第三十話 嘆きの牢獄(4) 拒絶の黒炎
ハヤトとメリアが駆け上がったフロアもまた、十メートル近い高さの天井があるだけの広い空間だった。
それを見てメリアが思ったのは、部屋の作りと塔の外観が一致しないのではという違和感だった。自分たちが分断された四階のすぐ上もまた柱のないホールのような構造であり、天井の高さも合わせて不自然さを強く感じるのである。
(もしかしてこの塔は、異空間のようなものを作り出しているのかも)
魔法使いとしての敏感な感覚がそうした予感を与えてくれたものの、それを裏付ける証拠も、調べている余裕も無かった。
ただ、部屋の中央には何かがうず高く積まれており、二人は様子を確かめるべく慎重にそれへ近付く。残り四、五メートルという距離まで近付き全貌が見えた瞬間、メリアは積み上がったそれを見上げ口元を手で押さえた。
「ひ、ひどい……」
薄暗い部屋の中で数メートルも積み上げられていたのは、おびただしい数の死体だった。それらは人種も様々で、中にはオークやその他の魔物なども混じっており、鼻を突く悪臭が周囲に漂っている。
「ねえ、これって作り物じゃないの?」
鼻をつまんで不快な表情をしつつハヤトが尋ねると、メリアは静かに首を振る。
「ううん、これは本物。作り物であって欲しかったけど……」
メリアが青ざめた顔で答えると、ハヤトもただ唖然とするばかりだった。
異様な光景に二人が戸惑っていると、積み上がった死体の上に青白い光がふたつ現れ、瞬く間に見覚えのある姿となった。
眼鏡をかけた四魔将の一人ルークと、『再誕の魔将』と呼ばれた少女アンジェラだ。
「ようこそ、歓迎するぜお二人さん」
ニヤついた笑みを浮かべるルークを睨み、メリアの表情がにわかに険しくなる。
「あなたは……四魔将のルークですね」
「おっ、覚えててくれたのかいお嬢ちゃん。こりゃ嬉しいねえ」
「私の姿を使ってヒロシ様を傷付けたこと、絶対に許しません!」
メリアの感情に呼応して燃え上がる魔力が、一気に空間へと満ちていく。
「おお、怖い怖い。可愛い顔しておっかねえ魔力してんじゃん。これなら優秀な材料になるだろうぜ。足元の役立たずどもと違ってさ」
死体の山を足で踏み付けながら、ルークは相変わらず軽薄な笑みを浮かべ続けている。
それがメリアには、とてもおぞましい怪物に思えて仕方がなかった。
「炎よっ!」
メリアはいきなり杖を構え、火球の魔法を放つ。
瞬時に出現した火球は一直線にルークめがけて飛び、炸裂したかに思われた。しかしルークは事も無げに、左手を伸ばし火球を掴んて受け止めた。
「おっ、こりゃあ質のいい魔法だ。緻密で繊細、それでいて力強い魔力の練り上げ。可愛い顔して、その辺の魔法使いなんかよりよっぽど上等な腕してるぜ」
面白そうにそう語り終えたルークが指に力を込めると、火球はその場で弾け飛ぶ。周囲に赤い火の粉を撒き散らし、薄暗い部屋が一瞬だけ明るくなる。
「だが、アンタらの相手をするのは俺じゃない。おいアンジェラ、せいぜい歓迎してやれよ」
ルークは相変わらずのにやけ顔で隣のアンジェラを見るが、薄紫の洋服に身を包んだ幼い少女は、なにも喋らない。
「コイツは不愛想でさ、俺でさえロクに声も聞いたことがないんだ。けど、十分にお前らを《《おもてなし》》できるはずだぜ」
そう言うと、ルークは眉ひとつ動かさぬまま、アンジェラの方を向いて彼女を蹴り飛ばす。
腹部を蹴られたアンジェラは死体の山を転がり落ち、床の上で横たわる。
「お前!! またアンジェラを蹴ったな!! どうしてそんなことするんだ、お前らの仲間じゃないのかよ!!」
目の前で二度も彼女が蹴られる光景を見て、ハヤトはルークに激しい怒りの目を向ける。
だがルークは肩をすくめ、ただヘラヘラと笑うばかりである。
「おいおい、俺に当たんなって。コイツにお願いするにはこれしかないんだよ。口で言っても『能力』を使わねえから」
「ふざけるな! 女の子を蹴るのがお願いなんて、そんなはずないだろ!」
「それがあるからこうしてるんだろーが。大体な、この方法を考えたのは俺じゃない。コイツの親だよ」
「え……」
想像すらしていなかったルークの言葉に、ハヤトもメリアも絶句していた。
幼い子供を蹴るのが意思伝達の方法などと、聞いたこともない話である。
「このチビあんまり喋らないもんで、こっちの世界に来る前の記憶を覗いて記録しといたことがあるんだよ。そしたらまー、ひどい親でなぁ。四歳かそこらのガキに邪魔だからって殴るわ蹴るわ、おまけに飯もロクに食わせない有様でさ。おかげでコイツ、まともに言葉も喋れないし、頭の中もぶっ壊れちまってんだわ」
「そ、そんな……!」
筆舌に尽くしがたいアンジェラのかつての境遇に、ハヤトもメリアもただ戦慄するしかなかった。
「しまいにゃ親の火の不始末で家が火事になって、腹空かせてガリガリになった弟と一緒に焼け死んだんだ。お前らも哀れだと思うだろ? こいつが『能力』を使うのも別に理解してそうしてるわけじゃない。ただ身を守るため、苦痛しかない世界を拒絶するためにやってんのさ」
ルークがそう語った直後、床に転がったアンジェラの身体から黒い液体のようなものが溢れ出して来る。それはどろりとしてゆっくりと周囲に広がり、肌を焦がす高熱を帯びている。
そしてこの熱の向こうに、底知れない冷たさが感じられるのである。
矛盾した二つの要素を内包した『黒い炎』は、高く積み上がった死体の山に燃え広がっていく。
「そうだな、言うなればこいつは『拒絶の黒炎』ってところか。生きてる奴がこれに触れたら灰も残らず燃え尽きるが、死体は別のバケモノに生まれ変わらせることができる。それが再誕の魔将の『能力』ってことだ」
真っ黒な炎に包まれていく死体の山を見降ろしながら、ルークは不敵な笑みを浮かべる。
「さあ、ショーの本番はここからだぜ。せいぜい楽しんでいってくれよな、はははは!」
笑い声が響くと同時に、積み上がった死体の山に異変が起きた。
それらはもぞもぞと蠢き、互いに同化して巨大な塊となっていく。
やがて形作られたそれは、死体が繋ぎ合わさって出来た、奇怪で醜悪な、四つん這いの巨人のような怪物だった。体長は六、七メートルほどもあり、腕や足、頭、そして胴体といった全てが絡み合う死体で出来ており、飛び出した死体の手足がまだ生きているかのように動いている。
死体の巨人――そうとしか呼べない怪物は床に転がるアンジェラの方を向き、身体から黒い炎を発し続ける彼女をわし掴みにすると、大きな口のような部分を開いて呑み込んでしまった。
「アンジェラ!」
ハヤトが叫ぶが、すでに少女の姿は見えない。
おぞましい姿の怪物を前にしながら、メリアは真剣な顔つきで言った。
「……大丈夫、彼女は無事。怪物の中にいても、あの子は取り込まれていないみたい」
「ほ、本当!?」
「ええ、とにかく今は……あの気持ち悪い怪物をなんとかしなきゃ」
メリアは杖を構え、再び火球の魔法を放つ。
一直線に飛ぶ火球は難なく命中したが、身体のあちこちから噴き出している黒い炎が、火球を取り込み分解してしまった。
「ダメだわ、炎じゃ効かない……!」
火球の魔法が通じないと分かった所で、ハヤトが背中の剣を抜き、死体の巨人めがけて飛び掛かった。
「アンジェラを返せよ! でやあああっ!」
ハヤトが振り降ろした剣の一閃が、死体の巨人の左腕を容易く切り落とす。
ダメージを受けた死体の巨人は苦しむような動作と呻き声を上げたが、切り落とされた左腕を右手で拾い上げ、雑にぐりぐりと傷口を重ねてくっ付けるような動作をする。
その度に潰れた死体の一部が落下していくが、体表に走る黒い炎がちぎれた腕を再び繋ぎ合わせ、何事もなかったかのように元通りになってしまった。
「な、なんだそれ!? だったらこれならどうだ!」
ハヤトは走り回りながら死体の巨人の手足や胴を剣で斬り付けていく。
その瞬間はダメージを受けはするが、すぐに死体の巨人から黒い炎が染み出して、開いた傷口がすぐに閉じてしまう。
死体の巨人は傷付けられることに腹を立てたか、両腕を振り回して暴れ始めた。その力は凄まじく、石で出来た床が粉々に砕け、すり鉢状の穴が開く程である。
その力に耐えかねて、叩き付けた腕自体が折れて不自然に曲がってしまっていたが、身体から染み出す黒い炎が再びそれを繋ぎ止め、歪んだ別の形の肉へと再生してゆく。
「わっ、こいつメチャクチャだ! 身体を壊しながら攻撃するなんて――!」
ハヤトは叫んだが、それだけではなかった。
死体の巨人はおぞましい呻き声と共に喉を震わせ、口から大量の黒い炎を足元に吐き出した。それは水のように飛び散り、高熱と共に周囲に拡散していく。
「風よ――!」
メリアは杖をかざし、突風を巻き起こす魔法を唱えた。
黒い炎は風に吹かれ押し返されはしたが、元からそれで身体が出来ている死体の巨人には、まったくダメージが入っている様子はない。
「グオオオオ……!」
死体の巨人は這うようにして前進しつつ、右腕を何度も叩き付けてハヤトやメリアを攻撃する。その度に腕が砕けては再生し、次第に右腕は肉と骨が混じり合い、最後には人の身体よりも巨大な鉈のような形へと変質していく。
大鉈と化した腕を地面に叩き付けると、石の床は真っ二つに割れ、その後には黒い炎が燻っていた。こんなものが掠りでもしたら、それだけで致命傷は免れないだろう。
しかもそれだけに留まらず、死体の巨人は鉈のような腕で自分の身体の一部を抉り、それを左腕で掴んで投げつけてきた。
「うわっ!」
「きゃっ!?」
ハヤトとメリアは素早く避けて直撃は免れたが、床に叩き付けられた肉片は不気味に蠢くと、やがて人の輪郭を取って立ち上がり、両手を突き出して迫って来た。
「こ、こっちに来ないで……凍り付きなさいッ!」
メリアが凍結の魔法で歩く肉片を凍らせると、ハヤトがすかさず剣で斬り付ける。すると崩れ去った肉片は黒い炎の熱を失い、再生することなく床に散らばったままとなった。
(これって……そうか、凍らせてしまえば身体を再生できないんだ)
メリアはハヤトの方に顔を向け、魔力を高めながら言った。
「ハヤト、お願いがあるの! 少しの間、相手の注意を引き付けて!」
「えっ、いい方法でも思いついたの?」
「ええ、でも少し魔法を使うのに時間が欲しいから」
「わかった、やってみる!」
ハヤトは剣を両手で握り締め、死体の巨人に向かっていった。
死体の巨人の周囲を飛び回り、時々身体を剣で突いたりして、メリアに言われた通りに注意を引くよう動き始める。
死体の巨人は身体が小さくすばしっこいハヤトに的を絞り切れず、右へ左へと身体の向きを変えては、大鉈の右腕を振り回しては、ワンテンポ遅れた攻撃を繰り出している。
「そんなノロい動きで追いつけるもんか! オレはかけっこもずっと一番だったんだぞ!」
ハヤトは得意気に笑うが、その直後に異変が起きた。
死体の巨人の体表が不自然に蠢いたかと思うと、内側から無数の骨が肉を突き破って出てきた。
それはいずれも途中で折れたように、先端が鋭利に尖っている。
飛び出た骨は周囲の肉の収縮で蠢き、ハヤトの方に先端を揃えて向けた。
「わっ!?」
次の瞬間、無数の骨がハヤトめがけて一直線に発射された。
間一髪でハヤトは横に飛んで回避したが、骨は床に突き刺さるほどの硬さと威力があり、それが次々にハヤトへ襲いかかる。
ハヤトは必死に逃げ回り、時には剣で骨の矢を叩き落しながら叫ぶ。
「ね、ねーちゃんまだ!?」
その時、魔力が十分に高められたメリアは杖を立てて構え、カツンと床を突いた。
「ハヤト、怪物から離れて」
静かな凄みを含んだ言葉にハヤトが大きく後ろに飛ぶと、死体の巨人の頭上に真っ黒な雲が出現した。黒雲からは多量の雨が降り注ぎ、死体の巨人の全身をあっというまにびしょ濡れにしてしまう。
「氷雨よ、すべてを凍てつかせよ――!」
メリアがそう呟いて、もう一度杖で床を叩いた瞬間。
死体の巨人を濡らしていた水が一気に盛り上がりながら凍り付き、全身を覆い尽くし固めてしまった。
相手が完全に動きを止めたその様子を見て、メリアは叫ぶ。
「今ならダメージが通るはず! ハヤトお願い!」
「よっしゃー! 任せとけー!」
ハヤトは固まった死体の巨人の右腕を駆け上がり、跳躍しながらその首元を横一文字に薙ぎ払う。竜の牙で作られた剣の威力と合わさり、死体の巨人の首は根元から分断され、ごろりと転がって床に落下し砕け散った。
首が落ちた断面からは完全に凍ってはいない肉が露わになったが、その奥に透明な球に包まれたような、横たわったままの少女の姿があるのをハヤトは見た。
「アンジェラ!」
ハヤトはそのまま死体の巨人に取り付き、剣で邪魔な肉を裂いてアンジェラの姿がよく見えるようにする。
「アンジェラ、オレだよ! こんなトコにいちゃダメだ、外に出よう!」
ハヤトは大声で呼びかけるが、アンジェラはじっと横たわったまま動かない。
「ねえ、聞こえてるんだろ! 悪いやつのいう事なんか聞かなくていいんだ!」
ハヤトがもう一度呼びかけたその時、再びアンジェラの身体から黒い炎が染み出し、その熱がハヤトを阻む。
「ううっ……アンジェラってば! くっそー、こうなったら意地でも外に出してやる!」
ハヤトは反応のないアンジェラに業を煮やし、彼女に向かって右手を伸ばす。
「ダ、ダメよハヤト! その炎に触れたら――!」
メリアはハヤトが自分から黒い炎に手を伸ばしたことに驚愕し呼び止めようとする。生きた人間があの黒い炎に触れたらどうなるかは、オークの製造工場で目の当たりにしたばかりである。
そしてついに、黒い炎が手に触れた瞬間、ハヤトは苦悶の声を上げた。
「うぐぐ……うわあああああああっ!」
皮膚を、そして肉を焦がされながらも、ハヤトは逆に手を深く突っ込んだ。
以前見た通りなら、触れた瞬間にハヤトの身体も焼け崩れて消滅してしまうはずだが、そうはならなかった。メリアが目を凝らしてよく見ると、ハヤトの身体からも不思議な力――おそらくは転生者としての、『勇者の魂』――が発現し、その身体を包んで守っていた。
それでも影響を完全に遮断することは出来ないようで、ハヤトは歯を食いしばり叫ぶ。
「こ……んにゃろーーーーーーっ!」
上半身を死体の巨人の体内に突っ込ませ、ハヤトはついにアンジェラの手を掴む。その瞬間、彼女の身体がビクッと震え、黒い炎の勢いが増したが、ハヤトはお構いなしに彼女を引っ張り出し、黒い炎ごと彼女の小さな身体を抱きかかえた。
「もう大丈夫だから! キミをいじめる悪いやつは、オレが全部ぶっ飛ばしてやる!」
ハヤトがそう叫んだ直後だった。アンジェラの身体を取り巻く黒い炎が静かに引いていき、もうハヤトの身を焦がすことはない。
死体の巨人を形作っていた力も急速に失われ、元の死体に戻って崩壊していく。ハヤトはアンジェラを抱きしめたまま床に落下し、ゴツンと後頭部をぶつけた。
「いってー!」
ハヤトが痛みに悶絶している間も、アンジェラはじっとして動こうとしない。
彼女の顔は相変わらず前髪に隠れ、どんな表情をしているのか見ることは出来なかった。
「ハヤト大丈夫!? なんて無茶を……」
メリアはハヤトの元に駆け寄り、崩れかかる巨人の死体の下から避難させる。
ハヤトの腕には赤い火傷の後が残っていたが、彼の表情は明るかった。
「ほら、やっぱり思った通りだ。アンジェラは悪いやつに命令されてるだけなんだって」
相変わらずぴくりとも動こうとしないアンジェラに目を向けるハヤト。
彼女は沈黙したままだが、その息遣いは感じられる。
ホッと安心したその瞬間、突如として虚空に黒い輪が縦に広がったかと思うと、そこから伸びてきた手がアンジェラの服を掴み、そのまま引っ張って彼女を輪の中へ引きずり込んでしまった。
「なっ、アンジェラ!?」
ハヤトが周囲を見渡してから顔を上げると、上空に浮かんだルークと、彼の脇に抱えられているアンジェラの姿が目に飛び込んだ。
「おいおい、正気かよこのガキ。こいつは四魔将の一人、つまりは人間サマの敵なんだぜ。勘違いしてもらっちゃあ困るな」
呆れた様子でこちらを見下ろすルークに、ハヤト勢いよく立ち上がって叫ぶ。
「勘違いじゃない! アンジェラを返せ!」
「嫌だね。こいつにはまだまだ使い道があるんだ。今回はアンジェラのやる気が無くなっちまったみたいだから、この辺にしといてやるよ。じゃあな」
そう言い残し、ルークはアンジェラを抱えたまま消え去ってしまった。
「アンジェラ! くっそーーーーー!!」
まんまとアンジェラを連れ去られてしまい、ハヤトは力一杯悔しがっていた。
メリアは火傷をしたハヤトの腕に手当てをすると、塔全体に漂う不穏な気配がまだ消えていない事に警戒感を募らせていた。そしてその不安が、嫌な予感が的中しませんようにと願う彼女を嘲笑うかのように、どこか遠くの方から大きな振動と音が聞こえた。
その時、メリアの感覚は感じ取ってしまった。最も恐れていた、一番起きて欲しくなかった気配を。
「ヒロシ様――!?」
その予感は古くから、こう呼ばれていた。虫の知らせ――と。




