第二十五話 ドラゴン退治(1)
登場人物
ヒロシ:人間。異世界へ転生してしまった普通の成人男性
特別な能力がなにも無い『無能』の人
メリア:木精の血を引く少女。託宣の巫女の後継者と判明
魔法使いタバサの元で修行し中級魔法を習得した魔法使い
ヒナタ:キャットリング(ネコ人)の女戦士
かぎ爪と野生の勘で戦う明るい楽天家。口調に独特の訛りがある
ツキヨ:ラビットリング(ウサギ人)の女戦士
剣と槍、弓を自在に操る。真面目で慎重な性格
ヤクモ:薬売りを生業とする白衣の優男。戦略に関し天賦の才を持つ
非常に頭が良く、『無能』の転生者ヒロシに興味を持ち仲間になる
ウィル:ケンタウロス族の若者。人間と半人半馬の状態を切り替えられる
少し気弱だが実直な性格で、強い戦士に憧れている
タバサ:いつも酒場で飲んだくれている自称、大魔法使いの女性
メリアの素質を最初に見抜き弟子に取った
ハヤト:ヒロシの次に王都へ出現した転生者。12歳の男児
『勇者の魂』という能力を持っているらしい
デーヴィド:王都乗っ取り事件の共謀者ゲオルクの弟
真面目な性格で、兄の跡を引き継ぎ軍を率いる立場にある
その日、ヒロシは思い出した。人間には真正面から対峙してはいけない生物がいるという事を。
いつの頃だったか、博物館で催されたイベントに足を運んだ時のことだった。その敷地には実寸大のクジラの模型が飾ってあり、全長三十メートルという模型を見上げながら『こんな巨大な動物が実在するのか』と呟かずにはいられなかった。他にも古代に生息していた恐竜の全身骨格なども見たが、彼らはいずれも、そもそもの大きさが人間とはあまりにも違いすぎた。もしこれが肉と命を持ち動き出したら、自分などおやつ感覚で食べられてしまうだろう――物言わぬ骨格標本を見上げながら、そんなことを思ったものだった。
「グオオオオオーーーーーッ!」
大気を震わせるドラゴンの咆哮は、本能として内在する恐怖を否応なく目覚めさせる。身体の芯を貫くような悪寒と共に心拍数が跳ね上がり、全身の毛穴という毛穴から汗が噴き出したような感覚にヒロシは戦慄する。それは仲間も同様で、武器を手に身構えるヒナタやツキヨも髪の毛を逆立て、今まで見たこともない張り詰めた表情をしていた。
ドラゴンはワイバーンとは違い、四肢があり背中に大きな翼を持つという、生物としては不自然な姿をしている。起き上がったドラゴンは数歩ほど四つ足で歩いた後、後ろ足と尻尾で身体を支えて立ち上がり、目の前にいる小さな存在を見降ろしていた。ドラゴンから五十メートルほど離れた場所にヒナタとツキヨ、その十メートルほど後ろにゴーレムと、その陰に立つようにヒロシがおり、さらに五十メートルほど離れた場所にメリアとヤクモとウィル、転生者ハヤト、そしてデーヴィドが率いる機械部隊が控えているという位置関係になっている。
「な、なーツキヨ。アタシちょっと具合が悪くなってきそうなんだけどニャー」
乾いた声で言うヒナタに、隣にいるツキヨも硬い表情のままで頷く。
「同感だ。ドラゴンとはこんなにも……想像以上だ」
「と、とにかくちょっと突っついてみるニャ。アタシは右に行くから、ツキヨは左を頼むニャ」
「わかった、無理はするなよヒナタ。まずいと思ったらすぐ逃げるんだ」
「言われなくてもそーするニャ!」
二人は左右に分かれて飛び出すと、ドラゴンの気を引くよう視界に収まったまま接近した。全力を出した二人の足の速さは目を見張るものがあり、ドラゴンは右前足の爪で薙ぎ払う攻撃を仕掛けたが、その方向にいたツキヨはドラゴンの腕を素早く跳躍して回避し、その隙にドラゴンの手首へ剣を振り下ろしたが、その硬質な手応えに目を見開く。
「……!」
ドラゴンの全身を覆うウロコは岩か鉄のように頑丈であり、剣の一撃でさえ表面にわずかな跡を付けるのがやっとだった。ツキヨは迷うことなく後方へ飛び退き、右側からドラゴンへ迫るヒナタに向かって叫ぶ。
「ヒナタ! こいつは――!」
ヒナタは低い姿勢でドラゴンの胴体の下をくぐり抜け、巨木のような左足に迫った。走り抜けざまにその足をかぎ爪で斬り付けるが、やはり頑丈なウロコの前では表面にわずかな跡を残すばかりで、さしたる傷にもなっていないようだった。
「やっぱり思った通りニャ、こいつもカッチカチだニャ!」
「ああ、嫌になるな……!」
二人がうんざりした表情を浮かべている間にも、ドラゴンは前足の爪を薙ぎ払ったり、後ろ足で地面を踏み付けたりして彼女らを追い払おうとする。しかし素早く周囲を逃げ回る小さな存在にしびれを切らしたのか、ドラゴンは天に向かって吠えた後、その翼を左右に大きく広げた。ただでさえ巨大な身体に横幅が加わると全体が視界に収まり切らず、空を覆い尽くすほどの翼にはそれだけで畏怖の念を感じさせるほどの威圧感があった。ドラゴンがその翼を大きく羽ばたかせると、それだけで地上には突風が生じ、砂埃と細かい瓦礫が宙に舞い上がる。
「うにゃっ!?」
「くっ……!」
思わず腕で目元を庇ったヒナタとツキヨが再び眼を開けると、ドラゴンは両脚で地面を蹴り、翼を羽ばたかせ二十メートルほどの高さまで飛び上がった。そして中を浮いたまま目下を睨み、大きく息を吸い込み始めた。
「げっ!? な、なんかヤバいにゃツキヨ! 総員退避ー!」
獣人としての二人の敏感な本能が、全力で危険を告げていた。ヒナタとツキヨはそれぞれ手近な場所にあった瓦礫の陰に身を隠すが、その直後、ドラゴンは大きく開けた口から紅蓮の炎を吐き出した。その火勢は凄まじく、一瞬にして周囲は灼熱の焦土と化した。瓦礫の陰に隠れたとてその熱からは逃れられず、ヒナタたちはおろか後方にいたヒロシたちの元までその火炎は届いていた。瓦礫に混じっていた木材は一瞬にして黒焦げとなって崩れ落ち、火炎の激しさを物語っていた。
「あぢぢぢぢぢ!! って……ん?」
瓦礫の陰で頭を抱えて縮こまっていたヒナタは、熱かったとはいえ自分の身体が無事であることに気が付く。よく見ると身体の周りに金色に輝く薄い膜のようなものが張られ、それが炎の熱の大部分を遮断していた。ツキヨも同様に物陰で自分の身体を包む金色の膜に気付き、ハッと顔を上げた。
「そうか、これがメリアの師匠が言っていた魔法の加護というヤツか……!」
魔法の加護は後方にいるヒロシたちを含め、ドラゴンを除く全ての味方に及んでいる。その効果と範囲に舌を巻きつつも、ツキヨの表情から焦りの色は消えていなかった。
「確かに凄いが、しかし……このバケモノ相手にどうする……?」
物陰から見上げるドラゴンは依然として強大であり、宙に浮かぶ巨石のようなこの怪物をどうにかできるというビジョンが浮かんでこない。後ろを振り返ると、ゴーレムの陰から顔を出したヒロシが青い顔をしているのが見えた。
「し、死んだかと思った……あんなの気を引くったって、二人だけに任せるのは無茶だぞ。ゴーレム、なんでもいいからヒナタとツキヨを援護してくれ!」
「むっ」
ゴーレムは目を光らせてドラゴンを視界に収め、視界に表示される照準にドラゴンをロックオンさせる。続けて視界の横に『フレアランチャー発射』の文字が表示されると、ゴーレムの両肩が変形して直径十センチほどの砲身がせり出し、上空に向かって赤い火球のような弾丸を発射した。弾丸は遥か上空まで打ち上がり、大きな放物線を描いてドラゴンの頭上に降り注ぐ。ドラゴンの頭や背中、翼といった場所に着弾した弾丸は激しく爆発し、その衝撃の連続でドラゴンはバランスを崩し落下する。転倒こそしなかったが地上に落とされた形になったドラゴンは、頭を低く下げてゴーレムを睨み、唸り声を上げた。
「ひえっ、こっち見てるッ!」
ドラゴンは頭を低くしたまま口を開き、黒曜石のような爪を地面に突き立てながら突進してきた。その巨体が高速で迫る光景は身がすくむ光景であったが、ゴーレムが右腕を突き出してドラゴンの方へ向けると、右腕が大砲の形へと変化し、一直線に伸びる青白い光線を発射した。光線は凄まじい高熱を伴い、ドラゴンの眉間に命中し炸裂する。激しい閃光と轟音が収まった後にヒロシが見たのは、低い位置にあったはずの頭を垂直に持ち上げ、顎の裏を見せたまま足を止めたドラゴンの姿だった。強烈な光線をまともに受けながら形を保っているその強靭さにも驚いたが、奇妙なポーズで動かない事の方が不気味でもあった。
「グァ……」
少し間を置いて、ドラゴンの口から息を吐く音が漏れた。ドラゴンは二、三歩よろめいて後退し、頭をぶるぶると振って顎を下げ、怒りに燃えた瞳でヒロシたちの方を睨み付けた。ちょうど眉間の辺りにはウロコが焦げた跡が残っており、うっすらと煙が立ち上っている。
「も、もしかして……脳震盪でも起こしてたのか? いやちょっと待って、ロボットを溶かすくらいの光線が直撃して脳震盪だけ!?」
常識外れの頑丈さに、ヒロシは血の気が引いていくのを感じずにはいられなかった。しかしドラゴンの脳震盪は完全に回復し切っていないらしく、ふらふらとその場で足踏みをするような動きをしていた。その様子を後方で見ていたヤクモは、下半身が馬の状態へと変身したウィルの背にハヤトを乗せ、今が好機だと指示を出していた。
「全力で走るから、しっかり掴まっててくださいよ転生者さま!」
「すっげー! これなんだっけ、ケンダマロスだっけ!?」
初めて見るケンタウロスに興奮し、ハヤトは目を輝かせてウィルの背中ではしゃいでいる。
「ケンタウロスです! じゃあ行きますよ!」
ウィルはハヤトを乗せ、矢のように真っ直ぐ飛び出した。地面を踏み鳴らしながらドラゴンの目前へと迫ったウィルは、前足で急ブレーキをかけると同時に後ろ足で地面を蹴って下半身を飛び上がらせる、いわゆる『尻っ跳ね』の動作を行う。当然、背中に乗っていたハヤトは弾き出されるようにして前方へ高く飛び、ドラゴンの眼前まで迫っていた。
「すげー、本物のドラゴンだ! でっかいしめちゃめちゃ強そう! さっきもバーッて火を吐いてたし!」
空中でも相変わらずなハヤトを視界に捉えたドラゴンは、牙の生えそろった口を大きく開き、そのまま食ってやると言わんばかりに噛みついた。しかしハヤトは器用に身をかわし、鼻先に手を引っ掛けて頭によじ登ると、ドラゴンの後頭部に跨って左右に伸びる角を掴んだ。
「へっへー、俺は竜騎士ハヤト様だぞーなんつって! このまま操縦出来たりしないかな?」
ハヤトはドラゴンの首の上で角を引っ張ったり足をジタバタさせてみるが、ドラゴンは頭の上に陣取る不敬者に怒りを感じた様子で、大きく頭を上下させたり翼を羽ばたかせて暴れるが、ハヤトは面白がってその場に居座り続ける。痺れを切らしたドラゴンは首を曲げ、真っ黒な爪が伸びた前足でハヤトを叩き落そうとした。
「わわっ、あっぶねー!」
ハヤトは爪が直撃する寸前に素早く跳躍、ドラゴンの右腕を飛び越え、首の上を走って背中へ、翼へと、まるでノミのように俊敏に飛び跳ねてはあちこちに移動を繰り返す。その小馬鹿にするような行動にとうとう我慢の限界が来たのか、ドラゴンは翼を畳み、地面の上を転がってのたうち始めた。
「げげっ、危ねーのニャ! ツキヨ、一旦離れるニャ!」
近くの瓦礫の陰で様子を見ていたヒナタとツキヨは、その巨体に押し潰される前に下がって距離を取る。ドラゴンの下敷きになった物は家の残骸だろうと石を積み上げた塀だろうと、全てが粉々に砕かれ撒かれ、周辺が更地のようになってしまった。高く舞い上がった土煙が風に流れて晴れていくと、起き上がったドラゴンと地面の上で向き合うハヤトの姿があった。ハヤトはまだ剣も抜かず、遊園地でジェットコースターなどのアトラクションを見上げてわくわくしている子供そのものといった表情をしている。
「グロロロロ……!」
ドラゴンは不気味な音を喉の奥で鳴らしながら顎を大きく開いた。また火炎を吐くのかと思いきや、開かれた喉の奥で真っ赤な光と不思議なエネルギーがどんどん増大していく。その光景を見ていたヒロシたちの背筋に悪寒が走った瞬間、突如として声が響いた。
『アンタたち、それをまともに食らうんじゃないよ! 直撃したら魔法の加護も無意味だからね!』
それは耳から聞こえるのではなく、頭の中に直接響いていた。聞き覚えのあるその声はタバサであり、彼女は離れた場所で結界を張り続けたまま、そこにいる全員にテレパシーを送っていたのだ。
「な、なんか猛烈に嫌な予感が……まずいぞ!」
ヒロシは慌てて遠くへ離れようとしたが、肝心のハヤトは不思議そうに周囲を気にするだけで、身構える様子もない。おそらくは事の重大さを理解していないのだろうが、ドラゴンの口内では正体不明のエネルギーがさらに膨れ上がり、もはや一刻の猶予も無かった。ヒロシはゴーレムを連れて、ハヤトとドラゴンに対して右横側の位置まで走って移動し、叫んだ。
「ゴーレム、俺をあの子の所までぶん投げてくれ、早く!」
ヒロシの命令にゴーレムは両眼を光らせて一瞬ためらう様子を見せたが、すぐにヒロシの身体を手で掴み上げ、頭を前方に向けて槍投げのような形で投げ飛ばした。
「ひぃぃぃっ!?」
一直線の姿勢で飛ぶヒロシは風圧で変な顔になってしまったが、わずかに勢いが落ちた所で両手を前に伸ばし、そのままハヤトの身体を抱きかかえたまま横へ飛んで行った。
「ガアッ!!」
直後――臨界に達したドラゴンのエネルギーは極太の光線となって吐き出され、その直線上にある全てを一瞬で焼き尽くしてしまった。地面には直径五メートルはあろうかという幅で半円状に抉れており、一部は赤熱化して炎が上がっていた。幸いにも光線に巻き込まれた仲間は居なかったようで、それを目撃した機械部隊の兵士らもまた、絶句して立ち尽くすばかりであった。
「ううっ……!」
間一髪で光線から逃れたヒロシとハヤトは、投げ飛ばされた勢いのまま地面を滑ってようやく止まった。二人が顔を上げて目にしたその光景は、まるでこの世の終わりのようにも思えた。
「あ、危なかった……あとほんの少しでも遅れてたら……!」
ヒロシが青ざめる横で、ハヤトもさすがに信じられないと言った表情で唖然としている。その時、またも頭の中に声が響く。
『ヒロシ、どうやらドラゴンにまずいモノ見せちゃったみたいだね。私が知ってるドラゴンは、こんな技は使ってこなかった。さっきのゴーレムの武器を見て、そいつを学習したってとこかしらね』
「が、学習した!? ドラゴンが!?」
『当たり前でしょーが。ドラゴンはただデカいだけの魔物じゃないって言ったでしょ。モノによっちゃ人間より上等な知恵を持ってると言われてるんだから。あんなのが王都にやってきたら、あのデカい城壁にも大穴が開くだろうねえ。責任取ってここで仕留めなさいよ』
「どどど、どーすればいいんだあんなの! いくらなんでも無理すぎる!」
座り込んで頭を抱えるヒロシの横で、ハヤトは立ち上がりドラゴンの方へ目を向ける。
「ごめん兄ちゃん、助けてくれてありがと。今まで実感がなかったけど、あいつはここでやっつけなくちゃダメなんだね」
ハヤトは自分の中でなにかを察したのか、背中の剣を抜き真剣な表情に切り替わる。
「オレやってみるよ。兄ちゃんたちは応援してて!」
そう言ってハヤトは手にした剣を握り締め走り出す。その速度は次第に加速していき、大技を放ったばかりの隙を狙って跳躍し、ドラゴンの頭めがけて迫った。
「でやっ!」
ハヤトはドラゴンの頭部めがけて剣を振り下ろすが、ドラゴンは左手で素早く防御する。手のひらまでびっしりと覆われたそのウロコに剣が当たった瞬間、ギィンッと硬質な音が響き弾かれてしまう。その反動を利用して後方宙返りをしながら着地したハヤトは、衝撃で痺れる手をこらえてドラゴンを見据える。
「くそー、かったいなあ。そんなに大きいくせにカチカチなんてずるいぞ!」
不満を口にしつつ、ハヤトはもう一度駆け出してドラゴンへ迫る。ドラゴンはその小さな挑戦者を鼻で笑うように左手一本で払い続けていたが、次第に様子が変わって来た。ハヤトがドラゴンの手に攻撃を当てる度に硬質な音が響くのは一緒だが、その音質がだんだん変わってきていた。ハヤトが振る剣は徐々に速く、重くなり続けていたのだ。
「――!?」
その異変に気付いたドラゴンが左前脚の爪で強引にハヤトを切り裂こうとした時、それは起こった。




