第二十三話 王都の長い一日(後編)
登場人物
ヒロシ:人間。異世界へ転生してしまった普通の成人男性
特別な能力がなにも無い『無能』の人
メリア:木精の血を引く少女。託宣の巫女の後継者と判明
魔法使いタバサの元で修行し中級魔法を習得した魔法使い
ヒナタ:キャットリング(ネコ人)の女戦士
かぎ爪と野生の勘で戦う明るい楽天家。口調に独特の訛りがある
ツキヨ:ラビットリング(ウサギ人)の女戦士
剣と槍、弓を自在に操る。真面目で慎重な性格
ヤクモ:薬売りを生業とする白衣の優男。戦略に関し天賦の才を持つ
非常に頭が良く、『無能』の転生者ヒロシに興味を持ち仲間になる
ゴーレム:遺跡の地下から出て来た古代の戦闘ロボット
鉱山の町で動力となる魔光石を手に入れ能力がさらに向上
ダン:辺境の村で暮らしていたリーダー格の男
念願の王都へ到着してからはヒロシらと別行動を取る
ウィル:ケンタウロス族の若者。人間と半人半馬の状態を切り替えられる
少し気弱だが実直な性格で、強い戦士に憧れている
ツキヨが王宮へ侵入を試みたのと同じ頃、ヒナタとウィルの二人は王都の外れにある区域へとやってきていた。この一帯は土地の開発が進んでおらず、そこへまともに税を払えぬ住民や流れ者といった連中が集まり貧民街を形成していた。整備が行き届かず無数のごみが散乱するこの地域は、粗末な建物が乱雑に並び、通りの至る所にテントが張られ、怪しい露店が軒を連ねている。こうした闇商売は取り締まりの対象となっているはずなのだが、すでに一定の規模のマーケットを形成してしまっていることや、貧民街が流れ者などの受け皿として機能していることから、存在を黙認されているというのが実情であった。
「な、なんか嫌な雰囲気ですねここ」
周囲からの視線を浴びながら、ウィルは居心地悪そうに呟く。普段着であっても貧民街の中では身なりが良く見えるウィルやヒナタは、それだけで注目を集めてしまう。特にヒナタは若く見た目も良い女性のネコ人であることから、特に男からの粘っこく値踏みをするような視線が注がれていた。今日のヒナタは革鎧を身に付けておらず、上半身は普段着の襟付きシャツのみ、下半身はショートパンツの上から鮮やかな模様の入った布を腰に巻き、スカートのようにして肌の露出を抑えていた。
「貧民街なんてどこもこんなもんニャ。隙を見せたら路地裏に連れ込まれて身ぐるみ剝がされるから、気を付けるニャ」
「ヒエッ、こ、怖すぎる……ヒナタさんはこういう場所、慣れてるんですか?」
「……昔、連れてかれた仲間を探してこういうトコに出入りしてたことがあるニャ」
そう答えたヒナタの表情から、一瞬だけいつもの明るさが消えたのを見たウィルは、ごくりと唾を飲む。
「そ、そうだったんですか。すみません、余計なことを聞いてしまって」
「気にすんニャって。別にウィルが悪いわけじゃないニャ」
もう少しその辺の事情を聞いてみたい気はしたが、これ以上踏み込んでヒナタの機嫌を損ねたくないと思い、ウィルは黙って彼女の隣を歩いていた。そんな緊張を察したのか、ヒナタはウィルの背中を強く叩き、二ッと笑って見せた。
「こらー、こういう場所では堂々としてないと駄目ニャ。カモだと思われたら、すぐ囲まれて袋叩きに遭うと思えニャ」
「はっ、はいっ、すみませんっ!」
「男ならシャンとするニャ。そんなんでか弱いアタシのこと、ちゃんと守れんのニャ?」
流し目で自分を見つめるヒナタに、ウィルはつい赤くなって前を向く。
「そ、それはもうっ! 誰が相手でも指一本触れさせませんッ!」
「あっはっは、頼りにしてるニャ。いざススメー!」
気合いを入れ直したウィルと共に貧民街を進んでいくと、やがて道端に立つ人々が、派手で肌の露出が多い女たちに変わり始めてきた。
「あの、なんか目のやり場に困る女性の方々が増えてきたと言うか……なんなんですか、ここは」
「お? ウィルは知らんのかニャ。ここに来た男は気に入った相手を選んで、そこら辺の宿とかでヨロシクやるっていう、まあそういう商売してる場所だニャ」
「そ、そうだったんですか!? あわわわ……」
こうした方面の事情にはまるで疎いウィルは、顔を真っ赤にして落ち着きなくキョロキョロとしてしまう。
「こんなの別に珍しいモンじゃないニャ。繁華街でもそういう店とか酒場はあるけど、ここは表に顔出せないような奴とか、許可も取ってない非合法な商売してる連中が集まってんのニャ」
「そ、そんな場所に姫様は連れて行かれたのか……無事だといいんですけど」
「この辺はごちゃごちゃしてるから、人を隠すには好都合ってことニャ。情報もなしに貧民街で人探しなんて、何日かかるか分かったもんじゃないニャ」
「た、確かに……」
そんな話をしているうちに、ヒナタとウィルは目的地の近くまで辿り着く。この周辺になるとそうした女性たちに加え、冒険者崩れのゴロツキと見られる風体の連中が目立つようになってきた。彼らは数人でたむろしていたり、道路脇でじっと立っていたりと様々だが、いずれも腰などに剣を携えており、通りを歩くヒナタたちに鋭い視線を向けてくる。二人は一旦前に進むのをやめ、手近な物陰に身を潜めた。
「な、なんかあからさまに怪しい雰囲気ですね」
「確かめるまでもなく当たりって感じだニャ。こんなに大勢集めて殺気ばら撒いてたら、ここに何かありますって自分で言ってるようなもんニャ。ド素人でも気付くニャ」
ヒナタは不快そうに耳をピクピク動かしながら、周囲の気配を探る。目の前に続く通りや物陰ばかりでなく、立ち並ぶ建物の窓からも外の様子を窺う視線があることに、ヒナタは辟易した様子で舌を出す。
「うへー、思った以上に見張られてんのニャ。たぶん見える範囲の建物全部に敵が潜んでるニャ」
「そ、そんなに? これ、僕ら二人だけで大丈夫なんですか?」
「それをどーにかするのがアタシらの役目だニャ。とはいえ、いちいち全員相手にしてられんし、どうすっかニャ……」
リィナ姫が連れ込まれたという宿までは、まだ百メートルほど離れているうえ、そこへ至る通りの監視は厳重である。このまま進めば呼び止められて追い返されるか、余計な騒ぎを起こしてしまうのは目に見えている。ヒナタは難しい顔をして首をひねり、うーんと悩んだ後、隣に立つウィルの顔をじっと見た。
「しょーがない、この手で行くかニャー」
ヒナタはシャツのボタンを外して胸元を大きく開くと、ウィルの左腕にしがみついて身体を密着させた。ウィルはぎょっとして顔を真っ赤にするが、ヒナタはしっかりくっついて離れようとしない。
「どっ、どどど、どうしたんですか急にっ!?」
「いーからいーから、このまま表に出るニャ」
「いやでもその……!! そんなにくっ付いたら腕に柔らかいのが、あ、あたっ……!?」
「当ててんだから当たり前ニャ。ごちゃごちゃ言ってないで、ほら行くニャー!」
ヒナタに引きずられるようにして、ウィルも強引に連れ出されてしまう。そのまま二歩、三歩と前へ歩き出すと、ヒナタがウィルの腕に顔をぐりぐりと押し付けながら言った。
「うっふーん、お兄さんてばアタシの好みだからー、サービスしてあげたくなっちゃうニャン」
まさしく文字通りの猫なで声が耳から脳へと突き抜け、ウィルは思わず全身が硬直してしまう。
「うっふーんて! どこからそんな声出してるんですかヒナタさんッ!?」
前を向いたまま、真っ赤になったままウィルは小声で言う。
「いーからアタシに合わせるニャ。周りの連中にこれからヨロシクやりに行くカップルだと思わせんのニャ!」
「ま、待ってくださいよ! こういうのは前もって言ってくれないと、心の準備が……!」
「乙女みてーなコト言ってんじゃねーのニャ! アタシのおっぱいじゃ不満かッ!」
「いや全然不満じゃないです凄いですッ、とても!!」
二人にしか聞こえない小声で言い合った後、ヒナタは大げさに身体をくねらせ、顔や身体をぐりぐり押し付ける。そうしてふらふら歩く二人の姿は当然の如く目立ってしまうが、そこへ向けられる視線は警戒のそれより、もっと別の感情へと置き換わり始めていた。
(ちっ、昼間からイチャイチャしやがって……!)
と、周囲の連中がイライラするのを尻目に、ヒナタとウィルはさらに前へと進んでいく。だが目的の宿まであと少しという所まで辿り着くと、道の両脇にいた冒険者崩れの連中が示し合わせたように動き出し、道を塞ぐような形で立ち止まる。あからさまに『これ以上近付くな』という警告であったが、ヒナタは視線だけ動かして周囲を確かめ、近くに狭い路地があるのを目ざとく見つけ出す。
「ねーねー、アタシ我慢できなくなってきちゃったニャ。こっちで先にイイコトするニャン」
またしてもウィルの脊髄に直撃しそうな甘ったるい声を出し、ヒナタはウィルを細い路地へと引きずり込む。二人の姿が見えなくなり、冒険者崩れたちは路地の近くまで急いで集まってきたが、それと同時に路地から声が聞こえてきた。
「あーん、お兄さんすっごいニャン。こんなの覚えたらクセになっちゃうニャーン」
突然響いて来た声に男たちはピタリと立ち止まり、聞き耳を立ててごくりと唾を飲む。冷静であればわざとらしいだけのセリフだが、この場にいる馬鹿たちにはそれどころではなかったのである。
「ちょっ、待ってくださ……そんなところ触っちゃ……!?」
「我慢しなくていいニャン。先に一回スッキリさせとくニャ、おにーさん」
「あっダメですこんな場所で!? ほっ、ほあぁぁーーーーっ!?」
甘い猫なで声と、若者の奇妙な絶叫が響いた後、細い路地からの物音がしなくなった。続きが気になった冒険者崩れたちがそっと路地を覗き込むと、道の真ん中で立ち尽くしているウィルの後ろ姿があった。彼は声を発さずただじっとするばかりで、不思議に思った三人ほどがウィルの前に回り込むと、上着がはだけて肩と胸が露わになり、肌に無数のキスマークを付けたウィルが真っ白に燃え尽きていた。
「こ、こいつ、立ったまま……!?」
騒然とする男たちの頭上でヒナタは建物の壁を登り切り、音も無く静かに移動していたのだった。
「さてと、下はウィルに任せるとして、姫さんの居場所を突き留めないとニャ」
ヒナタは素早く飛び跳ね、リィナ姫が監禁されているという、三階建てのボロ宿の天井へと取り付いた。ボロ宿と言われるだけあって安普請な作りであり、屋根板の一部がが腐ったり剥がれたりしている場所もある。中の気配を探ろうとヒナタが耳を当てると、鼓膜を突くような声が聞こえてきた。
「ちょっと、いつまでこんな所に閉じ込めておくのよっ! いい加減に外へ出しなさいよっ!」
確認するまでもなく、それはリィナ姫の声だった。建物の壁が薄いせいか、耳を当てなくても普通に声が漏れて聞こえてくる有様である。ヒナタは移動して真下の部屋の窓を確認するが、窓には鉄格子が嵌めてあり、しかも内側から板が打ち付けられていて中の様子を見ることは出来なかった。場所を変えて別の場所へ移動すると廊下の窓があり、そこは鉄格子と板が打ち付けられておらず中の様子を覗くことが出来た。廊下は狭く、リィナ姫の居るであろう部屋の前に見張りの男が一人立っているが、それ以外に人影は見当たらない。
「ふむふむ、他の連中は一階で守り固めてるんだろーニャ」
ヒナタは一旦顔を引っ込め、スカートの内側に隠していたワイヤー発射装置付きの手甲を左腕に装着する。そして右手を伸ばし、廊下の窓をコンコンと何度か叩いて待っていると、やがて内側から窓が開き、男が顔を外に出した。
「なんだよ、鳥でもいたのか?」
そう呟いて男が引っ込もうとした瞬間、屋根の縁を掴んでくるりと回転したヒナタの両足キックが男の顔面に炸裂した。
「ぶぺら!?」
ヒナタはその勢いのまま廊下に飛び込み、脳震盪を起こし倒れ込む男が床にぶつかる前にその身体を掴んで止める。音が出ないように男を廊下に座らせると、ヒナタは男が首にぶら下げていた紐付きの鍵をもぎ取り、奥の部屋へと向かう。奪った鍵を鍵穴に差し込んで回すと、カチャリと音がして錠が外れた。ドアを開けて部屋に乗り込むと、すこぶる機嫌の悪そうなリィナ姫が、普段目にするのと同じ赤いドレス姿でうろうろと歩き回っていた。
「やっほー、姫さん助けに来たニャ」
ヒナタの姿を見るとリィナ姫は思わず声を出しそうになった自分の口を手で塞ぎ、慌てた様子で駆け寄って来た。
「あ、あなたどうやってここに……なんてどうでもいいわね。私をここから連れ出しに来てくれたんでしょ?」
「だからそー言ってるニャ。見たところ怪我も無さそうで良かったニャ」
リィナ姫に衣服の乱れや傷を負ったような様子は無く、一応は丁重に扱われていたらしい。最悪な状況で無かった事にヒナタは内心安堵していたが、一方のリィナ姫は拳を握り締めてわなわなと震えだした。
「全っ然良くないわよ! こんな狭くて不潔で臭い部屋に押し込まれて、しかもここは壁が薄いから、あちこちからその……い、いかがわしい声がずっと聞こえて来るのよ! 私をこんな目に遭わせたあのダンって男、どうしてくれようかしら、キーッ!」
よほどこの状況が腹に据えかねていたのか、彼女は今にも爆発しそうな様子だった。もう少しその様子を眺めたい所ではあったが、今は一刻も早くこの場を離れなくてはならない。
「とにかくこんな場所からはさっさとオサラバするニャ。ちゃんとアタシに付いてくるニャよ姫さん」
「わ、わかったわ」
ヒナタはリィナ姫を連れて部屋を出たが、ちょうどそこで廊下の真ん中にある階段から登ってくる男と鉢合わせしてしまった。
「だ、誰だお前は!?」
「あちゃー、ツイてないニャ!」
ヒナタは言うが早いか勢いを付けた飛び蹴りを男に食らわせ、階段下へと転げ落とす。その音と振動が階下にまで響き渡り、下の方から複数の足音と声が聞こえてきた。
「しょーがない、ちょっと急ぐニャ!」
ヒナタはリィナ姫の手を引いて開いたままの窓までやってくると、彼女の身体を右腕で抱き寄せ、左手を窓の外に向けて伸ばす。
「ちょっと、なにやってるのこんな所で!」
「姫さん黙ってるニャ。喋ると舌を噛むニャよ」
バシュっと音を立ててワイヤーが発射され、先端の返しの付いた杭が隣の建物の屋根に突き刺さる。ヒナタは両足で力強く床を踏み、ワイヤーを巻き取る勢いと併せて窓から外へ飛び出した。
「~~~~~~っ!?」
声にならない悲鳴を上げるリィナ姫を抱きかかえ、ヒナタは宙を舞って屋根の上に着地する。素人に不安定な屋根の上を走れとは言えず、ヒナタは姫を一旦下ろしておんぶに切り替え、屋根から屋根へ飛ぶ。そのままウィルと分かれた地点まで戻って地上を見ると、相変わらず細い路地の中でウィルが一人で固まったままだった。集まって来た男たちもすでに解散してしまったらしく、周囲に他の男たちの姿は見当たらない。
「こらーウィル、いつまで硬直してんのニャ! 若さアピールはもう十分だニャ、起きろー!!」
ヒナタの声にようやく我に返ったウィルは、キョロキョロと周囲を見回した後、ハッと顔を上げた。
「姫さんは連れ出して来たニャ! 表に出て受け取る準備しろニャ!」
「はっ、はいいっ!」
ウィルは乱れていたシャツや上着を慌てて戻し、走って表の通りへと飛び出す。そのまま走り続けながらグッと意識を集中すると、ウィルの身体が光に包まれ、次の瞬間には下半身が馬となった半人半馬の姿へと変化していた。ヒナタはそれを見届けると屋根の低い建物へと降り、そこから続けてウィルの背中へと飛び降りた。
「よーし、ウィルはこのまま貧民街を突っ切って脱出するニャ。アタシはテキトーに追手をおちょくって注意を逸らしてくるニャ」
「あっ、ヒナタさん一人じゃ無茶ですよ!」
「いーから言う通りにするニャ! 今は姫さんを無事に逃がすのが最優先ニャ!」
ヒナタはウィルの背中から飛び降り、ウィルの尻を平手で叩いて走らせる。それからくるりと背後に振り返ると、無数の追手がこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。
「んじゃ、遊んでやるとしますかニャ!」
ヒナタはスカート状に巻いていた腰の布を剥ぎ取り、中に隠していたかぎ爪を右手に装着すると不敵に笑う。やがて追いついた五人の男たちが剣を手に一斉に襲いかかるが、ヒナタは地面すれすれまで姿勢を低くし、最初の一人に足払いを仕掛けて転ばせ、そのまま地面に手を突いて両足蹴りで二人目を蹴飛ばし、その反動で起き上がると同時に男たちの頭上まで跳躍、三人目の頭を踏んづけてさらに跳躍すると、並んでいた残りの二人を空中回し蹴りでなぎ倒して着地した。一瞬のうちに五人を片付けたヒナタは『ふふん』と得意気に鼻を鳴らしたが、ふと見ると周囲の路地や建物から、アリのようにワラワラと武器を手にした冒険者崩れたちが現れ始めた。ざっと見ただけでも、その数は五十人以上もいる。
「あ、あれぇーっ? さすがにこの数はズルくないかニャ?」
などと独り言を呟いてみるものの、彼らはさらに数を増して迫ってくる。ヒナタは愛想笑いを浮かべながら後退し、冷や汗を浮かべている。
「ふっ……こうなったらもー、いよいよ最終奥義を発動するしかなさそうニャね」
静かに目を閉じ、フッと笑みを浮かべた直後、ヒナタはくるりと背を向け全力で走り出した。
「無理無理無理ッ! こんなの相手してたら壊れちゃうニャ!」
背中越しに「待てゴラァァァァァ!!」という罵声を浴びながらヒナタは全力疾走する。そうしている間にも周囲の建物や路地からは続々と冒険者崩れの荒くれ者たちが合流し、気が付けば百人近い人数に膨れ上がっていた。
「ギャーッ!! お助けーーーーッ!!」
どうにか走り続けて貧民街の出口近くまで辿り着くと、道の真ん中に立つ一人の女の姿が目に入った。つばの広い大きな三角帽と着崩した魔法使いのローブ、服とおそろいの黒いヒールを履いたその美女は、ワインの瓶を片手にじっとヒナタの方を見ている。彼女こそメリアの魔法の師匠にして、自称大魔法使いのタバサその人である。だが、ヒナタはその名前を知ってはいても、顔や外見はまだ知らなかった。
「やれやれ、あの子がどうしてもって言うから来てやったけど、すいぶんとお盛んな子猫ちゃんだねえ」
タバサは呆れた様子でため息をつき、手にしたワインをラッパ飲みする。
「誰だか知らんけど邪魔だニャ! アタシは今のっぴきならねー状況なのニャ!」
行く手を塞がれたヒナタが息を乱しながら言うと、タバサは酒臭い息を吐いて答える。
「見れば分かるわよぉ。でもね子猫ちゃん、自分の手に負えないものを後先考えず相手しようだなんて感心しないわ」
「ごちゃごちゃうるさいニャ! 巻き込まれたくなかったらさっさと退くニャ!」
「ま、だから私がここに居るんだけどさー。あー頭痛い」
タバサは気怠そうにそう呟くが、次の瞬間急に青ざめた顔をし、口元を手で抑えてえずき始めた。
「うぷっ……おえええええーーーっ!」
ヒナタは野生の勘で間一髪飛び退いて難を逃れたが、タバサはその場で盛大に胃の中身をリバースしていた。傍で見ていたヒナタはおろか、後を追いかけてきた冒険者崩れたちもその光景を見て足を止め、少し引いてしまっていた。
「あー、ちょっとすっきりした……さてと、あんたらここは通行止めだよ。大体さー、いい歳の男どもが女の子一人を追い回してるなんて、みっともないとか思わないわけ?」
据わった眼で口元をぬぐうタバサに、先頭にいた冒険者崩れの男が手に持った剣先を向けながら叫ぶ。
「知ってるぞ。お前、いつも冒険者ギルドで飲んだくれてた年増の魔法使いだな。そこのネコ女をこっちに渡すなら、命だけは助けてやってもいいんだぜ」
ニヤニヤと笑いつつ、大量の冒険者崩れたちは周囲を囲むように広がっていく。
「あーもー! オメーのせいで囲まれたニャ! どうオトシマエ付けてくれんのニャー!」
ヒナタは目を三角にしてプンスコ怒るが、タバサはまったく気にしていない様子で正面の男に言った。
「誰にケンカ売ってるのか分かってないあたり、まだまだ青いねえ。いいわよ、一人でも全員でもかかっておいで」
タバサはそう言い、指先で冒険者崩れたちを挑発する。彼らは「上等だ!」と叫んで一斉に雪崩を打って四方八方から襲いかかってきた。
「ギャーッ!? これどうすんのニャ、アホ酔っぱらいー!!」
ヒナタが怒り心頭と言った様子で叫ぶのとは正反対に、タバサはのんきにくしゃみを放っていた。
「はーっくしょん!」
その瞬間、タバサを中心にして巨大な竜巻が巻き起こり、近付いて来た十数人を巻き込み、一瞬にして空高くへ吹き飛ばしてしまった。空中でもみくちゃになった冒険者崩れの男たちは、近くのバラックやボロ小屋の屋根に落下して頭から突き刺さり、前衛アートのオブジェクトみたいになってしまっていた。
「なっ……!? こいつ、ちゃんと魔法が使えたのか!?」
惨状を目の当たりにした冒険者崩れの男が引きつった声を出すと、タバサは顔を上げてため息をつく。
「はぁ、時の流れってのは残酷ねえ。私が誰かも知らない連中が、こんなに増えてるなんてさ。そりゃ歳も取るわけだわ」
一瞬で無数の仲間をやられ、二の足を踏む冒険者崩れたちだったが、先頭に立つ男が険しい表情で叫んだ。
「うるせえ! あんなデカい魔法は何度も連発出来ねえだろ、たった二人ぽっち、全員で圧し潰しちまえ!」
普通に考えれば、その男が口走った言葉は正しい。魔法は高い威力の代わりに連発が難しく、威力が上がれば上がるほどその傾向は強くなる。一度に十数人を吹き飛ばすような魔法を放ってしまえば、次の魔法の発動までには相応の隙が発生する。魔法使いはそこを突かれると弱いため、無防備な間は前衛に守ってもらう必要があるというのが一般的な認識だったからだ。
「ああ、それが正解だよ普通ならね。でもさ、アンタらの前に立っているのは大魔法使いだってこと、もうお忘れ?」
タバサが唇をすぼめて上空に息を吹くと、そこから真っ黒な雲が渦巻き始め、一瞬にして上空へと広がっていく。周囲を暗くするほど広がった暗雲は雨雲へと変化し、叩き付けるような強い雨を周囲に降らせ始めた。
「な、なんだあっ、急に雨が……!?」
あっという間にずぶ濡れになってしまった冒険者崩れたちは戸惑いながら足を止めたが、身体や足元がずぶ濡れになった以外に変化はなかった。やがて雨の勢いが弱まると、タバサは鋭い目つきで言った。
「さてと、最後の警告だよ。このまま大人しく引き上げるなら見逃してあげる。そうでないなら、きついお仕置きが待ってると思いな」
だがその言葉を聞いてなお、濡れた冒険者崩れの男は不敵な態度を改めようとはしない。
「へっ、そんなハッタリでビビるかよ。もう二度も魔法を使ったんだ、どんなに急いだって次の魔法は間に合いやしねえはずだ。野郎ども、とっ捕まえてひん剥いてやれ!」
下衆な笑みと共に突っ込んでくる冒険者崩れたちの大群を見て、タバサは鋭い目つきのままでヒールをカツンと踏み鳴らした。するとと突然、なんの予兆もなしに上空の雲から稲妻が生じ、雨に濡れた地面を直撃した。強烈な電撃は一瞬にして周囲に広がり、ずぶ濡れになった冒険者崩れの大群全てを巻き込んで伝播していった。
「ぎゃあああああああああ!?」
青白い光と衝撃に全身を貫かれ、彼らは絞り出すような悲鳴を発しながら痙攣していた。タバサとヒナタの身体には防御の魔法が展開され、水の一滴さえ触れておらず無傷のままである。電撃の奔流が過ぎ去った後、黒焦げになった冒険者崩れたちは、全員が糸が切れた人形のようになって同時に地面に倒れ込み、もう起き上がることはなかった。
「す、すげー。杖も詠唱も無しでこんな威力の魔法を連発するなんて、初めて見たニャ。オメー何者だニャ」
たった一撃の魔法で冒険者崩れの集団を壊滅させてしまったタバサに、ヒナタは驚きを隠せなかった。
「おや、メリアから聞いてないのかい? 私はあの子の師匠のタバサっていうんだ、覚えておきなよ子猫ちゃん」
「あ、メリアの師匠だったんかニャ! どーりで強いワケだニャ。ところで……こいつら全員殺しちまったのニャ?
戦場と見紛うような周囲の惨状に、ヒナタはぞっとした表情で尋ねる。
「ヘーキヘーキ、ちゃんと手加減したから死んじゃいないよ。ただし二、三日は足腰が立たないだろうけどね」
「魔法使いっておっかないニャ……」
メリアをからかうのも程々にしようと、心の中で密かに思うヒナタであった。
「ともかく助かったニャ。アタシは助けた姫さんを信用できる人間の家まで連れてかなきゃならんから、また後でニャ」
「ああ、ちょいと待ちなって」
早々にその場を立ち去ろうとしたヒナタの肩を掴み、タバサが呼び止める。
「それ私のコト。ウチにかくまって欲しい人がいるって、メリアに頼まれててね。ここに来たのもあの子の頼みだから仕方なくだよ。それにしてもさー、無茶は程々にしときなよ子猫ちゃん。私が居なかったらどんな目に遭ってたか、少しは想像できるでしょ」
「無茶でもなんでも、これはアタシらの生活とショーライセッケーがかかってんのニャ。ダンのバカを止めるしか、アタシらが生き残る手はないんニャ」
「……それもそうか。ま、この話はここら辺にして……おーい、もう出てきていいわよ」
タバサが声をかけると、建物の陰からリィナ姫を背に乗せたウィルが出て来た。
「ああっ、ヒナタさん無事でしたか。どこか怪我とかしてませんかっ」
小走りで駆け寄り、焦った様子で無事を確認するウィルに、ヒナタはニッと笑って顔を向ける。
「ニャハハハ、このヒナタ様が簡単にやられるワケねーのニャ。でも心配してくれてありがとニャ」
ホッと安心するウィルの背中に跨っていたリィナ姫は身を乗り出し、口を開く。
「ねえ、一体何が起こっているのか教えてちょうだい。私は急にあの連中に捕まってこんな場所まで連れてこられて……お父様は無事なの? ねえ、ねえ!」
彼女の心配はもっともであるが、今この場で話すには説明するべきことが多すぎて、ヒナタもウィルもどう答えればいいか悩んでしまう。
「まあまあ姫様、ここで長話するわけにもいかないし、続きは私の家で。そこで順を追って説明いたしますわ」
「そ、そう……じゃあ早く行きましょ。もうこんな場所に長居したくないもの」
タバサの言葉に少し気が軽くなったのか、リィナ姫は緊張の糸が切れたようにうなだれてしまう。無事に彼女を救い出すことに成功し、ヒナタたちは急いで貧民街を脱出するのだった。
着替え終わったヒロシとヤクモが案内された宴の間では、広いホール状の部屋に真っ白なクロスが敷かれたテーブルがいくつも並び、身分の高そうな貴族の男や着飾った女たちが大勢いた。二人が姿を見せると、色めき立ったのは女たちであった。彼女らの視線の先にはヤクモがおり、正装し身なりを整えた彼の姿は、そうと知らなければ貴族と見間違うほどの端正さと落ち着きを兼ね備えていた。早速彼の周囲には女性たちが集まり始め、正装したところでパッとしないヒロシは女たちの輪に弾かれ追いやられてしまう。
「まいったな、ヤクモ先生があんなにモテるとは思わなかった。出来が違うってのはこういう事なんだなぁ」
遠巻きにその様子を見たヒロシは、その場で頭を搔きながら呟いた。他に知り合いも見当たらない会場でぽつんとしていた彼だが、しばらくして後ろから袖を引っ張られて振り返る。そこには髪を結い、白いドレスを身に纏ったメリアが、少し落ち着かない様子で立っていた。
「お、お待たせしましたヒロシ様。このドレス、メイドの皆さんが用意してくださったんですけど……私、似合ってますか?」
ヒロシは口をぽかんと開けたまま、ただじっとメリアを見つめている。ヒロシの反応が無く、メリアは小首を傾げてもう一度尋ねる。
「あの……ヒロシ様?」
その呼びかけでようやく我に返ったヒロシは、思わずビクッと身体を震わせた。
「……あ、いや、ちゃんと聞こえてるっ! 大丈夫っ!」
明らかに挙動がおかしいヒロシの様子に、メリアは心配そうに顔を近付ける。
「もしかして、どこか具合が悪いんですか? だったら……」
「そ、そうじゃないんだ、別に体調が悪いとかじゃなくて。メリアが綺麗だったから、つい見とれちゃって」
「えっ」
「……はっ!?」
つい口から出た言葉だったが、それは紛れもない本心である。ヒロシとメリアは顔を赤くして一歩距離を取ってしまったが、しばらくして恥ずかしそうにしながら見つめ合った。
「あーっと……そのドレス、よく似合ってるよメリア」
「は、はい、ありがとうございます。変じゃなくて良かったです」
「変なんかじゃないよ。メリアは普段から可愛いけど、こういう服装は見たことなかったから新鮮で……って、はうっ!?」
またしても口から出た言葉を聞いて、メリアは耳まで真っ赤になってうつむいてしまった。ヒロシも自分が口走った台詞が急に恥ずかしくなり、その場でわたわたと変なポーズを繰り返していた。
「あ、あの……こんな時に言うことじゃないって分かってるんですけど、それでもヒロシ様に喜んでもらえて良かったです」
メリアはうつむいたまま、そっとヒロシと腕を組んで身体を寄せる。こうした状況に慣れていないヒロシは直立不動のまま、落ち着きなく視線を泳がせるばかりであった。だが、慣れない場所で自分のすぐ隣にメリアが居てくれることは心強く、彼女もまた同じ気持ちであった。若干の居心地の悪さを感じつつも時間が過ぎ、やがてテーブルの上に食事が運ばれてきた。ちょうどお腹が空いて来たタイミングだったので、二人はバイキング形式の料理を皿に取り、部屋の隅にある休憩用のソファとテーブルが設置してあるスペースへ移動し、そこで二人並んで腰を下ろし料理を口に運んでいた。
「それにしても、みんな無事かな」
惣菜の揚げたジャガイモをフォークで口にしつつ、ヒロシは呟く。すでに時刻は昼を過ぎ、それぞれの作戦が開始されているはずである。メリアも同じことが気になっていたようだが、ヒロシほど不安の色は濃くない様子だった。
「大丈夫ですよ、きっと。皆さん強いですし、私のお師匠様にも手助けしてくれるようにお願いしましたから」
「お師匠様って、あのタバサって人だっけ。俺は酒飲んでる所しか記憶にないけど……」
「もう、なに言ってるんですか。お師匠様は私なんかよりずーっと、それこそ指一本でひねっちゃうくらい強いんですよ。それに昔は魔王と戦ったこともあるって言ってました」
「ま、魔王と戦った!? いやちょっと待った、女神様が言ってた魔王と同じかは分からないけど……だとしたらあの人、何歳なんだ?」
ヒロシが首を傾げて考え込むと、メリアはむっとした表情で言う。
「女性の年齢を詮索するのはマナー違反ですよ、ヒロシ様」
「アッハイすいません」
メリアに怒られ反射的に謝るヒロシだったが、そうしているうちに宴の間へ、護衛を連れたダンが姿を現した。その姿は王様が身に付けるのと同じ上等な衣服を着て、肩飾りの付いた赤いマントを羽織っている。事情を知らない者が見れば、彼が王だと思うくらいには堂々とした態度であった。ダンが姿を見せたことで宴の間の空気は張りつめ、ピリピリとした緊張感が漂い始める。場の注目が集まる中、ダンはヒロシの姿を見つけると真っ直ぐ近付いてきた。
「ようお二人さん。宴は楽しんでもらえてるか?」
相変わらずの調子で言うダンだが、ヒロシにとっては嫌な汗が滲む瞬間である。余計なことを口走らないよう、ぐっと背中に緊張が走る。
「ま、まあ……料理は美味しかったよ」
若干言葉を詰まらせながらそう答えるヒロシを、ダンはじっと見つめる。ヒロシが気になったのはダン本人より、その両脇で武装した護衛が立っている威圧感の方だったが、ダンは護衛を一歩下がらせヒロシの隣に座り、グッと肩を組んできた。
「そうカタくなるなってヒロシ。それより見ろよ……この場に居る奴ら全員が俺の敵だ」
ダンの言う通り、まだ王として認められていないダンの味方と言えるのは、彼が引きつれている兵士たちくらいである。
「だが、あと少し経てばそいつらが俺の家来になる。王様って椅子をぶん取る奴がいたら、貴族だろうが頭を下げてそいつに従うしかないのさ。よくよく考えると変な話だよなあ?」
「あ、ああ……」
「確かに変な話だが、世の中がそう出来てるんなら、俺はそれを利用させてもらう。この国を手に入れ、いずれは魔王もブッ倒して俺が世界を統一するんだ。でっけえ夢だろ?」
どう答えていいか分からずヒロシが沈黙していると、ダンはガハハと笑って肩に回していた腕を離す。
「まあ見てろ。俺はやると言ったら必ず実行する。お前らのことも悪いようにはしないからよ」
相変わらず言葉に詰まって黙るヒロシから視線を移し、ダンはメリアをジロジロと眺める。
「なるほど、なかなかいい具合に化けたんじゃねーか? あと数年もすれば、もっといい女になるぜ」
メリアはその言葉に答えることなく、わずかに視線を落としたまま耳を傾けている。沈黙続きの状況にうんざりしたのか、ダンはソファーに深く背を預けるように座って言った。
「おいおい、これじゃ俺がお前らをいじめてるみたいじゃねーか。なあメリア、せっかくだし魔法かなんかで場を盛り上げたりしてくれよ」
ダンにとってはただの軽口だったろうが、メリアは口元を真っ直ぐ結んだまま首を横に振る。
「魔法は見世物じゃありませんから……でも、代わりに私が踊ります。それで良いでしょうか?」
「ほう、踊りねえ。せっかくだし見せてもらうとするか。ヒロシも見たいよな?」
ヒロシがこくりと頷くと、メリアはソファーから立ち上がり、二人の前で踊りを披露し始めた。それは踊り子が披露するようなダンスと違い、流麗で神秘的な舞に近い動きだった。ヒロシは初めて見るメリアの舞に見入っていたが、ダンはしばらく眺めた後、用意させた酒を口にしながら言った。
「ほう、なかなか上手いもんだ」
その後もゆったりとした舞いは続き、やがてメリアは躍り始めと寸分違わぬ位置に戻り、静かに舞いを終えた。ダンが最初に手を叩きその音が響くと、遅れて周囲からもまばらな拍手が飛び交った。
「この踊りは幼い頃、母に教えてもらいました。詳しくは聞いてませんでしたけど、きっと女神様に捧げるための、託宣の巫女の舞だったんだと思います」
「だろうな。昔見た旅巫女の舞に似てる気もするぜ」
「……では、私はこれで」
メリアがお辞儀をしてヒロシの横へ戻ろうとすると、ダンは急に立ち上がり彼女の腕を掴んだ。
「あの、離してください」
「なあメリア、俺と組まねえか? まだまだうちは人材不足でよ、有能な魔法使いも欲しいと思ってたんだ。お前ほどの腕なら、不自由なく暮らせる待遇で雇ってやるよ」
不敵な笑みを浮かべて言うダンを、メリアは怖気づくことなく真っ直ぐに見つめ返す。
「せっかくですがお断りします。私は今の生活で十分満足していますから」
「待て待て、お前ほどの才能を埋もれさせとくのは国の損失ってもんだ。考え直さねえか?」
「お断りしますと言ったはずです。私が誰と共に在るかは、自分で決めます。そっとしておいてください」
「こりゃ手厳しいねえ。だが理解に苦しむぜ……お前がヒロシの傍にいることに、なんの得があるんだ? 特別な『能力』のない転生者のお守りをするのが、そんなに楽しいのか、え? それこそ青春の無駄遣いってもんだぜ」
腕を掴むダンの手に力が入り、メリアの細い左腕が軋む。だがメリアはまるで怯むことなく、ダンの頬を右手で張り飛ばした。
「人を裏切ったあなたに、ヒロシ様のことを悪く言われたくありません!」
「っく、この――!」
「それに……それにカーラさんがどんな気持ちでいるのか、少しでも考えたことがあるんですか! こんな姿を見たら……!」
メリアが言い終わる前に、今度はダンの張り手がメリアを襲う。とっさに腕で顔を庇ったものの、メリアは弾き飛ばされて床に倒れ込んだ。
「メリア!?」
ヒロシは慌てて駆け寄り、メリアを抱き起こす。大した怪我はしていないようだが、彼女の両眼には大粒の涙が浮かんでいた。無論、それは痛みからくる涙ではない。その雫の中に、怒りで仁王立ちするダンの姿が映り込んでいた。
「うるせえ、カーラのことは口出しすんじゃねえっ! お前になにが分かるってんだ!」
ダンの怒り方は尋常ではなく、どうやら痛い所を突かれた様子である。だが頭に来ていたのは彼一人ではなかった。
「ダン……どうしてメリアを殴った? 都合が悪くなったら暴力で黙らせるのが、それがお前のやり方なのかよッ!」
ヒロシはダンに食って掛かろうとするが、そこへ護衛の兵士が構える槍の先が付き付けられる。
「うっ……」
ダンは腰に下げた剣を抜き、剣先をヒロシの眼前に付き付けて睨んだ。
「人情ごっこで渡っていけるほど世の中は甘くねえんだよヒロシ。覚えとけ……邪魔をする奴、逆らう奴は皆殺しにしてやる!」
一触即発の空気に、周囲は騒然となっていた。これ以上刺激すればダンは暴発しかねないが、互いの感情を上手く収めるいい方法も思いつかない。緊迫した空気が続いたその時、宴の間の外から、乾いた破裂音が響き渡った。それは王宮の裏庭の方角から、空に向かって打ち上がった信号弾のものだった。その音にダンとヒロシが我に返るのと同時に、宴の間へ取り乱した様子の兵士が駆け込んできた。
「た、大変です! 裏庭でロボットが暴れて、機械部隊に被害が出ています!」
「なんだと!?」
それを聞いたダンは窓の方へ走り、外の様子を確かめる。この場所からは遠くてよく見えないが、裏庭の方角から激しく争う声と、白い煙が立ち上っているのが見える。
「なんだ、どこのロボットだ……!? おい、あれはなんの騒ぎなんだッ!」
ダンに怒鳴られた兵士は縮こまり、真っ青な顔をしてさらに続けた。
「そ、それが……た、大変申し上げにくいんですが」
「なんだ、はやく言えッ!」
「ダ、ダレル王が脱獄しました……ッ!」
その瞬間、ダンだけでなく周囲の兵士たちも含めて激しい動揺が走った。ダンは数秒ほど言葉を失っていたが、すぐに兵士の襟首を掴んで怒鳴った。
「この大バカ野郎! 見張りどもはなにをやってたんだ!」
「そ、それが脱獄を手引きした仲間がいたみたいで……そいつに変な薬を嗅がされて放心状態なんです」
「ク、クソッタレがあ~~~~~~ッ!!」
ダンは兵士の顔面を拳で殴りつけ、悪鬼のような形相でヒロシの方を睨み付けた。
「やりやがったなヒロシ! この騒ぎはお前らが仕組んだんだろうッ!」
ざわざわという声と共に、ダンの周囲から人が離れていく。ヒロシはメリアと一緒に立ち上がり、負けじと睨み返した。
「ダン、本当は分かってたんだろ。こんなやり方は間違ってるって。分かってたのに、どうしてここまで来ちゃったんだよッ!」
ダンは奥歯が潰れそうなほどに歯を食いしばり震えていたが、やがて深く呼吸をして落ち着きを取り戻した。
「……仕方ねえ、あと一歩の所だったのに、とんだ邪魔が入ったもんだ。だが俺は諦めねえぞ。次に会う時には、必ずこの国を手に入れてやる」
そう言って強気の姿勢を崩さないダンだったが、遠巻きに状況を見守る人々の中から声が響いた。
「残念ですが、あなたに次はありません。チェックメイトです」
そう言いながらヒロシたちの元へ歩み寄って来たのはヤクモだった。彼は肩に一匹のハトを乗せており、その足には書簡を入れる小さな筒が括り付けられている。筒の蓋はすでに開いており、その中身らしき紙切れをヤクモは手にしていた。
「誰がチェックメイトだと?」
そう言い返すダンに対し、いつもと変わらぬ微笑を浮かべたままヤクモは言った。
「脱出したのは王だけではありません。貧民街に拉致されていたリィナ姫もすでに救出されました。周囲に潜んでいた手勢百人余りも撃退済みです。彼女を人質に再起を図るつもりだったのかもしれませんが、どうやら詰めが甘かったようですね」
「――!?」
その言葉を聞いた瞬間、ダンは稲妻に撃たれたように硬直し、顔中から汗を吹き出し始めた。手足はわなわなと震えて止まらず、表情はどんどん青ざめていく。
「ダン、あなたは何もかも急ぎ過ぎたのですよ。辛抱強く信を得ていれば、いずれ高名な将軍ともなれたでしょうに」
「うっ……ぐううっ……!」
「わずかな成功に慢心し、王を裏切った簒奪者。これがあなたの得た全てです。こんなものがあなたの望みだったのですか」
「う、うるせえっ!! 黙れ、黙れっ!!」
ダンはとうとう膝から崩れ落ち、その場に両手をついてうなだれた。もはや護衛たちも戸惑うばかりで、彼を守ろうとする者はいなかった。ヤクモは懐から小さな布の包みを出し、それを緩めてダンの目の前に放り投げる。布の中から半分ほど飛び出したのは、鞘に収まった短剣だった。
「自分の不始末は自分の手で付けなさい、ダン。大人しく自害するのであれば、せめてあなたの汚名が軽くなるよう取り計らいましょう」
もはや逃げ道は無い。王宮に幽閉したゲオルク卿もじきに発見され、そうなれば誰もダンの命令を聞くことは無くなるだろう。ダンは激しい眩暈と動悸の中、震える手で目の前のナイフを掴む。
「ば、馬鹿な……お、俺が、こんな……俺は、俺は……!」
ダンはナイフの柄を両手で握り締め、血走った眼で刃を見つめる。だがその先にヒロシの姿を見た瞬間、ダンの中で何かが音を立てて崩れ去った。
「俺がッ! あるはずがねえんだッ! こんな所でぇぇぇぇぇーーーーーーッ!」
突如としてダンは獣のように飛び出し、ヒロシとメリアめがけて突進した。その手には腰だめに構えたナイフが鈍く光っていた。
「メリア危ないッ! 離れるんだッ!」
ヒロシは咄嗟にメリアを押しのけ、自分が盾になるように立ちはだかった。ダンが身体ごと迫って来た瞬間、ヒロシは考えるよりも先に一歩前に踏み出し、逆に自分からぶつかりに行った。そのまま二人は揉み合うように倒れ込み、床を何度か転がって止まった。ヒロシはダンの身体の下敷きになっており、やがて床に赤い血だまりが広がっていく。その光景にメリアは悲鳴のような声を上げた。
「ヒロシ様!?」
その声に反応するように、ダンの身体がピクリと動いた。正確には、下敷きになっていたヒロシがダンの身体を持ち上げ、その下から這いずり出てきたのである。ヒロシがダンの身体を仰向けに転がすと、彼の左胸にはナイフが深く突き刺さっていた。
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……!」
血にまみれた手と服もそのままに、ヒロシはダンをじっと見ていた。ヒロシが近付いて突き刺さったナイフに手を伸ばそうとすると、いきなりダンの右手が動いてナイフの柄を握った。
「うっ……!?」
ダンは勢いよく上半身を起こすと、その場に胡坐をかいて座り込み、自分の胸元を見て薄笑いを浮かべる。
「へっ、へへへ……ザマぁねえな、とんだドジ踏んじまったもんだぜ、この俺がよ……」
ダンは血の気が全くない青ざめた顔で、笑いながらヒロシを見る。
「な、なあヒロシ。お前も考えたことくらいあるだろ……? 自分はなんのためにこの世に生まれてきたのかってよ……」
「ダ、ダン……」
「お、俺の人生は……いや、誰だってそうだが……他人の添え物じゃねえ……わ、わかるよな……」
「ダン、俺は――!」
「ずっと誰かに使われて終わるくらいならよ、自分一人でどこまでやれるか……たとえ地獄に落ちようが、俺の生き方は俺だけのもんだ……そう思ってやってきたがよ……ぐうっ……」
「もういい、喋ったら余計に苦しいだけだ!」
「ごふっ……そ、そんな顔すんなよ……お前は悪くねえ……せめてダチのために、俺も最期くらい……」
ダンは口から血を吐きながら、左胸に突き刺さるナイフに目を落とす。
「じゃ、じゃあなヒロシ……短い間だったが、楽しかったぜ……あばよ……!」
直後、ダンは刺さっていたナイフを一気に引き抜く。傷口からは溢れた血が溢れて飛び散るが、ダンはお構いなしにそのナイフを自分の喉に突き立てた。ダンはそのまま前方に崩れ落ち、そしてもう二度と喋ることはなかった。
第二十三話 おわり
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