第48話
風がサラサラと畑を撫で、黄金色の麦穂がゆらゆらと揺れていた。
エルフたちが「わぁ!」と歓声を上げながら、次々と実を籠に放り込んでいった。
リースの掘った巨大な堀が水を湛え、結界が淡く光を放っていた。
虫も獣も近づけず、大豊作だった。
安全と安心が手に入った今、村は次の段階――快適さ――を求め始めていた。
昼の陽射しがジリジリと肌を焼く中、マサは鍬をポイッと置いて大きく伸びをした。
汗でベッタリ張り付いた服をパタパタと払い、独り言のように呟いた。
「風呂……入りてぇ……」
すぐ近くでトマトを摘んでいたリリィが、ぴくっと耳を立てて顔を上げた。
「あんた昔からお風呂好きよねぇ」
「こればかりはな。DNAに刻まれてるんだよ」
「なによ、DNAって」
「俺の体が本能的に求めてるってこと!」
「ふーん。相変わらず変な言葉使うわね」
マサは立ち上がり、腰を伸ばしながら周りを見回した。
村の風景はすっかり整い、ログハウスが並んでいた。
煙突からは朝食の匂いが漂っていた。
しかし、風呂だけはまだなかった。
水浴びは川か貯水池で済ませているが、熱い湯に浸かるという贅沢はまだ一般的ではなかった。
ふと、マサは畑の向こうで作業するみんなの姿を眺めた。
土を掘り返すガル、水を運ぶサチ、リースが巨大な石を持ち上げて運んでいる。
「よし……風呂、作ろう」
マサの呟きに、リリィがぴくりと耳を動かした。
「おっ、村長さん、ようやく本気?」
「ああ。みんなで入ったら、最高だろ」
「じゃあ、私も手伝うわよ」
マサは村の道をゆっくりと歩いていた。
拡張された畑の間を抜け、新しく建てられた家々が並ぶ道を進む。
狼のアインたちがじゃれ合いながら走り回り、村全体に穏やかな喧騒が満ちていた。
マサは足を止め、貯水池の方を眺めた。
水面が陽光を反射してキラキラ輝き、風が涼しく吹き抜けていく。
しかし、汗で張り付いた服が不快で、彼は頭を掻いた。
「……風呂、どうやって作るんだろうな」
独り言のように呟くと、ちょうど近くの家から出てきたリースが足を止めた。
彼女は小さな籠を抱え、銀色の瞳を興味深そうにマサに向けた。
首を軽く傾げ、いつものツンとした口調で言った。
「お風呂?」
「リース、作り方知ってる?」
「……ドラゴンが入ると思う?」
「だよなぁ……」
この世界では、基本的に川や湖で体を洗うのが普通だった。
お風呂という習慣は、上級貴族の嗜み程度で、一般にはほとんど存在しなかった。
マサはため息をつき、遠い記憶を辿った。
「……ガンドルフがいればなぁ……」
ドワーフの里で見た、巨大な湯船を思い浮かべた。
石造りの浴槽に地下から湧く熱湯を引き込み、煙突から湯気を抜く仕組みだった。
「あれを再現できれば……いい湯船ができるのにな」
独り言のように呟くと、近くの家から出てきたリリィがピクリと耳を動かした。
リリィはマサの言葉を聞き逃さず、そっと近づいてきた。
「ガンドルフ? ……連れてこようか?」
マサが驚いて振り向いた。
「えっ!?」
リリィはくすっと笑い、マサの前に立った。
「特別難しいことじゃないわよ?」
マサは慌てて周りを見回し、声を潜めた。
「……本当に連れてこれるのか?」
リリィは真剣な顔で頷いた。
「……どうするの?」
マサは少し考えて、照れくさそうに頭を掻いた。
「……お願いできるか?」
リリィは満足げに微笑んだ。
「了解。リース、借りてくわね」
リースが抗議した。
「なんだ? 勝手に話を進めるな!」
リリィは構わずリースの腕を掴んだ。
「マサ、右手を前に出して」
マサは戸惑いながらも、言われた通りに右手を差し出した。
リリィがマサの手に自分の手を重ねた。
リースが「え、なにこれ……?」と呟きながら、真似するように自分の手を乗せた。
リリィがウィンクした。
「二人がガンドルフを連れてくることを許可するって宣言して」
マサが宣言した。
「……二人がガンドルフを連れてくることを許可する」
パァァン!
三人の手が重なった瞬間、リリィとリースの体を淡い金色の光が包み込んだ。
まるで古い儀式のように、光が弾け、すぐに消えた。
リリィが一息ついた。
「これで長距離の移動も一時的に可能になったわね」
マサは呆れたように呟いた。
「結構適当なんだな、これ……」
リリィが肩をすくめて言った。
「精霊が監視してるから、逃げようとしたら強制的に戻されるけどね」
リリィがからかうようにリースの頰をつついた。
「もう、逃げようとも思ってないでしょうけどねっ」
「……っ!?」
リースの顔が一瞬で真っ赤になった。
リリィはリースの腕を掴み、少し離れた場所へ連れて行った。
二人はひそひそと何かを話し合った。
時折マサの方をチラチラ見ながら話した。
リースが「本当にやるの?」と小声で確認した。
リリィが「当然よ!」と即答した。
そして、突然二人が振り返り、揃って悪い笑みを浮かべた。
マサの背筋に嫌な予感が走った。
「なんか……お前ら……」
その瞬間――
パシャアアアッ!
リースの体が一瞬で膨張し、銀鱗の輝く巨大ドラゴンに変身した。
バサァァッ!
翼を広げると、村全体に巨大な影が落ち、風がビュオオッと巻き起こった。
リリィは風魔法を体に纏わせ、ぴょんっと軽やかにリースの背中に飛び乗った。
「行ってきまーす!」
リリィの声が響くと同時に、リースが力強く地面を蹴った。
轟音とともに二人は空の彼方へと消えていった。
村の広場では、エルフたちが作業の手を止め、空を見上げていた。
アルが心配そうにマサに近づいてきた。
「あの二人……大丈夫でしょうか?」
「大丈夫じゃないかも」
遠くの空に、二つの影が小さくなっていった。
シルヴィがぽつりと呟いた。
「……また何かやらかすんでしょうね」
エルフたちが一斉に頷いた。




