21 ガーベラとサイサリス 5.24-5.25
手探り状態で始まった地下8階の探索は、夕刻を待たずに終了した。予想以上の消耗戦でカテリナの魔力が尽きたからだ。収穫は地下8階で遭遇する魔物と一通り戦ったことだけで、宝もなく、階段にも行きつけなかった。それでも全員が無事に帰ってこられたのだから失敗ではなかった。今後、効率をつめていけばよいだけの話である。
「わからないことがある」レナードが夕食の席で切り出した。
「30年前、迷宮ができてすぐの侵攻で、国の精鋭200名が迷宮に送られただろ? あの地下8階で半数もやられた理由がわからん。少なくとも今のオレたちよりも強い騎士たちで編成され、人数も多かった。負ける要素がどこにある?」
カテリナとルナが顔を見合わせた。たがいに目線で発言を譲り合い、ルナが引き受けることになった。
「なによりまず情報がなかったからでしょう。迷宮がどういうものであるか、敵がなんであるか、対処するにも情報がなければできません。それに伴う未知への恐怖が戦士たちを委縮させ、冷静な判断と行動が取れなかったと推測します。また、あの狭い迷宮に200名が列をなして行軍するのは無理があります。全員が展開できるのならともかく、結局のところ、局所的な戦闘になってしまいます。撤退すらも難しい状況です。伝令にも時間がかかり、その間に被害は広がるでしょう」
カテリナは『青水晶の欠片』取得に35名で侵攻した経験からわかっていた。大兵力が有効的に動くには迷宮は狭すぎるのだ。前進するしかないというのは、前から順に死んでいけと変わらない。カテリナがうまくいったのは、結局のところアスタル・パーティーが引率したのが大きく、魔物もまだ弱い部類であったからで、さらには優秀な罠師もいたからである。
カテリナが思い返している合間にも、ルナの説明は進んでいた。
「もっとも問題なのは、迷宮の12時間再構築ルールです。12時間ごとに地上へ戻されリセットされ、そのたびにまた強行軍で地下へ降りるのです。連日のことでもあり、満足な休養も取れなかったでしょう。重圧は相当なものだったと思います。それに魔術転送機もなかったらしいので、毎回、階段を見つけて地下を降りなければなりません。時短のためにはトラップを調べる余裕もなかったはずです。ゆえにその後の行軍には、トラップを踏ませるために囚人を連れていったようです。そうして奥深くまで誘いこまれた精鋭たちは、心身ともに疲れているところを大悪魔などの凶悪な魔物に襲われていったのです。一日の進軍でクラウンに二十の首が狩られたという話もありますね」
「……オレたちが無事でいるのは、そうした積み重ねを情報として残していってくれた勇士たちのおかげなんだな」
レナードは剣を胸にあて、黙とうした。
「情報の重要性を再確認したところで、今日の反省会をしましょう。まず、戦術に問題アリと考えます」
「何がまずい? おまえの新しい魔術のおかげで後半はずいぶんと楽になっただろ」
レナードはカテリナの意見を呑み込めなかった。
「戦い方が何に対しても同じである点です。結局はレナード様とサイサリスが暴れて終わりという形がよくありません」
「アキラの経験が積めないからか?」
「彼だけではなく、全員が経験を積めていません。この先、地下9階や10階で待ち受ける敵が8階より強くなるのは道理です。しかも敵の情報がないので事前準備すらできません。完全に行き当たりばったりなのですよ? 柔軟に対応するには、今のうちに多くの戦術を練り、実践できるようにしておかなければならないのです」
「一理あるが、事前準備ができないなら、やはり前衛が出張り、後衛が支援しつつ、その間に作戦を組み立てるのが一番だろ。臨機応変ってやつだ」
レナードは何も考えずに応え、カテリナは一瞬言葉に詰まった。
「……あながち間違っていないのが悔しいところです。が、その最先鋒たるレナード様が倒れたときはどうするのですか。誰か一人が欠けたときの対処も考えておくべきです」
「わからんでもない。だがな、このパーティー最大の欠点をおまえはわかっているのか?」
いつになく真剣な顔をするレナードに、カテリナは怯んだ。戦闘に関する知識や技術の差を鑑みれば、彼女はレナードに意見できるほどの熟練者ではなかった。
「……なんでしょう?」
「後衛層の偏りだ。はっきり言えば攻撃的術師がいない」
「私が――」
「おまえはたしかに優秀だ。ルナも術者として悪くはない。だが、二人ともに守備や回復に傾倒しているのはわかるだろ? だから攻撃に魔術を使いすぎるのをためらう。いざというとき、味方を守れないからだ」
「……たしかにそうですが、でも必要とあれば攻撃に振ることもできます」
「必要に迫られなければ振り切れないなら、オレやサイサリスが攻撃したほうがよっぽど速く効率よく斃せるし、魔力も無駄にしないですむ。見慣れてしまって気付いていないかもしれないが、このパーティーの最大利点はな、サイサリスというどんな無茶も許される切り込み隊長がいることだ。倒れることを問題としない前衛てのは、オレにはできない。他の誰にもできない戦士の究極系だぞ。こいつがいるからオレは安心して二番手に突っ込み、暴れられる。こいつがいるから敵をかき回せるんだ。その利点を捨てて前衛が防御に徹しては、勝てるものも勝てないだろう」
「……」
「これを変えようというなら、術者を加えるか、アキラとクロムを後衛として育てるしかない。ただ、術者ではないアキラとクロムが後衛をやるには武器が貧弱だ。クロムの弓はもちろん、アキラに持たせている魔弓すら竜獣の鱗を貫通しないだろう。火力のない現状、今のスタイル以外にはありえないんだ。この形を突き詰めていくのが、結果として生き残る道になる」
カテリナは何も言えなかった。ルナも反論の余地を見いだせなかった。
「ですが、数で押される場合は防御に徹することも必要ですよ」
コーネルがお茶を飲みながらレナードをたしなめた。
「そうならないよう、ルナの盾で敵の進路を限定させるんだろうが」
そこに次の一石が投じられる。
「脳筋令息もたまには頭を使うようだな」
傍観者でいたクロムが、懐から封書を取り出しレナードの前に置いた。
「……親父から!?」
「さきほど使いが来て預かった。内容はおそらくは想像どおりだ」
クロムはニヤリとした。レナードの困り顔は観ていて楽しい。
レナードは封筒を乱暴に破り、手紙を一瞬で読んだ。たった一行の命令文だった。
「帰ってこいだとよ」
レナードは不満を顔に現し、カテリナとルナは困惑した。
「でしょうね。大ゲンカして飛び出し、学院も勝手に休学したのですから」
コーネルは驚きもしなかった。
「一度戻り、話をつけてこなければな」
このまま迷宮街に籠っていても、いずれはブレイズの騎士が山のようにやってきて強制連行されるのがオチだろう。レナードにもそれくらいはわかる。彼は「う~ん」と唸り、十数秒後にクロムに言った。
「明後日、夜に帰ると伝えておけ。どうせ連絡員がそのへんにいるんだろ?」
「だそうだ」
クロムがおざなりに返事をすると、酒場の一隅にいたフードの男が出ていった。「近すぎんだろ」とレナードがツッコむが、誰からも返事はない。
「レナード様、離脱なさるのですか!?」
もっとも納得できないのがルナだった。レナードがいるから迷宮攻略ができるとパーティーに加わったのだ。その翌日にこれでは、参加した意味がない。
「慌てるな。話をしに行くだけだ」
「戻ってくると約束できるのですか?」
「親父が本気であれば、相当もめるだろうな」
レナードは気休めをいうつもりはなかった。
「では――」
「だが、休日に何をしようが文句は言うまい。おそらく今後は週末二日だけこっちに来ることになるだろう。妥協点はそこらだろうな。大丈夫だ、おまえを見捨てるつもりはない」
「……!」
ルナはなぜか真っ赤になった。
『おやおや』
『あらあら』
メモリとカテリナがニヤニヤした。その視線に気づきルナがカテリナを見ると、彼女はスンッとしていた。
「コーネル」
「わかっています。残れというのでしょう?」
コーネルはため息をついた。
「頼む」
レナードが頭を下げると、「やめてください」と騎士はうろたえた。
「はからずもカテリナの危惧する状況になったな。今さら偉そうには言えないが、おまえの戦術を試す機会だ」
「そうですね。レナード様がいないときは地下8階で宝を探しつつ、いろいろと試してみます」
「できれば明日・明後日には地下9階への階段室にたどり着いておきたいところだな。そうすれば最悪、地下9階の攻略は手伝える」
「御父君の説得のほうが難しそうですね」
「まったくだ。それと、ルナとコーネルにはもう一つ頼みがある」
「なんでしょう?」
ルナが前のめりで聴いた。
「アキラを鍛え上げろ」
「喜んで」
ルナの殺気のこもる視線を受け、アキラは鳥肌たった。
「今後はあまり盾役は必要ではなくなる」
「わたしがいますし、魔物の力も強大ですからね」
「そうだ。もうただの盾では防ぎきれないレベルだ。大盾は【拘束】してバリケードにし、アキラも攻撃要員にする。できるな?」
レナードがアキラを見ると、異世界の少年は気負いなく応えた。
「できるかはわからない。けど、やるよ」
「よく言った」
レナードはアキラの背中を叩いた。
レナード、ルナ、コーネルによるアキラの特訓がはじまると、カテリナは宿へと帰った。
「レッドが抜けてやっていけると思う?」
自室に入るとサイサリスは仮面を解除した。服装も部屋着である。
「やるしかないわね。まだ仲間がいるだけマシよ。もともとは独りでもやるつもりだったのだから」
「まず途中で死んでただろうね。ムカデにガジガジされて」
カテリナはゾッとして、「想像させないで!」とサイサリスに枕を投げる。かわいいなーとメモリはほっこりした。
「こうなるともう一人術師が欲しいけど、迷宮攻略までついてくるような人はいないよね」
「そうね。だからいっそ、前衛を増やそうかと考えているの」
「前衛なら誰かいる?」
「いいえ、造るの。もう一人、あなたを」
「わたし!? 【クレイマン】でってこと? だけどたぶん、わたしは一体しか動かせないよ?」
「私もそう思うわ。でも、本来の魔造生物は魔造物よりも多彩な能力と外見、それに柔軟な行動ができるわ。だからあなたに近いモノもできるのではないかしら」
「そうプログラムするってこと?」
「プログラム……? 計画? 進行? まぁ、そう言ったものね。それとさらに突き詰めて、メモリが交互に入れ替わればより柔軟に動けるでしょう?」
「サイサリス1号と2号を渡って動くってことだよね? 意味ある?」
「例えばメモリの入った1号が強敵に足止めされて攻めきれないときは防御中心にして抜けて、2号に移って攻撃するというのを想定したのだけれど」
「あー、いいかも。でも、【クレイマン】って魔力消費が大きいんでしょ?」
「なに言ってるの。あなたもう、二日以上そのままよ? 核石の大きさで持続時間が長くなっているのは明らかじゃないの」
「あ、そっか。そういえば、クラウンの核石を使ってから一度も解けてない」
メモリは気付いて胸のあたりをまさぐった。核石の感触がある。ずいぶんと小さくなり、今にも消えそうであった。
「カティー、マズい。あと30分もたないかも」
「もっと早く言いなさい! 核石を補充すれば大丈夫よね?」
カテリナが慌ててカバンから核石を取り出した。竜獣の核石だった。
サイサリスは受け取ると胸に押し込める。外見上にも気分的にも変化はないが、体が維持される感覚はあった。
「それじゃ、本題に入るわ。【クレイマン】」
カテリナがもう一体のクレイマン=サイサリス2号を誕生させる。テストなので使われた核石はそれほど大きい物ではなかった。それでも24時間はもつであろう。
サイサリス2号は直立不動のまま動かなかった。
「……動かないよ?」
「何も命令していないもの。自律行動プログラムも入ってないから、ただのゴーレムよ」
「どうやってプログラムするの?」
「とりあえず2号に入ってみて」
カテリナに言われるまま、メモリは1号から抜けて2号へと入った。違和感なくいつもどおり動けた。
「違いは?」
「ないね。……あれ?」
メモリがカテリナの横を注視していた。カテリナがその視線の先を追う。
今度はサイサリス1号が無表情で佇んでいた。服装も変化しており、学校の制服になっている。
「わたしが抜ければそうなるよね。服装もカティーが造ったクレイマンのに戻ってる?」
「服装はそうね。あなたがいないのだから初期に戻るのは納得だわ。動かないのは、今までの行動データは蓄積されていないってことかしら」
「というよりも、わたしの行動であって、クレイマンの行動データじゃないからだと思うよ。自律行動させるならカティーが一からデータを作らないとダメじゃないかな」
「考えられるわね。直接指揮ならどうかしら。逆立ち」
サイサリス1号が逆立ちする。スカートがめくれるが、気にもしない。
「なるほど」
「なるほどじゃなくて! とりあえず戻して!」
「ただのゴーレムじゃない」
「じゃあ、この2号をカティーそっくりにイメージして逆立ちして街を走ってくるよ?」
「……戻れ」
1号が直立体勢で待機する。
「一から行動データを作るには時間がないわね。どうにか楽にできないものかしら」
「普段は護衛に置いといて、必要なときにわたしが切り替えて使うでもいいんじゃない? キマイラに拘束されたときみたいに、動けなくなったときの代用でさ」
「そうね。それならコーネル様も前衛を張れるし、悪くないわね。合わせて、どうにか自律行動できるようにも考えていきましょう」
カテリナはひと段落ついたとベッドに腰かけた。
「思ったんだけどさ」サイサリス2号がカテリナのとなりに座った。
「迷宮の魔物って、クレイマンと同じか同じような魔造生物とするじゃん?」
「それが?」
「だとしたら、種類ごとにすっごい量の行動データがいるわけじゃない」
「そう……ね」
カテリナはメモリの言わんとすることがわかった。
「どうやってそれだけのデータを一人の魔術師が用意できたの?」
「……」
メモリの言葉が終わる前に、カテリナは思考の渦に飛びこんでいた。可能性としては、用意したのが一人でないか、すでにデータがあったか。そのどちらにしても、データを揃えるのは一朝一夕ではできないだろう。そもそもデータはどのようにして作るのか、カテリナはわかっていなかった。術式を組み込んでいくのだとしたら、どれだけパターンを想定すればオリジナルそっくりに動けるのか、想像もつかない。
「で、わたしは考えたのだ!」
「……なにを?」
カテリナは反射的に促していた。メモリの考えをまともに聴こうともしていなかった。
「コピーしたんだよ、きっと」
「へぇー、コピー……。……コピー? コピーって、なにを?」
カテリナはメモリに意識を向けた。
「もちろん、オリジナルの魔物だよ。例えば、犬の行動をクレイマンに延々と見せるの。そしてその動作を真似ろって命令する。もちろん、状況に応じた対応をするようにとかなんとか条件はつけないとダメだけど、とにかく見せて真似させて覚えさせるんだよ。そうすると、データが蓄積されて犬みたいになるの。魔物もそうやってデータを作って、あとは複製して迷宮に放っているんじゃないかな。これと似たような設定の映画を観たことあるんだよね」
カテリナは呆然としてメモリを見つめた。
「……あなたってときおり私が考えもつかない発想をするわね」
「フッフッフ、これが日本で培ったオタク知識よ。いろんなマンガやアニメを観てきたからね!」
「想像には引き出しが必要ということね。すごいわ。おそらくそれが正解よ。つまり、あなたの戦闘を観て覚えさせればいいのね」
「たぶんだけどね。後方待機してるときは試してみてもいいんじゃないかな?」
「ええ、そうね。ありがとう、メモリ」
カテリナはメモリの手を取って感謝した。
「お礼なんていいよ。恥ずかしいじゃん」
言いつつ、サイサリス2号はカテリナの手を振り払わなかった。
「……ちょっと安心したわ。レナード様抜きでの攻略なんて、もう無理かもって思ったもの。でも、あなたが二人いるなら、どうにかなりそう」
「二人? なに言ってんの? 10人くらい造ろうよ! メモリ軍団!」
「却下。さすがに気持ち悪いわ。ただでさえ、二体目を横に立たせたまま寝るのよ。10人になんてなったら――!」
「最高じゃん?」
「悪夢よ!」
カテリナがツッコむと、サイサリス2号が微笑み、それから二人で笑った。
「あ、そうだ、クレイマンを増やすなら、やったほうがいいと思うんだけど」
「なにを?」
「外見の基本をサイサリスの迷宮モードにすること。今はわたしの意思で仮面をつけてるけど、抜けると素のわたしになっちゃうでしょ?」
「そうね。あなたの顔はみんなに見られないほうがいいわね。そうしましょう。メモリ、いったん抜けて」
「はーい」とサイサリス2号からメモリが抜けると、カテリナが魔力をそそいで外見を変化させた。白い仮面に青の鎧姿である。そしてサイサリス1号も白仮面の赤鎧にした。
「色分けくらいは必要よね。あなたは普段は赤いほうよ」
「わかった。それじゃこっちがサイサリスで、そっちの青はガーベラね」
「花の名前なんて、あなたも女の子ね」
カテリナがクスっと笑う。サイサリス=メモリもドヤ顔で笑う。
「この名前は当然だよ。なんたってスターダスト・メモリーだからね!」
「……そのセリフで何となくわかったわ。ロクでもない引用先があるのを」
「語る? 語っちゃう!? 全13話語っちゃうよ!」
「いらないわ!」
カテリナは枕で耳を塞いでベッドに倒れた。
そのころ、アキラはレナードとコーネルとルナの訓練を受けて死にかけていた。
何より実戦!をモットーとするレナード式訓練法は、かわるがわる組手を行う超スパルタである。地面に叩きつけられるたびに【治癒】を施し戦わされる。【治癒】による体力低下もお構いなしに、すでに二時間である。
「今日のところはこのくらいか。明日の探索に響くのもよくないしな」
レナードが起きないアキラを槍の柄で小突く。少年の周りの地面に、汗や血が浸み込んでいくのが見えた。
「がんばったな。だがまだまだ足りない。この先はもっと厳しくなるぞ。どうだ、もうやめるか? 迷宮踏破など諦めれば、こんな特訓も、死ぬこともないぞ」
「……続ける」
くぐもった声がアキラの突っ伏す地面から発せられた。
「今日は休め」
レナードはアキラを抱え上げた。
「そうはいきません」アキラを連れていこうとしたレナードを、ルナが止めた。
「このあとは魔術の勉強です。カテリナ様から頼まれていますので」
「魔術の勉強だと?」
「はい。先日、アキラに【解魔術】を教える約束をしていたそうで、わたしに任せるとのことです」
「あー……」
アキラは思い出し、頭痛がした。魔術には大いに興味があるが、今は許してほしかった。
察したルナが真顔で言った。
「辛いならやめてもいい。だが、いつもいつでも教えてもらわえるなどと思わないことだ。そんな義理はない」
「……教えてください」
アキラは言わされてると思ったが、たしかに今やらねばいつまでもやらないままだろう。それに、現在のところ役にも立たないヒヨッコに、彼らは貴重な時間を費やしてくれているのだ。感謝して学ぶことが唯一の誠意だった。
「その前に、汗臭い体を洗い、服を着替えろ。たまには風呂を使っているのだろうな? おまえ、相当臭うぞ」
ルナが鼻をつまんで言った。
「風呂なんてオレの宿にはないよ」
「第4区に風呂屋がある。わたしも行くからついてこい。……レナード様もごいっしょしませんか?」
ルナはアキラを嫌そうに見て、それからレナードに懇願するような目を向けた。
「そうだな。たまには行くか」
レナードは自分の臭いも嗅いで、面倒くさそうに言った。
風呂によって身も心もわずかに清められ、エンキドゥ酒場の片隅で半分眠りながらアキラは魔術の勉強に励んだ。わからない用語にわからない解説を重ねられ、用意されていた現地語教本もまったく読めずに悶える。魔術の基礎を学ぶどころか国語からはじまる始末であった。教える側のルナも疲れ果て、両者ノックダウンで寝落ちしてしまった。
翌朝、先に目が覚めたのがアキラのほうだったのは、筋肉痛モロモロのせいであった。目の前には、ルナが長い黒髪をテーブルいっぱいに広げて突っ伏している。申し訳なくも感謝して、アキラは「ありがとうございました」と一礼した。
ルナを起こさないようにゆっくりと教材を引き抜き、改めて読む。日本語で補足した部分しか読めないが、その字ものたくり過ぎて判別が難しかった。それでもアキラは少しだけ魔術を知った。魔術は奇跡ではなく、オカルトでもなく、化学だった。彼は話の断片をまとめてそう理解した。すべてに法則があって、重ね、合成して形を成す。その順番を式にしたのが発動手順で、意識して発音すれば魔術は完成する。アキラがすでに知っている魔術、【工作】【治癒】【拘束】の式を探ってみると、たしかに同じような文言が並んでいるのがわかる。土や水を表す単語、合成を意味する言葉、乗算を指示する命令、それらが整然と並んでいるだけなのだ。
アキラは外に出て、深呼吸する。自分の魔術への理解が正しいものか、たしかめたくなった。
道端の石ころを拾い、凝視する。イメージは、矢尻。
「【工作】」
アキラの脳内に刻まれた発動手順が霊素を呼び、魔素をつなげ、魔術を織りなす。彼の手の小さな石がとがり始め、鎧通し形の石鏃へと変化した。
「できた……!」
アキラは本当の意味で魔術を習得したのだった。
おまけ
霊素、魔素について……筆者別作品『WANDERERS』8.5話マナの魔術講座・参照。だいたい似た感じですが、細部で違ったりしますので概略程度です。この先、その知識が必要な場面はありませんので、読まなくても問題ありません。つまりは単なる宣伝です。




