(十一)
「王宮の中を見てくればいいんだよな」
「そう、お願いね」
彼女の頼み事は、集真藍の王宮内に異常がないか見てきてほしいという内容だった。
「王宮の周辺に無数の根が不自然に広がってて、王宮の内部を調べられるよう仲間と頼み込んだんだけど、門前払いされて困ってたの」
「周辺って……湖に囲まれてるのに?」
「貴方の背丈なら、街の灯りが見えるはずよ」
おれは頭を搔いた。
ウサギのような小動物からすれば、植物体のおれは巨人に映っているのかもしれない。
おれの身長から見える範囲は、湖の噴水と群青色の森に限られているため、橋の欄干に足を乗せた。
街灯の突起に手をかけ、夜空に瞬く宝石には届かないが、頭上に月がぶつかってもおかしくない高さまで登ってみた。
ウサギの園芸師と歩いてきた森林の先端に、暖かな光が幾つもあり、それが四方に満遍なく散らばっている。
街の灯りを眺めながら、おれは無意識に我が家を探していた。
「この距離なら噴水の存在を知っていてもおかしくないのに、おれは今日初めて知ったよ」
「空なんて鳥でもない限り、ゆっくり観察したりしないわ」
ウサギの言葉に、産まれてからずっと植物体としての運命に追われて、空を眺めるような余裕もなかったのだと気づく。
できることなら、紫にも穏やかに過ごせる時間を与えてやりたい。
集真藍の植物体としてではなく、たった一人の生命として、色んなものを観て、感じて、暮らしてほしい。
その中で紫が完全植物になる道を選ぶなら、おれは止めやしない。
真剣に悩みきった選択なら、兄もきっと許してくれると思うから。
そのために今はできることをしよう、と胸に決める。
街灯から離れて、今度は噴水の縁の冷たい石を跨ぎ、水盤に足を下ろした。
水盤の中は清潔に保たれていて、だれかが日常的に清掃し、手入れされている形跡がある。
秘密の階段への手がかりがないかと、水盤の中を手探りで触っていく。
すると、縁の内側の影になったところに、不自然な窪みを見つけた。
窪みをゆっくり押し込むと、石と石が擦れるような鈍い音がして、中から螺旋階段が現れた。
「中で迷子になったら、大声で叫びなさいよ」
噴水の水が止まっている今なら、ウサギの園芸師も同行したほうが話は早いのだが、噴水がいつ稼働し始めるのかもわからないため、彼女には外で待機してもらうことになった。
石の階段を一段下りて、大事なことを思い出し、ウサギを呼び止める。
「あ、待って。オオカミの花が、きみのこと気になってたみたいだよ」
「ふぅん……。まぁ、私は素敵だから当然ね」
ウサギは満更でもなさそうな口調で、丸く短い尻尾を振りながら、身体を大きくひねり、ジャンプする。背中の芽切鋏がきらりと輝いた。
ご機嫌な彼女の様子に、お節介だったなと首を掻きながら、心の中で花に祝福の言葉を送った。
螺旋階段を下りる際、先端に丸いフックがついた柄の長い鉄製の点火棒が壁に掛けてあった。
多分、橋の街灯に火を灯すためのものだろう。護身用にと点火棒を手に取る。
噴水から出現した階段が途切れると、急に視界が開けた。
強烈な白い発光を受け、その眩しさに片目を閉じる。
内部は壁や柱の装飾、天井に至るまで白で統一されていて、外よりも明るくとても静かだ。
床は噴水と同じ天然石で、指が浸かる程度に水没している。
「ウサギを連れてたら、いまごろ大騒ぎになってたな」
歩くたびに水面が揺れて、買ったばかりの下駄が水に濡れてしまうのは残念だったが、諦めるしかなかった。
だだ広い空間の先に、白く細長い受付のカウンターが一つ置かれている。
周囲を見渡すが、誰もいない。
夜も深まる時間帯とはいえ、王宮の門番や近衛兵たちも仲良く就寝中なのだろうか。
用心していた気持ちが緩み、点火棒を肩に担ぐ。
青い植物体が現れるまで、どこかの部屋に隠れて待機するつもりだったが、先にウサギの頼みを聞くべく、アーチ状の大開口をくぐった。
水の回廊を渡ると、装飾の凝った扉が複数あり、おれは足を止める。
すべての扉は固く閉じられて、どの部屋も覗くことはできなかったが、廊下の奥に噴水の入り口とは別の、まだ下に続く階段があった。
ここは何階なのだろうか。
曲線を描く階段から身を乗り出し、上を見る。
おれの腕に巻きつく集真藍の枝のように、中央の柱に沿って扇状の石段が続く。
階段の側面に根のような細い線が張り付いているのが見えたが、どれも短く切断されていた。
天井から伸びた柱に水が伝い、滝のようにさらさらと流れているのを見て、おれは迷わず下の階層に降りた。
集真藍が乾きすぎて、森を出たあたりから腕がヒリヒリと痛んでいたのだ。
水の影響なのか随所に床が盛り上がっていて、注意深く中央の柱まで歩き進めた。
柱の根元は天然石の床に大きな水溜まりを作り、水が落ちるたび光を織り込んだように揺れる。
腕を横に曲げて、柱を伝って流れる水の中に、葉の先が丸くなりカサカサになった赤い集真藍を入れた。
乾燥していた集真藍が喜び、ふっくらとして潤っていくのが全身を通じて伝わる。
息を吐き、ふと、鏡のように反射した水のカーテンに映った自分の姿を覗き込むと、左肩の萼は赤から青へ。
本来の色素と対照の色素が混ざり、淡いグラデーションになっていた。
「…………っ!!」
悲鳴こそ上げなかったが、背中がのけぞるほど驚き、柱から身を離す。
その拍子に、顔や服に水が飛び散った。
手をひっくり返し、肩から腕、腰の集真藍まで念入りに確認する。
「なんだ……、幻覚か」
ほっとしたのも束の間、金属音が白い空間に反響して、緊張が走った。
耳を澄ますと、獣特有の荒い息遣いと地面を擦る爪音が近づいてくる。
おれはこの足音を知っている。
「花、また着いてき……」
頬が自然と緩み、下りてきた階段を見上げると、花とは対称的な白い体毛のオオカミがいた。
花より一回り小さい身体はやせ細り、骨が浮き出している。
バシャバシャと激しい水音がして、足元の水面に波が立つ。
振り返らなくてもわかる、後ろにも数頭いる。
まずい――!
口の端からよだれを垂らした白いオオカミが、階段上から飛びかかってきた。とっさに点火棒を顔の前に突き出す。
オオカミが噛みついた点火棒を力任せに振り払うと、投げ飛ばされたオオカミは壁に激突し、痛々しい鳴き声が響いた。
仲間が傷付けられたのを目の当たりにしたオオカミの群れは、鼻に皺を寄せていく。
向けられた敵意に、逃げる以外の選択肢はない。
階段を駆け上り、水鏡の回廊を全力疾走で駆け抜ける。
角を曲がると、横道から出てきたオオカミに集真藍の腕を噛みつかれそうになり、身体の重心を落として滑り込む。下駄の歯が水飛沫をあげた。
点火棒を振り、追いかけてきたオオカミと間合いを取りながら逃げ道を探す。
真正面にある閉まっていたはずの扉の片側が開いていることに気づき、進路を塞ぐため点火棒をオオカミに向かって投げつけた。
そのまま室内に飛び込み、水圧が加わった扉を力いっぱい押して閉めた。扉の手前でオオカミたちが吠えている。
扉に頭を預けて、乱れた呼吸を整える。
花に睨まれたときのネズミの気持ちがよくわかった。
「王宮は迷子になるような、入り組んだ造りだったかい?」
「!?」
室内にだれかがいるとは思いもせず、声のするほうへ顔だけを動かした。
白い椅子の背もたれに、腕をだらりと乗せた長身の男が佇んでいる。
「君が来るのを待っていたよ」
男の喉元に、紫紺の集真藍が咲いていた。




