第51話
一方、ガンドルフは蒸留器の設計図を広げて取り掛かろうとしていたが、ふと手を止めた。
彼はリリィの近くに寄り、耳元で何かを囁いた。
リリィは一瞬目を輝かせて、にこりと頷いた。
「了解。任せて」
リリィは周囲を見回した。
少し離れたところで、重い石材を運んでいたリースに声を掛けた。
「リース! ちょっと来てくれる?」
リースは石材をドサッと置いて、近づいてきた。
「何よ、また何か……?」
リリィは悪戯っぽく笑い、リースの肩に軽く手を置いた。
「ちょっと付き合って」
「え、なに……?」
リースが首を傾げた瞬間――
リリィがリースの背中にぴょんっと飛び乗った。
「行ってきまーす!」
リースの体がビクッと震え、銀色の鱗が瞬時に広がった。
巨大なドラゴンに変身し、翼をバサァァッと広げると、轟音とともに空へ飛び立った。
風圧が村に吹き荒れ、皆の髪や服が激しく揺れた。
村のエルフたちが作業の手を止め、「また何か……?」と顔を見合わせた。
遠くの空に消えていく二つの影を、呆然と見送った。
マサも鍬を握ったまま、呆然と空を見上げた。
「嫌な予感しかしないんだよなぁ……」
リリィたちが去った後、ガンドルフは他のエルフたちに近づいた。
蜂蜜の壺と小麦の袋をドンと地面に置いた。
「おい、エルフども。聞いてくれ」
彼は髭を撫でた。
「蜂蜜酒に興味はないか?」
エルフたちが興味津々に集まってきた。
ガンドルフはさらに声を張った。
「作ってやりたいのはやまやまなんじゃが、肝心なところは酵母じゃ。ワシが酒を造ってやるから、酵母を作ってくれんか?」
エルフの一人が目を輝かせた。
「蜂蜜酒に森の果実を加えたら、もっと美味しくなりますね!」
別のエルフが頷きながら続けた。
「炭化させた樫の木で熟成させたら、香りが格段に良くなるはずです!」
さらに別のエルフが手を挙げた。
「酵母なら私たちにお任せください! 調整して最高のものを用意します!」
ガンドルフは髭を撫でて満足げに頷いた。
「よし、決まりじゃ! 最高の酒を造ってやろう!」
エルフたちが「やったー!」と歓声を上げ、すぐに作業に取りかかり始めた。
マサはその様子を遠目に見ながら、ぼんやりと呟いた。
「そういえば俺、特に何もすることがないな……」
彼は貯水池の方へ歩き出した。
池の縁には、サチが足を水に浸し、ぷかぷかと遊ばせていた。
「お疲れ、サチ」
マサが近づくと、サチが振り向いた。
「……うん」
マサはサチの横に腰を下ろし、ズボンを脱いで足を水に投げ出した。
「はー、まだ涼しくていいな」
サチは小さく頷いた。
「そうね。涼しい」
マサは水面を眺めながら、ぽつりと呟いた。
「ここも大所帯になったよなぁ。初めは俺たちだけで生きていけるのかなって思ってたのに」
彼は屈託のない笑顔をサチに向けた。
サチはその表情を見て、視線を逸らした。
「……私も、暇だなって」
マサはサチの頭を優しく撫でた。
「いつもありがとな、サチ。怒涛の日々だけど、サチがいなかったら早々に野垂れ死んでただろうしな!」
「……マサ」
「これからも頼りにしてるぜ、サチ」
サチは頷いた。
「……うん」
マサは自然にサチの肩に手を回し、そっと引き寄せた。
優しく唇を重ねた。
柔らかく温かな感触が、二人を優しく包み込んだ。
水面に小さな波紋がぴちゃぴちゃと広がった。
すると、後ろから重い足音が近づいてきた。
ドスドス……と地面がわずかに震え、ガルの巨体がマサとサチの背後に立った。
マサは水面を見つめたまま気づかず、サチも静かに隣に寄り添っていた。
突然、野太い声が響いた。
「おーおー、お熱いこって!」
マサは慌てて振り返り、飛び上がるように体を硬直させた。
「うおっ! ガル! いたなら声かけてくれよっ!」
ガルは腕を組んでニマニマ笑い、肩をすくめた。
「あんだけハメ外して、昼間もその調子たぁ、さすがだな!」
マサは頭を掻いた。
「……ははっ。……そうか?」
ガルが目を細めた。
「もしかして……覚えてないのか?」
マサは一瞬固まり、声を潜めた。
「……俺、なにかやっちゃいました?」ガルは大口を開けて大笑いし、マサの肩をポンと叩いた。
「そうかそうか! まぁそういう事もあるよな!」
そう言うと、ガルは満足げに鼻を鳴らし、大股で去っていった。
背中が遠ざかる足音が、ドスドスと響いて消えていった。
マサはサチに視線を移した。
「……俺、何かした?」
サチは首を横に振り、くすっと笑った。
「私も早々に酔っぱらって眠ってしまったから……わからないです」
「そうか……まあ、みんな楽しかったみたいだし、いいか」
二人は肩を並べて静かに水面を眺め続けた。
遠くでは、杭を打つトントンという音と、「もっと蜂蜜を!」という賑やかな話し声が重なっていた。
村はますます祭りのように活気づいていた。




