第三十話 嘆きの牢獄(3) ヒナタの慟哭.2
「だからさあ、もっと派手に喚いて見せろよ。それがお前らの存在意義なんだから」
目の前にいるこの男は人間ではない。心の底から嫌悪すべき邪悪であり、決して存在を許してはいけない相手なのだ。故郷と仲間を失ったのも、大切な仲間が目の前で嘆き悲しむのも、全ては――。
「黙れ……もういい」
「あん?」
「黙れって言ったんだ!!」
ウィルの絶叫と同時に、彼の身体から黄金に輝く波動が解き放たれる。それを浴びた途端、ミーコとティガはビクっと身を震わせ、その場から大きく飛び退いた。ウィルが肩を押さえるヒナタの手に自分の手を重ねると、出血が止まり痛みが引いていく。ウィルの変化に戸惑いながら、ヒナタは目元をぬぐってウィルを見た。
「な、なあ、これどうなってんのニャ……?」
「ヒナタさん。遠い遠い大昔の話ですが……俺たちケンタウロスは女神の眷属、魔王と戦い勝利した騎士団の一員だったそうです。女神様から授かった力を受け継ぎ、いつの日か魔王が蘇ったなら、その黄金の輝きであまねく邪悪を打ち砕くのだと……俺が子供の頃にそう教えられました。故郷を、仲間を目の前で失ってもこの力は目覚めませんでしたが……どうやら、今がその時だったみたいです」
「ウィル……」
「絶対に許さない……ヒナタさんをこんなにも悲しませたあいつを!」
ウィルが槍を握り締めて念じた瞬間、ウィルは再び半人半馬の姿へと変身する。全身から黄金の輝きを放つその姿は、おとぎ話に出てくる騎士、あるいは英雄そのもののようであった。
「来い、俺が相手になってやる!」
ウィルは頭上で槍を振り回し、ティガへ向けて突進した。その勢いはすさまじく、踏み鳴らした石の床が砕けてしまうほどだった。大ぶりな槍の一撃をティガは受け止めようとしたが、その圧力と勢いの前に、成すすべなく弾き飛ばされ壁に激突する。ウィルはそのままティガを追い、勢いを付けた前足の蹄でティガを踏みつけた。ティガの身体は石壁を砕いてめり込み、その重量と威力は恐るべきものがあった。
「フシャァァァッ!!」
その時、背後からミーコが跳躍しかぎ爪を振りかざして襲い掛かった。だが、ウィルは後ろ蹴りでミーコのかぎ爪を砕いてしまい、そのまま大きく弾き飛ばすと、悠然と振り返った。
「ほ、本気出したウィルってこんなに強かったんニャ……」
凄まじい戦いぶりにヒナタが唖然としていると、ウィルの背後で壁にめり込んでいたティガが立ち上がり、再び独特の構えを取って仕掛けてきた。ダガーのような太い爪で切り裂く連続攻撃に、ウィルも振り向きざまに切り傷を負ってしまったが、構わず槍を水平になぎ払った。だが、ティガもその動きを読んでおり、片足の裏で槍の柄を受け止めると、そのまま踏みつけるようにして槍の切っ先を床に落とし、ティガはそのまま槍を踏み台に跳躍、ウィルの胸元に飛び蹴りを見舞った。
「ぐっ……!」
胸を押さえつつ後退するウィルだが、幸いにも丈夫な鎧に助けられた事もあり、ダメージはあまり深くない。
「ゴオオオオッ!!」
ティガは低い唸り声を発し、嵐のような連続攻撃を繰り出してきた。無数の拳や蹴り、そして爪の攻撃がウィルを圧し潰そうと迫るが、ウィルが頭上で槍を素早く回転させると、巻き起こった突風がティガの攻撃を弾き返す。ウィルはそこから大きく円を描くように走り出したが、その様子を目の当たりにしたヒナタは驚きに目を剥いた。
「そ、空を走ってる……!?」
走り回るウィルの身体は次第に宙に浮き、虚空を踏みながらどんどん高い場所へと昇っていく。そして五メートル近い高さまで駆け上がると、弓を構えて矢をつがえ、弦を弾き絞った。ドラゴンのウロコを削って作った鏃の先端に、黄金の光が集まり、どんどん輝きが増していく。そして矢の先端が輝いたと思った刹那、それはまさに光の矢となって放たれた。一直線に向かってくる光の矢をティガは横っ飛びで回避しようとしたのだが、それと同時に矢の軌道が曲がり、ティガを追いかけ命中した。
ガッ――!
鉄仮面の眉間に命中した矢は弾け、その衝撃でティガの顔から鋼鉄の仮面が弾き飛ばされた。仮面の下の素顔は熟達した戦士を思わせる、まさしく虎のそれであった。頭部に強い衝撃を受け、ティガはよろめいてその場に膝を付く。ウィルが止めの二の矢を構えようとしたその時、ヒナタは立ち上がって叫んだ。
「ウィル、待つニャ! 決着はアタシの手で付けるニャ!」
その瞳に悲しい決意を見て取ったウィルは手を緩め、ヒナタの元へ空中から駆け下りていく。
「……いいんですか、ヒナタさん」
「これはアタシが落とし前付けなきゃいけないんニャ。こうなったのも全部、アタシが弱かったせいニャ。だから……」
そんなはずはない、とウィルは言いたかった。だがヒナタの戦士としての矜持が、ここで自らの決着を望んだのである。ならば自分は出来るだけそれを尊重したい。それがウィルの偽らざる本心だった。
「わかりました。でも、一人で二人を相手にするのは無理だ。ヒナタさんはあのトラ男をお願いします。もう一人の彼女の相手は俺がやります。これでいいですか?」
「……分かったニャ。でも」
ヒナタはウィルの顔を見上げ、ぐっと感情をこらえて言った。
「できるだけ待ってて欲しいニャ。アタシの方が終わるまで」
「はい。やってみます」
ウィルは頷くと、蹴り飛ばしたミーコの方へと走っていく。ヒナタは目の前で膝を付いたままの、ティガをじっと見つめ身構えた。
「先生、いっつも言ってたよニャ。弟子はいつか師を超えねばならんって。その約束を果たす時が来たニャ」
その言葉を聞いた直後、ティガは膝を付いたまま顔をゆっくりと上げた。
「う、うう……ヒ、ヒナタ……」
「せ、先生!? 正気に戻ったニャ!?」
「……ずっと心に黒いもやがかかったような気分だった。だが、さっきの一撃で少しばかり……晴れたようだ」
「先生ごめん、アタシは……!」
ヒナタが駆け寄ろうとするのを、ティガは手を付き出して制止する。
「お、俺に構うな。どうやらこの身体……もう長くは持たんらしい」
「先生……!」
「わかったら構えろ。これが最後の稽古だ」
ティガは立ち上がり、腰を低くして独特の構えを取る。ヒナタも姿勢を低くして、真っ直ぐに向き合った。
「破ッ!」
ティガは素早く突きや蹴り、爪での攻撃を繰り出す。ヒナタもそれを避け、時には受け流しつつ、同時に突きや蹴りを放ち反撃を仕掛ける。それを受けたティガが再び突きや蹴りを繰り出すというやり取りが、数度繰り返された。それは本気の戦いではなく、最初から動作が決まった約束組手というものに近かった。ヒナタの攻撃を一通り受けた後、ティガは後退して間合いを取る。
「……相変わらず型稽古はサボっていたようだな」
「う……アタシにも色々あったんニャ」
「だが、技の切れは上がっている。かなりの修羅場を潜り抜けてきたようだな」
ティガはあらためて構えを取り、鋭い眼光を放つ。
「準備運動は終わりだ。ここからは全力で戦え。それが出来なければ死ぬと心得よ!」
ティガの蹴りを避けたヒナタが、かぎ爪の突きを喉元へ放つ。ティガはそれを斜め前に踏み込んでかわし、逆に鋭い爪を揃えた抜き手をヒナタの喉へと放つ。間一髪でヒナタがその手首を掴んで止めるが、がら空きになった彼女の胴に、ティガの掌底が打ち込まれた。
「あぐっ……!」
身体をくの字に折り曲げ、ヒナタは飛び退く。ドラゴンの革で補強したレザーアーマーの上からでも、その衝撃は身体を貫いてくる。
「詰めが甘い。常に相手の先を読めと教えたはずだ」
「ちょ、ちょっと油断しただけニャ……ごほっ、相変わらず痛ってーニャ……」
「今の一撃が剣だったなら、同じセリフが言えたか? 次は加減せんぞ!」
ティガは両足を踏ん張って腰を落とし、猛然と攻めかかって来た。次々に繰り出される拳、蹴り、爪――いずれも踏み込みだけで石の床に亀裂が入るほどの威力である。常人ならばいずれも避け損なえば即死であろう強烈な技を潜り抜け、次の攻撃動作へ入った一瞬であった。そこに毛筋ほどの隙を見たヒナタは床を蹴り、捨て身の一閃を放った。
「――!」
互いの身体が交差した後、爪で切り裂かれたヒナタの髪が宙を舞う。そして一拍の間を置いてからティガの胸に三本の切り傷が走り、傷口から大量の血が噴き出した。ティガはその場に崩れ、もう拳を構えることは無かった。
「はあっ、はあっ、はあっ……!」
肩で息をしながら振り返ったヒナタは師に駆け寄ろうとしたが、ティガは自力で起き上がり、口から血を垂らしながらその場に正座し、真っ直ぐにヒナタを見つめた。
「……見事だった。すでにお前は俺の教えなど必要ないくらい強くなっていたようだな」
「先生、アタシ……!」
「伝えるべきことは全て伝えた……もう思い残すことも無い」
「ちゃんと稽古もするし、イタズラもしない! アタシいい子にするから……!」
「ヒナタよ、お前は私の誇りだ。振り返らず前に進め。最後……に……楽し……」
それきり、ティガは二度と言葉を口にすることは無かった。ヒナタは涙を流しながらその場に正座し、胸の前で左掌に拳を当てる動作をし、頭を深く下げた。それは武術を学ぶ者たちの、最大限の敬意を示す挨拶であった。
武器を失ったミーコは、新たな力に目覚めたウィルにとってもはや脅威ではなかった。彼女は両手の爪を尖らせて飛び掛かってくるが、ウィルが身に纏う鎧の上からではさしたるダメージも与えられず、ただ飛び跳ねて間合いを取るばかりであった。だが、そんな状況を不服そうに眺めている者がまだ残っている。
「なんだよ、ったく。急に光ったと思ったらパワーアップとか、漫画じゃねーんだから。俺はそういうのいらねーんだわ」
忌々し気に呟き、ルークはまたも指を鳴らす。すると床に巨大な魔法陣が描かれ、暗い紫の不気味な光を放つ。すると魔法陣は隙間の無い真っ黒な円に変わり、まるで巨大な穴がそこに開いたかのようであった。そしてその黒い円の中から、上半身だけのおびただしい異形の怪物が現れ、水に溺れた人間のようにもがきながら腕を伸ばしていた。
「な、なんだ……!?」
異様な光景に息を呑むウィルに、ルークはニヤ付いた表情で答える。
「こいつらは失敗作……なりそこないさ。お前らも見ただろ、この塔の表にある深い裂け目を。実験の役に立たなかったモノは全部あそこに捨ててるんだけどよ、ちょっとばかしあの奈落の底とここの空間を繋げてみたってワケだ。こいつらは失敗作だが、無駄にしぶとくてな。今もこうやって腹を空かせながら、お仲間が落ちてくるのを待ってるんだよ」
次から次へと、聞きたくもない話ばかりが飛び出してくる。ウィルが手にした槍でルークの幻を袈裟斬りにすると、それは音もなく霧散して消えていった。だが、床に残った魔法陣は稼働を続けており、無数に蠢く亡者のような異形たちは、逃げ遅れたミーコの脚を捕まえてしまった。
「……!?」
その途端、亡者たちは彼女の元へ殺到して取り込みながら、一気に膨れ上がって五、六メートルまで伸び上がった。溺れた者が一筋の藁に殺到するような――地獄としか言いようのないその光景に、ウィルは再び弓を構え叫ぶ。
「この……いい加減にしろッ!!」
ウィルが放った光の矢は伸び上がった亡者たちを貫き、命中したその部分から光の粒を撒き散らし、異形の亡者たちは塵となって消えていく。それはあっという間に伝播して広がり、異形の亡者の群れと魔法陣を全て消し去ってしまった。ウィルは落下してきたミーコの身体を受け止め、気を失った彼女を床に寝かせた。
「ミーコ!」
そのタイミングでヒナタがウィルの元へと走って来た。ヒナタは目に涙を貯めながらミーコの身体を抱きかかえ、何度もその名を呼ぶ。
「ミーコ! ミーコ! 返事するニャ!」
「う……お、お姉ちゃ……」
「アタシが分かるニャ!? ミーコ、お姉ちゃんだニャ!」
ミーコの表情からは獰猛な獣の気配が消え、穏やかな顔つきに戻っている。これが本来の彼女の顔だったのだろう。
「うん……ずっと、ずっと暗い所に閉じ込められてた気がする……でも、やっと会えた……」
「ミーコ、ごめんニャ! ミーコはずっとつらくて怖くて寂しい思いしてたのに、アタシ……アタシはなんもしてやれなくて……!」
ぼろぼろと涙を流すヒナタの頬に、ミーコはそっと手を触れる。
「もういいの……だって、お姉ちゃん私を見つけてくれたもん……だ……から……泣かないで……」
ミーコの声は徐々に力なく、かすれそうなものになっていく。
「ミーコ、しっかりするニャ! こんなのすぐ元気になって、元通りになれるニャ!」
「……ごめんね、分かっちゃうんだ……もう時間が無いってこと……」
「嫌だ! いやだいやだ! ミーコはアタシとウチに帰って、みんなと楽しく暮らすんニャ! まだまだ楽しいコトいっぱいあるのに、それを知らないままでいいわけないニャ!」
「お……ねえちゃ……泣かないで……笑ってて……」
ミーコの身体から、命の火が急速に消えていくのが分かる。改造に次ぐ改造を受け続けた結果、ティガもミーコも肉体はとうに限界を迎え、燃え尽きる寸前だったのだ。ウィルもどうにかしたいと彼女に触れてみたが、やっと目覚めた黄金の光にも、その運命を跳ね返す力は備わっていなかった。
「私……いつもニコニコしてるお姉ちゃんが好き……だ……から……笑って……」
「うん、うんっ! 笑う、笑うからっ! お姉ちゃんを一人にしたら嫌ニャ!」
「だいじょ……ぶ……ずっと一緒……だから……お姉……ちゃん」
ミーコは探るように手を伸ばし、ヒナタはそれをしっかり握り返す。
「だ……いすき……おねえ……ちゃ……」
穏やかな笑顔のまま、ミーコは静かに息を引き取った。ヒナタは呆然としながら彼女の身体を抱きかかえ続けていたが、ウィルがその手を解き、そっと床に寝かせてやる。ウィルがうつむき黙って背を向けると、ヒナタは唇を血が滲むほど強く噛み、わなわなと身体を震わせてウィルの背中にしがみつく。
「う……っく……わああああぁぁぁぁーーーーーーーーーっ!!」
冷たい石に囲まれた塔の中で、ヒナタの慟哭がいつまでも響き続けた。長い間探し続けていた師と肉親を同時に失った彼女の絶望はいかばかりか――ウィルは背中越しに伝わる悲しみに、ただ涙を抑えきれなかった。
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