10章 デスゲーム・リターンズ(Ⅴ・葛城光)
葛城光
ふざけんな……なんでこんなことに。
この場に、この遺言に、この茶番の全てにふざけんな、と思った。
そう思っても、この部屋を出ることはできなかった。出ていけば相続分を失う。それだけの問題ではなく、出ていくことが何かを認めることになる気がした。
円卓の向かいに座る堂島達也を、できるだけ見ないようにしていた。見ると、頭の中が静かに沸騰する感覚があった。
全部あの男のせいだ。きっとこのふざけた集まりも、あの男のせいだ。
父と祖父の関係が壊れたのは、十二年前……俺が十三歳のときだった。
父の不倫が発覚した、と母は言った。しかし俺は信じなかった。父はそういうことのできる人間ではなかった。
几帳面で、不器用で、家族以外の人間に心を開くのが苦手な男だった。今になって、俺はそんな父親にそっくりなんだと思う。だからなおさら、あの父が不倫をする姿が、想像できなかった。
大学に入ってから、真剣に父のことを知りたくなった。父の不倫相手とされた女性の名前を、記録から掘り起こして、金を積んで調べさせた。
その女性の交友関係に、堂島達也の名前があった。達也と不倫女の繋がりは薄かったが、時期が一致した。父と母が別居した時期、不倫女が父の前に現れた時期、達也が葛城家の事業に接触を始めた時期。全てが、あまりに綺麗に並んでいた。
証拠なんてない。
でも、俺は達也が仕組んだことだ、と確信している。
もっとも、と自分に言い聞かせることもある。
この確信は、思い込みかもしれない。父を失ったことへの怒りを、どこかへぶつけたいだけかもしれない。達也が穏やかで誰にも好かれる人間であることが、俺の疑念を強めているだけかもしれない。ただの……嫉妬なのかもしれない。
そうやって自問して、怒りをいつも中途半端なところで止めていた。
右隣に座る、白石遥を盗み見た。
遥はテーブルの一点を静かに見ていた。その横顔に、視線を引き寄せられた。
二年前のことを思い出すたびに、俺は自分が嫌いになる。
病院の廊下で遥に告白した。断られたのは仕方ない。
問題はその後だった。退勤する遥を、駐車場で待ち伏せた。
何をするつもりだったのか、今もわからない。ただ、そのまま帰したくなかった。上手く口が動かなくて、立ち去ろうとする遥の左腕を右手で掴んだ。遥は驚いた様子もなく「離してください」と俺の手を払おうとした。
俺は手を放さなかった。彼女が暴れるのを止めたくて、左手で胸元のブラウスを掴んた。
遥の体にさらに力が入って、ブラウスのボタンが飛んだ。彼女の真っ白な胸元が見えた。夢の中の出来事のように、それが眩しくて。
遥は俺の頬を平手で強く打った。
俺は手を放した。
遥は俺を見て、静かに言った。
「光さん、いけません」
遥は歩き去った……それだけのことだったのに。
翌日、祖父に呼ばれた。
「お前は何をした」
祖父の声は低かった。怒鳴らなかった。静かで、怒鳴られるより余程怖かった。
俺は遥に謝ったし、遥は受け入れてくれた。
それで終わったことなのに。祖父の目は、あの日からもっと冷たくなった。ほんの少しはしてくれていた期待というものが、無くなった目だった。
この場に呼ばれたのは、あのことへの罰だろうか。
自分の箱を開けると、黄色いボタンが入っていた。
黄色って、こんなに不吉な色だったのか。
押せるのか、こんなの。
六分の一。本物なら死ぬ。いやだ。
◇
光は剛を見た。それから箱を見た。
それからまた剛を見た。
目で、さっさと、押せ、という圧力をかけてくる。
光は、クソが、と心で毒づきながらも、心が折れていた。
「……わかりました、わかりました!わかりましたよ」
光は自棄を起こしたように言った。
黄色いボタンに手を置いた。
手が震える。
頭を真っ白にして、ただ手を下げる、という脳からの命令だけで、押した。
一秒……二秒……
何も起きなかった。
光はすぐに椅子から立ち上がった。
体が言うことを聞かなくなったらしく、全身が震えていた。
壁際に退いて、円卓に背を向けた。顔が青いまま、呼吸が浅かった。
「ひ弱な野郎が」と剛は嘲った。
「何も起きてないだろがっ」
またしばらく、誰も口を開かなかった。
壁際に立って、震えていた光が、円卓の方を見た。
足がまだ震えていた。呼吸は整っていない。
ふざけんな、ふざけんな、と光は繰り返し、自分に言い聞かせた。
押す前の一瞬、頭をかすめた、本物だったら、という恐怖が体から抜けない。
光は血走った目で遥を見た。
遥は静かに座っていた。円卓の端で、この場の騒ぎとは別の場所にいるような静けさだった。
光の中の、もやもやとした被害者意識が、口を開かせた。
「白石さん」
遥は光を見た。
「なんであなたが、ここに、いるんですか!」
遥は答えなかった。
「祖父の看護師が、なぜこの場に呼ばれるんですか。遺産目当てで取り入ったんじゃないですか!」
室内が静まった。
「あの方に取り入ったと思っているなら」遥は静かに言った。
「そう思っていただいて構いません」
「……違うと言うなら」光はどう続けていいか、一瞬困惑して詰まった。
「違うと言うなら……言うなら、ちゃんと理由くらい、言ったらどうですか」
遥の目は冷ややかに光を見ていた。
「私もなぜ呼ばれたのかは、わかりません」
「わからない?」
「はい。ただ、押さないことは決めています」
「なぜ押さないんですか」
「あの方が最後に用意したこの場を、最後まで見届けたい。それだけですから。ここにいるのは、私の意志です」
光は遥の目を見た。嘘をついている目に見えなかった。
それがかえって、光を落ち着かなくさせた。
言いたかったことは、いっぱいあったはずだったのに、何も言えなくなった。
達也が穏やかに口を開いた。
「光くん、白石さんへの質問はそのくらいにしましょう。この場を前に進める必要があります」




