第二十二話 王都の長い一日(前編)
登場人物
ヒロシ:人間。異世界へ転生してしまった普通の成人男性
特別な能力がなにも無い『無能』の人
メリア:木精の血を引く少女。託宣の巫女の後継者と判明
魔法使いタバサの元で修行し中級魔法を習得した魔法使い
ヒナタ:キャットリング(ネコ人)の女戦士
かぎ爪と野生の勘で戦う明るい楽天家。口調に独特の訛りがある
ツキヨ:ラビットリング(ウサギ人)の女戦士
剣と槍、弓を自在に操る。真面目で慎重な性格
ヤクモ:薬売りを生業とする白衣の優男。戦略に関し天賦の才を持つ
非常に頭が良く、『無能』の転生者ヒロシに興味を持ち仲間になる
ゴーレム:遺跡の地下から出て来た古代の戦闘ロボット
鉱山の町で動力となる魔光石を手に入れ能力がさらに向上
ダン:辺境の村で暮らしていたリーダー格の男
念願の王都へ到着してからはヒロシらと別行動を取る
ウィル:ケンタウロス族の若者。人間と半人半馬の状態を切り替えられる
少し気弱だが実直な性格で、強い戦士に憧れている
ヒロシたちが鉱山の町を襲撃した魔物の群れを撃退したという報せは、すぐ王都中に広まった。しかしここで強調して語られていたのは、ダンが発掘した機械の部隊が、いかに優れていたかという事であった。実際、古代兵器の武装のおかげで魔物の群れの大半を殲滅出来たのだから間違いではないのだが、噂で聞く話ではいつもこの部分が強調されていた。ヒロシは殊更に自分たちの活躍を主張する気も無く、ひとまず魔物撃退の報酬を受け取るために冒険者ギルドへと足を運んだ。ヒロシがギルドのマスターに挨拶して近付くと、ひげを生やしたマスターは明るい表情で迎えてくれた。
「よう、鉱山の町を救った英雄サマのお帰りだな」
「はは、そんな大したものじゃないですよ」
「だがワイバーン三匹を倒したのはお前さんたちなんだろ? あまり話題にゃなってねえが、立派な戦いぶりだったって聞いたぜ」
マスターはそう言いながら一度店の奥に引っ込み、報酬が入った袋を持って戻って来た。
「ほれ、今回の報酬だ。俺もあやかりたいもんだねえ」
袋の重みを確かめつつぼやくマスターだったが、それをカウンターに置いてから小声で喋り始めた。
「ところでヒロシさんよ、もう聞いてるか?」
「え、なにをですか?」
「ほれ、あのダンって男の話だよ。一時はアンタらの仲間だったっていう」
「ああ、ダンがどうかしたんですか?」
マスターは周囲を気にするように視線を動かし、続けた。
「実はな、今度あのダンって男が王都軍の部隊長を任されるらしいんだよ。まだ正式な話じゃないが、偉いさんたちの間じゃその方向で話が進んでるそうだ」
「へえ、ダンが軍の隊長に……すごいな」
「あいつ、以前はうちの店に何度も出入りして荒くれたちを集めてたからな。それが古代の機械を掘り当てて、おまけに今度の功績もプラスで軍の部隊長に大出世さ。俺もいろんな人間を見てきたが、あの行動力だけは大したもんだぜ」
「確かに押しは強い性格だったなあ、うん」
「なんでこの話をしたかって言うとだな、この話にアンタらも少し関わってるからさ」
「え? 俺たちが?」
「お前さんはあんまり自覚が無いみてえだが、ヒロシとその一行って言えば王都じゃすでに有名人なんだ。あちこちで手柄も立ててるしな。で、ダンはそのヒロシの仲間でもあったってんで、アイツの言うことを簡単に信じ込むやつも大勢いるのさ。貴族様だって例外じゃねえ」
「な、なんか余計なこと喋ってなければいいんだけど、ダンのやつ」
ヒロシが想像しながら苦笑していると、マスターはぐっと顔を近付けて言った。
「笑いごとじゃないぜ。アンタぁ自分の知らない所で名前を使われてダシにされてるんだ。それにこいつは俺の勘だが、あのダンって男……どうも腹にイチモツ抱えてる気がしてな。ヒロシも厄介ごとに巻き込まれないよう気を付けなよ」
「わ、わかったよマスター。心配してくれてありがとう」
「へっ、アンタはうちにとっても上客だからな。つまんねえ事で潰れて欲しくないだけさ」
「ああ、気を付けるよ」
ヒロシは報酬を受け取り、冒険者ギルドを後にする。以前は酒場に多くたむろしていた荒くれ冒険者も、ほとんどがダンの仲間に加わり姿を見なくなった。おかげで繁華街周辺の治安と雰囲気も良くなり、ダンが彼らをまとめているなら悪いことばかりでもないかと考えながら、ヒロシは自宅へと帰って行った。その日の夜、夕食を囲むテーブルでヒロシは冒険者ギルドでの話を同居する仲間たちにも伝えた。
「そうですか、ダンが部隊長に抜擢されましたか」
さほど驚いた様子もなくそう言ったのはヤクモだった。まるで想定通りといった口ぶりに、かえってヒロシの方が内心驚いたくらいである。
「ヤクモ先生はこうなると分かってたんですか?」
「ここまでの出来事を考えれば自然な流れですよ。王都の軍隊に古代兵器の部隊を提案し、実戦での成果も示して見せた。これだけの手土産があれば、部隊長の座を与えられるのも順当な評価と言えます。とはいえ彼は新参者ですから、いきなり多数の兵を与えられるとも思えません。新設の部隊であることも含めて、彼の指揮下に入る兵の数は五百前後といった所でしょうか」
「じゃあ、元から居た百人くらいも合わせると、大体六百人くらい?」
「ええ、その程度かと」
「おおよそ六百かあ……その人数だと行動を起こすのは難しそうだなあ」
「はい。いくら古代の機械を所有しているとはいえ、不審な動きをすればすぐに制圧されるでしょう。現状のままであれば、行動を起こすのは難しい。しかし……」
ヤクモは含みのある言い方をして言葉を区切り、ヒロシは黙ってその続きを待つ。
「それはあくまで順当な流れを辿った場合の話です。策を講じる時に重要なのは、相手や周囲の目を欺くこと。例えばヒロシどのがカードの賭け事をしているとしましょう。その時、自分の手札が相手に知られている状態で、勝負を仕掛ける気になりますか?」
「いやあ、さすがに手札がバレてちゃ無理ですよ」
「その通り。仮に私が王に逆心を抱く者であったとして、手札を伏せ計画の実行までに仕込みを済ませるのが当然です。それなりの兵を動かせる有力者に近付き、古代兵器を手土産に交渉する。そして計画が成功した暁には有力者を王座に立て、自分はあくまで彼に恭順する意思を示す。こうすれば共犯者は己の手を直接汚すことは無く、汚れ役はこちらに押し付けることが出来る。あえて自分たちを都合の良い駒と見せておくことで、共犯への抵抗感を薄める効果も期待できます。そして元から王宮での地位を持つ人物であれば、その台頭に一定の説得力を持たせ、後の不満や反乱を抑え込む大儀を掲げることも可能です。私ならば最低限、このように動きますが」
「う、うわあ……ちょっと先生、実際にありそうで怖い怖い」
やけに具体的なヤクモの推察にヒロシは思わず引いてしまったが、それだけに現実味も十分に帯びた話だった。
「計略は相手に知られず、裏をかく事が肝要です。十分に準備を整え決定的な隙を突くことが出来たなら、寡兵であっても容易に城を落とす事が可能です。ダンがこれらを心得ているとするなら……近いうちに動きがあるかもしれません。我々も十分注意しておきましょう」
ヤクモが語る話の説得力と、ダンを信じたいという気持ちは半々であったが、それから数日と経たぬうちに、ヤクモの推測は実現してしまった。
それはダンが正式に部隊長へ任命される叙任式の日であった。まばらな雲が浮かぶ青空の下、新たに設立した古代兵器部隊とその指揮官の姿を見せるため、王城の中庭にダレル王と王都の重臣たち、ダンと彼が率いる兵士たち、そして新たに発掘された古代の機械がずらりと立ち並んでいた。王都の中核を成す人物が一堂に会するその時、事件は起こった。だが、それは王都を震撼させるような衝撃的なものではなく、静かに進行していった。その日は特に目立った変化もなく、一日が過ぎて行った。しかし翌日の朝になると状況は一変し、その騒ぎはヒロシたちの耳にも飛び込んできた。
「大変だ! ゲオルク卿が兵を率いて王宮を乗っ取ったらしいぞ!」
そう叫んで回る市民たちによって、王都は騒然となった。ゲオルク卿とはダレル王の重臣の一人で、主に軍を統括する立場の人物である。しかし彼の地位は勇猛果敢な将軍だった亡き父から引き継いだもので、ゲオルク卿本人は父親ほどの武芸の才はなく、軍事や政治に関してもまったく凡庸な人物だった。それ故に有能であった父と比べられることが多く、また重臣たちの中でも低い序列での扱いとなってしまったことから、日頃から他人の視線に人一倍敏感で、怒りやすく気難しい人物――というのがもっぱらの評判の人物だった。その凡庸さゆえ、今回のような行動を起こす度胸や胆力があるとは見なされていなかったゲオルク卿が王宮を乗っ取ったという報せは、大きな衝撃を伴って王都に広まっていった。ヒロシたちがその噂を聞き付けた時、ヤクモは「ついに始まったか」と呟いた。国の一大事ではあるが、立場上は王都の一市民に過ぎないヒロシたちは余計な騒ぎを避け、自宅のテーブルに向き合って座り顔を突き合わせていた。
「ヤクモ先生、どう思います? 今回の件、やっぱり……」
「ダンが新設部隊の隊長へと叙任されたのと同時この騒ぎが起きたのは、偶然ではないでしょう。ならば――」
ヤクモは少しだけ考えてから、その場にいる全員の顔を見て言った。
「一度顔を出すとしましょうか、王宮へ」
その場の全員がポカンとした顔をする中で、ヤクモはいつも通りの微笑みを浮かべていた。
王宮の正門は固く閉じられ、その両脇は武装した兵士が守りを固めている。すでに何度も行き来して見知った光景ではあるが、今日はその兵士たちに無言の圧力と殺気が感じられる。だがヤクモはそんな空気に動じることなく、一人前へ出て兵士に声をかける。
「どうも、ヒロシとその一行でございます。城内へ通して頂きたいのですが」
平時と変わらぬ様子でそう言うヤクモに面食らったのか、兵士はしばし言葉が出ない様子だったが、ハッと我に返ると手にした槍を構えて言った。
「ダメだダメだ、今日は誰も通すなとの命令が出ている。それにお前、あの騒ぎを知らんはずがないだろう」
「もちろん存じております。だからこそ王宮に用事があるのです」
「お前たち正気か? ともかくここを通すわけにはいかんのだ、諦めて帰れ!」
「残念ながら……ここで大人しく引き返すのであれば、我々もわざわざ出向いたりはしません。どうしても通せぬというのなら、不本意ながら力で押し通らせてもらいましょう。そうなればこの扉に大穴が開くことになると思いますが、その覚悟はおありですね?」
ヤクモの後ろには戦闘態勢のゴーレムと、杖を構えたメリアが立っている。この二人が本気を出せば、ヤクモの言葉を実現させることも訳はない。
「うっ……き、貴様、我らを脅す気か? くっ……」
兵士は引きつった顔で仲間の顔を見ると、鉄兜を目深に被り直して呟く。
「我ら下っ端の兵士には、なにも教えられておらんのだ。なぜ急にこんな事になったのか、こっちが教えて欲しいくらいでな……お前たちはそれを確かめに行くつもりなのだな?」
「ええ、おっしゃる通りです」
「……俺たちはなにも知らんし見ていない。それでいいな?」
「ご協力感謝致します。我々もこのことは口外しないと約束致しましょう」
ヤクモの交渉により、ヒロシたちは王宮の正門を通してもらえることが出来た。王宮の中は慌ただしい様子は無かったが、各所に立つ兵士や女中たちの様子は落ち着きがなく、あちこちから聞こえる話し声には戸惑いが色濃く浮かんでいた。そうした様子を横目で眺めながら、ヒロシたちは玉座のある謁見の間へと向かった。そこでもやはり扉の前で警備兵に足止めされたが、今度はヒナタとツキヨが力ずくで兵士たちを追い払い、謁見の間への扉を蹴飛ばして中に足を踏み入れた。
「何事だ騒々しい! 誰も通すなと命じたはずだぞ!」
そう叫んだのは玉座に座る身分の高そうな男であった。年齢は三十代半ばくらいとまだ若く、険しい表情のせいもあってか神経質そうな顔つきをしている。身に付けている衣服は豪華で、肩の部分に飾り付けの付いた派手なマントを羽織り、頭にはダレル王が被っていたはずの王冠を乗せている。彼が王宮を乗っ取ったというゲオルク卿であり、そしてその傍らにはヒロシたちも良く見知ったダンが立っていた。
「む……お前たちはヒロシとかいう冒険者とその一味か。私はお前たちを呼んだ覚えなどない。どうやってここへ来た」
すこぶる機嫌の悪そうなゲオルク卿だったが、ダンは彼をなだめながら言った。
「お待ちください陛下。連中は私が呼んだのですよ。少し相談したいことがありましてね。ですが、その前に……」
ダンは素早く腰の剣を抜くと、玉座に座るゲオルク卿の喉元に刃を突き付けた。
「あんたがその椅子に腰掛けるには十年、いや三十年早いぜ」
「なっ……貴様、なんのつもりだ! まさか裏切るつもりか!?」
青ざめた顔のゲオルク卿に、ダンは呆れたような笑い顔を浮かべる。
「いいや裏切りじゃありませんよ陛下。計画は順調に進んでましてね……おかげで平和的に玉座を手に入れられた。大いに感謝していますとも」
「な、なんだと!? 貴様、もしや最初から……!?」
「残念だが無駄話してる暇はないんでね。続きはまた今度にしましょうや」
ダンが合図をすると、謁見の間に控えていた兵士たちがゲオルク卿に近付き、武器を取り上げたうえで羽交い絞めにする。その表情はニヤニヤとした笑みを浮かべており、ヒロシはその兵士たちが、ダンが集めた荒くれ者たちであるとすぐに気が付いた。
「陛下を丁重に部屋までお連れしろ。まだ用が残ってるんでな、ケガさせるんじゃねえぞ」
ダンはゲオルク卿の頭から冠を取り上げると、彼が謁見の間から連れ出されるのを見届けてからヒロシの方へ振り向いた。
「へへっ、まさかお前らの方から出向いてくれるとはな。もう少ししたら、こっちから呼ぼうと思ってたんだぜ」
悪びれる様子もなく、普段通りの調子で言うダンの姿に、ヒロシは言いようのない不安を感じた。
「ダン、どうしてこんな……王宮を乗っ取るなんて、本気なのか?」
「おいおい、冗談でこんなマネ出来るわけがねえだろう。本気も本気、大真面目さ」
ダンはゲオルク卿から取り上げた王冠を頭に乗せ、不敵な笑みを浮かべながら玉座に腰掛ける。
「なるほど、悪くない座り心地だ。王様ってのはこういう気分だったんだな」
足を組んでこちらを見下ろすという不遜な態度を取るダンに、ヒロシはごくりと生唾を飲み、言った。
「今は人間同士でモメてる場合じゃないだろ。こんな騒ぎを起こしてる間に、魔王軍が襲ってきたら……!」
「だからこそ必要だったんだよ。分からねえかヒロシ?」
「えっ……?」
「俺も自分なりに王都の連中については探りを入れてたのさ。だがな、王宮の連中は偉そうな椅子に座っちゃいるが、テメェでは何もしようとしねえ。魔王軍と戦うのは転生者任せ、軍を動かすのはいつもコトが起きた後だ。その辺はお前の方がよく知ってるだろ」
「……」
「そんな甘っちょろいやり方で、魔王軍を相手にできると思ってんのか? 奴らには四魔将って大物と手下の魔物軍団がいて、そのうえ古代兵器もとっくに戦力に加えてんだ。いつ現れるか分からねえ転生者に期待する前に、こっちも出来る限りの手を打って戦力を増やすしかねえだろうよ。そう思ってるのは俺以外にも大勢いるんだぜ」
「だからって、こんなやり方でなくても良かったじゃないか。王様や姫様たちはどうしたんだ」
ヒロシの口からその言葉が出ると、ダンは何故か憐れむような眼を向けて来た。
「……聞いたぜヒロシ。お前、こっちの世界に来てすぐ、『能力』が無いからってゴブリンの餌にされる所だったんだってな。そんな人情のねえ奴らに肩入れする必要があんのか?」
「そ、それは……」
「安心しろ、まだ殺しちゃいねえよ。相変わらずお人よしな奴だ」
ダレル王やリィナ姫が無事と聞いて安堵するヒロシだったが、そんな彼を見るダンの両目は好奇や憐れみ、あるいはもっと複雑な感情の色が渦巻いていた。
「なあヒロシ、俺はお前を敵に回したくはねえが……邪魔しようってんなら容赦は無しだ。そっちも苦労して建てた家や今の生活を台無しにしたくはないだろ?」
「うっ……」
「ま、俺とお前の仲だ、今すぐ返事をしろとは言わねえ。一日猶予をやるから、仲間と一緒に身の振り方ってヤツをよく考えるんだな。明日の朝、またここへ顔を出せよ。答えはその時に聞かせてもらうぜ」
「お、おい、ダン――!」
「俺は必ず自分の夢を成し遂げてみせる。どんなにこの手が汚れようとな……そういう覚悟がねえ奴に俺を止めることは出来ねえぞ」
ダンのその言葉を聞いた後、ヒロシたちは兵士たちに囲まれ、王宮から追い出されてしまった。仕方なく自宅へと戻ったヒロシたちは、今後のことを考え重い気分のままだった。
「あああっ……ダンのやつ、なんてことをしでかしたんだ」
頭を抱えてテーブルに突っ伏すヒロシを見つめながら、ヤクモは口を開いた。
「どうやらずいぶん悪い状況となってしまったようですね。ダンの行動を放置していれば、取り返しのつかない事態を招くことになります」
その言葉に顔を上げたヒロシは、不安そうな顔をしてヤクモの言葉を待つ。
「軍の一部を掌握し、自らが王と成り代わる……ダンの狙いはある程度成功したと言えるでしょう。しかし問題はこれからです。時が経つほど騒ぎは知れ渡り、彼の行動を良しとしない諸侯は反撃の準備を整え、首謀者のダンを打ち倒そうとするでしょう。そうなれば王宮はもちろん、王都全体が戦場と化す恐れがあります。戦が始まれば多くの住民にも犠牲が出るうえ、その隙を魔王の軍勢に狙われたらひとたまりもない。それだけはなんとしても避けねばなりません」
王都が戦場と化す――その言葉を聞いただけでもヒロシは眩暈がしそうだった。話を聞いている他の仲間たちも同様で、皆がヤクモの話に耳を傾けている。
「我々も無関係ではいられません。ダンを王都へ連れて来た以上、いずれ責任を追及されるのは目に見えている。この状況を傍観してしまえば、我々の立場も足元から揺らぐことになります。王都からの追放か、あるいは死罪か……いずれにせよ厳しい結果となるでしょう」
「し、死罪!?」
その言葉を聞いて顔を青くするヒロシだったが、ヤクモは表情を動かさずに答えた。
「ならば考えられる最善の手はひとつ。出来るだけ早く、我々の手で事件の始末を付けることです」
「始末って、まさか……」
「我々も肚を括らねばならないのですよ。多くの犠牲が出る前に事態を食い止めるには、それしかありません」
しばらくの間、重苦しい空気と沈黙が続いた。ヒロシは両眼を見開いたままうつむいてテーブルを見つめていたが、やがて疲れの滲む顔を上げて尋ねた。
「あの……そういえば王様やお姫様たちはどうしてるんですかね」
「ダンの言うように、彼らはまだ生きているはずです。新たな王の誕生を示すためには、必要不可欠な儀式が残っていますから」
「儀式?」
「民衆の前で古き王や彼の血縁者を処刑し、自らが新たな王であるとアピールする。王都での後ろ盾がないダンにとっては、自らの存在を知らしめる為にもそうする必要があります」
「処刑!? いやまあ、あんまりいい思い出のない王様だったけど……姫様だってこんなのに巻き込まれて気の毒すぎるじゃないか」
「それが王族の宿命です。都合のいい時だけ個人として逃れることは出来ません。早ければ明日にでも処刑は行われるでしょう」
ダレル王にはいい思い出があまり無く、リィナ姫は口を開けば口うるさい人だと思ったものだが、だからといって処刑されても仕方が無いと思うことは出来なかった。こうしている間にも、王都の運命の時は刻一刻と迫って来ている。
「ヒロシどの、ご決断を」
どちらを取るかなど悩むまでもない、分かり切ったことだった。それなのにヒロシはずっと、胸の奥に引っ掛かる感情を振り払うことが出来ないままだった。
「――それで、身の振り方は決まったのか?」
翌日の朝、謁見の間で昨日と同じように足を組んで玉座に腰掛け、ダンは面会にやって来たヒロシとヤクモ、そしてメリアの三人に尋ねた。こういう場での言葉遣いに慣れていないヒロシは返事をしようとするが、うまく言葉が出てこない。それをフォローするように、すかさずヤクモが一歩前に出てお辞儀をし、じっとダンを見て答えた。
「我々は無用な争いを望みません。転生者ヒロシとその仲間一同は、新たな王に恭順いたしましょう」
丁寧な回答にダンは口の端を上げ、玉座から立ち上がるとヒロシの前に歩み寄って来た。
「賢明な判断だな。俺はてっきり小言のひとつでも言われるかと思ってたぜ」
ヒロシの肩に手を置いて笑うダンとは対照的に、ヒロシの表情は固いままである。
「これでもずいぶん悩んだんだ。おかげで昨夜は一睡もできなかったよ」
「そいつは悪いことをしちまったな。だが、ここらで世渡りの仕方を覚えておくのも勉強ってもんだぜ。ところで他の三人はどうしたんだ」
ダンの言う通り、謁見の間に現れたのはヒロシとヤクモ、メリアの三人だけで他の仲間の姿は見当たらない。
「こういう場所は性に合わないって留守番してるよ。話し合いなら俺たちだけでも十分だろ?」
「……まあいい、そういう事にしといてやるさ。だが……余計な真似はするなよ」
顔を近付けて言うダンの声には、単なる脅しではない威圧感が含まれていた。嫌な汗が頬を伝い落ちるのを感じてヒロシがごくりと喉を鳴らすと、ダンはゆっくり離れて玉座へ戻って行った。
「さてと、心配事がひとつ消えた所で提案だ。この後、新たな王の誕生を祝う宴を開く予定なんだ。ついでだからお前らも参加していけよ」
ダンが合図をするとヒロシたちの元へ数人の侍女が近付き、客室へと案内される事となった。ヒロシとヤクモは同室だが、メリアは女性という事で、廊下を挟んだ正面の別室に分かれた。宴のために用意された礼服を渡されたヒロシは、ジャケットに袖を通した瞬間、つい懐かしさを感じてしまった。しかしそれは楽しかった事よりも、毎日夜遅くまでくたびれて働いた事ばかりが思い出され、苦笑いと共に溜め息を漏らすしかなかった。
「どうしましたヒロシどの、気分がすぐれませんか?」
慣れた手つきで着替えを済ませたヤクモは、いつもと変わらぬ穏やかな表情で言う。緊迫した状況にあっても一切態度が変わらない度胸は大したものだと思いつつ、ヒロシは答えた。
「あ、いや大丈夫ですよ。ちょっと昔のことを思い出しただけで。それより宴を開くなんて、ダンはどういうつもりなんですかね」
「もちろん、ただの祝い事ではないでしょう。王宮の守りを固めているのはダンの古代兵器部隊とゲオルク卿の私兵のようですし、外から城に攻め込んでダンを討ち取るには、攻め込む側も相当な犠牲を覚悟しなければなりません。王都の重臣や有力者を宴に呼びつけ、大人しく従えば良し、そうでない者は排除する……これがダンの狙いだと私は見ています」
まるですべて見通しているかのようなヤクモの頭の回転の速さに、ヒロシは舌を巻くしかなかった。
「……それで、これからどうしましょうか」
「今は待つしかありませんね。彼女たちが上手くやってくれることを信じましょう」
そう言って窓の外へ視線を向けたヤクモに続いて、ヒロシも不安そうな眼差しで窓の外を見つめていた。
一方その頃。ヒナタとツキヨ、そしてウィルの三人は大人しく家で留守番などしているはずもなく、三人で繁華街の冒険者ギルドへ足を運んでいた。無論、意味もなく足を運んだのではない。冒険者ギルドには様々な人間が出入りしているが、その中には表沙汰に出来ないような暗い部分に精通している者もいる。そうした連中の中で、金額次第でどんな質問にも答えるという『情報屋』の存在があった。その情報屋を呼ぶ方法は、いつも空いている店の一番奥のテーブルに金貨一枚を裏向きに置いて待つというものだった。この手順を教えてくれたのはヤクモであり、王都に関する情報を仕入れるために、かつて接触を図った事があるのだという。ヒナタたちは教えられた通りに一番奥のテーブルに裏面を上にした金貨を一枚置き、少し離れたテーブルに腰掛けて様子を窺っていた。
「それにしてもヤクモのやつ、よくこんなの知ってるニャ。人畜無害そうな顔して、結構やることやってんのニャ」
感心と呆れが混じったように言うヒナタに、ツキヨはジトっと険しい目を向ける。
「いかがわしい言い方はやめろ。日頃から物事の先を読むためにも、ヤクモどのにとっては必要な事だったはずだ」
「お? ツキヨは最近アイツの肩を持つニャ。もしかして気に入ってんのニャ?」
「ヤクモどのの知恵には何度も助けられて来ただろう。私はそれに敬意を払っているだけだ」
「別に悪く言ってるワケじゃないのニャ。でも、アイツってば未だに底が見えん部分があるし、変わった奴だと思うのニャ」
「まあ、そこは否定しないが……」
「アタシは反応が面白いヒロシとかウィルと遊んでる方がいいニャ」
「だから、いつからそういう話になったんだ、まったく」
女性二人の会話に入れず固まっていたウィルだったが、ふと奥のテーブルの方へ目をやると、いつの間にか頭からすっぽりとローブを纏った人物が席に座っていた。
「ヒナタさん、ツキヨさん、来ましたよ! たぶんあれが『情報屋』です……!」
ウィルが小声で二人に知らせると、ヒナタとツキヨはすぐさま耳をピンと立てて顔を向け、席を立ってローブ姿の人物へ近付いていった。ウィルも慌てて席を立ち、二人の後ろから様子を見守る。
「オメーがなんでも教えてくれるっていう情報屋かニャ?」
ニヤリと不敵に笑うヒナタだが、ローブを纏った情報屋は特に反応する素振りも見せず、妙に低くしわがれた声で言った。
「王都の事ならカネ次第でなんでも答えてやる。テーブルの金貨は俺の指名料として受け取っておく」
そう言って情報屋は手袋を嵌めた手で金貨をつまみ、懐にしまい込む。ヒナタは大きな瞳に情報屋の姿を映し、その動きに気を配りながら尋ねた。
「それじゃさっそく質問だニャ。王宮の乗っ取り事件があった後、王様たちがどこへ連れて行かれたか教えて欲しいのニャ」
誰かに聞かれたら兵隊が飛んできそうな発言だったが、情報屋は取り乱すような反応をすることもなく、人差し指を立てて声を発した。
「……料金は三千だ。値引きは一切応じない」
事務的にそれだけ言って黙る情報屋に、ツキヨが貨幣の入った袋を渡す。情報屋はその中身を確かめると、真っ暗で表情が見えないフードの奥からこう答えた。
「ダレル王は捕らえられた後、王宮の牢へ連れて行かれたようだ。牢の見張りと周囲の警備は、全員ダンという男の部下と入れ替わっているとも聞いたな。料金分としてはこんなところだ」
やはり淡々と喋る情報屋だったが、そこへ口を挟んだのはツキヨだった。
「待て。ダレル王の居所は分かったが、リィナ姫はどうなった? 一緒にいるのか?」
「……そっちは別料金だ。聞きたければ追加で一万払いな」
いきなり三倍以上の情報量を吹っ掛けられ、ヒナタは指先の爪を見せつけて情報屋を睨み付ける。
「オメー、アタシらをボッタクろうとはいい度胸だニャ。そんだけのカネがあったら、上等な酒が何ヶ月飲めると思ってんだコラー!」
「払えないなら諦めな。情報ひとつで命も国も動く。あんたらがやってる取引ってのはそういうことだ」
ヒナタの威嚇にもまるで動じる様子のない情報屋を見て、ツキヨが彼女を腕で制止する。
「分かった、言い分のカネは払おう。リィナ姫はどこにいるか教えろ」
ツキヨがさらに大きなカネの袋を渡すと、情報屋は変わらぬ動作で中身を確かめ、答えた。
「王宮の乗っ取り事件があった日の夕方、ダンの手下の荒くれども数人が、慌てた様子で王宮から何かを運んでいた姿が目撃されている。行先はこの繁華街の外れのボロ宿だ。そしてそれと同じ時間に、リィナ姫の姿が王宮から消えている。これを偶然と思うかは、お前たちの判断に任せるが」
話を聞いてヒナタとツキヨ、そしてウィルは顔を見合わせる。
「王様が牢屋に閉じ込められたのは分かるけど、今の話がリィナ姫だとすると、どうしてそんな場所に運んだんだろう」
ウィルが首を傾げると、少し考え込んでからツキヨが言う。
「推測だが、いざという時の人質だろうな。ダンの身に不測の事態が起きた時、彼女の身柄は交渉に使えるはずだ」
「やれやれ、悪いヤツが考えそうな話ニャ」
話を聞いたヒナタが頷き、ウィルも憤慨した様子で二人に尋ねた。
「だとしたら早く姫様を助けてあげないとかわいそうですよ。それで、誰がどっちに行きますか?」
その問いかけに、ツキヨは言った。
「私は王宮に潜り込んでダレル王の救出に向かう。ヒロシどのから預かったゴーレムがあれば、万一の場合でも押し通れるはずだ」
「んじゃ、アタシはウィルと一緒に姫さんを助けに行くニャ。こっちの仕事が片付いたら手伝いに行くから、それまでヘマするんじゃねーのニャ」
いつもの調子で軽口を叩くヒナタに、ツキヨも口の端を持ち上げて応じる。
「ふっ、後で笑われないように気を付けるさ。ウィルもこれでいいな?」
「はっ、はいっ!」
三人の行動が決まった所で、不意に情報屋が言葉を発した。
「今日は王宮で宴が開かれ、日が傾く頃に新王の宣言……つまりダレル王の処刑が始まるそうだ。覚えておくといい」
それを聞いたヒナタは情報屋の姿をじっと見つめ、耳をぴくぴくと動かしてから言った。
「まさか今のもカネよこせって言うんじゃねーだろニャ」
「こいつはサービスだ。金払いのいい客にはいつもそうしている」
「ふーん、商売上手なヤツだニャ。ところで……お前、どっかで会ったことニャいか? なーんか知ってる気がすんのニャ」
情報屋は質問に答えず、ただ沈黙を貫いている。ヒナタは彼の纏っているローブを引き剝がしたいと思ったが、ぐっと我慢していた。
「まあいいや、今はそれどころじゃないニャ。聞きたいことは聞いたし、これでお開きニャ」
ヒナタがくるりと仲間の方へ向き直ると、ツキヨもウィルもこくりと頷く。
「よし、それでは作戦開始だ。みんな抜かるなよ」
「俺も足手まといにならないよう頑張ります。ツキヨさんもお気を付けて!」
ヒナタたちは二手に分かれ、それぞれの目的地に向かって歩き始める。王都の長い一日が始まろうとしていた。
数時間後、ツキヨは二頭の馬を連れ、背負った大きな籠の中にタマゴ型に縮んだゴーレムを入れて王宮の裏手へとやってきた。この状態のゴーレムは地面からわずかに浮いていて重さを感じる事が無いため、移動は負担が無くスムーズだった。ツキヨは近くの木に馬を繋いでから少し離れた雑木林の中に身を隠すと、背負っていた籠を下ろしてタマゴ型のゴーレムを地面に置く。
「ここなら目立つこともないだろう。ゴーレム、元に戻れ」
ツキヨの言葉に従い、ゴーレムは一瞬にして身長三メートルほどの大きな人型へと変身する。
「私はこれから単独で王宮に潜入し、牢に囚われた王の救出に向かう。お前は合図があるまでここで待機していてくれ」
「むっ」
相変わらず目を光らせる以外にコミュニケーションの取れないゴーレムだが、話はしっかり伝わっている様子である。
「合図を確認できたら王宮に乗り込み、騒ぎを起こして兵隊の注意を惹き付けて欲しい。この役はお前が適任なんだ」
「むっ」
「武器を持った相手には反撃していい。が、なるべく命は奪うなとヒロシどのからの伝言だ。彼らしい提案だが……ともあれ頼んだぞ」
「むっ」
ゴーレムが目を光らせて返事をすると、ツキヨは微笑みながら冷たい装甲を撫でてやった。それから音の出る金属の鎧をその場に脱ぎ、彼女は黒いインナーだけの身軽な姿となる。腰に差した鋼鉄の剣と鉤付きロープを持ち、ツキヨは静かに王宮の城壁に近付いた。鉤付きロープを投げてその先端が壁に引っ掛かると、ツキヨは器用にするすると壁を登っていく。そっと壁の向こうを覗くと、見張りの数はまばらで、侵入するには都合の良い場所であった。
「よし……!」
ツキヨは素早く身を乗り出して壁を乗り越え、内側の庭園に着地して茂みに素早く身を隠す。そして物陰から物陰へと素早く移動し、慎重に見張りの兵の様子を窺った。彼らは鎧を身に付け武装してはいるが、あからさまにやる気が無い態度であり、立ち止まってあくびをしたり、壁にもたれかかって煙草を吸う者までいる始末である。
(やはり寄せ集めということか。この方が私には好都合だが)
気の抜けた兵士たちの目をかいくぐり、ツキヨは静かに城へと近付いていく。そして手近な窓をそっと開け、まんまと城内へ忍び込むことへ成功した。
(上手く忍び込めたのはいいが、この格好だとかえって目立ってしまうな)
城内を行き来しているのは、主に巡回の兵士や慌ただしく行き来しているメイドである。そこへ一人だけ違う格好をしていれば、いくら身を隠していても目に付いてしまう。ツキヨは事前に手に入れていた城の見取り図を確認し、まずはメイドたちの控室へと急いだ。部屋のドアに鍵は掛かっておらず、そっと中を覗き込むと、幸いな事に誰の姿もなかった。ツキヨは部屋の中へ忍び込み、部屋の両脇に並ぶクローゼットのうち、手近な場所の扉を開けた。中にはメイドの服が何着もぶら下がっており、彼女は自分の体に合うサイズのメイド服を選び、インナーの上からそれを身に付けた。メイドが頭に被る白い帽子もツキヨの耳を隠すには都合がよく、長い耳を畳んで帽子の中にしまい込むと、王宮の中を歩いていても違和感のない姿へと変わることが出来た。
(これで怪しまれずに済みそうだな。あとは牢屋に向かうだけだ)
ひらひらとしたスカートを若干気にしつつも、ヒナタはメイドの控室を後にする。廊下を歩くとすぐに何人かの兵士やメイドとすれ違ったが、特に気に留められる事もなく、順調に牢屋の方角へと向かっていた。だが、さすがにダレル王が閉じ込められているだけあって徐々に兵の姿が多くなり、牢に繋がる扉の前の通路では、両側の壁に等間隔で見張りの兵が並び、厳重な警戒が敷かれていた。
(さすがにこの人数の目を誤魔化すのは無理だな。だったら……)
ツキヨは曲がり角から通路の様子を見て一旦身を隠すと、ポケットから短い導火線の付いた灰色の球を取り出した。直径五センチ程のそれはヤクモから受け取った道具で、火を点けると麻酔に似た効果の蒸気を出し、それを吸った相手の思考を一時的に麻痺させてしまうという。完全に眠らせたり意識を断つわけではないため、相手が棒立ちになるだけで怪しまれにくいのが利点だとヤクモは言っていた。よくよく考えるとかなり物騒な道具であることに苦笑しつつ、ツキヨは火種で導火線に火を点け、それを通路に投げ込んだ。すぐに口元を袖で押さえて少し離れ、およそ一分ほど経ってから再び通路の先を覗き込む。すると兵士たちは床に転がった球の近くで立ったまま、じっとその場を動かない。ツキヨが慎重に彼らへ近付いて顔を見ると、いずれも焦点の定まらない目つきで虚空を見つめるばかりで、目の前にいるツキヨにまるで無反応であった。
(すごい効き目だな……しかし、どこでこんな物を手に入れてくるんだ、あの人は)
想像以上の効果に少しゾッとしつつ、ツキヨは牢屋への扉を開けて中に入った。扉一枚を隔てた先は漆喰と美しい装飾で飾られた城内とはうって変わり、剥き出しの石壁と湿った空気が漂う薄暗い空間であった。入り口付近には看守の姿が無く、奇妙に思いつつもツキヨは奥へと進み、通路の両側に並ぶ鉄格子の奥をひとつずつ確かめて進んだ。そして通路の半ばに差し掛かったその時、ふいに背後から肩を掴まれた。
「……!?」
反射的にキックを繰り出しそうになるのを抑えて振り返ると、どこから出て来たのか看守らしき男が立っていた。男は薄暗い中でもやけに目立つ目玉を浮かび上がらせ、ツキヨをじっと見ていた。
(しまった、帽子で耳を隠していたから気配に気付くのが遅れた……!)
そう思ったが後の祭りである。ツキヨはとにかく平静を装い、この状況を騒がずに切り抜けなければならない。
「どうしてメイドがここにいる? まだ囚人の食事の時間じゃないぞ」
「い、いえ、それは……具合の悪くなった方がいるので診てこいと言われまして」
咄嗟に苦しい言い訳をしてみたが、こんな話が通るはずもないのはツキヨ本人が一番わかっている。とにかく一瞬で黙らせる隙を作るための時間稼ぎをしようと思っていたのだが、目の前の看守らしき男はやけにジロジロと身体を眺めてくる。
「お前、見ない顔だなあ。俺は城で働くメイドが好きでよう、一人一人の顔や体形も全部覚えてるんだ」
不気味なことを言う看守に一歩後ずさりするツキヨだが、看守は同じだけ踏み込んでまた距離を詰めてくる。
「むむむっ……! この身長、見事な胸の大きさ、腰のくびれに足の長さ……! 俺のデータにはいないメイドだッ!」
鼻息荒く両目を輝かせる看守に、ツキヨは引きつった表情を浮かべるしかなかった。
「いや怖っ。なにを言ってるんだおま……いえ、あなたは」
「ふふふ、隠しても分かるぞう。お前ッ! さては新入りだなッ!!」
「いやまあ……はい、そうです新入りです」
なぜか妙に自信たっぷりに指を差して来る看守に、馬鹿馬鹿しいと思いつつツキヨは雑に返事をする。
「よく見れば顔も俺好みだしなーうひひ。いいぞいいぞ、俺はそういうのが好きなんだ」
男の笑い声に思わず背筋がぞわっとしたツキヨは、看守の近くにいるのが心理的にキツくなってきた。
「あの、そろそろお許しいただけませんか。仕事がございますので」
「いいっていいって、新入りだから道に迷ってここに来ちまったんだろ。そういう事にしといてやるよぉ」
粘っこい笑みを浮かべながら看守はツキヨの顔に手を伸ばしてきたため、彼女はそれを素早く払いのける。
「すみませんがお手を触れないでください。服が汚れてしまいますので」
「おっとっと。なるほど、新入りだけど気の強い上玉メイドさん、そういうのもあるのか。奥が深いぜ……」
なぜかブツブツと言い始める看守を見て、これ以上時間を無駄に出来ないと判断したツキヨは頭部に蹴りのひとつでも入れてやろうと思ったが、その気勢を先回りするように看守が口を開く。
「ところでずっと思ってたんだけどよぉ、お前隠してることがあるよなあ?」
その言葉に、ツキヨの身体が一瞬硬直する。これまで正体を悟られるような隙は見せなかったつもりだが、どこかに見落としがあったのだろうか。そうであれば自分は最初から罠に嵌められたのではないか――そんな想像で固まってしまった瞬間、看守は素早くツキヨの帽子を掴んで奪い取ってしまう。
「あっ……!?」
帽子が無くなった頭部からは、ツキヨの両耳がぴんと立って存在を主張する。一目でウサギ人と分かる特徴は、彼女が何者であるかをはっきりと物語っていた。
「おおおおっ!? やっぱりッ! お前はウサギの亜人でメイドでおっぱいが大きくて、つまりウサ耳巨乳メイドさんッ! なんということだ、こんなにも属性てんこ盛りのメイドが実在するとは……こんの欲張りさんめぇッ!」
ものすごい早口でまくし立てる看守に、ツキヨは開いた口が塞がらなかった。
「ええと……なにを言ってるのか全然分からない……」
「ええいっ、どうなっとるのかね君ィ! これはもう奇跡のコラボ……メイドハンター歴十年の俺をもってしても、これほどの属性と出会う僥倖は初めてッ! 頼むッ! 頼むからスーハ―させてくれぇぇぇッ!! ツンツンメイドさんの特盛フレグランスをぉぉぉぉッ!!」
看守は変態であった。目を血走らせ両手を広げ、興奮しきった様子でツキヨに迫ってくる。
「ちょっとだけ、ちょっとだけだからッ! 先っちょだけでいいからッ! 絶対それ以上しないからお願いッ! ぬおおおーーーっ!」
ツキヨは深くため息をついた後、瞬時に身を屈めて踏み込むと同時に、看守の側面からみぞおちに膝蹴りを叩き込む。
「チャランボッ!?」
変な言葉を発して看守がくの字に体を折り曲げた所で、ツキヨはその背中に体重を乗せた肘を落とす。看守はぐえっと絞り出すような声を出した後、床に倒れ込んで気絶してしまった。ツキヨは看守の腰にぶら下がっていた鍵束を見つけ、それを取り外して牢の奥へと向かった。通路の突き当りは曲がり角になっており、そこをさらに進むと一番奥の方に独房らしき部屋があるのが目に入った。分厚く重い鉄扉の小窓から部屋の中を覗くと、粗末なベッドに腰掛けてうなだれるダレル王の姿が目に入る。ツキヨは鍵束から独房の鍵を使ってそっと扉を開け、部屋の中へと身体を滑り込ませる。
「どうやら無事だったようですね王様。お迎えに上がりました」
ツキヨに気付いたダレル王は顔を上げて彼女を見るが、一瞬訝しんだ表情をする。
「む……なぜメイドがこんな場所に? いや、そなたの顔は見覚えがあるな。確かヒロシと共にいた戦士であったな」
「ツキヨと申します。時間がありませんので詳しい話は後ほど。まずは急いで脱出しなければ。走れますか?」
「う、うむ。しかしそなた、どうやってここまで来た? 牢の外は警備の兵で固められていたはずだ」
「連中は薬でしばらくまともに動けません。今のうちに早く!」
「そうか、手間をかけさせたな」
ツキヨはダレル王を連れ、急いで牢屋を脱出する。独房の並ぶ通路を引き返し、城内へ戻る扉を開けた先では、相変わらず虚空を見つめてぼんやりしている兵士たちが並んで立ち尽くしている。その脇をすり抜けるように進んだところで、ダレル王が兵士の槍を足に引っ掛けてしまい、倒れた槍が床に落ちて大きな音を立てた。
「どうした、なにかあったのか?」
それを聞き付けて、通路の奥から顔を出した一人の兵士が、その状況を目撃してしまう。
「脱走だ! ダレル王が逃げたぞ、なんとしても捕まえろ!」
ツキヨは舌打ちしつつ、ダレル王の手を引いて廊下を駆け抜ける。騒ぎに気付いて立ち塞がろうとした兵士たちを蹴り飛ばして強引に突き進んだが、急ぐあまりに戻る方向を間違え、向かった先は行き止まりとなっていた。
(しまった……こうなったら全員斬り伏せてでも……!)
振り返りながら、ツキヨはスカートの内側に隠れている剣を抜いて抵抗を試みようとしていた。しかしダレル王は壁に向かって両手を触れ、奇妙な動作をしている。通路の向こうから数人の武装した兵士たちが駆け寄ってくるのが見えた所で、ツキヨは突然腕を引っ張られた。
「こっちだ、連中に構うな」
振り返るとダレル王が触れていた壁の一部が開き、行き止まりの壁に地下へ続く階段が出現していた。ツキヨは急いで壁の向こう側に飛び込むと、ダレル王は開いた壁を閉じて素早くかんぬきを仕掛けて追撃を封じることに成功した。ドンドンと壁を叩く音が響く中、ダレル王はあらかじめ壁に引っ掛けられていたカンテラを取り、灯りを点けて言った。
「これは万一のために作られた抜け道のひとつだ。よもやわしがここを使うことになるとは……」
「いえ、おかげで命拾いしました。外へ抜けられれば味方の援護があります。急ぎましょう」
「うむ、頼んだぞ」
抜け道は狭く湿っぽかったが、背後から追手が迫る気配は無く、二人は出口へ向かって進んでいった。やがて上りの階段へと辿り着き、重い石の蓋を開けた先は、王宮の裏庭であった。周囲の様子を眺めると、さすがに騒ぎが伝わり始めたらしく、無数の兵士が慌ただしく行き来している。このまま飛び出せばすぐに囲まれるのは目に見えていた為、ツキヨは後ろに控えているダレル王に言った。
「仲間に合図を送ります。しばらくお待ちを」
ツキヨは石蓋の隙間から信号弾を発射する筒を空に向け、引き金を引く。パシュッという音と共に空高く舞い上がった弾は、はるか上空で大きな破裂音と光を発した。城壁の外で待機していたゴーレムが信号弾を感知すると、両目を光らせて雑木林から前進、城壁の前で両膝を曲げて身を屈めると、背中の一部が変形し出現したノズルから青白い火を吹き出しながら、一気に跳躍して城壁を飛び越えた。城内へ着地したゴーレムは周囲を見渡し、状況の分析を開始する。脱走騒ぎによって兵士たちが裏庭周辺に集まり始め、中には人が搭乗した古代兵器の姿も無数に確認できる。ゴーレムはツキヨから命じられた作戦を実行すべく、兵士たちの集まる方角へ突進していった。
「おい、なんだありゃ? 誰かあんなロボット連れて来たか?」
兵士の一人が自分たちの方へ向かってくるゴーレムを見て言ったが、当然ながら誰も知るはずもない。ゴーレムは兵士たちの目の前まで迫ると、両目を光らせてじっと彼らの方を見つめていた。兵士たちは数十人ほど、人が搭乗した二脚のロボットが四機、ゴーレムに似た人型重機のようなロボットが三体ほど周囲に集まっている。ゴーレムは近くの地面から飛び出していた岩を両手で掴み、それを力任せに引き抜いて頭上に持ち上げ、近くにいた二脚のロボットめがけて投げつけた。
「うわーーーっ!?」
岩が直撃した二脚のロボットは耳を突く金属音と共に装甲がひしゃげ、そのまま横倒しになってしまった。ゴーレムが両目を光らせて近くの兵士たちを睨むように見つめると、兵士たちは表情を引きつらせて手にした武器を構えた。
「こ、こいつは敵だ! 破壊しろ!」
兵士たちが槍や剣を構えてゴーレムに殺到するが、その頑丈な装甲の前では硬質な金属音を響かせるばかりで、傷を付けることは出来なかった。ゴーレムは目の前の一人を右手で掴み上げ、兵士たちが密集している場所へ放り投げる。数人がまとめて将棋倒しになった後、今度は二脚ロボットがゴーレムめがけて機銃を放ってきた。銃弾は曲面の装甲に弾かれてさしたるダメージを与えることもなく、ゴーレムは両腕を顔の前で揃えて防御の姿勢を取りつつ、そのまま前方へ走って二脚ロボットへ体当たりをぶちかました。二脚ロボットはバランスを失って転倒し、搭乗していた兵士も投げ出されて草地の上に転がり落ちた。ゴーレムは倒れた二脚ロボットから機銃をもぎ取ると、まだ周囲に残っている兵士たちの方へ向けて乱射し始めた。
「ぎゃーーーーっ!?」
兵士たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ回り、地面は蜂の巣のように穴だらけとなった。やがて機銃の弾が尽きるとゴーレムはそれを投げ捨て、人型重機のようなロボットの方へ向かっていく。自立行動する人型重機ロボットは、最初の一機が正面からゴーレムの胴体にしがみついて足を止め、左右の二機がペンチのような形状の手でゴーレムの右腕と左足を挟んで潰しにかかった。
「――むっ!」
だがゴーレムの怪力は彼らの予想を遥かに超えていた。正面から組み付く人型重機ロボットの頭を左手で掴んで引き剝がし、そこへ強烈な頭突きを見舞った。頭部を破壊されたロボットが仰け反って仰向けに倒れると、右腕を挟むロボットの腕を掴んで力任せに引き千切り、それを左足を掴む人型重機ロボットの頭部に叩き付けてぺしゃんこにしてしまった。ゴーレムは目の前に倒れたロボットを両手で持ち上げ、両目を光らせて周囲の兵士たちを見た。
「な、なんだこいつ!? 我々のロボットとは性能が段違いだ!」
まるで勝負にならない事実に顔を青くする兵士たちに向かって、ゴーレムは人型重機ロボットを投げつけた。その下敷きになる兵士はいなかったが周囲は騒然となり、さらに周囲から大勢の兵士やロボットたちが集まってきたが、ゴーレムの強さに怯んで尻込みするばかりである。ゴーレムは両眼で状況を確認し、視界に状況分析の文字を表示させた。
『戦闘結果表示。敵機5体の無力化確認。死者ゼロ。作戦継続中……』
石蓋の下からその様子を見ていたツキヨは、自分たちの近くに兵士がいなくなったのを確かめ、地面の下から飛び出した。そしてダレル王の手を取って地上へ引き上げると、急いで外壁へと向かい、鉤付きロープを使って素早く塀の上へと昇る。続いてロープを掴んだダレル王を引き上げ、ツキヨは彼を連れて無事に反対側へと脱出を果たすのだった。そのまま雑木林に突っ込んで身を隠し、ツキヨはダレル王に言った。
「どうにか無事に外へ出られましたが、ここもまだ安全ではありません。信用できる人物の元へ案内します」
彼女はダレル王に姿を隠すためのローブを渡すと、頭上が開けた場所で打ち上げ花火のような筒を地面に置き、長い導火線に火を点けてその場から離れた。
(あとはヒナタたちが上手くやってくれるのを祈るばかりだな……)
木に繋がれた二頭の馬の元へと戻ったツキヨは、ローブを纏った王を乗せた馬と共にその場を離れる。ほどなくして雑木林の中から二度目の信号弾が打ち上がり、乾いた音を周囲に響かせるのだった。
第22話 前編 おわり
次の更新は金曜19時予定です




