第二十四話 幕間
登場人物
ヒロシ:人間。異世界へ転生してしまった普通の成人男性
特別な能力がなにも無い『無能』の人
メリア:木精の血を引く少女。託宣の巫女の後継者と判明
魔法使いタバサの元で修行し中級魔法を習得した魔法使い
ヒナタ:キャットリング(ネコ人)の女戦士
かぎ爪と野生の勘で戦う明るい楽天家。口調に独特の訛りがある
ツキヨ:ラビットリング(ウサギ人)の女戦士
剣と槍、弓を自在に操る。真面目で慎重な性格
ヤクモ:薬売りを生業とする白衣の優男。戦略に関し天賦の才を持つ
非常に頭が良く、『無能』の転生者ヒロシに興味を持ち仲間になる
ウィル:ケンタウロス族の若者。人間と半人半馬の状態を切り替えられる
少し気弱だが実直な性格で、強い戦士に憧れている
ダン:ヒロシたちと一時行動を共にしていた北部生まれの男
王都でとある事件を引き起こした
ダレル王:王都の王様。ドライな性格
リィナ姫:ダレル王の娘。ツンツンな性格
王都を震撼させた『乗っ取り事件』は、わずか三日で終わりを迎えた。ダンが死んだ知らせを受けた後、ダレル王はすぐに王宮へ戻り、自ら民衆の前に姿を見せて事態の収束を宣言した。首謀者のダンは死亡、共謀者であるゲオルク卿も王宮の客室へ軟禁されていた所を見つかり、彼の捕縛によって王宮を制圧していた私兵たちは指揮官を失ったことを理解し、ダンの機械部隊と共に投降した。王宮では混乱した状況の鎮静化、事後処理や各所への通達で数日を要し、ダンが事件を起こしてから一週間を過ぎ、ようやく王宮は通常通りの営みを取り戻した。その間、ヒロシたちも様々な証言や尋問のために何度も王宮へ呼ばれ、なかなか落ち着いて過ごすことが出来なかった。王宮が落ち着きを取り戻すと、ヒロシとその仲間一行は、あらためてダレル王に呼ばれ謁見の間へと訪れていた。ダレル王は表情に多少の疲れは見えるものの、普段通りの落ち着いた様子で玉座に座り、ヒロシたちに向かって言った。
「此度の事は、ヒロシとその仲間たちには大いに助けられた。ダンを王都へ連れて来た責を問う者もいるようだが、状況やそなたらの行動を顧みても、奴の独断による行動だったことは疑いあるまい。わしだけでなくリィナを救ってくれた件も含め、あらためて礼を言おう」
それは王の個人的な言葉というだけではなく、重臣らとも十分に話し合った上で決まったものだった。王都では魔王軍という敵が存在することで人間同士の結束は強く、歴史的にも分裂や内乱といった経験があまり無かった。それゆえに国の内側でこうした事件が起きた際に、迅速な判断を下せる人物は少なく、ヒロシたちの――主にヤクモの知恵であるが――行動の早さは王都の重臣らも認める所であり、被害を最小限に食い止めたことも含め、『無能』の転生者ヒロシとその一行に対する評価は大きく上昇していた。
「して、その功績を踏まえ、そなたらの望みには可能な限り応じよう。事件の責任はダンと奴の甘言に乗ったゲオルクにあり、事情を知らされぬまま従っただけの兵士や、彼らの身内の責は問わぬ。これでよいな?」
「は、はい。ありがとうございます」
ヒロシは深く頭を下げ、仲間たちも彼に続き頭を下げた。王位を奪い取ろうという企ての重大さを考えれば、本来ならダンやゲオルク卿のみならず、それに与した兵士らも反乱分子として処刑するというのは不思議な話ではない。しかしヤクモが責任の所在と自国の兵士を減らす選択の不毛さを説き、ダンの機械部隊とゲオルク卿の私兵らを再編し、新たな指揮官の元で管理するということで決着が付いた。最終的に『乗っ取り事件』で処断されたのはダンとゲオルク卿ほか実行役の数名程度であり、彼らに従った兵士らに粛清や追及が及ぶことは無くなった。
「この決定についてはヤクモの進言もあるが、ダンという男が無用な殺傷をしなかったことが大きかったな。そうでなければ家臣らを納得させることは出来なかったであろう。奴の行いを許すことは出来ぬが、ほぼ血を流さずに計略を成功させた手腕は見事だったと言わざるを得まい」
ダレル王は複雑そうな表情ではあったが、彼の立場を考えれば無理もない事である。
「しかし、つくづく悔やまれるな。ヒロシが正しく『能力』を与えられていたならば、魔王軍とも互角……いや、あるいはそれ以上に渡り合えたかもしれんというのに」
ダレル王の口から零れたその言葉は、紛れもない本心であった。ヒロシも自分の無力さを痛感するたび同じことを思いはしたが、今回ばかりはそれがずっと背中に重くのしかかっている気がした。
「……あの、ところで王様。もう一つのお願いの件ですが」
話題を逸らすようにヒロシが言うと、ダレル王は思い出したようにヒロシを見た。
「うむ。ダンの遺体の引き渡しと埋葬の許可であったな」
「は、はい」
「遺体の検分はすでに終了したと報告を受けておる。引き渡しは構わんが、ひとつ条件がある」
ダレル王は一拍間を置いて、それから再び言った。
「埋葬自体は好きにしてよい。だが墓碑に名を刻むことは許可できぬ。王都を揺るがした罪人の名が残れば、後々の禍根となるやもしれんのでな」
この回答が十分に譲歩された内容であることは、ヒロシにもよく分かっていた。罪人としての決定が下った以上、その名を刻んだ墓碑もまた罪の象徴となってしまう。ダンを静かに眠らせてやるには、名など無い方が好都合であったのだ。
「望みを聞き入れて下さってありがとうございました。ダンは俺たちの手で葬ってやろうと思います」
「うむ。重ねて申すが此度の働き、実に見事であった。褒美は十分に取らせるゆえ、しばらくは身体を休めるがよかろう」
労いの言葉と十分な報酬を受け取った後、ヒロシたちは自宅へと戻った。しばらくして王宮からの荷馬車が到着し、ダンの遺体が入った棺と遺品が届けられた。遺品は彼が身に付けていた衣服や多少のアクセサリーだけで、他は生活費程度の金品のみであったという。確認のために棺の蓋を開けて中を覗き込むと、簡素な死に装束に身を包んだダンの遺体と、その周囲に青白く冷気を放つ石が敷き詰められていた。この石は氷魔法を閉じ込めたもので、食品の保存や腐敗を防ぐために使われている物だという。大量に出血したはずの血は綺麗に拭き取られ、喉と胸の傷は見えないよう包帯が巻かれており、一見すると眠っているようにしか見えない。検分のためとはいえ遺体が粗末な扱いを受けていなかった事に安堵しつつ、ヒロシは棺の蓋をそっと閉じた。
「棺を運んで来てくれてありがとうございました。このまま墓地まで一緒に来てもらえますか」
遺体を確認した後、ヒロシたちは荷馬車と一緒に王都の外れにある墓地まで足を運んだ。墓地を管理している墓守の老人に料金を渡すと、敷地の隅の目立たない位置へと棺を運び、ヒロシは墓穴を掘り始めた。地面はやや乾燥して硬い土だったが、ゴーレムが軽々と土を掘り返してくれたおかげで、本来は結構な重労働である作業はすぐに終わった。穴の中へ棺を納め、上から土を被せて埋めた後は、その上に銘の刻まれていない墓石を置いた。その後、墓前にメリアが摘んで来てくれた野草の花と供え物のラム酒を供えると、ヒロシたちは言葉少なに自宅へ帰っていくのだった。
(……)
その日の夜遅く、深夜の時間になってもヒロシはなかなか寝付けないでいた。この数日は事情聴取や様々な検分の立会いで忙しく、帰宅すれば疲労によって倒れるように寝ていたものだが、ダンの埋葬を終えて全てが片付いたと思った途端、様々な思いが脳裏を駆け巡っていた。いくら目を閉じても寝られそうもないため、ヒロシは自室を出てリビングへ向かった。卓上のランプに火を灯し、ダンの墓に備えたのと同じラム酒の瓶をテーブルに置き、その中身をグラスに注ぐ。しばらく琥珀色の液体が満ちたグラスを眺めていたが、やがてヒロシはグラスに手を伸ばし、それを一気にあおった。
「うげっ……!? ごほっ、ごほっ……!!」
独特の風味と甘み、そして喉が焼けるようなアルコールの強さに驚き、ヒロシは盛大にむせてしまった。酒を飲み慣れていない事もあるが、そもそもアルコール度数の高いラム酒を一気に飲み干せばこうなるのは当然である。喉を手で押さえながら悶えていると、物音を聞き付けたであろうメリアが寝巻姿のままで現れ、部屋の明かりを付けてヒロシの元へ近寄って来た。
「どうしたんですかヒロシ様、こんな時間に」
メリアはテーブルに置かれたラム酒の瓶とグラスを見て、すぐに水の入ったグラスを用意してヒロシに手渡す。
「ヒロシ様、お水です。ゆっくり飲んでください」
「う、ううっ……!」
ヒロシは喉を焼くアルコールを押し流すように水を飲み干し、息を吐いてから顔を上げた。
「はぁ……ありがとうメリア。うっかり火を吹くかと思ったよ」
「大丈夫ですか? こんな強いお酒、そのまま飲んじゃダメですよ」
「ああ、酔えば寝られるかなと思ったんだけど……今のですっかり目が覚めちゃったな」
へらへらと笑うヒロシだったが、メリアはただじっとヒロシを見つめたまま言った。
「あの……もし迷惑でなければ、ヒロシ様が今思っていることを話してくれませんか?」
「……」
「私なんかが役に立てるか分かりませんけど……」
ヒロシは空になった水のグラスに目を落としていたが、すぐに顔を上げてメリアを見た。
「そうだな、ごめん。心配かけたみたいで」
「いいんです、謝らないでください」
メリアは空になったグラスに手を伸ばして受け取ると、用意していたボトルから新しい水を注いで手渡す。そして彼女もヒロシの隣の椅子に腰掛け、次の言葉を待つ。しばらくの沈黙の後、ヒロシはグラスの水面を見つめながらぽつりぽつりと喋り始めた。
「最近……というか最初からそうなんだけど、こっちの世界に来てから昔の記憶が曖昧になってきてさ。だんだん元の世界のことが思い出せなくなってきてるんだ。ただまあ、俺はあんまりいい記憶が無かったし、こっちでいろんな事がありすぎて思い出してる暇もなかったんだけど」
「そうですね。転生する前のお話とか、ほとんど聞いたことが無い気がします。ヒロシ様がいた元の世界って、どんな所だったんですか?」
メリアの問いはごく自然な疑問であったが、ヒロシは記憶の中で薄れ始めている元の世界のことを思い浮かべた。
「……いい所だったよ。平和で魔物もいないし、食べ物も薬もたくさんあって、娯楽にも不自由しなかった。今にして思えば、本当に贅沢な世界だったなぁ」
「そんな夢みたいな場所が本当にあったんですね。私も一度でいいから行ってみたいな……」
「ああ、出来る事ならメリアを案内してあげたかったよ。もちろん他のみんなも」
「でも、そんな素敵な場所なのに、良い記憶が無かったって……どうしてですか?」
「ん、ああ……」
ヒロシはこの世界に来ることになった理由を思い出し、苦笑を浮かべる。
「いい場所ではあったんだけど、生活していくのはそんなに楽じゃなくてね。それはこっちの世界でも同じだけど、なんていうかな……仕事は山ほどあるのに給料は全然上がらないし、仕事が少しでも遅れれば怒鳴られるから毎日の作業をこなすのに必死でさ……そしたらいつの間にか両足が深い泥に埋まってるような状態になって、身動きが取れなくなってたんだ」
「そうだったんですね。でもその気持ち、少しなら分かる気がします」
「うん、メリアも王宮で下働きして苦労してたんだもんな」
「はい。ヒロシ様に連れ出してもらえなかったら、今もあそこで働いていたんだと思います」
「だからいつも思ってたよ。いつかはこんな仕事辞めて、自分にしか出来ない事を成し遂げて胸を張りたいなって。けど、結局思うだけでなにも出来なかった。自慢できるような特技も技術も無かったし、職を失って最初からやり直すのが怖くて、なにもしてこなかったのが俺なんだ」
自嘲するヒロシにかける言葉が見つからず、メリアはじっと耳を傾け続ける。
「ダンと最初に出会った時、押しが強くて自分とは正反対だなって思ったんだ。いつも堂々としてるし、勇気も行動力もあって、誰とでもすぐ打ち解けられるし……正直、あの性格は羨ましかったよ」
ヒロシは水の入ったグラスを両手で握り、暗い声で続けた。
「ダンがあんな事件を起こして、なに考えてるんだって思ったけど……あいつも俺と同じで、なにも出来ない自分のままでいたくなくて……自分はここにいるんだぞって、世の中に証明したかったんだと思う。もちろんダンのやり方が正しかったとは思ってないし、止めるにはああするしかなかったって分かってる。でも……」
グラスを握る手に目を落としたその時、あの生々しい記憶が蘇ってくる。
「まだ手に残ってるんだ……血の臭いと生暖かさが……まだ……」
ヒロシが手にしたグラスがカタカタと震え、注がれた水が波打って溢れる。メリアが自分の手をそっと重ねて震えを抑えたその時、彼の両目から涙が頬を伝い落ちた。
「バカ野郎……カーラになんて言えばいいんだ……!」
こぼれ落ちた涙が二人の手の上で弾けていく。ヒロシは溢れる感情のまま、身を震わせながら嗚咽を続けていた――。
翌朝、ヒロシは自室のベッドの上で、目が覚めた。どうやって自室へ戻ったのか分からないが、たぶんメリアが連れてきてくれたのだろう。少し頭がぼんやりするものの、他に体調が変わった様子はない。身体を起こしてベッドから降りると、ヒロシは一階のリビングへと降りて行く。キッチンではすでに朝食の準備をしているメリアがいて、ウィルとツキヨも隣でその手伝いをしている。大きなソファーにはヒナタが寝転がってイビキをかいており、ヤクモはテーブルの席に腰掛けて静かに皆の様子を見守っていた。
「あ、おはようございますヒロシ様。もうすぐ朝食が出来ますから、待っててくださいね」
「う、うん。ありがとう」
ヒロシがテーブルの席に座ると、正面にいるヤクモが水の入ったグラスと粉薬の包みを差し出して来た。
「ご気分はどうですか? もし酒が残っているようなら、こちらの酔い覚ましをどうぞ」
「あ、こりゃどうも」
ヒロシは受け取った薬を口に流し込み、水でそれを流し込む。それは漢方薬らしく苦みは強かったが、おかげで気分はスッキリしてきた。
「ふう……って、あれ? どうして先生は俺が酒を飲んだって知ってるんです?」
ヒロシが首を傾げると、ソファーでいびきをかいていたヒナタが大きなあくびをして目を開け、そのままヒロシの方を見て言った。
「夜中にあんだけガサゴソしてたら気付くニャ。マジメそーな話してたからアタシらは部屋の外に居たんニャ」
「う……まさか全員聞いてたのか?」
「泣いてたから慰めてやろーかと思ったけど、そのまま寝ちゃったからみんなで部屋に運んだんニャよ」
「そ、そうだったのか。はは……みっともないとこ見せちゃったな」
ヒロシは苦笑するが、ヤクモはゆっくりと首を振る。
「いいえ、私はむしろ安心しましたよ。ヒロシどのが我々と同じ人間だと確認できたのですから」
「えっ?」
「転生者とは謎多き存在です。別の世界より現れ、特別な『能力』を身に宿している事といい、その姿が人であるだけで、我々とは別の生き物なのかもしれないという者もいます。ですがヒロシどのを間近で見た結果、身も心も普通の人間となんら変わりはしないのだと確信が持てました」
「そんなエイリアンみたいな……」
「ふふ、我々の側からはそう見えるということですよ。それ程に転生者というのは特別なのです」
微笑むヤクモに少し安堵すると同時に、ヒロシの胸中には様々な感情が沸き上がってくる。
「くっ……そう思われていながら『能力』のない自分が情けない……ッ!」
拳を握りながら悔しい顔をしているヒロシの元に、メリアが朝食の乗った皿を置き、真っ直ぐヒロシを見て言った。
「『能力』があってもなくても、ヒロシ様はヒロシ様ですから。私はそれだけで十分です」
そう笑ってくれるメリアから、まばゆい後光が差しているようにヒロシは思えた。
「うう、なんていい子なんだ……!」
思わずホロリとして鼻がツーンとしているヒロシの背後から、相変わらずソファーで寝転がっているヒナタがうつ伏せに姿勢を変えてニヤニヤと笑っていた。
「さーすがメリアだニャー。これが正妻のカンロクってやつニャ?」
その言葉を聞いてしばらく間を置き、メリアは一瞬で顔を赤くして取り乱し始めた。
「きゅ、急になにを言い出すんですかっ! 正妻って、そんな……私まだ、その……」
途中から小声になってごにょごにょと言葉を濁すメリアに、ヒナタはさらに追撃の一言を放つ。
「心配しなくてもアタシは愛人枠で構わんニャよ? ニャハハハ!」
その瞬間、ヒロシはテーブルに額を打ち付けて派手な音を出していた。
「ぐはッ!? よ、嫁入り前の娘がそんなこと言うんじゃありませんッ! どこでそんな言葉覚えてきたんだッ!!」
ツッコミもどこ吹く風で笑うヒナタにヒロシは頭が痛くなってきたが、肝心のメリアがずっと静かな事に気付いて視線を移すと、彼女はショックのあまり硬直してしまっていた。
「ああっ、メリアが真っ白になっているッ!? しっかりっ!」
ヒロシがメリアの周囲でわたわたしている間に、騒ぎ声を聞いてやってきたエプロン姿のツキヨが丸いおぼんを振り上げ、ケラケラ笑っていたヒナタの頭めがけて振り落とした。ぽこんと音がすると同時に『ギニャ!』というヒナタの悲鳴が響いた。
「いってーのニャ! いきなりナニすんのニャ!」
「仲間の和を乱すような発言はやめろといつも言っているだろう。ヒロシどのもメリアも困っているじゃないか」
「えー、アタシは三食昼寝とお小遣いとお酒も込みで養ってくれるならー、別にやぶさかでもないけどニャ?」
ヒナタが懲りない発言をすると、ツキヨは顔に影を落とし両目をギラリと光らせ、再びおぼんを頭上に振り上げる。
「そうか、次は本気でぶん殴ってもいいんだな?」
「わーっ、ウソウソ! 茶目っ気のある冗談だニャ!」
「だったらいつまでも寝転がってないで席に就け。朝食の準備は出来てるぞ」
「はーい、朝飯だニャ―」
ヒナタはぴょんと飛び起きてテーブルの席に座り、全員揃ったところで朝食を口にするのだった。
それから何事もなく数日が過ぎて行ったが、ある日の昼前頃、ヒロシの家のドアを叩く者があった。
「はい、どちら様……って、うわ!?」
顔を出したヒロシは、そこに立っていた人物を見て思わず声を上げてしまった。訪問者は二人いて、一人は見覚えのある王宮の侍女であったが、もう片方が問題だった。声を聞いて集まって来た仲間たちも、玄関に立つその人物を見て全員が目を丸くしていた。
「リ、リィナ姫……どうしてこんな場所に?」
訪問者は紛れもなくリィナ姫その人であった。服装こそお忍び用のフード付きマントを羽織って姿を隠しているが、顔を見れば一目瞭然である。彼女はフードの中から青い瞳と美しいブロンドの髪を覗かせ、ヒロシにジトッと視線を送った。
「なんか失礼な反応ね。うわってなによ」
「い、いや、まさか姫様がいるとは思わなかったもので。それで、今日は一体なんの用で?」
「それよりもまず中に入れなさいよ。私にここで立ち話させるつもり?」
「あ、いや……ど、どうぞ」
ヒロシは上擦った声を出しながらドアを開き、リィナ姫とお付きの侍女を招き入れる。リビングに通されたリィナ姫は羽織っていたマントを脱ぎ、腰まで届く見事なブロンドの髪を手で掻き上げて整えると、テーブルの席に座ってヒロシを正面に座らせた。ヒロシの側にはヤクモとメリア、そしてツキヨが座り、ヒナタとウィルはソファーに腰掛けてこちらの話に耳を傾けている。
「それであのー、今日はどんな御用なのでしょうか」
ヒロシが恐る恐る尋ねると、リィナ姫は相変わらずムッとした表情のままヒロシを睨む。
「だから、さっきからどうしてそんな態度なわけ? 私と顔を合わせるのが嫌だっていうの?」
「いっ、いやそんなコトはありませんよ。突然の訪問で緊張しちゃって、はは……」
リィナ姫は小さくため息をついた後、少し不満そうな顔つきで言った。
「ここに来た理由はふたつよ。ずっとバタバタしてて、あんたたちにお礼もちゃんと言えてなかったから。その……助けてくれてありがとう。私のことも、お父様のことも。あなたたちが居てくれなかったら、今頃どうなってたか……」
珍しくしおらしい彼女の態度に全員が顔を見合わせたが、どうやら紛れもない本心のようであった。
「それでもうひとつの話、こっちが本題。相談したいというか……話した所でどうにかなるかは分からないんだけど」
そう前置きして、リィナ姫はため息交じりに話し始めた。
「最近、お父様の様子がおかしいのよ。落ち着きがないし、誰かの話し声がすごく気になってるみたいで……それで私も少し調べてみたんだけど、そしたら家臣の……いいえ、王都の民の間でもお父様に対する良くない話が広がってるみたいなのよ」
「はあ、良くない話ですか」
いまいちピンとこないヒロシに一瞬ムッとするも、リィナ姫は気落ちした様子で続けた。
「ほら……魔王軍が攻めてきたり、ダンという男のせいで王位を奪われそうになったり、立て続けに色々あったでしょ。それでお父様に国を任せてていいのかって声が、あちこちで出始めてるらしいのよ」
「あー、確かにそれは……」
魔王軍との戦いでは後手に回り、ダンにたやすく王位を奪われそうになったとあれば、王としての信用が落ちるのも無理はない。その重圧を一番に感じているのはダレル王本人であり、落ち着きが無くなるのも当然の話である。
「それで……恥を忍んでここへ来たの。お願い、お父様の力になってあげて」
珍しく気落ちした様子の彼女を気の毒には思ったが、ヒロシは少し考えて難しい顔をする。
「事情は分かりましたけど、それって俺たちでどうにかできる話なんですかね」
「どうにかしてもらわなきゃ困るのよ! あなたたちが味方に付いてくれれば、お父様を悪く言う連中も静かになるはずだわ」
「いやー、気持ちはお察ししますけど……俺たちが味方に付いたくらいじゃ、あまり意味はないのでは?」
「……え? なに言ってるの?」
「はい?」
リィナ姫は信じられないような顔をした後、眉間を指で押さえてため息をつく。
「もしかしてヒロシ、あなた自分の立場を全然自覚してないの?」
「はあ……?」
「んもう! 度重なる魔物退治と王都の危機を未然に防いだ実績、今じゃヒロシ率いるパーティの評価は王都でもトップクラスなんだから!」
「な、なんだってー!? そんな話、全然知らなかった……」
「あなた達も遠くへ飛ばされたりで大変だったみたいだから、よく知らないのも無理はないけど……とにかくそういう事だから、いい感じにお父様を立てて味方してちょうだい」
喋り続けて口が渇いたリィナ姫は、侍女が用意していた紅茶に口を付けて一息つく。その話をソファーで聞いていたヒナタは、両目をギラリと光らせて彼女の傍に近付いた。
「ふっふっふ、ちょっといーかニャ姫さん」
露骨にニヤニヤした笑みで近付くヒナタに、リィナ姫は思わず背筋を逸らせて引いてしまう。
「な、なによ……」
「アタシらに頼みごとをするからには、とーぜんそれなりの謝礼があるんだろーニャ?」
「うっ……そ、それは……上手く行ったらお父様に頼んであげるわよ」
「オォン? 人様にモノを頼む時に、そんなテキトーな口約束でいいと思ってんのニャ?」
「だ、だからこうして直接頼みに来てるんじゃないの!」
「はー、分かってないニャねえ姫さん。面倒な依頼するだけしといて、仕事済ませたらやっぱり言ってないなんてこの世界じゃよくある話ニャ。用済みになったらソイツを口封じのために始末するなんて珍しくもねーのニャ。そーならないって保証はどこにあんのニャ」
おそらくは実体験からくるであろうヒナタのスゴ味に、リィナ姫とついでに傍にいた侍女も涙目になってしまう。
「わ、私はそんなことしないわよ!」
「姫さんがしなくても、王様がどうかはわかんねーニャ。ヒロシもメリアも最初はあの王様にゴブリンの餌にされかけたニャ」
「う、ううっ……」
「さあ、どーすんのニャ? お人よしのヒロシと違って、アタシは結構根に持つ方だニャ」
ヒナタに詰められて窮するリィナ姫を見かねて、ヒロシは苦笑いをしつつ言う。
「まあまあヒナタ、そこまで言わなくても」
「ヒロシは黙っとくのニャ」
普段あまり見ることの無いヒナタの険しい顔つきに、ヒロシはごくりと息を呑む。
「世の中には絶対に安請け合いしちゃダメな話があるニャ。借金の保証人と付き合い出してすぐの結婚話、それからお偉いさんの非公式な頼み事ニャ」
(な、なんかやけに具体的だな……)
これも実体験なのかと思うヒロシだったが、ヒナタは相変わらずリィナ姫への態度を緩めていない。
「わ、私にどうしろって言うのよ」
「今回の話はアタシらが積極的に関わる義理がないって言ってんのニャ。今すぐ払えるカネも無いんだったら、せめて覚悟くらい見せるのがスジってもんニャろがい!」
ヒナタがテーブルを手のひらで叩くと、後ろにいた侍女は縮こまって震え出してしまった。リィナ姫も黙ってうつむいていたが、やがて顔を上げるとヒロシに向かって言った。
「ヒロシ、ナイフを貸してちょうだい。ちゃんと切れるやつよ」
「ナ、ナイフですか?」
言われるままにヒロシが冒険用のナイフを持ってきて彼女に手渡すと、リィナ姫は意を決した表情でナイフを鞘から抜き、自らのブロンドの髪に刃を押し当てた。ザクっという音と共にブロンドの髪は切り裂かれ、リィナ姫の髪は三分の一ほどの短さになってしまった。
「ひ、姫様……!?」
侍女は驚きのあまり口を手で押さえ、リィナ姫も両目に涙を溜めながら切り落とした髪をテーブルに置いた。
「今の私には……これしか価値のあるものは差し出せないわ。売ればそれなりのお金になると思うけど……それとも、私の髪の毛じゃ不満?」
ヒナタは真剣な顔つきでリィナ姫をじっと見ていたが、ふっといつもの笑顔に戻って彼女の肩をポンポンと叩く。
「ちょっと見直したニャ姫さん。これで恨みっこ無しだニャ」
「……ふん、分かってるわよ」
ヒナタは部屋の棚から糸を持ってきてテーブルの上の髪を束ねると、それを持ってソファーへと戻って行った。隣ではウィルが真っ青な顔をしていたが、彼女は「大丈夫」とケラケラ笑っていた。
「……それで、頼みは引き受けてくれるってことでいいのね?」
リィナ姫が確認すると、頷いて口を開いたのはヤクモだった。
「ええ、リィナ姫のご依頼、正式にお受け致します。ですが今のダレル王が必要としているのは、我々の力ではありませんね」
「……えっ」
その言葉を聞いてリィナ姫は凍り付く。
「あなたたちの力が必要ないって……待って、それじゃ私が髪を切ったのは無駄だってこと!?」
リィナ姫は悲鳴に近い声で頭を抱えて叫んだが、ヤクモは相変わらずの微笑で落ち着くように促す。
「無駄ではありませんよ。まだ我々の出番でないと言っただけです。今のダレル王に必要なのは家臣や国民からの信頼を取り戻すこと。それは我々が王の素晴らしさを宣伝して回ったからといって、元に戻るようなものではありません」
「ま、まあそうだけど……」
「差し当たって、ダンが残していった古代の機械部隊をさらに充実させ、戦力を整えるのがよろしいかと。いずれ来る次の戦いで彼らが戦果を挙げれば、ダレル王への支持も再び盛り返すでしょう。その時は我々も助力は惜しみません」
「そ、そうね……今はそれしかないのかしら」
「詳細な編成や今後の方針は、私の方で作成し書簡で送っておきましょう。王の役目とは国を運営し民を守り戦うこと。それを果たすことを第一に考えて頂ければと」
「わかったわ。お父様にもそう伝えておくわ」
「ああ、それと姫様。ひとつお尋ねしたいことが」
「なあに?」
「ゲオルク卿の亡き後、後任はどのような方かご存じでしょうか」
「ええ、知ってるわ。ゲオルク卿の代わりに軍を指揮することになったのは、彼の弟のデーヴィド。兄と違って控えめで目立たない人だって聞いたけど、詳しくは知らないわ。今回の事件で立場を継ぐまでは、半分隠居みたいな生活してたらしいのよね。まだ二十代だっていうのに」
「なるほど、デーヴィド様ですか。一度お目にかかりたいものです」
「ええ、機会があれば紹介してあげる。変に気難しい所がなければいいんだけど」
「よろしくお願い致します」
この時、話題に上がったゲオルク卿の弟について、後に王都にデーヴィドありと呼ばれるほどの大器であることは、まだ誰も知る由もない事だった。
「しかし……ふむ……」
話題の途中、ふいに考え込むヤクモを不思議に思い、ヒロシは彼の顔を見て尋ねた。
「先生、急に考え込んでどうしたんですか?」
「様々な情報を総合すると、今は大きな転換点へ差し掛かっている気がするのです」
「転換点?」
「ええ、国の情勢や魔王軍の動きを含めて時の流れを見てみると、これまで保たれていた均衡が崩れ始めているようです。こういう時、大きく歴史が動く出来事が起きたりするものです。それが何であるかまでは、私にも予想は付きませんが」
「大きな出来事かあ……悪いことじゃなければいいですけど」
ヒロシたちがそう話し込んでいるその時、まさに王宮ではひとつの事件が起こっていた。王宮の魔術師たちが慌ただしく駆け回り、彼らに呼ばれたダレル王が慌てて王宮の一角にある荘厳な間へと駆け込んできた。
「はあ、はあ……そなたら、予兆を感じたと言うのは本当か!?」
ダレル王の声に振り返った王宮魔術師の一人が、広間の床に描かれた魔法陣を指して頷く。
「間違いありません! これは……新たな転生者が出現する前触れです!」
床に描かれた文様には徐々に不思議な力が満ち、徐々に輝きを放ち始めた。それはダレル王がかつて見た、転生者ヒロシが出現した時とまったく同じ光景であった。
第二十四話 おわり
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