。ボッターも正面に座る。
「ご友人から……? さて、どなたでしょうか?」
「ココノエ・カナエ。サイサリス、といえばおわかりでしょう?」
「……!」
ボッターは受けとった手紙を見て胸が熱くなるのを感じた。『ボッターさんへ』と書かれた文字は、今はもう使っていない。懐かしい世界を思い出させた。
「アーモニア嬢はご存じだったのですね、わたしが異世界人であると」
「気付いたのはカナエですわ。そのニホン語の手紙を見せられてわかりました」
ボッターは口もとを緩めた。手紙を開け、一気に読み進める。少女らしい可愛い文字であった。日本に娘でもいれば、こんな文字を書いていたかもしれない。この地に妻も息子もいるが、残念ながら日本語は知らない。
「……カナエはなんと? 差し支えなければですが」
カテリナは知りたくて仕方がない素振りを隠せなかった。ソワソワとして、落ち着きがない。
ボッターは手紙の影で微笑んだ。
「『ウィザードリィもブラックオニキスもドルアーガも古すぎる。イースもギリギリ。もっと若者向けチョイスはできなかったの? わたしとアキラでなかったらクリアできなかったよ? ちなみにまだイースもドラクエも続いているよ』だそうです」
「またゲームの話ですか?」
「当時のわたしにとっては若者向けだったのですがね」
ため息をついて頭を振るカテリナに、ボッターは大笑いした。この世界へ来て、これほど愉快な気持ちになったのは初めてであった。
「カナエ様はわたしが迷宮を造る手助けをしたことに気付いたのですね」
「ええ。ニホンに帰る前日に話してくれました。あなたのコレクションを見たときから違和感があったと。決定的なのは、『魔神』ドゥルガーが他にも異世界人を召喚していたと言ったときだそうです。迷宮が異世界のゲームに酷似していたのは、30年前、この世界へ呼ばれた何者かが迷宮を造る手助けをしたのではないか、と疑ったのです。それを裏付けるように、ダレン様の手記には、ホッタというニホン人のような名前の人物への感謝の言葉が残されておりました」
「そうですか、ダレン閣下はわたしの名を残してくださいましたか」
ボッターは力の抜けきった笑みを浮かべた。
「ダレン様へのご尽力、ありがとうございました。知らぬこととはいえ、お礼が遅くなりまして申し訳ございません。ダレン様は、ようやく家族のもとへ帰れました。これも、ホッタ様もおかげでございます」
「顔を上げてください。わたしはダレン閣下がいなければ死んでいました。それに、すべてを知っていて、わたしは彼の死に目にも会えませんでした。せめて後日、お墓参りをさせていただきたい」
「もちろんですわ。ダレン様もお喜びになりましょう」
微笑むカテリナに、ボッターも笑みで応えた。
「お願いついでとなってしまいますが、先ほどの『魔神』について伺ってもよろしいでしょうか? お恥ずかしい話、わたしは結局、『青水晶の護符』とは何であったのかも知らないのです。当時は迷宮を造ることに熱中していて、肝心な話はまったく知らなかったことに迷宮を出た後に気付いたものですから」
年甲斐もなく頭をかいて赤面する紳士に、カテリナの顔はついほころんだ。
「では、事のはじまりから、先だっての『魔神』解放までの顛末をお話し致しましょう。『魔神』の歴史はホワイトウッド建国からはじまります」
カテリナはかいつまんで話しはじめた。それでも長い物語となり、ボッターはその後の来客をすべてキャンセルすることとなった。
内容がカテリナたちの迷宮攻略に変わると、彼は大人げなく興奮した。その姿は、カテリナにメモリを思い出させた。
そして『魔神』の正体や、その目的に至ると、彼は神妙な顔をした。
「そうだったのですか。わたしがこの世界に来たのも『魔神』に呼ばれたからだったのですね。やっと謎が解けました」
「ホッタ様は『魔神』の声が聞こえなくなっていたのですね」
「ええ。あれだけ護符の近くにいても、まったく気付きませんでした。もし聞こえていれば迷宮は存在しなかったでしょうね。ダレン閣下も家族を連れて、遠くの国にでも逃げられたかもしれません……」
ボッターは申し訳なさそうにうつむいた。
「変えられない過去です。そのときの最善に後悔をなさらないでください」
「ありがとうございます」
彼は一度頭を上げ、また深くお辞儀をした。
話は『魔神』とカナエたちの帰還へと進み、現在へとつながった。
「別れはさぞ辛かったでしょうな」
「ええ、もちろんです」カテリナは否定しなかった。
「ですが、おたがいの道は続いています。それがまた交わらないとは限りませんから」
「そうですな」
カテリナの笑顔に、ボッターも表情が緩んだ。
「ホッタ様はよろしいのですか?」
「……なにがでしょう?」
カテリナの問いかけを、ボッターは掴めなかった。
「望むのでしたら、帰れるのですよ?」
「ああ……」
迂闊にも彼はそれに気付いてはいなかった。理由は簡単だった。
クルー・ボッター、異世界名・堀田久留人はしばらく沈黙し、ゆっくりと顔を上げた。その表情は柔らかかった。長い時間を生きた、円熟した微笑みだった。
彼はもう、その世界には帰らない。
〈了〉




