第29話
その時、マサの後ろから、静かな足音が近づいてきた。
サチが眼を細めて状況を窺っていた。
彼女はマサの肩越しにアルを見つめ、穏やかだが少し警戒した声で尋ねた。
「……マサ。それで、このエルフたちは?」
マサは振り返り、サチに軽く手を振って安心させるように笑った。
「あぁそうだな。こいつはアルウェン・ウンドーミエル・エレッセア・セレブリンダレ・アラネス・ガラドリム・エラダニエル・ペレディル・ロリエンニエル。長いからアルって呼んでる」
アルが小さく応えた。
「アルと呼んでくれていいわ」
サチが目を細めた。
「……もしかして、この魔力」
マサが手を叩いた。
「おっ、よく分かったな! エルフ族の王女だ!」
アルが慌てて手を振って声をひそめた。
「マサ、ばらさないでくださいっ!」
ガルが腕を組んで言った。
「それで、エルフの嬢ちゃんが魔界まで何しに来たんだ? 魔族の侵攻も止まってると思うが」
「……実は」
「実は……?」
「……家出してきました」
アルはぽつぽつと話し始めた。
話はシンプルだった。
マサが殺されかけたあの後、王国は復興支援を名目に、ドワーフ国とのつながりを急速に強化していった。
既に王女をドワーフの王子と婚姻させ、技術力と軍事力を取り込んでいた。
エルフの国としても……それを見て、続かなければどうなるか。
ドワーフの鉱山技術や兵器が王国側に回れば、森の結界など一瞬で破られるかもしれない。
孤立すれば、交易も途絶え、種族としての存続すら危うい。
そんな恐怖心が、長老たちを動かした。
「国のためなら」と、アルは第一王子の婚約者として差し出されることを、承諾した。
しかし、婚約の儀式の前夜。
鏡の前で自分の姿を見つめているうちに、胸の奥から抑えきれない思いが溢れ出した。
「……私は、ただの政治の駒でいいのか?」
マサが命を賭けて守ろうとした平和が、こんな形で歪んでいくのを、見過ごしていいのか?
「……嫌だ」
結局、駄々をこねるように――いや、王女として初めてのわがままを言って、城を抜け出した。
それだけのことだった。
マサが呟いた。
「ドワーフ国との婚姻ってのは……ガンドルフか?」
「いえ、第一王子のドルマルスと伺っております」
「あー、あの守銭奴か」
アルが小さく頷いた。
「……王国はマサ様がいなくなった後、急速に他種族との結びつきを強めています」
マサは苦笑いを浮かべた。
「……まあ、そうなるよな」
アルはマサの横顔をそっと見上げ、ためらいがちに口を開いた。
「……勇者様は、どうしてこちらにいらっしゃるのですか?」
マサはアルの視線を感じ、軽く肩をすくめた。
「あぁ……それは、長くなる話だな」
マサは淡々と、ここまでの出来事を語った。
ガルが途中で「ふざけんな!」と何度かキレ散らかしたが、アルは最後まで真剣に耳を傾けていた。
話が終わると、アルはマサの手をそっと握った。
「我々をここに住まわせてもらえないでしょうか?」
「俺はいいけど、王女様がこんな辺鄙な所に」
「世界を救った勇者が作った拠点は聖域も同然です!」
「相変わらずの勇者信仰だな」
アルは目を輝かせて、でも真剣に続けた。
「いえ、勇者……マサ様が助けて下さったからこそ私たちはここにいられるのです。勇者でなかったとしても、この気持ちは変わりません」
ガルがマサの肩をドンッと叩いた。
「もういいんじゃねーか?」
マサは苦笑いを浮かべて頷いた。
「……そうだな。それじゃあ拠点の拡張するか!」
アルが慌てて立ち上がり、声を上げた。
「マサ様!」
マサは優しく笑いながら呼び返した。
「アル!」
「はっ、はいっ!」
アルが背筋を伸ばして返事をする。
マサは肩をすくめて、軽く手を振った。
「ここでは様つけなくていいから」
アルは一瞬目を伏せ、呟いた。
「はいっ……マサ」
マサは満足げにニヤリと笑い、エルフたちに向かって拳を突き上げた。
「おうっ! じゃあみんなも手伝ってくれよ! 森の民なら俺より器用だろ?」




