第二十八話 鋼の要塞(2) ハヤトと少女
ハヤトは一人、住宅地の細い路地を歩いていた。皆と一緒に歩いている最中に、好奇心で脇道を覗いていたのが災いし、気が付くとヒロシたちの姿はとうに消えてしまっていた。少しの間は彼らを探してあちこちの道を覗き込んだりしたが、見つからないのですぐに諦めてしまった。小学生男児の集中力は、遊びとイタズラ以外で十分も持たないというのは良く知られた話である。
「へっへー、この先はなにがあるのかなー」
周囲は石積みで作られた住宅と道路が続き、所々に不規則に曲がった階段がある。見慣れない街並みを眺めつつハヤトが進んでいくと、正面に見える細い階段の上から降りてくる少女の姿が見えた。年齢は十歳前後でハヤトと同年代くらいで、色の薄い白っぽい髪の毛が背中まで伸びており、顔も半分くらいが前髪に隠れてよく見えない。ただ服だけは仕立てのいい薄紫色のワンピースを身に付けていて、煙っぽい工業都市の住宅地には少々似つかわしくないように思えた。少女は手に小さな編みカゴをぶら下げていて、不揃いな石段をゆっくり降りてきている。
「……!」
ところが、あと数段で下り切るという所で、固定が甘かった石段の一部が崩れ、少女はバランスを崩してつんのめってしまう。まだ地面までは百五十センチ以上の高さがあり、そのままでは頭から落下して石畳に激突するのは目に見えていた。
「おわッ、危ないっ!?」
ハヤトは思わず駆け出して少女の身体を抱き止め、そのまま仰向けに倒れ込む。反射的に空いた左手で編みカゴをキャッチするが、着地の衝撃で後頭部を石畳にぶつけ、脳天に付き抜ける痛みに悶絶していた。
「あぐぐぐ……痛ってー!」
唸っているハヤトの上で、少女は何が起きたのか理解できない様子で呆然としていたが、やがて我に返るとハヤトの左手から編みカゴをひったくり、小走りで行ってしまった。
「なんだよー、お礼ぐらい言ってもいいだろー! なんか怪しいし追いかけてやる!」
ハヤトは頭をさすりながら起き上がり、走り去った少女の後を追いかけた。二回ほど角を曲がって程なく、行き止まりの袋小路になった場所へ少女は駆け込んでいった。ハヤトは足音を立てないように角へ近付き、そっと袋小路の方を覗いた。
「……」
少女は無言のままその場にしゃがみ、編みカゴから何かを取り出している。しばらくすると近くの壁の小穴から、痩せた猫とその子供らしき子猫が二匹出てきた。猫たちは少女の周りをうろつき、彼女の手から渡される蒸した肉らしきものを一心に口にしていた。それを見たハヤトは少し拍子抜けしたものの、隠れるのをやめて少女の方へ歩み寄った。
「なーんだ、猫のゴハンあげてたのか。それなら黙って逃げることないじゃんかよー」
ハヤトの声を聞いた途端、少女はビクッと身体を震わせて振り返る。その表情はやはり前髪に隠れてよく見えないが、見知らぬ人に対する警戒心だけは色濃く表れていた。
「わわ、待った待った。別に怒ったりしてないよ。この猫、キミが面倒見てんの?」
ハヤトは敵意がない事を示すために、胸の前で両手の平を少女に向けて立ち止まる。それ以上ハヤトが近付いて来ないのを知ると、少しずつ少女の身体から硬直が解けていく。しばらくすると少女は再びハヤトに背を向け、目の前の猫に目を向けたまま黙り込んでしまった。
「……」
ずっと無言を貫く少女を驚かせないよう、ハヤトはそっと彼女に近付き、少し離れた場所でしゃがむ。相変わらず自分を気にも留めない少女を少し不満に思いつつ、垂れ下がった前髪に隠れたその表情を読み取ろうとしてみた。少女は年相応ではあるが可愛い顔立ちで、特に目を引くのが深い青――瑠璃色の大きな瞳であった。少女は猫が餌を食べる様子をじっと見つめ、編みカゴの餌を全て与え終えると、やはり無言のまま立ち上がって立ち去ろうとした。
「あっ、ちょっと待った!」
ハヤトは思わず少女の手を握って引き留め、自分も立ち上がる。
「オレ、ハヤトって言うんだ。せっかく知り合ったんだし、キミの名前も教えてよ!」
ハヤトは子供っぽい表情で笑って見せたが、ふと手に伝わる感覚に気付いて少女を見ると、ひどく怯えた様子であることに気付き、慌てて手を離す。
「あっ、怖がらせるつもりじゃなかったんだ、ごめん」
少女は掴まれていた手を急いで引っ込めたが、ハヤトがそれ以上は動かなかったのを見て、一歩二歩とゆっくり後ずさる。
「ア……」
ふいに少女は口を開く。それはとてもか細く小さな声だった。
「あ?」
言葉をよく聞き取れなかったハヤトがぽかんと口を開けると、少女は恥ずかしそうにうつむき、また小さな声を発した。
「ア……ンジェ……ラ……」
そうとだけ言い残し、少女はくるりと背を向け走り去ってしまった。ハヤトもこれ以上は少女の後を追いかけることはせず、ただ彼女の後ろ姿を見送っていた。
「アンジェラかー。次に会ったら友達になれるかな!」
へへっと笑い、壁の穴の向こうへ戻って行く猫の親子を見送ってから、ハヤトも袋小路を後にするのだった。
「あー! やっと見つけたニャ!」
細い路地から出てきたハヤトを見つけたヒナタが、指を差しながら声を出した。ヒナタはムッとした表情でハヤトに近付くと、その頭をわし掴みにして、ぐしゃぐしゃと乱暴に揺らす。
「まったくこのチビッコは! 勝手にどっか行くんじゃねーのニャ!」
珍しく真顔で起こるヒナタの迫力に押され、ハヤトもされるがままである。
「わ、悪かったってばー! ちょっと横道覗いてたらみんなとはぐれちゃったんだよ」
「オメー、ここが敵地だってコトもう忘れたのニャ? 一人が勝手な行動したせいで全滅なんて珍しくもねーって、ここに来るまでさんざん言ったよニャ?」
「う……うわーん、ごめんなさいー!」
ギロリと睨み付ける瞳に、ハヤトは半泣きの状態である。
「まーまー、無事に見つかったし今回はこのくらいで。こんな所で言い合いしてる場合じゃないだろ?」
見かねたヒロシが助け舟を出すと、ハヤトはヒナタの手から抜け出してヒロシの後ろに隠れてしまう。
「ふんっ、ヒロシは甘やかしすぎなのニャ! アタシがコイツの年頃なんか、そりゃもー厳しく言われたもんニャ!」
鼻息荒く怒りが収まらないヒナタをなだめ、ヒロシは後ろに隠れてしまったハヤトに尋ねる。
「なあ、みんなと離れてる間、どこでなにをしてたんだ? 魔王軍の兵隊とかには見つからなかったか?」
「うん、兵隊はいなかったよ。でも、女の子と知り合いになったんだ」
それを聞いて、ヒナタは呆れ顔で肩をすくめる。
「かーっ、この短い時間でナンパしてくるなんて、コイツなかなかのタマだニャ。もしかしてヒロシよりスケベになるかもしれねーニャ」
「おいっ、ここでスケベとか関係ないだろッ!」
急な流れ弾を食らったヒロシはヒナタを黙らせつつ、もう一度ハヤトを見る。
「と、ところでその女の子って?」
「えーと、階段で転びそうになってて、猫の親子にエサあげて、そのまま帰って行っちゃった」
「そ、そうか」
子供特有の断片的な話では具体的な想像が難しいが、特に気になるようなやり取りは無く、自分たちの身元が割れるような事も無さそうだとヒロシは安堵した。
「よし、とにかく敵の要塞までは目と鼻の先だ。これからの戦いはハヤトの力が頼りなんだ、頼んだぞ」
「うんっ、任せといて!」
ドンと胸を張るハヤトに笑みを浮かべつつ、ヒロシは仲間を見渡しつつ、最後にヤクモを見た。
「それで先生、今回はどんな作戦で行きますか?」
ヤクモは顔を要塞の方へ向けてしばらく眺めた後、懐から折り畳んだ紙を取り出し、それを開いてみせた。紙には簡単な見取り図のようなものが書かれ、それがこの要塞の物であることはすぐに分かった。曰く、事前にキャラバンでそこそこの金額を支払い買い取った物だという。
「この要塞は広く深い堀で囲まれ、背後は険しい崖という地形になっています。となると、第一の選択肢としては正面突破という形になりますが……」
「さ、さすがに正面からは厳しいんじゃ? 敵の飛び道具とか魔法に狙い撃ちされるのでは」
「ええ、私も同意見です。この人数で正面から挑むのは、不可能ではないかも知れませんが消耗が激しい。要塞には四魔将のいずれかが控えていると考えると、無駄な力を使うのは避けたい所です」
「どこか裏口とかないんですかね。これだけ大きいなら、出入口も一ヶ所だけってことは無いのでは」
要塞を眺めつつ考え込むヒロシに、ヤクモもこくりと頷く。
「察しが良いですねヒロシどの。どうやらここはただの要塞ではなく、大規模な工場も兼ねたような造りをしています。それらの動力や冷却には大量の水が必要となりますから、その取り込み口や排出口がどこかにあるはず。狙うとすればそこでしょう」
ヤクモの提案に乗り、メンバーはこっそりと堀の外周を巡り、どこかに要塞に繋がる穴がないか見て回った。そして要塞の裏手に、要塞の内側へ入り込めるような穴があるのを確認できた。
「うーん、行き先は決まったものの、この堀をどうやって越えるかだよな」
堀の外側、つまりヒロシたちがいる側には所々で簡素なボートが係留されているのが見えたが、オールでのんびり漕いでいては、すぐに敵に見つかって攻撃を受けてしまう。なるべく速やかに水面を移動する方法が必要だったが、今のヒロシたちにそんな手段を用意できるはずもない――かと思われた。
「待てよ? そういえばゴーレムって、パワーアップしてから王宮の壁も飛び越えたりしたんだよな。なんかこう、その辺のパワーで上手いことやれたりしないか?」
ヒロシはポンと手を打って、背負っていたタマゴ型のゴーレムを地面に下ろして元の姿に戻るよう言う。あっという間に人型へと変身したゴーレムは、両目を光らせて「むっ」と声を発した。
「なあゴーレム、俺たちはこの堀をボートでなるべく静かに速く渡りたいんだけど、お前の力でどうにかならないか?」
「むっ」
ゴーレムはこくりと頷くと、先に水の中へ降りて係留してあった二艘のボートを引っ張ってくると、それを並べてヒロシたちに乗るよう促した。
「ヤクモ先生、これならどうにかなりそうですよ!」
「古代の機械というのは本当に便利ですね。あるいはこのゴーレムが万能なのかもしれませんが」
ヤクモに褒められて嬉しかったのか、ゴーレムはまたも両目を光らせて「むっ」と声を出す。
「よし、みんなボートに乗るんだ。頼むぞゴーレム」
ヒロシたちはそれぞれ並んだボートに乗り込み、その後ろ側で二艘を両手で掴んだゴーレムが目を光らせた。するとゴーレムの背中がノズルのような形に変形し、下部から吸い込んだ水を勢いよく噴射することで、水面を滑るようにして高速で移動を始めた。
「いいいいいいッ!?」
ボートは想像をはるかに超える速度で、水面を跳ねるような勢いで一気に堀を通過し、目的の穴へと突っ込んだ。その中は見た目よりも広い空間になっており、船着き場や上階へ続く階段も整備されており、おそらくは蒸気機関のような仕組みで動く水車によって水を汲み上げている場所だった。しかも運のいい事に見張りの兵が見当たらず、ヒロシたちは怪しまれることなく要塞の中へ乗り込むことに成功したのだった。
「ひい、ひい……とんでもないスピードだった……けど、こんなに上手く忍び込めるとは思わなかった」
ボートから降りたヒロシは、敵に見つからなかったことに安堵して胸を撫で下ろす。ヒナタやツキヨは武器を手にしつつ、潜入が成功した事には手応えを感じている様子だった。
「なかなかスリリングで面白かったニャ。この流れ、ツキは我にありってヤツだニャ」
「ああ、だが油断は出来ないぞ。どこに敵が潜んでいるか分からないからな」
一方のハヤトも未知の冒険に目を輝かせてワクワクしていたが、彼の近くにいたメリアは不安げな、どこか暗い表情を浮かべている。それが気になったヒロシは彼女に近付いて声をかけた。
「どうしたんだメリア、もしかしてボートの揺れで酔ったのかい?」
「いえ、そうではなくて……ここへ来てからずっと、嫌な感覚を感じるんです」
「嫌な感覚?」
「はい……なにか、とても暗くて恐ろしい気配のような……すみません、上手く言葉では言えないんですけど」
彼女自身にも正確には分からないが、しかしメリアの感覚が邪悪な気配などに敏感なのは、これまでの戦いからも皆が知る所である。その彼女が異変を感じるからには、相応の何かがここにあるのは間違いない。
「……よし、離れ離れにならないよう気を付けて進もう」
ヒロシと仲間たちは互いに顔を見合わせて頷き、要塞の上部へ向けて進んでいく。
第二十八話 鋼の要塞 おわり




