(十)
今思えば、青い植物体が市場で紫を見つけて大声を上げたのは、秘薬を飲んだはずの白い集真藍が変化しておらず、気が動転していたのではないか。
集団の中にいた青い植物体の一人は、『まだ白いままなのですか』と確かにそう言っていた。
あの言葉は、関係者であると無意識に仄めかしていたのか。どちらにも受け取れる。
秘薬を口にした兄の行動についても、疑問が残っている。
兄が自らの意思であの薬を飲んでいたなら、兄が倒れていたダイニングルームに薬の入れ物は落ちていたはずだ。
けれど、おれが帰宅したとき、蓋の空いた小瓶は玄関付近に落ちていた。
兄の手から落ちた小瓶が、玄関の近くまで勝手に転がっていった、とは考えにくい。
だって、玄関とダイニングルームの間には、分厚い絨毯が敷かれていたのだから――。
「もしかして、兄貴はそいつに無理やり秘薬を飲まされたのか……?」
その答えを知る者はここにはいない。
ネズミもウサギも、深刻な顔をしたおれを見上げるだけで、時が止まったかのように微動だにしない。
沈黙が流れ、やがて、花が口火を切った。
「……どうであれ、誰も見ていないなら調べようがない。俺は靴屋に戻る」
兄の身に起きた出来事を解明するためとはいえ、当の本人である紫を靴屋に預けたままなのだ。
花は来た道を引き返した。ネズミが花の歩幅に合わせてチョロチョロと動き回り、なにかを話しかけていた。
花の判断は正しい。けれど、おれは次に探す相手をすでに決めていた。
「集真藍の王宮がどの方角にあるか、わかる?」
話が見えず、戸惑っているウサギの園芸師に、王宮への道のりを聞く。
「え、ええ。わかるけど……オオカミの彼に伝えなくていいの?」
「……ああ。花は兄弟を看に戻っただけだから」
もの言いたげに、ウサギは耳を後ろにぺたりと倒した。
気がつけば森の中に影が増えており、冷たい空気が流れてきて身体がぶるっと震えた。
森に住む夜行性の生き物たちが、巣穴から出てきて、外出の支度を始めている。
それで王宮へはどっちに行けばいい? 冷えきった腕を擦り、彼女に返答を急かした。
「いちばんの近道は、この先にあるイタチの巣を通り抜けて……」
ウサギは説明をしながら、地面に広がる緑一色の苔の上に飛び乗った。
オオカミのように足を交互に出せばいいものを、体重のかかった後ろ半身が、湿気を帯びた苔に沈み込む。
水が大の苦手なウサギは、大慌てで戻ろうとするが、足が滑って上手く進めない。
見かねて、ウサギの胸の下に腕を回し、片手でお尻を支えて抱き上げる。
ウサギが背負っている芽切鋏のせいで収まりが悪く、毛玉はバタバタと暴れて、長い耳が腕の集真藍を叩いた。
「ちょっと! レディーになにするの!」
「いや、濡れたのかと思って」
「園芸師が植物体にお世話されるなんて……。立場が逆よ」
ふわふわとした柔らかい被毛が重なる足裏を、服の裾で丹念に拭く。
ウサギには肉球がないのかと独り言を漏らすと、デリカシーがどうとかで、また怒られた。
「集真藍の王宮に行ったことないんでしょ?︎︎私が連れて行ってあげる」
日が傾き、鬱蒼とした森から一人で王宮に辿り着ける自信はなく、断る理由もなかった。
おれが頷くと、彼女は釣り上げた目を器用に下げた。
「その代わり、私の頼み事を聞いてくれる?」
森を抜けた先に、星々が浮かぶ鏡のような湖があった。
湖の中央には、壮大な白い噴水がそびえ立っている。
噴水のある陸地との間に架けられた細い橋を、緑の帽子を被った街灯が淡い光で照らす。
橋の欄干に沿って、青い集真藍が美しく咲き誇っていた。
「あら、変ね。今日は噴水の水が出ていないわ」
通り放題じゃない、ウサギはそう言って後ろ足で立ち上がり、長い耳を垂直に立てて、怪訝そうに辺りを見渡す。
「通り放題? というか、王宮はどこにあるんだ?」
「集真藍の王宮は噴水の内部にあるのよ」
噴水の水を受け止める水盤の中に、入り口を隠すかのように設計された秘密の階段があるという。
橋を渡り、噴水に近づく。
噴水の材質は天然石のようだが、真っ白ではなく、透けた白濁色の中に桃色と水色が混じっているのが見える。
さらに近づくと、噴水の階層を支える大きな柱の精巧な彫刻が目を引く。
星の光を骨格にしたような建造物に圧倒され、顎がどんどん上がっていき、到着するころには首が痛んで見上げるのがつらくなった。




