第二十二話 王都の長い一日(6) ヒナタとウィル、貧民街へ その2
「さてと、下はウィルに任せるとして、姫さんの居場所を突き留めないとニャ」
ヒナタは素早く飛び跳ね、リィナ姫が監禁されているという、三階建てのボロ宿の天井へと取り付いた。ボロ宿と言われるだけあって安普請な作りであり、屋根板の一部がが腐ったり剥がれたりしている場所もある。中の気配を探ろうとヒナタが耳を当てると、鼓膜を突くような声が聞こえてきた。
「ちょっと、いつまでこんな所に閉じ込めておくのよっ! いい加減に外へ出しなさいよっ!」
確認するまでもなく、それはリィナ姫の声だった。建物の壁が薄いせいか、耳を当てなくても普通に声が漏れて聞こえてくる有様である。ヒナタは移動して真下の部屋の窓を確認するが、窓には鉄格子が嵌めてあり、しかも内側から板が打ち付けられていて中の様子を見ることは出来なかった。場所を変えて別の場所へ移動すると廊下の窓があり、そこは鉄格子と板が打ち付けられておらず中の様子を覗くことが出来た。廊下は狭く、リィナ姫の居るであろう部屋の前に見張りの男が一人立っているが、それ以外に人影は見当たらない。
「ふむふむ、他の連中は一階で守り固めてるんだろーニャ」
ヒナタは一旦顔を引っ込め、スカートの内側に隠していたワイヤー発射装置付きの手甲を左腕に装着する。そして右手を伸ばし、廊下の窓をコンコンと何度か叩いて待っていると、やがて内側から窓が開き、男が顔を外に出した。
「なんだよ、鳥でもいたのか?」
そう呟いて男が引っ込もうとした瞬間、屋根の縁を掴んでくるりと回転したヒナタの両足キックが男の顔面に炸裂した。
「ぶぺら!?」
ヒナタはその勢いのまま廊下に飛び込み、脳震盪を起こし倒れ込む男が床にぶつかる前にその身体を掴んで止める。音が出ないように男を廊下に座らせると、ヒナタは男が首にぶら下げていた紐付きの鍵をもぎ取り、奥の部屋へと向かう。奪った鍵を鍵穴に差し込んで回すと、カチャリと音がして錠が外れた。ドアを開けて部屋に乗り込むと、すこぶる機嫌の悪そうなリィナ姫が、普段目にするのと同じ赤いドレス姿でうろうろと歩き回っていた。
「やっほー、姫さん助けに来たニャ」
ヒナタの姿を見るとリィナ姫は思わず声を出しそうになった自分の口を手で塞ぎ、慌てた様子で駆け寄って来た。
「あ、あなたどうやってここに……なんてどうでもいいわね。私をここから連れ出しに来てくれたんでしょ?」
「だからそー言ってるニャ。見たところ怪我も無さそうで良かったニャ」
リィナ姫に衣服の乱れや傷を負ったような様子は無く、一応は丁重に扱われていたらしい。最悪な状況で無かった事にヒナタは内心安堵していたが、一方のリィナ姫は拳を握り締めてわなわなと震えだした。
「全っ然良くないわよ! こんな狭くて不潔で臭い部屋に押し込まれて、しかもここは壁が薄いから、あちこちからその……い、いかがわしい声がずっと聞こえて来るのよ! 私をこんな目に遭わせたあのダンって男、どうしてくれようかしら、キーッ!」
よほどこの状況が腹に据えかねていたのか、彼女は今にも爆発しそうな様子だった。もう少しその様子を眺めたい所ではあったが、今は一刻も早くこの場を離れなくてはならない。
「とにかくこんな場所からはさっさとオサラバするニャ。ちゃんとアタシに付いてくるニャよ姫さん」
「わ、わかったわ」
ヒナタはリィナ姫を連れて部屋を出たが、ちょうどそこで廊下の真ん中にある階段から登ってくる男と鉢合わせしてしまった。
「だ、誰だお前は!?」
「あちゃー、ツイてないニャ!」
ヒナタは言うが早いか勢いを付けた飛び蹴りを男に食らわせ、階段下へと転げ落とす。その音と振動が階下にまで響き渡り、下の方から複数の足音と声が聞こえてきた。
「しょーがない、ちょっと急ぐニャ!」
ヒナタはリィナ姫の手を引いて開いたままの窓までやってくると、彼女の身体を右腕で抱き寄せ、左手を窓の外に向けて伸ばす。
「ちょっと、なにやってるのこんな所で!」
「姫さん黙ってるニャ。喋ると舌を噛むニャよ」
バシュっと音を立ててワイヤーが発射され、先端の返しの付いた杭が隣の建物の屋根に突き刺さる。ヒナタは両足で力強く床を踏み、ワイヤーを巻き取る勢いと併せて窓から外へ飛び出した。
「~~~~~~っ!?」
声にならない悲鳴を上げるリィナ姫を抱きかかえ、ヒナタは宙を舞って屋根の上に着地する。素人に不安定な屋根の上を走れとは言えず、ヒナタは姫を一旦下ろしておんぶに切り替え、屋根から屋根へ飛ぶ。そのままウィルと分かれた地点まで戻って地上を見ると、相変わらず細い路地の中でウィルが一人で固まったままだった。集まって来た男たちもすでに解散してしまったらしく、周囲に他の男たちの姿は見当たらない。
「こらーウィル、いつまで硬直してんのニャ! 若さアピールはもう十分だニャ、起きろー!!」
ヒナタの声にようやく我に返ったウィルは、キョロキョロと周囲を見回した後、ハッと顔を上げた。
「姫さんは連れ出して来たニャ! 表に出て受け取る準備しろニャ!」
「はっ、はいいっ!」
ウィルは乱れていたシャツや上着を慌てて戻し、走って表の通りへと飛び出す。そのまま走り続けながらグッと意識を集中すると、ウィルの身体が光に包まれ、次の瞬間には下半身が馬となった半人半馬の姿へと変化していた。ヒナタはそれを見届けると屋根の低い建物へと降り、そこから続けてウィルの背中へと飛び降りた。
「よーし、ウィルはこのまま貧民街を突っ切って脱出するニャ。アタシはテキトーに追手をおちょくって注意を逸らしてくるニャ」
「あっ、ヒナタさん一人じゃ無茶ですよ!」
「いーから言う通りにするニャ! 今は姫さんを無事に逃がすのが最優先ニャ!」
ヒナタはウィルの背中から飛び降り、ウィルの尻を平手で叩いて走らせる。それからくるりと背後に振り返ると、無数の追手がこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。
「んじゃ、遊んでやるとしますかニャ!」
ヒナタはスカート状に巻いていた腰の布を剥ぎ取り、中に隠していたかぎ爪を右手に装着すると不敵に笑う。やがて追いついた五人の男たちが剣を手に一斉に襲いかかるが、ヒナタは地面すれすれまで姿勢を低くし、最初の一人に足払いを仕掛けて転ばせ、そのまま地面に手を突いて両足蹴りで二人目を蹴飛ばし、その反動で起き上がると同時に男たちの頭上まで跳躍、三人目の頭を踏んづけてさらに跳躍すると、並んでいた残りの二人を空中回し蹴りでなぎ倒して着地した。一瞬のうちに五人を片付けたヒナタは『ふふん』と得意気に鼻を鳴らしたが、ふと見ると周囲の路地や建物から、アリのようにワラワラと武器を手にした冒険者崩れたちが現れ始めた。ざっと見ただけでも、その数は五十人以上もいる。
「あ、あれぇーっ? さすがにこの数はズルくないかニャ?」
などと独り言を呟いてみるものの、彼らはさらに数を増して迫ってくる。ヒナタは愛想笑いを浮かべながら後退し、冷や汗を浮かべている。
「ふっ……こうなったらもー、いよいよ最終奥義を発動するしかなさそうニャね」
静かに目を閉じ、フッと笑みを浮かべた直後、ヒナタはくるりと背を向け全力で走り出した。
「無理無理無理ッ! こんなの相手してたら壊れちゃうニャ!」
背中越しに「待てゴラァァァァァ!!」という罵声を浴びながらヒナタは全力疾走する。そうしている間にも周囲の建物や路地からは続々と冒険者崩れの荒くれ者たちが合流し、気が付けば百人近い人数に膨れ上がっていた。
「ギャーッ!! お助けーーーーッ!!」
どうにか走り続けて貧民街の出口近くまで辿り着くと、道の真ん中に立つ一人の女の姿が目に入った。つばの広い大きな三角帽と着崩した魔法使いのローブ、服とおそろいの黒いヒールを履いたその美女は、ワインの瓶を片手にじっとヒナタの方を見ている。彼女こそメリアの魔法の師匠にして、自称大魔法使いのタバサその人である。だが、ヒナタはその名前を知ってはいても、顔や外見はまだ知らなかった。
「やれやれ、あの子がどうしてもって言うから来てやったけど、すいぶんとお盛んな子猫ちゃんだねえ」
タバサは呆れた様子でため息をつき、手にしたワインをラッパ飲みする。
「誰だか知らんけど邪魔だニャ! アタシは今のっぴきならねー状況なのニャ!」
行く手を塞がれたヒナタが息を乱しながら言うと、タバサは酒臭い息を吐いて答える。
「見れば分かるわよぉ。でもね子猫ちゃん、自分の手に負えないものを後先考えず相手しようだなんて感心しないわ」
「ごちゃごちゃうるさいニャ! 巻き込まれたくなかったらさっさと退くニャ!」
「ま、だから私がここに居るんだけどさー。あー頭痛い」
タバサは気怠そうにそう呟くが、次の瞬間急に青ざめた顔をし、口元を手で抑えてえずき始めた。
「うぷっ……おえええええーーーっ!」
ヒナタは野生の勘で間一髪飛び退いて難を逃れたが、タバサはその場で盛大に胃の中身をリバースしていた。傍で見ていたヒナタはおろか、後を追いかけてきた冒険者崩れたちもその光景を見て足を止め、少し引いてしまっていた。
「あー、ちょっとすっきりした……さてと、あんたらここは通行止めだよ。大体さー、いい歳の男どもが女の子一人を追い回してるなんて、みっともないとか思わないわけ?」
据わった眼で口元をぬぐうタバサに、先頭にいた冒険者崩れの男が手に持った剣先を向けながら叫ぶ。
「知ってるぞ。お前、いつも冒険者ギルドで飲んだくれてた年増の魔法使いだな。そこのネコ女をこっちに渡すなら、命だけは助けてやってもいいんだぜ」
ニヤニヤと笑いつつ、大量の冒険者崩れたちは周囲を囲むように広がっていく。
「あーもー! オメーのせいで囲まれたニャ! どうオトシマエ付けてくれんのニャー!」
ヒナタは目を三角にしてプンスコ怒るが、タバサはまったく気にしていない様子で正面の男に言った。
「誰にケンカ売ってるのか分かってないあたり、まだまだ青いねえ。いいわよ、一人でも全員でもかかっておいで」
タバサはそう言い、指先で冒険者崩れたちを挑発する。彼らは「上等だ!」と叫んで一斉に雪崩を打って四方八方から襲いかかってきた。




