第三十話 嘆きの牢獄(2) ヒナタの慟哭.1
ヒナタとウィルが用心しながら階段を上ると、またしてもそこはがらんどうな場所であった。十メートルはあろうかという高い天井と平らな床がある他には、部屋の反対側に鉄格子の付いた扉が見えるばかりである。ひとつ違ったのは、部屋の中に金属の檻がふたつ設置してあることだった。檻の大きさは二メートル四方といった所で、分厚い鉄板と太い鉄棒を繋ぎ合わせた、ひと目見て頑丈だと分かる作りをしている。中には誰かが入っている気配がしたが、ちょうど照明の陰になっていてよく見えない。二人が用心して部屋の中央まで進むと、ヒナタの耳がぴくりと動いた。
「……!」
ヒナタが斜め上の空間を見上げると、そこに音もなく姿を現わしたのは四魔将の一人ルークだった。彼は不敵な笑みを浮かべ、四角い眼鏡越しにヒナタとウィルを見下ろしている。
「最初の客はお前らか。ようこそ、歓迎するぜ」
その軽薄な口調は、聞いているだけでヒナタの神経を逆撫でする。ヒナタにとっては、過去に鏡の迷宮でヒロシに重傷を負わせた相手であり、一発ぶん殴ってやらねば気が済まない相手である。
「オメーに歓迎なんかされたくねーのニャ。話がしたけりゃ、そんな幻じゃなくて直接出向いて来いニャ」
ヒナタの指摘に、ルークは少し驚いて口の端を持ち上げる。
「へえ、よく分かったな」
「匂いがまったくしねーんだから当然ニャ」
「ひと目でそこまでバレちまうとはなぁ。お前、なかなかイイぜ」
「気色悪いコト言ってねーで、さっさと用件を喋ったらどうニャ!」
ヒナタがビシッと人差し指を向けると、ルークは笑いながら両手をパンパンと叩く。
「ははは、分かったよ。お前らには実験体の相手でもしてもらおうか。作ってみたはいいが、試す相手がなかなかいなくてな。ちょうどいい機会だ」
ルークがパチンと指を鳴らすと、頑丈な檻の扉がガチャンと開く音が響く。その直後から、檻の中で荒々しい息遣いが聞こえ始めてきた。
「俺は適当に見物させてもらうから、せいぜい簡単にやられないようになお二人さん。なるべく粘って俺を楽しませてくれよ」
そう言い残し、ルークの幻は音もなく消え去った。ヒナタは視線を檻の方へ移し、周囲に満ちていく強い殺気に尻尾の毛を逆立てる。
「ウィル、気を付けるニャ。この感じ、さっきまでのバケモンとワケが違うニャよ!」
「く、来るなら来いッ!」
槍を両手で握り締めたウィルが頷いた直後、檻の中に閉じ込められていた者が姿を現わした。片方は身長が二メートル五十センチほどもあり、黄金に輝く体毛に黒い縞模様の入った屈強な体格をした、トラらしき種族の獣人であった。腰巻以外には鎧などを身に付けておらず、手足にはダガーナイフのような太く鋭い爪が伸びており、鋼のような筋肉が全身を覆っている。もう一人は対照的に華奢で身長も百六十センチ程度であるが、しなやかな身体のラインが特徴的な、白い体毛の女性らしき獣人で、ヒナタのように片手に金属のかぎ爪を装着し、身軽な軽装姿である。だが、なにより目を引くのは、二人とも鈍く輝く鉄仮面を被って顔を隠している事だった。
「グルルル……!」
鉄仮面を被った獣人たちは低い唸り声を上げ、同時に飛び掛かってきた。
「デカい方はアタシが引き受けるから、ウィルはそっちを任せたニャ!」
「は、はいっ!」
鋭い爪を振りかざすトラ獣人の一撃をヒナタは飛び退いてかわす。トラ獣人の爪は石の床を砕き切り裂くほどの威力で、ただ殴られただけでもダメージは計り知れない。着地と同時に発達した両足を曲げて床を蹴るように跳躍すると、トラ獣人は再びヒナタに爪を振りかざして迫る。
ガギィンッ――!
薄暗い部屋に火花が爆ぜ、硬質な音が響き渡る。ヒナタはトラ獣人の爪をかぎ爪で防ぎ、彼女の胴体よりも太い腕の力を受け流して力の方向を逸らす。そして小さく跳躍してぐっと身を屈め、縮んだバネが弾けるような勢いで両足蹴りを叩き込む。腹部に蹴りの直撃を受けたトラ男は一直線に吹き飛び、さっきまで中にいた檻の柵に激突した。
「へっ、そんな雑な攻撃じゃあ、このヒナタ様に指一本触れられんニャよ!」
得意げに言うヒナタだったが、トラ獣人も見た目に違わず頑丈らしく、すぐに体勢を立て直し立ち上がる。そして荒い呼吸から一転、フウゥゥゥと息を吐いて腰を深く落とし、右手を頭の横に、左手を腰の高さで手前にした独特の構えを取る。それを見た途端、ヒナタは驚愕の表情を浮かべ、全身に電流が走ったような衝撃を受けた。
「え……そ、その構え……ま、まさか……!?」
戦闘中に突然足を止めたヒナタを横目に、ウィルは白い毛並みの獣人の攻撃を槍で受け続けていた。腕力はウィルと互角程度だが、しなやかな身体から繰り出される瞬発力は彼を遥かに上回り、上下左右から鋭いかぎ爪の攻撃が飛んでくる。
「うわっ!?」
連続攻撃を捌いて足がもつれ、ウィルはその場に尻もちをついてしまう。その隙を見逃さず、白い毛並みの獣人はかぎ爪で串刺しにしようと、身体ごと鋭い突きを繰り出してきた。
ザクッ――!
石材の床に、かぎ爪が深く突き刺さる。間一髪のところでウィルは床を転がり難を逃れたが、白い毛並みの獣人は刺さったかぎ爪を引き抜き、再び容赦なく彼を攻め立てる。
(速い……! 身体のバネといい、まるでヒナタさんを相手してるみたいだ!)
時々訓練でヒナタと手合わせをしたこともあるが、白い獣人の動きはヒナタのそれと驚くほどよく似ていた。顔が見えないせいで分からないが、目の前の相手はヒナタと同じ種族の獣人ではないかとウィルは感じていた。
(防戦一方じゃやられる、こっちも攻撃しないと!)
ウィルは両手で構えた槍の穂先を向け、鋭い突きを白い毛並みの獣人に繰り出す。白い毛並みの獣人はそれを難なく避けたが、ウィルは穂先が空を切った瞬間に槍をくるりと回転させ、穂先と逆の部分である石突きで鉄仮面を殴りつけた。
ギィンッ!
突きをフェイントにした一撃が決まり、白い獣人の鉄仮面が弾き飛ばされた。その下から現れた素顔を見て、ウィルは構えていた槍を落としそうになった。
「えっ!?」
白い毛並みの獣人――彼女の顔は、驚くほどヒナタに似ていたのだ。身体つきや毛の色は違うが、顔つきは本当にそっくりである。理解が追い付かずウィルはヒナタの方へ目を向けたが、彼女もまた驚愕の表情を浮かべて足を止めている所だった。
「カアァァァァッ!」
トラの獣人は独特の構えから、今度は荒々しい爪の攻撃ではなく、拳や蹴りといった拳法の動きでヒナタに襲いかかった。重い右回し蹴りからの左下段蹴り、続けて身体ごと回転しながらの右裏拳、そして最後に左足から踏み込み、床を激しく踏みしめると同時に繰り出す左の縦拳突き――いずれも無駄のない、訓練によって磨き上げられた技の動きだった。ヒナタは一連の攻撃を器用に避けはしたが、その動きを見て顔面が蒼白になり、ブルブルと震え始めていた。
「嘘……嘘だ……そんなはず……!」
明らかに様子のおかしいヒナタを見て、ウィルは半人半馬の姿に変身して彼女の元へ駆け寄ると、ヒナタを捕まえて背に乗せ、そのまま走って二人の獣人から距離を取る。
「大丈夫ですかヒナタさん、顔が真っ青ですよ!?」
ウィルの背中に乗せられた後も、ヒナタは敵対する獣人たちの方を見たまま震えている。ウィルの声が、まったく届いていなかった。
「しっかりしてください、俺の声が聞こえますかヒナタさん!」
ウィルは何度も呼びかけるが、やはりヒナタには声が届いていない。突然の異変に戸惑うウィルの前に、再びルークの幻影が現れた。
「へえ、同じケモノ同士だからと思って用意してやったんだが、どうやらその女……ヒナタとか言ったか? こいつらと知り合いらしいな。いいぞ、面白くなってきたじゃないか、くくく……!」
衝撃的なその言葉に、ウィルも言葉を失う。トラの獣人はともかく、白い毛並みの獣人がヒナタとそっくりな顔をしているという事実は、ルークの言葉をこの上なく裏付ける証拠となってしまっていた。
「ティガ先生……ミーコ……なんで……!」
震えるヒナタの口からこぼれた言葉。それが二人の名前だった。
「ヒナタさん、ヒナタさんっ! 俺の声が聞こえますか! この人たちは知り合いなんですか!?」
ウィルは何度も大声で叫び、ヒナタが正気に戻るよう呼びかける。だがヒナタの耳は折れ、今にも泣き出しそうな顔になってしまっていた。
「だって……村が焼かれて、ミーコや村のみんなが連れて行かれて、アタシ一人で何年も探したニャ。ずっと、ずっと探したニャ……けど、どこにもいなかったから、もう死んじゃったって、そう思うしかなくて……なのに、どうしてニャ……!」
震える声でヒナタが漏らしたその言葉に、ウィルの脳裏に過去の出来事が蘇ってくる。
『……昔、連れてかれた仲間を探してこういうトコに出入りしてたことがあるニャ』
王都で貧民街へ潜入した時に、ヒナタはそう語っていた。これまでに聞いた話を繋ぎ合わせれば、ヒナタの故郷が全滅した時、彼女の村の仲間の幾人かは奴隷として魔王軍に連れ去られてしまったらしい。そしてあろうことか、探し続けていた仲間と最悪の形で再会してしまったのだ。
「そんな……こ、こんなことが……!」
ウィルも魔王軍の攻撃によって故郷を失い放浪していた身である。だからこそ余計に、ヒナタの絶望が痛いほど心に突き刺さってくるような気分だった。
「こいつらは連れて来たケモノの奴隷の中でも出来が良くてなあ、俺のお気に入りだったんだよ。なるべく外見を壊さないように改造するには苦労したんだぜ。感謝しろよなお前ら」
まるで玩具を自慢するかのようなその言い草に、ウィルは我慢ならなくなった。蹄で石の床を踏みしめ、ウィルは叫ぶ。
「ふざけるなッ! お前……お前はっ……!!」
「おーおー、怖い顔だこと。だが、俺を気にしてる場合じゃないぜお前ら。戦う相手はそっちなんだからな」
ルークが指す方向からは、おそらくティガ先生というトラ獣人と、ミーコというヒナタそっくりの顔をした白い毛並みの獣人が同時に迫ってきていた。ウィルは咄嗟に尻っ跳ねをして、背に乗せていたヒナタを飛ばして下ろしたが、ミーコが跳躍して振り下ろしてきたかぎ爪を槍で受けた直後、間合いに飛び込んできたトラ獣人ことティガの正拳突きをまともに受けてしまい、半人半馬の巨体ごと吹き飛ばされ地面に倒れた。
「がは……ッ!」
鎧の上からのダメージだったおかげで致命傷とはならなかったが、身体の芯まで響く打撃の威力に、変身が解除され普通の人間の姿へと戻ってしまった。
「ぐっ……ヒ……ナタさん……ッ!」
ウィルが必死に呼びかけるその声に、ヒナタはようやく半分ほど我に返った。目の前には跳躍して襲い掛かる白い毛並みの獣人ミーコの姿が映り、ヒナタは反射的に横へ飛び退き、床を転がってミーコの方へ向き直す。
「や、やめるニャ! ミーコ、アタシのこと……お姉ちゃんのこと忘れちまったニャ!?」
ヒナタの呼びかけにも答えず、ミーコは獲物を狙う獣の眼光を宿したままヒナタにかぎ爪を振り下ろす。ヒナタも器用に飛び退いて攻撃を避けるが、避けるばかりでまったく反撃をしない。いや、出来なかった。
「ミーコ、返事するニャ! アタシは戦いたくない!」
「グウゥゥゥ……ガアアアッ!」
「ミーコ! お願いだから……っ!」
敵意を剥き出しにした獣の唸り声が、ヒナタの心を抉っていく。いくら呼びかけても、どれだけ思おうとも、血を分けたはずの妹は応えない。殺意を込めた手を止めてくれない。じりじりと後退しながらミーコの攻撃を防御し続けながら、ヒナタは必死に声を絞り出す。
「ごめんミーコ、アタシは本当にダメなお姉ちゃんだったニャ。一人だけ生き残ったのに、今までミーコを見つけてあげることも出来なかったニャ。全部お姉ちゃんが悪かったんニャ、だから……だから……」
ヒナタの両目からは抑えきれない涙が溢れ、ぽつぽつと足元を濡らす。上段から振り下ろされたミーコの攻撃をヒナタがかぎ爪で受け止めたその時、飛び散った雫がミーコの頬に飛ぶ。それが光を反射しながら頬を伝い落ちた時、ミーコの瞳にわずかな理性の色が戻った。
「お……ねえちゃ……」
ヒナタは目を見開き、妹の顔を見返す。それは彼女がよく知る、大切な肉親に他ならなかった。
「ミーコ! お姉ちゃんが分かるニャ!?」
「う……うぅ……お姉ちゃ……会いたかっ……うううっ……!」
ミーコは何かを伝えようとするも、その瞳は次第に獣のそれへと塗り潰されていく。わずかに戻った理性も、すぐに獣性の闇に飲み込まれてしまう。
「うぐ……ああア……ガアアアーーーーッ!!」
理性を失ったミーコは目を血走らせ、ヒナタの肩に牙を突き立てた。
「あぐっ……ミーコ、やめ……て……!」
出血がシャツの襟を真っ赤に染め、ヒナタは苦痛に顔を歪ませる。妹を傷付けたくない一心でまともに抵抗が出来ず、血の染みはどんどん広がっていく。激しい痛みにヒナタが片膝を付いたその時、石の床を蹴り上げて突進するウィルの姿があった。ウィルはミーコめがけて体当たりを仕掛け、強引にヒナタから引き剥がす。弾き飛ばされたミーコは空中でくるりと姿勢を変え、何事も無かったように着地する。
「ヒナタさん、大丈夫ですか! 血が……!」
「うぐっ……ウィル、ごめんニャ……アタシ、アタシもうダメかもしれんニャ。分かってるのに、どうしても戦えない……ミーコと戦うのもティガ先生と戦うのも、アタシには無理ニャ……!」
肩の傷口を押さえて泣きじゃくるヒナタを支えながら、ウィルは高みの見物を決め込んでいるルークの幻に向かって叫ぶ。
「お前ッ! どうして、どうしてこんなことをするんだ! ヒナタさんたちにどんな恨みがあるって言うんだ!」
「恨み? そんなもん無いぜ。こいつらには実験の材料になってもらった、ただそれだけさ」
「ぐっ……貴様……ッ!」
「だが、予想外の巡り合わせってヤツだなこれは。おかげで面白いショーになったぜ、あはははは!」
微塵も人間味が感じられない態度。嘲笑う顔。見下す目。その全てがもはやウィルにとっては我慢の限界であった。
「お前は……四魔将だって元は人間だったんだろ……それがどうしてこんな残酷な事が出来るんだ!!」
ウィルの絶叫に、ルークはただ薄笑いを浮かべ、呆れたように吐き捨てる。
「お前バカか? 人間だからするんだよ、わかんねーかな?」
「なっ……!?」
「ヒトなんてもんは薄情で、汚くて、呆れるほどに残酷で自分勝手なもんだ。どんなに善人ヅラしようが、一枚めくりゃ誰だって同じさ。だからこそ、そういう奴らを破滅させて、絶望して泣き喚く姿を眺めるのが俺は大好きなんだよ」
さも当然のように口から出るその言葉に、ウィルは心の中で音を聞いた。感情を繋ぎ止める紐――それがぶつんと音を立てて切れる音を。
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