第三十一話 砂漠を越えて(2) スナワニ.1
数日が過ぎ、砂漠を渡る連絡船に乗る日がやってきた。
その船は『砂上船』と呼ばれ、帆に風を受けて砂の上を進むという、基本的な部分は海に浮かぶ船と同じような物だった。
厳密には『浮遊石』という特別な鉱石を船に仕込み、浮力を得て水上の船に似た状態にしているのだという。
「乗った感じは普通の船と同じだなあ」
ヒロシは砂上船の甲板でそう呟いた。そびえ立つマストや風を受ける大きな帆など、全てが船に似通っている。
細かく言えば船底の形や日差し、砂への対策など独自の要素も含まれているが、文字通り砂の上を進む船という認識で問題なかった。
馬車と荷物を積み込み、ヒロシたちを乗せた砂上船は砂の海を進み始めた。対岸までは二日で辿り着く行程で、見渡す限りの黄色い砂の上を砂上船は進む。
特に厳しかったのは砂上船の乗り心地より、やはり砂漠の過酷な環境にあった。
昼間は焼けるような灼熱、夜は一気に氷点下の極寒へと変貌する激しい温度差は、それだけで生物の体力を著しく奪う。荷室の馬にも人間と同じ厚手の防寒着が用意されており、乗員たちも身を寄せ合って朝を待つ。
どうにか一日目を無事に超えた所で、再び灼熱の時間が訪れる。
暑さにうんざりしながらも砂漠の景色を眺めていたヒロシは、風に揺らぐ砂丘の向こうに、妙な違和感を感じて目を凝らす。
視界には何も見えないが、なぜか胸騒ぎを感じずにはいられなかった。
「な、なあみんな、北の方から変な感じがするんだけど」
頭から砂と日差し除けのフード付きマントを被った姿で、ヒロシは仲間に声をかけた。皆が砂上船の左舷、北の方角に顔を向けるが、やはり彼らにも変化は見えていない様子である。
「別になんもいねーのニャ。それよりこの暑さの方が問題で……
このままじゃ到着する前に干からびて死にそうニャ……」
舌を出し、うんざりした様子でヒナタはうなだれている。
他の仲間たちも口には出さないが相当に堪えているようで、表情は冴えない。
暑さで感覚が狂ったのかと思ったが、その時ウィルが砂漠を指して叫んだ。
「待ってください! あそこ……今、少しだけど砂が動いたような……!」
彼の指す方に目を向けてじっと見ていると、遠くの方で確かに砂がもぞもぞと動いているように見える。それも一ヶ所だけではなく、徐々に数が増えているようだった。
「あっ、砂の下! なにか動いてるよ! ねえねえ見てよ!」
そう騒ぎ立てるハヤトの声を聞き付けて様子を見に来た砂上船の船員は、動く砂を見るや必死な表情で駆け出し、マストにぶら下げてあったベルを激しく鳴らした。
「スナワニだ! こっちに向かってくるぞ!」
その一声で船上は騒然となった。
船乗りたちは槍や弓と言った武器を手に取り、左舷に集まって来た。
「ス、スナワニってなんですか?」
ヒロシが尋ねると、弓を引き搾った船員は前を見たまま言った。
「今に分かる! あんたらも戦えるなら手伝ってくれ!」
船員が矢を放つと、盛り上がって動く砂の真上へ矢が刺さる。
次の瞬間、砂の中から尾を含めて体長四メートルはあろうかという、巨大なトカゲのような生き物が飛び出してきた。
ワニの名の通り大きな頭部と長く伸びたアゴを持つが、体を覆うウロコは滑らかで艶があり、身体にかかった砂を綺麗に落とす効果があるようだ。
手足が短く身体の横から生えている部分も、ワニと呼ぶのにふさわしい体形をしている。
「こいつは集団で砂漠を渡る生き物を襲う魔物だ!
砂の上へ引きずり出されたら助からんぞ!」
そう叫ぶ船員の言葉を裏付けるように、背中に矢を受けて砂の上に転がったスナワニの一匹に、周囲の砂の中から飛び出した無数のスナワニが殺到した。
鋭い牙が並んだ顎に全身を食いちぎられ、矢が当たったスナワニは骨も残さず姿を消してしまった。
「うぷっ……共食いもするのかこいつら……!」
おぞましい光景にウィルは口元を押さえて青い顔をしている。
その隣でツキヨは弓を構え、砂の下から迫ってくるスナワニに矢を射かけた。
「奴らを一匹でも船に入れたら大変なことになる。我々も迎え撃ちましょう!」
ツキヨの檄に頷いたウィルは口元を拭って弓を構え、スナワニめがけて矢を放つ。
ヒロシも自分用の他、予備のボウガンをヒナタとヤクモに投げて渡し、時折砂の上で飛び跳ねるスナワニに矢を放って追い払う。
ゴーレムを持ってきて戦わせることも考えたが、船の上で重量のあるゴーレムが戦うと、甲板を踏み抜いて破壊してしまいそうだったので諦めるしかなかった。
そう考えつつ、ヒロシは最後にメリアに声をかける。
「こんな魔物が砂漠にいたなんて……メリア、大丈夫そうかい?」
ところがメリアはうつむいたままで、なぜか返事をしない。
奇妙に思ってヒロシが彼女のフードを覗き込むと、メリアの顔は真っ赤で、呼吸も乱れている。
もう一度呼びかけようとした時、メリアは糸が切れたように倒れ込んでしまう。
「メリア!」
咄嗟にその身体を受け止めて支えたヒロシは、すぐにメリアの身体に起きた異変に気付く。
「すごい熱だ……! メリアしっかり!」
意識がもうろうとしたメリアを支えるヒロシの頭上に、黒い影が迫っていた。
身体をくねらせ、砂の中を泳ぐように移動するスナワニの一匹が勢いを付け、甲板へ飛び移ろうと飛び上がって来ていたのだ。
「うりゃーーーーっ!」
ヒロシの眼前にスナワニの大きな顎が迫ったその時、一足早く影の下に潜り込んでいたハヤトが頭上に剣を突き上げる。
柔らかい腹を貫かれたスナワニは勢い余って甲板の上を転がり、そのまま反対側の右舷側から砂の上へと落ちていった。
「兄ちゃん大丈夫!? メリアお姉ちゃんどうしたのさ!」
「高熱が出てるんだ。この暑さでやられたのかもしれない」
「こっちは任せてよ、魔物はオレたちがやっつけるから!」
ヒロシはその場をハヤトに任せ、メリアを背負って船室の入口に急いだ。
その様子に気付いた船長がヒロシの方に近付き、メリアの顔を見て言った。
「こりゃあ砂漠熱だ。
早く部屋で休ませて、身体を冷やしながら水を飲ませてやりな。
体内の熱を抜かないと命が危ないぜ」
船長に促され、ヒロシは急いで船室のベッドにメリアを寝かせた。
彼女の様子や症状といい、ヒロシにもこの病気に心当たりがあった。
(間違いない、船長さんが言ってた砂漠熱というのは熱中症だ。
まずは水を飲ませなきゃ……!)
ヒロシは貨物室に急ぎ、給水用のタンクから飲み水をポットに移したが、ふと閃いて馬車の積み荷から小瓶ふたつとレモンひとつを持ち出し、メリアを寝かせた部屋へ戻った。
(落ち着いて思い出せ……
ええと、確か水1リットルに対して塩が3グラムだったはず)
ヒロシは小瓶のひとつの蓋を開け、スプーンに半分程度の塩を取ってポットの水に混ぜる。
(あとは砂糖20グラムと果汁で味を調える、と……)
続けて砂糖とレモンの絞り汁を混ぜ、味を整えていく。
(よし、だいぶ記憶に近い味になった。
本物ほどちゃんと出来ちゃいないだろうけど、そのままの水よりマシなはずだ)
ヒロシは混ぜ物をしたポットの水をコップに注ぎ、メリアの上体を支えながら起こしてからそれを飲ませた。
これは運動や暑さで大量に汗をかいて体内の水分を失った時、素早く体に水分が吸収されるように調整した経口補水液というものである。
ヒロシがその作り方を知っていたのは、何年も酷い暑さが続く夏の熱中症対策として、市販の経口補水液ボトルなどを職場に常備したりしていたのだが、いざという時に自分でも作れるよう、レシピを暗記したことがあったからだ。
元の世界でその知識が役立つことは無かったが、今こそ覚えておいて良かったと、ヒロシは心底そう思った。
「さあメリア、ゆっくりでいいから全部飲んで……味はおかしくないかな?」
ヒロシが尋ねると、メリアは朦朧としながらもこくりと頷く。
「美味しい……」
「良かった。残りも全部飲んで、そしたら横になって休むんだ。
汗が出てきたら具合も良くなるはずだよ」
数回に分けてポットの水を全て飲ませた後は、再びメリアをベッドに寝かせ、ヒロシは手近なタオルを両手で広げ、彼女の身体を扇いで風を送る。
しばらくそうしているとメリアの顔に汗が浮かび、赤みが引いていくのが分かった。
「よし、汗が出たならひと安心だ。良かった……」
熱中症は高い気温と疲労や体調不良などの原因によって、様々な不調を身体に来たす病気である。メリアもこの暑さの中で高熱を出しながら、汗が一滴も出ていないという状態に陥っていた。
ヒロシもかつて同じように熱中症になり、朦朧としながら経口補水液をがぶ飲みし、ようやく汗をかいて体調が回復したという経験があった。
そのおかげで、すぐにこの考えに辿り着くことが出来たのだ。
「ごめんなさいヒロシ様……私、こんな時に……」
メリアは横たわったまま、ヒロシに申し訳なさそうな目線を向ける。
ヒロシはメリアの額の汗を拭いて、安心させるように笑顔を見せた。
「いいんだ謝らなくて。思えばずっと戦い通しで気持ちも張りつめていたし、
メリアは俺のために難しい魔法も使ってくれた。
今まで倒れなかった事の方が不思議なくらいだったんだ」
「ヒロシ様……」
「俺はここにいるよ。だから安心して――」
ヒロシが言いかけたところで、メリアはヒロシの手をそっと握ってきた。
「上は一人でも人手が欲しいはずだから、行ってください。
私、ここで待ってますから」
汗ばんだ顔でじっと見つめてくるメリアの瞳には、しっかりした意志の光がある。
「……わかったよ、行ってくる。すぐ戻るから」
ヒロシは水で濡らしたタオルをメリアの額に置き、急いで部屋を出て行った。
メリアは彼を見送り、静かに目を伏せた。
次の更新は月曜19時予定です




