第58話
気がつけば、陽が大きく傾き、魔界の紫灰色の空が深い夕暮れの色に染まり始めていた。
村の中心部では、焚き火の準備が自然と始まっていた。
リースがドラゴン姿から人間に戻り、薪小屋から抱えてきた束をドサッと地面に下ろす。
彼女が息を吹きかけると、炎がパチパチと勢いよく立ち上がり、暖かなオレンジの光が周囲を照らし始めた。
エルフたちが笑い声を上げながらテーブルを並べ、ガンドルフが大きな樽をゴロゴロと転がして運んでくる。
「今宵は飲むぞー!」
彼の声が村に響き渡り、みんなの士気をさらに高めていた。
そんな賑わいの最中、リアが静かに踵を返そうとしたその時。
サチが小走りに近づき、リアのマントの袖をそっと掴んだ。
「リア様……せっかく来てくださったんですから、宴に参加しませんか?」
リアは少し驚いたように振り返り、視線をサチに向けた。
「しかし……私はそろそろ帰らねば。視察も終わったし……」
サチ穏やかな声で続けた。
「リア様が一緒にいてくれたら、みんなもっと喜びます。少しだけでも……いいんですよ?」
リアの視線が、焚き火の炎へと自然に移った。
火柱がゆらゆらと揺れ、向こう側でマサが杯を手に仲間たちと笑い合っている。
ガルが大声で歌い始め、エルフたちが手拍子を合わせ、リースがさらに薪を追加して炎を大きくした。
アルやシルヴィたちが輪になって踊るような仕草をし、村全体が温かく沸いていた。
その光景を眺めているうちに、リアの頰がわずかに緩んだ。
彼女は小さく息を吐き、唇の端に小さな笑みを浮かべた。
「……そうね」
リアの瞳に、炎の赤が映り込み、いつもは冷たい赤い光が、ほんの少し温かみを帯びた。
ダミアンは横からリアの表情をそっと窺った。
焚き火の炎が彼女の横顔を優しく照らし、普段の冷静な瞳に、わずかな揺らぎと温かさが混じっているのがわかった。
マサの言葉が、ダミアンの頭に静かに蘇る。
「リアの気持ちだけは、汲んでやってくれよな」
ダミアンは小さく息を吐き、唇の端に微かな笑みを浮かべた。
彼は一歩近づき、リアに囁いた。
「リア様。報告書は私がまとめておきますので、本日はこちらで楽しまれてはいかがでしょう?」
リアは少し驚いたように振り返り、目を丸くした。
「ダミアンっ……?」
ダミアンは深く、しかし自然に頭を下げた。
「どうぞ。今日は村の皆さんと、一緒に」
リアは一瞬言葉に詰まり、視線を焚き火の賑わいへと移した。
炎の向こうで笑い声が響き、みんなの顔が楽しげに輝いている。
彼女の瞳が静かに輝き始め、すぐに決意したように頷いた。
「……せっかく誘われたのだから、参加するわ」
ダミアンは静かに一礼し、影のように闇の中へ溶けていった。
その背中は、忠実な護衛としての役目を果たした安堵をわずかに感じさせた。
リアはマントの裾を軽く払い、焚き火の方へ歩き出した。
サチがそっと隣に並んだ。
「リア様、ありがとうございます!」
リアは一瞬視線をサチに移し、小さく頷いた。
「……ふふっ。いいのよ」
二人は並んで歩き、焚き火の暖かな光が近づいてくる。
足取りがほんの少し軽やかで、リアの頰に小さな笑みが浮かんでいた。
サチがリアの袖を軽く引くようにして、みんなの輪の端まで導いた。
マサがすぐにリアに気づき、杯を二つ持って駆け寄ってきた。
「お、リア! ほらこれ、ここで作った新酒だ!」
サチがくすっと笑いながら、リアの背中を優しく押した。
「マサ、リア様をおもてなししてあげてくださいっ」
リアは杯を受け取り、軽く傾けて香りを嗅いだ。
「……悪くない香りね」
一口飲むと、リアの目が少し細くなった。
「辛いけど……後味がいいわ」
「だろ? ガンドルフが気合い入れて作ったんだ。リース! リアも来たぞ!」
リースが薪を放り投げながら、元気に駆け寄ってきた。
「リアだ! 来たんだ! ほら、こっちの肉、焼きたてだよ! 食べて食べて!」
リアは肉の串を受け取り、一口かじった。
「……美味しい。火が通ってるのに、こんなに柔らかいなんて」
リースが胸を張った。
「私のブレスで焼いたからね!」
リアがくすりと笑った。
「あなたも……相変わらずね」
ガルが大声で割り込んできた。
「それでは! 魔王様の宴参加記念に歌う!」
ガルが豪快に歌い始めると、エルフたちが手拍子を合わせた。
リースがドラゴンブレスで火柱を上げた。
炎が夜空を照らし、村全体が笑い声に包まれた。
アルがリアの隣に座り、そっと杯を差し出した。
「リア様。今日はゆっくりしてくださいね」
リアは杯を受け取り、炎を見つめた。
「……ありがとう」
マサがリアの肩を軽く叩いた。
「よし、じゃあもう一杯いくか! 今日は誰も帰さないぞ」
リリィがマサの背中を叩いた。
「頼むから魔王にだけは手を出さないでよ」
リアは杯を掲げた。
「……ふん、負けないわよ」
村の夜は、冬の冷たい風を忘れさせるほど温かく、賑やかだった。
パチパチと焚き火が弾け、酒と焼き肉の香りが漂った。
リアはみんなの輪の中に溶け込んでいた。
炎の揺らめきが、リアを優しく照らした。
魔王の肩から、ほんの少しだけ、張り詰めていたものが解けていくようだった。




