30 魔神の心臓 7.26
5月14日は九重叶の17歳の誕生日だった。あいにくの大雨でせっかくのめでたい日が台無しだったが、友人たちがファミレスでおごってくれるというので悪い日ではなくなるはずだった。
それでも予想以上の嵐に、彼女たちは苦笑いしか出ない。天候不良による部活動中止は妥当だが、この中を帰るのも一苦労しそうだった。駅まで徒歩五分でなければタクシーを呼びたいくらいだ。
すべての部活動が停止され、生徒たちは一斉下校となった。下駄箱は混雑し、玄関では次々と傘の花が咲く。さっそく風で傘が壊される生徒も少なくない。
「一気に駅まで行こう!」
と、叶は友人たちに言い、先陣を切った。「待ってー」と後続が追って来る中、彼女は持ち前の軽快さで校門へと差し掛かった。
轟雷が落ちた。
叶はわけもわからず硬直し、意識が飛んだ。
『助けがいる。待っている。助けがいる。同胞よ……』
そんな声が聞こえた。「助けがいるのはわたしのほうよ!」と、彼女は叫びたかったが、声にならなかった。繰り返し聞こえるその声は、もはや呪いのようであった。
『あー! 思い出したァ!』
メモリが突然、カテリナの頭の中で叫んだ。
「!?!?!」
その直撃を受けたカテリナは、抱きかかえていたガーベラの体を落っことして耳を押さえた。脳内で響くので無駄なのだが、反射行動は止まらない。
「あ、あなたねぇ! 急に叫ぶのはやめなさい!」
『あ、ごめーん。ちょっと意識持ってかれて、夢の中で思い出しちゃってさ』
「お、おい、大丈夫か……?」レナードたちから観ると、カテリナが独りで怒鳴っているようにしか映らない。それまで返事のないメモリを抱きしめて泣いていたと思ったらこの展開である。情緒不安定どころではない。
カテリナはハッとし、真っ赤になって取り繕った。このときになって泣いていたのに気付いた。
「メモリ! さっさとガーベラに入りなさい! みんな心配してるでしょ!」
「いや、主におまえが心配して錯乱状態なんだが……」
「そんなわけありません!」
カテリナはさらに真っ赤になって否定した。メモリはそれが嬉しかった。
「どーよ、うちのカティー、カワイイでしょう?」
「もう一度意識をふっとばすわよ……!」
調子に乗るガーベラ=メモリの眼前で、カテリナの【雷蛇】がほとばしる。
「心配かけてごめんね。あの『青水晶の護符』に触った瞬間、意識が飛んじゃった」
「そもそもなんで触るの。危険でしょう」
「あれが呼んだからだよ。わたしにしか聞こえていないだろうけど、ずっと呼び続けてる」
「助けてって?」
「うん。だから話を聞きたくて触ったら思い出したよ。わたしのこと」
メモリは自信にあふれた笑みを浮かべた。
「……それは、あなたの記憶が戻った、ということ?」
「うん、ぜんぶバッチリ完璧に!」
「そう……。よかったわね」
カテリナは胸が痛んだ。
「あんま喜んでくれてないね。大丈夫、元の世界に帰るときは、ちゃんとお別れしてからだよ。急にいなくなったりしないって」
メモリはカテリナを抱きしめた。彼女はされるがまま黙っていた。
「帰る方法がわかったのか!?」
そんな二人の抱擁をアキラが邪魔をする。
「雰囲気ぶち壊しだよ、武藤君。まともに話すのは一年の文化祭のとき以来? あのときもクラスの出し物の準備で少しだけだったけど」
「記憶、本当に戻ったんだな」
「おかげさまでー。でもここにいる間はメモリでいいよ。わたしもアキラと呼ぶから」
「わかった。で、帰る方法は?」
「まだわかんないよ。これから確認する」
「なんだよ、それ……」
アキラはガックリとした。
「それもこれもあれもどれも、きっと答えが出ると思うよ。わたしたちを召喚した魔神がそこにいるんだから」
メモリは背後の『青水晶の護符』を見た。
全員の目がその一点に集中した。
「あなたたちを召喚した? 魔神が? なぜ?」
問いかけてくるカテリナに答えず、メモリはアキラに訊いた。
「アキラは覚えてない? この世界に来るときに声を聞かなかった?」
「そういや、たしかに『助けて』みたいな声は聞いた。でも今は聞こえないぜ?」
「そのへんはどうしてかわからないけど、とにかく魔神は困ってるんだよ。助けが必要なの。これは絶対!」
断言するメモリに、『聞こえないグループ』は困惑する。考えたくはないが、メモリが魔神に操られている可能性もあるのだ。
しばらく沈黙が続いたが、口を開いたのはやはりカテリナだった。
「いいわ、いったん信じましょう。まず話を聞きます。メモリ、それと会話はできるの?」
「試してみる」
『青水晶の護符』に手を伸ばそうとするメモリ。その反対の左手を「気を付けて」とカテリナは握った。
「大丈夫っ、カティーがいるからね!」
メモリからもつないだ手に力を込めた。右手がアミュレットに触れた。
立ち眩みのような感覚を味わい、意識が戻ると、妙な空間に立っていた。上下も前後もないような、不安定の中に浮かんでいる。メモリは一人ではなかった。カテリナがとなりにいた。
「あれ、カティー、いっしょに来たの?」
「そのつもりはなかったのだけれど、手をつないだままだったからかしらね」
「心強いね。同じ光景を見てくれていたら、みんなへの説得力が違う」
「そうね。このさい見届けるとしましょう。……で、魔神とやらはどこ?」
「どこというか、もうそのへん。たぶん魔神の中だよ、これ。ずっと声が反響してる」
「え?」とカテリナはキョロキョロした。しかし、個体として存在していないものを認識はできない。
「とりあえず声をかけてみるよ。おーいっ」
緊張感のないメモリの呼びかけに、カテリナはかえってビックリしていた。
「……聞こえる。声が、聞こえる。同胞が、いる……?」
頭の上から、足もとから、背中から、正面から声がやってくる。
「そうだよ、聞こえたから来たよ。やっと来れたよ」
「ああ、やっと……」
声は収束し、メモリの目の前からになった。青い光が舞い、それは人型となった。顔はない。
「あなたが魔神?」
「マジン……。あのニンゲンも、呼んでいた……」
抑揚のない声はその光の人型から出てはいたが、しゃべっているようには見えなかった。
「あのニンゲン……? あなたを召喚した魔術師かしら?」
カテリナが訊ねると、魔神の顔が彼女に向いた。
「ニンゲンに呼ばれ、ここに囚われた」
「封印されたことを言っているようね。あなたは自分がこの世界で何をしたかわかっているの? 滅ぼそうとしたのよ。だから斃され、封印された」
「何もしていない。何もできず、止められた」
「それはよかったわ。被害が出なくてなによりよ。でも、あなたの存在はこの世界では悪なのよ。いつ暴れるかわかったものじゃない」
カテリナの口調はキツイ。魔神相手に正気を保つためには、強気な態度を崩せなかった。
「わたしは、呼ばれた……」
魔神の声は弱々しかった。
「でもあなたが魔神である以上――!」
「カティー、ストップ」
メモリがカテリナの口をふさいだ。
「なに、メモリ!?」
「興奮しないで。わたし、なんかわかったよ。この魔神さんは憎めないというか、同じ匂いがする」
「は?」
「前にさ、カティー言ってたじゃん? 神でも神界ではただの人って。そのとおりなんだよ。この人、神界の住人なんだろうけど、ただの人なんだよ。悪い魔術師に召喚された不幸な神の人。なんでかわかんないけど、その魔術師は神界の住人を操る魔術を知っていて、この人を魔神と称して悪いことをしようとしたんだよ。いちおう神様だし、この世界の人間よりすごいことができるから。あの『青水晶の護符』の魔力をみてもわかるでしょ? この人はただ利用されたんだよ。そして、悪神として退治され、閉じ込められちゃった可哀想な人なんだと思う」
メモリの説明を聞き、カテリナは考えこんだ。
「……神界の住人かどうかはともかく、超越的な強い魔力を持つ異世界人であるのは間違いなさそうね。でも、利用されただけの被害者であるのかは証明できないわ。鵜呑みにしていいものか……」
カテリナは「う〜ん」と唸る。メモリは放っておくことにした。
「えと、魔神さん……は、あんまりだから、名前はありますか?」
「名前……。ドゥルガー」
「ドゥルガー? ドゥルガー・ナーガ?」
「ドゥルガー。ナーガは僕」
「ああ、ドゥルガーさんの僕のナーガでドゥル・ナーガね。了解。わたしはメモリだよ。こっちはカティー。それで、ドゥルガーさんは困っているんだよね? 何に困ってるの?」
「解放を望む。帰る。わたしのセカイへ」
「だよね! よくわかるよ! こんなところに300年も閉じ込められちゃねー」
「なんであなた、魔神相手にそんなフレンドリーなのよ」
カテリナがとなりでため息をつく。その表情はだいぶ穏やかになっていた。
「300……年。時間のズレ。わたしの100……日」
「さすが神様、寿命が違う!」メモリはニヤリとした。
「それで、どうすれば帰れるの? 封印を解いて、肉体に戻れば帰れる?」
「肉体はない。あったのは器。このセカイ、体はない」
「どういうこと?」
カテリナは首をかしげた。
「封印されているのは本物の体じゃなくて、仮の体なんだよ。わたしのガーベラと同じ。たぶん、魂とか意識とか、そういうのしかこっちに来れないんだと思う。でも不便だから、かりそめの体を用意して顕現するんじゃないかな」
「あなた、やけに理解が深くない?」
「まかせて! こういう設定はよくあるからね! 意識を器に移す代表は『アバター』だけど、『サロゲート』もそうだし、状況的に一番近いのは『マトリックス』かな」
「もういいわ……」
カテリナは頭痛がした。
「でも、そしたらドゥルガーさんの本体って、『青水晶の護符』ってこと?」
「名前はわからない。青の石の中にいる。壊してほしい」
「それでいいんだ?」
さっそくやる気になるメモリに、カテリナが止めに入る。
「ダメよ! その話が本当かわからないのよ!? それに壊した瞬間、あの魔力が暴発しないともかぎらないわ! もっと話をして、それからよ! あなただって帰る方法をまだ聞いていないでしょう?」
「そういえば、そうだね。……いろいろと話を聞いてもいいかな? わたしたちも頼みたいことがあるんだよね」
「対話を、望んでいた。『ダレン』に、声は伝わらなかった」
「ダレン様!? 覚えているの?」
「覚えている。対話は、できなかった」
「なぜ? 私やメモリとはできているのに」
「『血』が、薄い。『カティー』は、濃い。『メモリ』は、『波長』」
「波長?」
「あーあー、オタク業界によくあるヤツね。『波長』が合う者しか召喚できなかった――ってヤツ。誰でも召喚できるわけじゃないんだよ!」
メモリが自信満々に解説した。カテリナはもう理屈で考えるのをやめた。
「……でも、アキラは聞こえないと言っていたわよ? 召喚されたのに」
「『アキラ』。『メモリ』と来た者。召喚時の、エラー。これまで様々な、セカイから召喚。すべて、『波長』が、切れた」
「過去にもいたの? その人たち、どうなったんだろ」
「わからない。声は、届かない。波長も、得られない」
「もう死んでいるか、それこそ波長がずれて認識できていないのか……。メモリだけが唯一の成功例なのね。……体がないからかしら?」
「有り得るね。わからないけど。」
「私やダレン様に流れる魔神の『血』は、『青水晶の護符』を作った祖先が『血』を浴びたからね。まぁ、肉体は本物ではなかったのだから、厳密に血ではなく、魔力みたいなものなのでしょうけど」
ドゥルガーは補足した。
「『血』は、周期で濃く現れる。濃いニンゲンと、対話できる機会を、待った。こなかった」
カテリナは、その周期的に現れる高濃度の『魔神の血』所持者の中でも、度を越した超高濃度所持者が100年ごとに生まれるアーモニア家の呪われた子供なのだと確信した。
「『血』が濃いだけでは声は届かなかった。私がここまで来ないと聴こえなかったように。そしてさらに濃すぎた者は魔力に耐え切れず、死んでしまったのね」
「ノエルの魔力増大も、この人の血が起こしているんだね」
「話を信じるなら。……ドゥルガー、その『血』を消すことはできないのかしら? 今もその『血』で苦しんでいる子がいるの」
「できない。『血』を含めた肉体が、その『ノエル』というモノだからだ」
「そう。そうよね……」
カテリナはわかっていた。それでも可能性を信じてみたのだ。
「そんな! このままじゃノエルも死んじゃうよ!? どうにかできないの!」
「ドゥルガーができないと言っているのよ。私たちにどうにかできるわけがないじゃない!」
カテリナは叫んでいた。その答えを探してここまで来たのに、それもすべて無駄であったと知っただけなのだ。
その二人の姿をドゥルガーは黙って見ていた。
「ねぇ、ドゥルガーさん、本当に無理!? どうにもならない!?」
メモリが詰め寄る。ドゥルガーは初めて、不思議なものを見るような仕草を取った。
「……理解が、できない。魔力過多の抑制は、完成している」
「「……え?」」
カテリナとメモリは呆然とした。
「わたしを、封じた。青い石に閉じ込め、抑え込んでいる。これは、答えではないのか?」
「「あ、あ、あァーーーーーーーーーーッ!!!」」
二人は絶叫した。
「か、か、カティー! なんで気付かないのさぁ! 魔神の力、封印、護符。こんなにヒントがあってピンとこないなんて天才の風上にも置けないよ!」
「あなただって気付かなかったでしょ! それに私は天才じゃないわ!」
「あーもー、護符の作り方、習ってないの!? カテリナの祖先が作ったんでしょ! アーモニア家の秘伝じゃん! 一子相伝の匠の技じゃん!」
「そんな秘伝なかったわよ! あるとすれば、王城の禁書だわ! 魔神を封じるアイテムが公表されるわけがないもの!」
「よーし、城にカチコミだ!」
興奮するメモリを、さすがにカテリナが止めた。
「待ちなさい! 解決策がわかったのなら慌てる必要ないわっ。大丈夫、なんとかするから!」
「むー、善は急げだよ……」
不満はあるが、メモリは留まった。
「それにまだ、メモリとアキラを還す方法も聞いていないわ」
「そうだった!」とメモリはドゥルガーを見た。
「すでに、知っている」
「……え?」
「『カティー』が、知っている」
カテリナは一つだけ、思い当たることがあった。
「……そうね。知っていたんだわ、私……」
「そうなの?」
覗き込んでくるメモリに、カテリナは困惑した。
「指摘されるまでわからなかったわ。でも、大丈夫よ。あなたが望むとき、いつでも帰してあげるわ」
「うん、そのときは頼むね!」
無邪気に笑うメモリに、カテリナは苦しくなった。
「『メモリ』は、体が無事であるのが、前提」
「そうだよ! それってわからないの? てか、なんでわたしは意識だけ来たの!? 記憶も失くしてさ!」
メモリは矢継ぎ早に質問を三つ重ねた。
「体の状態は、わからない。召喚時にダメージを、受け『波長』が、保たれた可能性。記憶の喪失も、同様と推測」
「本来はアキラのように肉体ごと転移してくるのね?」
「『メモリ』が、異例」
「んー、とりあえず帰れるならいっか。死んでなきゃいいけど。ダメだったらこっちに戻って来るから、カティー、お世話よろしくね」
「……好きになさい」
複雑な表情でカテリナは答えた。
「けどさー、なんでわたしらみたいな人間を召喚したわけ? 話が通じるってのはわかるけど、ドゥルガーさんの世界の人を呼んだほうが早くない?」
「成功しなかった。隔たりの大きさ、ゆえと推測」
「……どゆこと?」
メモリはカテリナに振った。
「そうね、わかりやすく迷宮に例えるわ。この世界が地上だとする。そして、神の世界が地下10階にあると仮定するわ。そうすると、この世界と似たような人間が住むメモリの世界が地下1階になる」
「あー、わかった。近い世界にしかドゥルガーさんの力が及ばなかったってわけか。封印されて、迷宮にも吸われて、魔力が足りなかったんだね」
メモリは何度もうなずいた。
「話が終わりであれば、解放を望む」
「こちらの質問は済んだわ。でも、ごめんなさい」
カテリナは頭を下げた。
「疑心、か」
「疑心……。そう、ね。あなたは誠実だとわたしは感じた。でも、信じ切ることができない。あなたが悪神である可能性を捨てきれない。解放した瞬間、世界が終わるかもしれないと疑っているわ」
「証明はできない。『カティー』が、決めてかまわない。ここからは動かない。動かせば、自衛のために行動する」
「あなたの立場からすれば当然よ。申し訳ないけれど、今しばらくの時間と、対話の機会が欲しい」
「対話は、望むところ。次の対話を、待つ……」
空間は収束し、カテリナとメモリの風景は迷宮の魔造生物製造所に戻っていた。
「戻ったわ」
カテリナの一言で、待ち構えていたレナードたちは詰め寄った。
「どうだった? 魔神とやらに会えたのか?」
「会えたわ。話を信じるならば問題は解決するでしょう」
「その割に表情が暗いな」
「ともかく、すべてお話しします」
カテリナは力が抜けたように座り込んだ。彼女を囲むようにレナードたちも落ち着く。
「魔神とは神界の人間で――」カテリナは話しはじめた。
長くない話の後、長い会議が続いた。さまざまな意見と、困惑と、可能性と、疑念がぶつかり合い、答えは一つとならなかった。それでも全員が一致した点もあった。
「まず、ノエルを助けましょう! あとはそれから考えます!」
カテリナは立ち上がった。
おまけ
ドゥルガーとの対話中――
「そういえば、なんでわたし、ノエルじゃなくてカティーに憑りついたんだろ? 同じ聖女で、同じ血を引いているなら、強いほうにつくものじゃない?」
「『ヤドカリ』。体に見合った大きさの貝殻を、住処とする生物」
「神様がよく知ってるね。……いや、神様だから知ってる?」
「『ノエル』の、殻は『メモリ』には大きい。見合った貝殻が、『カティー』」
「それって、カティーがノエルにだいぶ劣るってことだね!」
「【雷蛇】るわよ!?」
「ついに動詞!?」




