第十話 託宣の巫女(1)
登場人物
ヒロシ:人間。異世界へ転生してしまった普通の成人男性
特別な能力がなにも無い『無能』の人
メリア:木精の血を引く少女。身寄りがなくヒロシと一緒に生活を始める
魔法使いタバサの元で修行し中級魔法を習得した魔法使い
ヒナタ:キャットリング(ネコ人)の女戦士
かぎ爪と野生の勘で戦う明るい楽天家。口調に独特の訛りがある
ツキヨ:ラビットリング(ウサギ人)の女戦士
剣と槍、弓を自在に操る。真面目で慎重な性格
ヤクモ:薬売りを生業とする白衣の優男。戦略に関し天賦の才を持つ
非常に頭が良く、『無能』の転生者ヒロシに興味を持ち仲間になる
ゴーレム:遺跡の地下から出て来た古代の戦闘ロボット
今は機能の大半を喪失している。ヒロシを主として登録した
ダレル王:異世界国家ストームサングの王。ドライな性格
リィナ姫:ダレル王の娘。ツンツンな性格
四魔将:魔王配下の四人の大幹部
それぞれが強大な力を持ち魔物の軍勢を束ねている
「……」
目を覚ましたヒロシの視界に入ってきたのは自室の天井だった。長年見てきた安い石膏ボードではなく、ちゃんとした板張りで表面も綺麗に仕上がっているものだ。それを見る度に自分は別世界へ来てしまったのだなと実感する。だが、今日は眠りにつく前の記憶がはっきりせず、ヒロシは身体を起こす。
「いっ……!?」
上半身を起こした瞬間、全身の皮膚が引きつったような違和感と、腹部に走る鋭い痛みにヒロシは思わず声を上げる。痛んだ腹をさすろうと手を動かすと、包帯でグルグル巻きになっている。それは両腕だけではなく、顔を除く身体や足といった全身に及んでいた。
「な、なんだこれは……怪奇ミイラ男?」
などと思っていると、部屋のドアが開き誰かが入って来た。新しい包帯や水の入ったポット、そして薬瓶などを手にして姿を見せたのはメリアだった。彼女はヒロシが起き上がっていることに気付くと、とても慌てた様子でテーブルにトレイを置き、ベッドへ駆け寄ってきた。
「ヒロシ様……! 目が覚めたんですね、よかった……!」
彼女はそう言ってヒロシの手を両手で握り、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「やあ、おはようメリア。って、時間がさっぱり分からないけど……俺、どうしてたんだっけ?」
「ヒロシ様はひどいケガをして、丸二日ほど意識が戻らなかったんです。でも無事に目覚めてくれて、本当に……」
メリアは左手で何度も目元をぬぐいながらも、喜びの表情を浮かべている。そんな彼女の姿を見て、ヒロシの脳裏にようやく記憶が蘇ってくる。
「ああ、そうだった。俺はあの偽物にやられて……でも家に戻ってるってことは、みんなは無事だったんだな?」
「はい、負傷したのはヒロシ様だけです。私も含めて、皆さんはなんともありません」
「そっか、よかった。それにしても、うう……」
ナイフで刺されたこと、そして炎に焼かれた瞬間の事を思い出してしまい、ヒロシの顔は青ざめる。
「あの痛みといい熱さといい、しばらく夢に出てきそうだ……生きてるのが不思議なくらいだよ」
メリアは近くに置いてあった小さな椅子に腰掛け、あらためてヒロシの手を両手で握る。
「心配しました、本当に。もう間に合わないんじゃないか、目を開けてくれないんじゃないかって……怖かった……」
「ダメだなぁ俺は。いつもメリアに心配ばかりかけてしまって。でも、俺のケガは君が魔法で治療してくれたんだろ?」
「はい。でも治癒魔法も完璧ではないので、そのままだと助かるかは運次第だったそうです。でもヤクモ様が火傷によく効く軟膏を持っていてくれて、おかげで無事に峠を越えられました」
「そうか、じゃあ後で先生にもお礼を言いに行かないとな。さすが薬屋だ」
包帯が巻かれた自分の身体を眺めつつ、ヒロシは苦笑する。その間もメリアはじっと手を握ったままだったが、やがてうつむいて小さく震え始めた。
「私……他の事なら、どんなつらいことがあっても我慢できます。でも……ヒロシ様が死んじゃったら……またひとりぼっちに……ひとりはもう……いや……」
それまでずっと耐えてきたのであろうメリアの感情が、堰を切って溢れ出していた。大粒の涙をボロボロとこぼし、嗚咽を繰り返しながらメリアは泣いていた。普段は控えめだが礼儀正しく、明るい表情もよく見せてくれている彼女ではあったが、こんなにも感情を剝き出しにしたのを見たのは初めてだった。揺れる彼女の緑色の髪を見て、ヒロシはここで生活を始めた時のことを思い出していた。
(そうだ、メリアの両親はもう亡くなってるんだったな)
メリアもまた天涯孤独の身であり、身内と呼べる人間はもういない。両親を亡くし王都の兵士に保護されてからの数年間、下女として働き続けてきた彼女の孤独を思うと、ヒロシも胸が詰まる思いだった。誰からも気にかけられず、自宅と会社を行き来するだけの日々。ひとつ片付けてもまた増えて、時には雑用を押し付けられては黙々とこなすだけの仕事。命が脅かされるような危険はないが、生きている実感もない。初めて会った時、なぜか彼女が気になっていたのは、かつて生きた世界の自分と似たものを感じたからだとヒロシはようやく気付いた。
「……心配かけてごめん。ああするしか方法が思い付かなかったんだ」
メリアは涙をこぼしながらも首を左右に振る。彼女とてこの結果を責めている訳ではなく、それはヒロシも十分に理解している。それでも押し寄せる感情は、簡単に理屈で制御できるようなものでもない。
「実を言うと……俺、誰かにこんな風に思ってもらえるなんて初めてでさ。自分を心配してくれる人が居るって、こんなに嬉しいんだな」
「ううっ……ぐす……っ」
「ありがとうメリア。俺は君を置いて、どこかへ行ったりはしないよ。約束する」
「……えぐっ……ううっ……うええぇん……っ」
ずっと泣きじゃくるメリアを見つめ、ヒロシも彼女の手をそっと握り返す。じっとそのままにしていると、彼女も思いっきり泣いて落ち着きを取り戻し、赤くなった目元をぬぐって顔を上げた。
「すみませんヒロシ様、取り乱してしまって。私、めそめそしてちゃダメなのに」
「いいんだ、気にしないで。気持ちは十分受け取ったからさ」
「はい。でも、ヒロシ様も無茶だけはしないでくださいね」
「ああ」
互いにじっと目を見つめて、少しいい雰囲気になりかけたと思ったその時。部屋のドアからバタバタと人が入ってくる音がして、二人は互いに慌てて手を離す。
「おーっすメリア、ヒロシの様子はどうだニャー? って、目が覚めてるのニャ!」
そう言ってベッドへ小走りで近付いてきたのはヒナタだった。彼女も愛嬌のある顔をぱあっと明るくして両手を広げ、ヒロシとメリアの二人を一緒に抱きしめた。
「ヒロシこんニャろー、心配させんじゃねーのニャ。あの時はさすがのアタシでもヒヤヒヤしたニャ。メリアの看病とヤクモの薬によーくお礼言っとくニャよ」
ヒナタは言いながら二人をぎゅうぎゅうと抱き寄せるが、勢い余ってヒロシの顔には彼女の豊かな胸が当たってしまっている。
「わ、分かったからちょっと待っ……! お、おっきいの当たってるっ! みんなが、みんなが見てるッ! 許してぇぇぇっ!」
「ヒナタ様っ! 気持ちは嬉しいですけどそのっ、ヒロシ様は怪我人ですし、こういうのは良くないですからっ!」
二人がわたわたと慌てる様子を見ると、ヒナタはケラケラと笑い、二人の頭をわしゃわしゃと撫でて身体を離す。
「思ったより元気そうでよかったニャ。二人もさー、いい雰囲気の時はもっとガッっと行って、グッと抱き付くとかしとけニャ!」
明け透けな言葉にヒロシもメリアも顔を赤くしてしまうが、ヒナタの後ろに立っていたツキヨがやれやれとため息をつく。
「怪我人に向かってなんの話をしてるんだ、まったく。ともかく無事に回復されたようでなによりでした、ヒロシどの。ヒナタもこんな風ですが、ずいぶんと心配していたのでお許しください。もちろん私たちも同じ気持ちです」
真面目な態度と口調は変わらないが、ツキヨの表情にも安堵が見て取れる。こうしたさりげないフォローを入れてくれる彼女の存在も、ヒロシにとっては大いにありがたいものだった。ツキヨの隣に並んで立つヤクモの眼差しも、普段通り穏やかで優しげである。
「まずは無事に意識が戻られたこと、安心しましたよヒロシどの。日頃の商いが役に立ったようでなによりです」
「ヤクモ先生がいい薬を用意してくれたそうで、助かりましたよ」
「とはいえ、今はまだ安静にしなくてはなりませんね。込み入った話はもう少し回復を待ってからにしましょう」
「はは、そうしてくれると助かります」
「ああ、そういえばリィナ姫様もヒロシ様を心配しておられましたよ。今回のことで責任を感じているご様子でした」
すっかり忘れていたが、そもそも鏡の迷宮へ向かった一番の理由はリィナ姫の救出であった。彼女が無事と聞いて、ヒロシも肩の荷が下りた気分だった。
「傷が癒えたらリィナ姫様へ挨拶に行きましょう。そして今回の事は私にも責任があります。ヒロシどのの傷が癒えるまで、私も面倒を見させて頂きますよ」
ヤクモはヒロシに近付き、もうひとつの小さな椅子に腰掛けると慣れた手つきで彼の包帯を外していく。肌はまだ赤く焼けた跡が多く残ってはいたが、皮膚の再生は始まっており、火傷の回復は思ったより早く進んでいた。ヤクモは新しい軟膏を指に取り、ヒロシの腕に薄く広げて塗り込んでいく。
「しかしヤクモ先生の薬といいメリアの治癒魔法といい、本当に凄いですね。火傷がもう治りかけてるんだもんな」
「もちろん薬と魔法の効果もありますが、火傷が見た目ほど酷くなかったのが幸いでした。燃えた上着をすぐに脱いでいたことと、その直後に水を浴びたことが悪化を防いでいたようですね。再生する皮膚が残っていないと、薬や治癒魔法の効き目も遅くなるものです。どちらかと言うと危険だったのは刺し傷の方でしたが、出血こそ多かったものの急所はギリギリのところで避けていました。ヒロシどのは本当に強い悪運お持ちのようで」
ヒロシの腹部には念入りに包帯が巻かれており、身体を動かそうとするとまだ痛む。治癒魔法が存在するとはいえ、深い傷まで一瞬で元通りというわけにはいかない様子である。
「いや悪運より、そもそも焼かれたり刺されたりしない運が欲しいなあ……」
「ともあれ、しばらく休養を取りましょう。怪我の治癒には体力も消耗しますから、無理は禁物です」
軟膏を塗り終えたヤクモは、ヒロシの腕に新しい包帯を巻き付けて元通りにする。同じように胸や背中、足といった各部にも新しく薬を塗り終えると、ヤクモは微笑んでゆっくりと立ち上がる。
「では、続きはメリアどのにお任せします。どうぞごゆっくり」
ヤクモはそう言って古い包帯と軟膏の容器をトレイに乗せ、部屋を後にする。
「次は私が治癒魔法を行いますから、ヒロシ様はそのままでお願いします」
「ああ、頼むよ」
メリアが両手をかざしてヒロシに治癒魔法を施すと、身体の内側からポカポカと温まるような心地良さに包まれる。ヒロシはその感覚に身を任せていたが、やがて身体に起こった変化に表情を歪ませる。
「あ、あれ……? なんか……かゆい……?」
皮膚の内側がピリピリする感覚が全身を巡り、それが次第に強くなっていく。その感覚はすぐに強烈なものとなり、ヒロシは全身を駆け巡るそのかゆみに思わず叫んでしまう。
「うわーっ、かゆいかゆいっ! 全身が痺れた時の足の裏みたいになってるッ! ほぎゃああああ!?」
それはベッドの上でただ身体を起こしているだけでも耐えがたいもので、ヒロシは次々に変なポーズになりながら痒みに苛まれていた。
「わっ、大丈夫ですかヒロシ様?」
「だ、大丈夫じゃあないっ! 身体中がチョーかゆい! ものすごくかゆい助けて!」
突然騒ぎ始めたヒロシの様子を見て、ベッドの横でじっと見ていたツキヨが口を開いた。
「そういえば聞いたことがありますね。治癒魔法は身体の回復速度を上げているので、場合によって治癒した部分がとてもかゆくなる、と」
話を聞いたメリアやヒナタは「なるほど」と納得していたが、ヒロシはベッドの上で悶絶している。
「ひいいいっ! かゆいっ! 動くだけでもかゆい! 喋ってもかゆい! かゆいかゆいかゆい! かゆい! うま!」
あまりの痒さに意味不明な言葉を口走るヒロシだったが、暴れて傷が開いてはいけないとベッドに縛り付けられてしまうのだった。




