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(十四)

 王は枯れた集真藍のように頭を垂れる植物体を鼻であしらう。

 白い玉座に向かい合うと背柱に手を伸ばし、床へ乱暴に転倒させた。


 倒れた玉座の脚の下から、太い白い根が一瞬だけ顔を覗かせる。

 

「……また伸びてきたか」


 男の独り言に、この下に何かあるのかと石の床を見た。

 座り心地が悪いと言っていた白い椅子は、砕け散った植木鉢の破片と紫紺の残骸の中へ沈む。

 

 冷たい破壊音が閉鎖的な空間に響くと、葉化病に蝕まれた人々の嗚咽がさらに大きくなった。

 

 彼らの存在は、集真藍の王にとって害はないはずなのに。

 おれに青い植物体の知り合いはいないが、 心酔する相手に「同じ色になろう」と囁かれた時の喜ぶ姿が、ありありと目に浮ぶほどだった。

  

 そんな存在を裏切ってまで、集真藍の兄弟に秘薬による葉化を見せたかったという。

 微笑みながら狂気じみた行動を起こす男の意図が、おれにはまるで理解できなかった。

 

 ふと、階段の下で事切れた側近の、濁りのない緑色の集真藍に目が止まる。

 硬く固まった萼が半円形のまま残り、集真藍の浸かる透明な水は、森の中にあった湖畔のような深い緑に色づいていた。

 

 王宮内は風が吹いているわけでもないのに、どこからか空気が流れ込み、水面の萼片が溶けるように波打つ。

 

 ——まさか。

 

 色統一という、あのふざけた命令の本当の目的は、集真藍が元来持っている青色や赤色の色素に変えることではなく、

 

植物体(おれたち)全員を葉化病の緑色に染めて、死滅させるつもりだったのか?」


 身震いを抑えるおれとは裏腹に、集真藍の王は気怠そうに自身の後頭部に手を差し入れて髪を掬った。

 今更だな、そう言いたげな表情(かお)をして。

 

「葉化病の感染力は非常に強力だからね。まずは色変化の色素を持たない、そして誰よりも目立つ特別な、白い集真藍を持つ陽のお兄さんに毒の華になってもらう予定だった」

 

 あろうことか本人(ゆかり)がいる前で、毒を撒く媒体として白い集真藍を標的に決めたのは自分だと、すんなりと白状したのだ。

 

「安心していい。君の様子を見る限り、秘薬が引き起こす葉化病の感染力はほとんどないらしい……残念だけど」


 感染という言葉に我に返り、紫の居る場所に意識が引き戻される。

 

 こんな会話をしている間にも、室内の混乱は収まらない。

 葉化病を発症していない植物体までも取り乱し、膝を水につけて恐怖に身体を丸めていた。

 その曲がった背中を、紫が泣きそうな顔でさすっている。

 

 秘薬を同時に摂取しても、葉化病の発症部位や進行速度には個人差があるようだが、今の彼らを治療しようにも、感染した萼を伐採するために必要な道具が手元に無い。

 

 応急処置くらいには使えるかもしれないと、床に散らばった陶器鉢の破片を拾うが、厚みと丸みがありこれでは傷を付けられても集真藍の太い枝は切れないだろう。

 

 もどかしさに唇を噛んだとき、重厚感のある扉が音を立てて動く。

 

 室内に張られた水が、廊下へ勢いよく流れ出ていく様子が目に飛び込んだ。

 一時的に水位が下がり、扉の上部に走る亀裂と、床石の隙間から白い根のようなものが幾筋も姿を現す。


 根はまるで脈打つ血管のように、玉座の下へ向かって伸びている。

 

 扉一枚を隔てて、獣の唸り声がする。

 人ひとりが通れるくらいの扉の隙間から、痩せ細った白いオオカミが身体を捩じ込むようにして、次々と押し入ってきた。

 最後に入ってきた一頭は、土色に薄汚れたタオルのようなものを口に咥えていた。

 

 部屋に侵入してきたオオカミの集団は、毛が部分的に抜け落ちて赤い皮膚が透けた尻尾で浅い水面を叩く。

 

 彼らは基壇に上がるための階段を一気に飛び越えて、白い柱を背もたれにしたおれを威嚇する者と、床に倒された玉座を避けて王宮の主の元へ駆ける者の二手に分かれた。


 荒々しい猛獣も紫紺の集真藍が咲く身体を前にすると、態度を一変させた。

 重心を低くして近づき、足先に銀色の鎖を擦り付けて甘えるような高い鳴き声を出す。

 一方で、白灰色のまだら毛を被った老いたオオカミが、黒い鼻が床に付く寸前まで頭を下げ、獲物を集真藍の王へ献上した。

 

「噴水の周辺で騒いでいた不審者を捕らえました」

「よくやった」


 石の床に置かれた捕獲物を見て、ぎくりとした。

 

 その生き物は鼻をパカパカと頻繁に横に広げて、胸を苦しそうに上下させている。

 噴水前で別れるまで、元気に走り回っていたウサギの園芸師の変わり果てた姿だった。

 

 重い身体を動かそうとすると、白いオオカミたちは敏感に気配を察知し、石の床を爪で掻いて警戒心を示す。

 彼らに吠えられようが構わず、おれは反応のないウサギの側まで行ってその場にへたり込んだ。

 

 柔らかな耳から鎖を付けた首の後ろにかけて繰り返し撫でると、うっすら桃色に染まった毛が束になって抜け落ちた。

 

「……っ、彼女は園芸師だ。不審者じゃない!」

「その鎖を見ればわかるさ」


 おれの抗議など聞き流すように、集真藍の王は視線を紫たちへ向けた。


 

 白いオオカミたちは基壇の縁を蹴って浅い水面へ降り立つと、紫たちを囲み大きな輪を作った。

 怯えて縮こまる植物体を輪の中心に集め、ぐるぐると回り込みながら、琥珀色の目が新しい獲物を食い入るように見つめている。

 

 紫は動けずにいる青い集真藍の前に立って、自身の背中に隠す。

 紫の行動におれは思わず舌打ちをして、馬鹿野郎と呟いた。

 どうにか好機を見計らって、彼らの元へ助けに行かなければ。


 

「怯えるな。お前達が助かる方法はある」

 

 両脇に白い獣を従えた集真藍の王は、階段を悠々と数段降りて、本来の色を失いつつある植物体に助言をする。


 葉化病に感染した植物体たちはお互いの顔を見合って、ですが……と躊躇いがちに、じりじりと引き下がろうとした。

 たが、周囲を徘徊するオオカミに足を甘噛みされ、急き立てられると、とうとう紫の自由を奪い始めた。

 

 一人が身体を抑え、もう一人が片手で紫の顎を固定して上を向かせる。

 青緑色に染まる身はガタガタと震えながら、ポケットから秘薬を取り出して蓋を開けた。

 

 追い込まれた状況に焦ったおれは、床に倒されていた玉座を蹴りあげた。

 白い椅子が階段下の側近を飛び越えて水面に落ちると、水飛沫が獣たちに激しくかかる。

 キャン! と短い悲鳴を上げて飛び跳ねた拍子に足を滑らせ、その場で何頭かが転倒した。

 

 獣の群れの統率が乱れ、紫紺の集真藍が咲く身体が振り返るその一瞬を狙い、拾った植木鉢の破片を投げ放った。

 

「!?」

 

 危険を察知した二頭のオオカミが、空中の破片を奪いにかかる。

 しかし、タイミングが僅かにずれて空振りに終わると、王の瞳孔が開き、彼は身体を大きく逸らした。

 

 長い髪が王の証である紫紺の集真藍を庇うようにして胸部へ流れ落ち、色のない頬に張り付く。

 

 喉元を抑えた手の隙間から、赤い樹液が垂れた。


 基壇から飛び降りたおれは傷ついたウサギを腕に抱えて、獣たちの隙をつき、小さな波を(しの)ぎながら紫の元へ駆け寄った。

 

 紫が背中を支えていた植物体が泣き腫らした目で、助けて……助けて……と、うわ言のように繰り返し、おれの濡れた左足に縋り付く。

 

 首に枝が絡みつき、痛みを訴える植物体の頭を抑えて、首の後ろの短い髪をかきあげる。

 青い萼に広がっていく緑色の硬直。

 

「助けてやるから、しっかりしろ!」


 ウサギの園芸師を紫に預け、彼女の背中から芽切鋏を取り出す。

 靴屋で紫の集真藍を伐採した時と同じように枝の節目を指で確認し、鋏の刃線を根元に当てた。


「……陽、後悔するぞ」

「なんだって?」


 男の言葉にわざわざ振り向いて、再び話を聞くほうが後悔するだろう。

 確信を持って手を止めないおれを、兄の白い集真藍が黙って見ている。


 

「おれには兄貴も紫も、全部必要なんだよ」

 

 植物体の運命を変える薬よりも、ずっと。


 

 芽切鋏の切りつける振動が身体中に響くのか、青い植物体は歯をカチカチと鳴らした。

 

 葉化病に罹った彼らを慎重に治療していけば、ここにいる何人かは助けられる。

 おれも紫も、そう思っていた。

 


 青い萼のほぼ半分が緑色に染まりかけている集真藍を刈り取る一歩手前で、真横から白いオオカミが飛びかかってきて、状況が一変した。

 

 白い獣はただれた歯茎を見せ、骨を砕かんとする勢いで、作業に集中していたおれの腕に噛みついた。

 

 赤い集真藍の葉とその下の皮膚を、鋭い牙が突き破る。

 経験したことのない激痛におれの頭の中は真っ白になり、芽切鋏を水の中に落としてしまった。

 

 猛獣は左右に激しく首を振り、腕ごと赤い集真藍を持っていこうとしたが、紫がオオカミに体当たりして追い払ってくれた。

 

「陽!」

「……っ、大丈夫だ」

 

 なんとか取り繕って、水の中に落とした芽切鋏を拾おうとするが、指が全く動かない。

 芽切鋏の上で赤い線が交差し、水中に広がっていく。

 

「痛いか? 陽。オオカミは赤色を知覚できないから、君の大事な集真藍が見えなかったらしい」


 白々しい態度で言い放ち、王は頬にへばりついた髪を赤く濡れた手で払った。

 そして、コルク蓋が付いた小瓶をおれたちに見せつけるようにして胸の前に取り出すと、小瓶を持つ指をそっと開いた。


 硝子の小瓶は回転しながら落ちていく。

 集真藍の萼片(がくへん)を一枚ずつ(むし)られていくかのように、くるくると。

 

 小瓶を追っていた目線が下がっていき、とうとう階段の角に小瓶の底が当たって、透明な液体が飛び散った。

 

 完全な人体になるという、兄との夢を叶える唯一の手段が潰えた瞬間だった。

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