第二十六話 勇者の旅立ち(3) カーラとの再会
国境の砦を越え、一行が目指すのは北東に位置する都市である。かつて王都東の草原に出現したポータルの転移先にあった場所であり、魔王軍にとって軍事的に重要な拠点と目されている。だが陸路で都市を目指すのは容易なことではなく、まず最初に大草原を越えていかねばならない。大草原は穏やかな光景に反して昼夜の温度差が激しく、特に夜は防寒対策をしなければ確実に凍死するほど気温が低くなる。それに加えて危険な獣や魔物が徘徊しており、その厳しさをヒロシたちはすでに知っていた。
「なー兄ちゃん、ずっと同じ景色でつまんないよー」
大草原に到達し、二日ほど進んだ所でハヤトが馬車の中でゴネ出した。代わり映えのない景色の中を延々と進むだけでは、退屈に感じるのも無理はない。最初はハヤト一人が馬車の床でジタバタしていたが、それに触発されてかヒナタまでブーブー言い始めるのだった。
「あーもー、退屈は青春の敵だニャ! このダラダラ移動するだけの時間って本当に不毛ニャ!」
落ち着きなく姿勢を変え続けるヒナタをヒロシたちがなだめていると、短い坂道を乗り越えた先で思わぬ光景に出くわした。それは見覚えのある巨大な列車と、その近くで草を食む羊や馬といった家畜の群れである。
「キャラバンだ!」
それは以前、ダンの紹介で乗せてもらったキャラバンに間違いなかった。所々で停車し家畜に食事をさせる光景も、特に珍しくはない。ところが今回は家畜の様子が落ち着きがなく、数人の遊牧民がせわしなく動いている。そして彼らがしきりに指している方向には、地を這うようにして近付く白っぽい塊がいくつも見えた。それは遠目には楕円形を横に倒したような体形としか分からなかったが、近付くにつれて次第にその姿がはっきりと見えてきた。
「な、なんだあれ……で、でっかい虫!?」
思わず叫んだヒロシの言葉通り、それは体長が二メートルほどもある、アリによく似た生き物だった。頭には折れ曲がった触覚と真っ黒な丸い目、そして六十センチ程もある湾曲した大顎を持ち、頭だけならクワガタムシに似た構造をしている。それ以外は体色が白っぽい以外はアリとほぼ同じで、六本の脚が生えた胸部分、楕円形に膨らんだ腹部分と別れており、それが見えるだけでも十匹以上はいる。その巨大で奇怪な虫たちは、素早い動きでキャラバンの家畜たちへ近付いていた。
「あいつら羊や馬を襲うつもりだ、加勢しないと!」
ヒロシの言葉に。待ってましたとばかりにヒナタとハヤトが武器を手に馬車を飛び出していく。馬車をヤクモに任せ、残るヒロシ、メリア、ツキヨ、ウィルもそれぞれの武器を持ち、二人の後を追いかけた。六本の脚を器用に動かし、先頭にいた巨大なアリが逃げ遅れた羊に大顎で噛みつこうとした瞬間、稲妻のようにその間を走り抜ける影があった。
「ギシャーッ!?」
直後、硬い甲殻で作られた二本の大顎は切断され、落下した先端が地面に刺さった。直後、頭上では身を翻して跳躍したヒナタが、かぎ爪を構えて巨大なアリの脳天に刃を突き刺していた。ドラゴンの爪を鍛え直した刃は、硬い甲殻をもたやすく貫き、巨大なアリの脳髄を切断した。
「ギッ……!」
瞬時に絶命した巨大なアリは真っ黒な目が白くなり、ズシンと音を立ててその場に倒れ込み動かなくなった。一方では群れで迫る巨大なアリの群れに、剣を振り回すハヤトが果敢に挑みかかっていた。
「どりゃーっ! かかってこい魔物めーっ!」
ハヤトは手近な二匹をあっというまに剣で両断すると、間合いを取っていた他の巨大なアリたちを追い回し始めた。仲間を三匹もやられたことで巨大なアリたちにも動揺が走ったらしく、彼らは距離を取って積極的に攻めてこようとはしなかった。
「よし、虫の相手は二人に任せて、こっちは家畜の避難を手伝おう」
ヒロシたちは混乱した羊や馬たちを大列車の方向へと誘導し、家畜たちが列車の中に乗り込むまで周囲の警戒に当たった。やがて家畜の避難が完了すると、最後にメリアが火の球の魔法を巨大なアリたちの方へ向けて撃ち込んだ。
「燃え上がれ――!」
地面に着弾した火の玉は轟々と燃え上がり、その炎を嫌がった巨大なアリたちは一匹、また一匹と逃げ出し、とうとう姿が見えなくなった。
「なるほど、これが草原の危険な魔物ってやつか……こんなに大きな列車が必要になるわけだ」
戦いを終えて安堵したヒロシは、大列車を見上げながら納得したように呟いていた。魔物の脅威が去った直後、大列車からは武装した集団が急いだ様子で降りてきたが、すでに魔物が居なくなっていたことに拍子抜けした様子だった。彼らはヒロシたちの顔を見ると歓声を上げ、わっと周囲を取り囲んだ。ヒロシはリーダーであるカーラの姿が見えない事を不思議に思ったが、彼女は体調が優れず、今は自室で安静にしているのだという。かつての縁と家畜を救ったこともあり、ヒロシたちは再び大列車の中へ招かれることとなった。
「し、失礼します」
ヒロシは案内された部屋のドアをノックし、そっと開けて中を覗く。部屋の中には遊牧民の伝統的な装飾や高価そうな食器、無数の化粧品が並んだ棚があり、中央の大きなベッドには、遊牧民の族長であるカーラが横たわっていた。ヒロシは躊躇いつつも、ついに覚悟を決めて部屋の中へ足を踏み入れる。仲間たちも後に続き、ベッドで横になるカーラに衆目が集まった。
「出迎えもせず悪かったねあんたたち。思ったより早い再会じゃないか」
そう言ってカーラは身体を起こし、ヒロシたちの顔を見る。彼女の表情は少し疲れが見え、やつれている様子だった。
「ええと、まあ色々あってまたここへ来ることになったんだ。それよりカーラ、その……病気は大丈夫なのか?」
ヒロシが心配そうに尋ねると、カーラはくすくすと笑いながら言う。
「ふふ、これは病気じゃないんだよ。だけど思った以上にキツくてねえ……食べられない物が増えるし、めまいや吐き気も続くしで」
「へっ、それって……」
カーラは視線を自分の腹部に落とし、愛おしそうに撫でた。
「ダンの子供だよ。こういうトコだけきっちり仕事してくんだからあいつは」
彼女の告白に仲間内からも「おおっ」と声が上がったが、ヒロシは素直に喜んでやることが出来なかった。言葉に詰まるヒロシの様子を察してか、カーラが先に口を開いた。
「……ダンのことなら人づてに聞いたよ。私のことは気にしなくていいから、あいつがどうなったか……詳しく教えてくれないかヒロシ」
ぐっと心臓を掴まれたような気分になりながらも、ヒロシは王都での出来事、そしてダンの最後について語った。沈黙と重い空気が漂う中、カーラはまたも笑みを浮かべて言った。
「最後まであいつらしいっていうか……本当に、死ぬまで馬鹿は治らなかったんだね。あんたたちにも色々と迷惑をかけて、まったく男って奴は……」
「カーラ、俺は……!」
言いかけたヒロシをそっと手で制し、カーラはゆっくり首を振る。
「いいんだ。その顔を見れば、ヒロシも悩んでたことくらい分かるよ。だから……これで良かったんだ」
どこか作りもののような顔をするカーラに、ヒロシはポケットに入れていた小さな包みを取り出して渡した。カーラが包みを開けてみると、それは動物の骨や数種類の玉石を使って作られた首飾りだった。
「……!?」
「ダンはほとんど自分の持ち物を残してなかったけど、それだけは大事にしまってあったんだ。だからカーラに会ったら渡そうと思って」
カーラはその首飾りを両手で大事そうに持ち、やがて静かに涙をこぼし始めた。
「これは……私が若い頃、あいつに贈った物だよ。いつか伴侶となる相手のために作る、特別な……」
カーラの手と声が震え、ぽたぽたと涙が首飾りを濡らしていく。
「まだこんな物、大事に持って……うっ、うう……あああああっ……!」
首飾りを胸に抱いたカーラの嗚咽が、ヒロシには痛くてたまらなかった。カーラの体調のこともあり、ヒロシたちは一旦部屋を出て、彼女が落ち着くまでそっとしておくことになった。
「……」
ヒロシは大列車のバルコニーで、じっと外の景色を眺めていた。とはいえ景色は変わり映えのない緑の地平線であり、ヒロシは心ここにあらずといった状態で、ただボーっとし続けているだけであった。しばらくしてヒロシを探しに来たメリアは、何も言わずそっとヒロシの隣に立った。
「ヒロシ様、大丈夫ですか?」
「ん……ああ……」
生返事をしたヒロシだったが、隣にメリアが来たことに気付くと、小さなため息をついた。
「なんというか、余計なことをしてカーラを悲しませただけなんじゃないかって思ってさ……それが頭の中でぐるぐるしてるんだ」
ヒロシの脳裏には、カーラの涙がくっきりと貼り付いていた。真実など伝えず、言葉を濁してそれとなく誤魔化しておけば良かったのではと、そんな思いが後になって強くなっていた。メリアはしばらく黙っていたが、やがてヒロシと同じように遠くの景色を見つめ、言った。
「私は、これで良かったと思っています。今は悲しくても、いつかまた前へ進めるはずです。それに……」
途中で途切れた言葉の続きを、ヒロシは黙って待つ。
「カーラさんはもう、一人じゃありません。新しく生まれてくる命が、きっと支えてくれるはずですよ」
その時、ふと見たメリアの顔は草原の光を浴びて、とても美しいものに思えた。厳しい大地の上で繰り返される命の営みは、人間も例外ではない。命を繋ぎながら自分たちは前に向かうしかないのだと、ヒロシは彼女に教えられたような気がしていた。
「そうか……そうだよな。ダンの生きた証も血も、まだ残っているんだ。生きてる俺たちがくよくよしてちゃダメだよな」
「はいっ」
自問自答しながらも答えを見つけられたヒロシの横で、メリアは嬉しそうに笑っていた。
「メリア、あのさ……」
「はい、ヒロシ様」
「俺、こっちの世界に来たばかりの頃は、なんで自分だけこんな目に遭うんだって思ってた。特別な『能力』もないし、何度も死にそうになったりで……あらためて思い出しても、よく生きてたなって事ばかりだよ」
今までに体験してきた様々な出来事を思い出しながら、ヒロシは苦笑する。
「でも、だんだん仲間が増えてきて、いろんなことがあって……今は結構気に入ってるんだ、この生活。だから……」
ヒロシはメリアの手を取り、真っ直ぐに彼女を見つめて言った。
「魔王をやっつけて、みんなで家に帰ろう。それで平和になったら、俺と……」
言葉の続きを待つメリアの顔は真っ赤になっていた。ヒロシもなかなか言い出せない言葉を必死に絞り出そうとしていたが、そこへドタドタと足音を立て、ハヤトがバルコニーに駆け込んできた。
「わーっ、すっげー広いんだなー大列車! って、あーっ!」
ハヤトはメリアの手を握っているヒロシを指し、大きな声を出した。ハヤトに遅れてヒナタもバルコニーに入ってきたが、その状況を見てにんまりとほくそ笑む。
「にーちゃんたちがいちゃついてる! こーゆーのっていちゃついてるって言うんだよね!」
赤面して硬直する二人を交互に指しながら、ハヤトは興奮気味に叫ぶ。
「ハイハイ、そのとーりだニャ。二人はアツアツだから、お邪魔虫はどっかに行くニャー」
ヒナタはハヤトの奥襟をむんずと捕まえ、彼を連れてニヤニヤと笑いながらバルコニーを出ていく。そして去り際に「またあとで感想聞かせろニャー」と呟くのだった。
しばらくして具合が落ち着いたカーラはデッキに姿を見せ、あらためて家畜を守ってくれた礼をヒロシたちに述べた。ヒロシは今の目的を彼女に伝え、大草原の東側まで大列車で送り届けてもらう事になるのだった。大草原を越えれば、目的の都市まであとわずか。苛烈な戦いの予感が、すぐそこまで迫って来ていた。
第二十六話 勇者の旅立ち おわり




