16 『大聖女』と『王太子」 5.22
カテリナ・パーティーがクラウンと遭遇したころ、ホワイトウッド学院の一室で王国第一王子スヴェン・ホワイトロウと『大聖女』ノエル・ローランドは向かい合って座っていた。スヴェンのためのサロンには二人しかいない。王太子補佐官ラックス・フラッグも廊下で待機を命じられ、門番のように直立不動で声がかかるのを待っている。
ノエルが挨拶をして席に着いて以降、二人の会話は用意していたお茶に関するものだけであった。
二人だけのお茶会は、スヴェンが言い出したものだった。カテリナの裁判以後、ほとんど会話をしていなかった。命を狙われた婚約者に対する姿勢を多方向から責められたのもあるが、彼女自身がカテリナをどう考えているかに興味があった。その答えが『大聖女』という存在を表すのではないか、そこまで深くなくとも、ノエルという女性の一端は見られるのではないかと期待しているのである。なにしろ、スヴェンはそれまでノエル自身に興味はなかったし、『大聖女』とは公務以外で関わることもないだろうと思っていた。それが婚約者にまでなっているのだから、今さらながらに知る必要もあった。だが、もっとも強くこの状況を望んだ理由は、カテリナの残した『ノエルに気を付けろ』という言葉のせいであろう。
スヴェンは物静かな――というより、生気のないノエルに異様さを感じていた。少なくとも、初顔合わせのときはまだ表情があった。緊張に包まれ、おぼつかない礼をして見せ、さらに失敗していないか気にかけるような素振りがあった。話し方もぎこちなく、一朝一夕で叩きこまれたのがわかるほどだった。今はその名残もない。
「……裁判以来だな。こうして二人だけで話すのは」
「そうですね」
ノエルは端的に応え、それ以上の会話のふくらみはなかった。
スヴェンは表情も変えないノエルに、遠まわしは無駄だと感じた。いっそイエス、ノーの二択質問のほうが早いのではないかとすら思った。
「カテリナは、今ごろ迷宮街の刑務所で後悔しているだろうな」
「……」
ノエルは答えない。無関心に見えるが、すべてに無関心そうなので正解はわからない。
「カテリナがなぜ、あなたに毒を飲ませようとしたのか、理由はわかるか?」
ノエルは抑揚もなく答えた。
「カテリナ様は、毒など盛っておりません」
「!」
スヴェンは立ち上がってノエルを凝視した。
「カテリナがあなたに出したお茶の中に薬物が含まれていた。メイドがあなたのカップに入れるのを目撃しており、カテリナ自身も認めている。その薬も瓶ごと彼女から押収した」
「そのとおりです」
「それならば――!」
「カテリナ様は仰いました。『これは他国の薬で飲めば少しは落ち着く』と」
「違法薬物ではないか」
「認可されていない薬物は毒なのですか?」
「王室医療部が調べたところ、あの薬は魔力に反応して生命活動を阻害するらしい。量によっては命に関わると報告されている」
「すべての薬は毒にもなります。あれだけが特別ではありません」
「ではなぜ、毒殺未遂などと言ったのだ」
「わたしは申し上げておりません」
「……ちょっと待ってくれ」スヴェンは頭を抱えた。すべては勘違いだと言うのだろうか。ノエルに対するカテリナの態度。風評。メイドの証言。違法薬物。説明不足。周囲の過剰反応。その結果が、冤罪による迷宮懲役刑? 意味がわからない。わからなさが、腹立たしかった。常に冷静な王太子が、腹の底から苛つきを爆発させた。
「それならなぜカテリナは否定しなかった! 無実を訴えるべきだろう! アーモニア公爵も弁護団を率いて抗弁すべきではないのか! ローランド嬢、あなたも彼女を弁護すべきではなかったのか!」
スヴェンの興奮を、ノエルはまるで気にかけず受けとめた。
「カテリナ様が、『今日のことは内密に』と仰られたので黙っておりました」
「な……!」
スヴェンはまた驚いたが、たしかにノエルの調書を思い返すと、明らかになっている事実にのみ回答し、それ以外は沈黙を貫いていた。カテリナとお茶を飲んだ?=イエス。カップに何かを入れられた?=イエス。それはなんであったか?=沈黙。カテリナから殺意を感じたか?=沈黙。といったように。立場や恐怖による無回答と考えていたが、ノエルが自身の意思で沈黙したのだとしたら、紙上の答弁では真実はわからない。
「ですが、『殿下がお訊ねのときはお話になってかまわない』『あの方は知りたくて仕方ないでしょうから』と笑っていらしたわ」
「なんだそれは……!」
「そしてもしこのお話をしたら、次の言葉を殿下にお伝えするように頼まれました」
「カテリナはなんと!?」
スヴェンは顔を上げ、すがるような目でノエルを見た。『助けて』という言葉を期待していた。それはすぐに実行したであろう。自ら駆けつけて、迷宮街から連れ戻ったであろう。それはカテリナへの愛情ゆえではなく、冤罪という不正義が許せないからだ。
「『ご内密に』と」
「……っ」
スヴェンは力が抜け、滑り落ちるように座った。
「……どこまでわたしを翻弄するつもりなのだ。自ら悪役を気取っているのか。まだわたしの出番ではないというのか。それとも初めから出番はないのか。わたしはどうすればいい……」
「……」
ノエルは黙っていた。スヴェンを慮ってなのか、無関心なのか、王子にはそれすらわからなかった。
「……あなたは、カテリナをどう思っている?」
質問に意味はなかった。隙間を埋める何かが欲しかっただけだ。
「お優しい方です。わたしの至らないところをご指導くださいました。足りない知識を補ってくださいました。体をずっと心配してくださいました」
「体? どこか悪いのか?」
「魔力が、溢れるのです。『聖女』として目覚めて以来、力が溢れて疲れることが多いのです。わたしは魔法を学んでいませんので、カテリナ様が制御の仕方を教えてくださいました。それでも急激に上がり続ける力に体がついていきません」
「そうか。そういうことは早めに言って欲しかった。早急に魔術協会に対策を頼むとしよう」
「ありがとうございます。カテリナ様も対策を用意してくださいまして、それがあの薬です」
「……なんだって?」
「魔力暴走の抑制薬と仰ってました」
「だからなぜ、それを早く言わないのだ!」
「『殿下がお訊ねになるまで内密』だからです」
ノエルは不思議そうに首をかしげた。
「おまえらァ!!」
1485年5月22日は、スヴェン王子の『初ブチギレ日』として、ラックス・フラッグ補佐官は日記につづっている。大声に気付いた補佐官が部屋に飛び込むと、目を血走らせたスヴェン王子が『大聖女』の前で仁王立ちしていた。物凄い興奮状態だったので、近づくのをためらったほどだった。さらに驚くべきことに、そんな形相のスヴェンを前に、『大聖女』ノエルは平然としていた。あまつさえカップに手を伸ばし、お茶を飲んでいた。しかも視線は王子から放さない。
「なぜ、ちゃんと、説明、しないのか! 大事に、なる、まえに、ホウ・レン・ソウ、しろ!」
秘密主義の王子が情報共有の説教をする姿に、ラックスはポカーンとした。
「……あー、まったく……!」
怒り慣れない王子は、冷めたお茶を一気に飲み、体の内部から熱を下げた。そこで初めてラックスの存在に気付いた。
「ああ、ちょうどよかった。カテリナが用いた薬、あの成分を魔術協会に委託して至急調べろ。他国の魔力抑制剤かどうかだ。もしそうであれば、服用方法を聴き、ノエルに渡せ。無認可でもかまわぬ」
「は? ですが、あれは王室医療部が――」
「わかってる。言いたいことはわかる。だが、至急やってくれ。それと、一級術師も数人招集してくれ。こっちも大至急だ」
「わかりました」
ラックスが走って出ていくと、スヴェンはまた脱力気味に椅子に座った。
「冷めてしまいましたが、お茶を」
ノエルは他人事のようにお茶を淹れ、スヴェンに差し出した。
「……あなたは、本当に動じないな。怒鳴ってすまなかった。自分でもあの取り乱しようはないと反省している」
「いえ、殿下の意外な一面が見られました」
そう言って、ノエルは今日初めて微笑んだ。
「そ、そうか。だが、上に立つ者としては恥ずかしい限りだ。できれば忘れてもらいたい」
「はい」
ノエルは短く返事をした。それが多少、温かみのある声に聞こえたのは、スヴェンのひいき目があった。
「……カテリナは、ずいぶんとあなたを気にかけていたのだな」
「はい。初めてお会いしたときからずっと」
「学院に来たときからか?」
「大教会でお勤めをしていたときです」
「『大聖女』と知って会いに来たのか?」
「違います。親戚だからと」
「親戚? カテリナとあなたが? そんな話、聴いていないぞ」
「秘密でしたから」
「……待ってくれ。もう本当に勘弁してくれ。なんだ、なんなんだ、これは……!」
「これを明かすのも殿下にだけです。『他言無用に』と」
「カテリナが?」
「はい」
「~~~~~っ」スヴェンはまた拳が震え出した。しかし、今度はキレることなく何度も何度も深呼吸して耐えた。
「……あなたはアーモニア公爵の婚外子なのか?」
「違います」
「答えてもらってもいいのだろうか?」
ノエルは答える代わりに、そばに置いてあるバッグから封筒を取り出して王子に渡した。
「これはカテリナの字だな。印璽もアーモニア公爵家の紋だ」
「もしわたしの出自について殿下より訊ねられた場合は、これをお見せするようにと」
王子はテーブルを離れ、執務机のペーパーナイフで封を切った。中には二枚の手紙が入っていた。
『これをお読みになっているということは、殿下がノエルの出自を本人に確認したときと存じます。その答えの前に、ノエルの現状をお話しなければなりません。おそらく彼女は心身ともに常人と異なる様子に見えることでしょう。感情すら薄れていき、いずれは完全な無感情状態になると思われます。また、日々、魔力――より正確に述べるのであれば『聖女』特有の魔力『聖命力』が強まり、その影響で【周辺自動回復】魔法が制御できない状態になるやもしれません。『聖命力』はそもそも、生物の活性化を促す力です。それが限度を超えればいずれ自身のみならず周囲の崩壊にもつながります。殿下にはまず、彼女の魔力抑制に注視していただきたく存じます』
一枚目の手紙を読み終え、スヴェンは不快になった。
「カテリナはなぜ直接に、もっと早く相談しなかったのだ」
「殿下をご信頼していらっしゃらなかったからです」
「ぐっ」
ありえる、とスヴェンは思った。元婚約者とは言え、交流はほとんどなかった。公務でのやり取り以外、何をしただろうか。覚えがない。そんな相手にこのような重い案件を任せる理由がない。それに相談されたとして、本気で信じたものか自分でも疑わしい。今の状況になって初めて、信じる気にもなったのだから。
「それに、殿下は王族でいらっしゃいます」
「なに? どういう意味だ」
「わたしはそのお手紙の内容を存じ上げません。ですが、カテリナ様が殿下に直接お話をなさらなかった理由はわかります。カテリナ様と、亡き父の日記が教えてくださいました」
「あなたの父君? 地方の村で先生をしていたと聞いているが……」
「お手紙の続きをご覧になってはいかがでしょうか」
スヴェンは靄がかかる心のまま、二枚目を読みはじめた。
『彼女の出自につきましては、殿下は知るべきではありません。婚約者であればなおさらです。私が申し上げたいのはたった一つです。ノエルには罪はないのだということ。彼女は大聖女として国を支える大きな力となりましょう。殿下が彼女をお守りくださることを深く願います。――と言ったところで、殿下は納得しないでしょう。すでに知ってしまった事実から、真実を望むお方ですから。ですので、私は知るのをとめません。ですが、その答えの先に責任が伴うことをお忘れなきよう。ノエルにお伝えください。真実を、と。それで扉は開きます。追伸。答えを得て行動なさるのはかまいませんが、私の邪魔だけはしないでください。くれぐれもよろしくお願い致します』
「思わせぶりに書くな!」
スヴェンは情緒をかき回されて声にしたくなった。
もう何度目かもわからない深呼吸をして、王太子は聖女に向き合った。
「真実を教えてくれ、あなたは何者だ?」
ノエルはやはり無表情であった。口が微かに動き出すが、人形のようであった。
「わたしには隠し名があります。わたしの真名は、ノエル・アーモニアです」
「公爵の娘ではなくとも、血筋ではあるのだな。分家か」
「わたしの父はアレク・アーモニア、そして――」
「待て、その名前、どこかで聞いたことがある」
ノエルは待たなかった。
「祖父の名はダレン・アーモニア。カテリナ様のお爺様の弟にあたります」
「……!」
スヴェンは稲妻に撃たれたような衝撃を受けた。
「……では、まさか……」
「わたしは狂魔術師と呼ばれる方の孫です」
ノエルは無感情に事実だけを語った。
王子は呆然としたのち、笑いだした。もう笑うしかなかった。
「メチャクチャだ。ノエルは『大聖女』で大逆賊の孫、その親戚のカテリナは『聖女』で迷宮懲役囚。……どうなっているんだ、これは!」
テーブルを壊す勢いで叩き、スヴェンは叫んだ。空のカップが倒れ、手つかずの菓子が跳ね落ちた。
「その反応をカテリナ様は予測しておりました。そのときはこうお伝えなさいと」
「聴こう」
「『どうせ疑っていたのでしょう?』」
「そこまで疑ってはいない! カテリナはわたしを買い被っているのか、陰謀論者とでも思っているのか! たしかに30年前のダレン・アーモニア卿の謀反は疑っていた。真実を知りたいと思っている。アーモニア公爵家の秘密もな。だがまさか、あなたがその件に絡むなど、どうしたら想像できる」
「カテリナ様は殿下と同じ疑問を抱いていました。その過程でわたしを見つけたのです」
「その手腕も信じられん。だがそれはいい。それで、ダレン卿謀反の真実は?」
「わたしは知りません。生まれる前の話ですから。わたしも父が隠していた日記でその事件を知っただけです。その父も真実を知らないようでした。当時の父はまだ子供で、大罪人の家族として家も名も取り上げられて王都から追放されたようです。父と祖母が処刑されなかったのは、祖父の兄が公爵だったからです。助命に多くを失ったようですが」
「そうか。だからカテリナは真実を知るために迷宮へ向かったのだな」
「それが一つです」
「他に何かあるのか?」
「もう一つは、わたしのため……らしいです」
「らしい?」
「教えてくださいませんでした。ただ、魔力の暴走には気を付けるようにとだけ」
「それで薬を用意したのか」
「はい」
スヴェンはこの濁流のような情報をどうしたものか悩んだ。
「いろいろとつじつまは合う。結局あの裁判は、カテリナが迷宮に行きたいがための茶番であったとだけはわかった。そして、親族であるノエルを案じていたことも。だとすれば、わたしに何ができるだろうか……?」
カテリナが30年前の真実だけを求めるのならば、スヴェンにもできることはある。国王である父を問い詰めればよい。先王の話ではあるが、真実を隠したままではいないだろう。何かしら知っているはずだ。
だが、ノエルのためとは? まさか祖父と孫の架け橋になりたいわけではないだろう。これまで接点のなかった親戚のために命を懸ける理由にはならない。ならば、その答えは? スヴェンには推測すらできなかった。
「ダメだ、考えがまとまらない。ローランド嬢、あなたはどうしたい? 何か希望はあるか?」
「ありません。わたしは『大聖女』としての役目をまっとうするだけです」
「それもカテリナの指示か?」
「わたしの意志です。わたしの心が、そう言うのです」
「まるで他人事だな。それを自らの意志というのか」
「わかりません」
ノエルはやはり無表情に答えるだけであった。まるで、どこかに感情を置き忘れてきたかのように。
「では、30年前の、あなたの祖父の件はどうだ? 真実を知りたいか?」
「いいえ。わたしは祖父を知りません。人生が大きく変わった祖母や父は祖父を恨んでもよいでしょう。ですが、生まれていなかったわたしが祖父を咎めても仕方がありません。それにその真実が今と変わらないのなら考えても無駄でしょう。違ったとしても、今さらです。父と母がわたしを大切にしてくださった、それがすべてです」
それは本心か、とスヴェンは危うく口にするところであった。『大聖女』の答えとしては正解だが、それゆえに選んだ言葉ではないのか、そう疑ってしまった。ノエルが狂魔術師の孫と知ったからこその疑念だった。
それではダメだ、とスヴェンはハッとした。だからこそカテリナは自分にノエルの出自を話そうとはしなかったのだ。スヴェンはかぶりを振り、平静を保とうとした。
「……考える時間が必要だ。焦って動いてはならない」
彼は自分に言い聞かせた。すべてはここだけの話である。盟友のレナードやブライアン、補佐官のラックスにも話すべきではない。王族の過去と関係がある以上、情報漏えいは許されない。30年前のダレン・アーモニアの事件が、王家にとって致命的な凶事であった可能性をスヴェンは感じていた。
「……カテリナがわたしの婚約者のままであれば、アーモニア家は復興し、かつての栄華を取り戻しただろう。なのにわたしと父上はいとも簡単に彼女とアーモニア家を切り捨ててしまった。アーモニア家は二度も王家に裏切られたと思ったであろう。だから彼女は、真実を暴露することで王家に復讐を考えたのかもしれない……」
落ち込むスヴェンに、ノエルは淡々と言った。
「カテリナ様はそんな器量の小さい方ではありません。そもそもその程度の報復であれば、迷宮になど行かずともできます」
「王族に対する報復が『その程度』か」
『王太子』の頬がピクリとした。場が場であれば不敬罪を問うところだ。
「目的があるから迷宮へ赴いたのです。そこでしか成し得ない目的です」
「なぜそう言い切れるのだ?」
「同じ『聖女』ですから」
スヴェンは理解しようとして、できなかった。しかしもう、抗弁しようとも思わなかった。だがたしかに、王家の過去を暴露するだけであれば、カテリナは独りで迷宮に行くような暴挙にはでなかったであろう。死ぬ確率のほうが何百倍も高いのだから。
「……わたしは迷宮には行けないが、何か援助をできないものか」
「余計な手出しをなさらないことが最善です」
「意外とあなたは手厳しいな」
スヴェンはため息を吐いた。と、扉がノックされた。
「ラックスです。魔術協会から術師の方々がご到着されました」
「入ってくれ」
息を切らせたラックスと三名の一級術師が入室する。スヴェンは彼らにノエルの説明をし、預けた。
「どういうことですか、殿下?」
退出するノエルと術師たちを見送り、ラックスは扉を閉めた。
「ローランド嬢は魔力過多で体調を崩しているようだ。精神的にも疲れているようだった」
「そうですか。ですが、カテリナの薬を渡すのは問題ではないでしょうか」
「内容物はわかったのか?」
「いえ、この短時間では解析ができませんでした。どのみちノエル様も魔術協会へ参りますから、説明してお任せしました」
「そうか、ご苦労」
スヴェンは一息ついて、執務席に座った。
「殿下、差し出がましいとは思いますが、私でできることがあればご相談ください」
ラックスは若い王太子の様子がいつもと違うのを感じていた。思考の中にいても余裕のある表情を浮かべていた英才が、今はずいぶんと困惑しているように見える。ノエルとどのような話をし、あのように激昂し、このような顔になったのか、興味以上に心配であった。
「今はいい。一人で考える時間がほしいところだ。そのための情報が……そうだ、クロムからは何かあるか?」
「最終定時報告は昨夜です。カテリナ一行と迷宮の地下6階を攻略中とのこと。新たにアキラなる新人探索者がメンバーに加わったとありました。それ以外の進捗はありません」
「その者の身元は? 変わった名前だが」
「極東出身者だそうです。成人の儀で迷宮に挑んでいるとか。よくわからない文化ですね」
「極東では身元を洗うのは無理だな。クロムも用心しているだろうが、よりいっそうの注意を促しておけ」
スヴェンは椅子の背もたれ一杯に寄り掛かり、天井を見上げた。しばらく眺め、やがて目を閉じる。疲れた。そう思ったら意識が飛んでいた。
数分眠っており、目を開けたときにはラックスはいなかった。
「……疲れているな」
声に出して、彼は実感した。
おまけ
「なるほど。ノエル様の魔力量は桁違いですな。これでは体の負担が大きいわけです。普段はどのようにして魔力の制御をなさっておいでですか?」
「カテリナ様には暗算を勧められました」
「暗算?」
「一つに集中して脳を使うと魔力を消費し、制御の訓練にもなるそうです。ですので常に適当な3桁の乗算をするようにと」
「3桁の乗算を……ですか? そんなことがおできになるのですか?」
「慣れました。ですが、慣れた分だけ魔力消費量も減ってしまいました」
「それでは今は?」
「5桁で行っています。カテリナ様のように8桁まではまだまだです」
「『聖女』怖っ」
「……×14,895,362=674,541,904,977,130(むにゃむにゃ)」
『カティーってときどき寝言でスゴイ桁の数字をつぶやくんだよなぁ。怖っ』




