第三十四話 荒野の決戦(6) 暗闇の底で
そこは無限に広がる暗闇だった。
少なくともハヤトにはそう感じられる場所であった。
足元の感覚はハッキリしているが何も見えず、大巨人の体内のはずが、どこを見ても終わりが無いように思える。振り返っても出口すら見えず、ハヤトは剣を握り締め、前進し始めた。
「なんなんだろう、ここ……真っ暗でなんにも見えないぞ」
独り言を呟きながら足を進めていると、突如として見覚えのない光景が周囲に現れた。
「わっ!?」
それはこの異世界とは異なる、ハヤトが元いた世界の、どこかの部屋の一室であった。部屋の中には安物の本棚やベッドあり、周囲には女物の下着やドライヤーが放り出されたままで、四脚のテーブルには大量の化粧品が出しっぱなしになっている。
そして床には大量のごみを詰めたビニール袋が散乱し、その中に仁王立ちした派手な格好の女が立っていた。背格好でそれが大人の女性だとは分かるものの、どういうわけかその顔面はぐにゃりと歪んでおり、人間のそれと認識することが出来ない。
その状況が理解できず立ち尽くしているハヤトに、その女はいきなり平手打ちをしてきた。
――バチンッ!!
視界に閃光が走ったようになり、頭と耳に激しい痛みが走る。
ふらついてその場に倒れ込むハヤトに向かって、奇妙な女は叫ぶ。
「杏珠! お前また勝手に部屋の中漁ったな!
勝手に私のモノ触んじゃねーって何度言わせんだ!」
まるで聞き覚えの無い名前だが、なぜかそれが自分の呼び名と理解し、自然と言葉が口から出る。
「おなかすいた……」
それを聞いた女は逆上したように、さらに何度も平手打ちをし、更には足で腹を蹴りつけてきた。
「少しぐらい我慢できねーのかよこのガキ!
せっかく買ってきてやったのに、お前は恩を仇で返すのかよ!」
女の声は痛む頭に響く金切り声で、強い憎しみが滲んでいる。
そして顔面の歪んだ女は、コンビニのビニール袋を投げつけてきた。
「さっさと食えよ! 今度また勝手に部屋を漁ったら殺すからな!
ったく……お前らなんか産むんじゃなかった!!」
叩き付けられた袋の中には、潰れた菓子パンがひとつ入っているだけだった。
それを拾い抱えると、逃げるようにして隣の部屋へ駆け込む。
そこには赤ん坊のベッドに寝かされた小さな男の子が横たわっていた。
「……」
袋から出した潰れた菓子パンを手でちぎり、自分では立つことも出来ない男の子の口に運ぶ。よだれまみれになったその手で、自分も少しちぎったパンを口に運ぶ。
ただ空腹でたまらず、痛くて怖い。それ以外になにも無かった。
「――はっ!?」
気が付くと周囲の光景は消え失せ、ハヤトは暗闇の中に立っていた。
たった今、自分が体験した光景があまりにも生々しくて、いつの間にか両目には涙が浮かんでいた。
「な、なんなんだよ今の……こんなところにアンジェラは……行かなきゃ!」
ハヤトは目元を袖でぬぐい、再び奥へと駆け出す。
しばらく走り続けた所で急に足がもつれ、ハヤトはその場に倒れ込む。
だがどういうわけか手足に力が入らず、立ち上がることが出来ない。
そうしているうちに再び、さっきと同じような光景が周囲に広がった。
「……」
床に倒れたまま意識が朦朧として、言葉を喋ることも出来ない。
目の前には空になったマヨネーズの容器と、瘦せ細った男の子が同じように倒れている。どうにか動かせる目だけで辺りを見渡すと、部屋の玄関らしき場所に顔の歪んだ女と、髪を金髪に染めた男が立って話し込んでいる。
だがその二人はこちらを一瞥することもなく、互いに火の付いたタバコを加えて喋っているだけだった。やがて女は火の付いたままのタバコを床に投げ捨て、男と一緒に背を向けて部屋を出て行く。
それからどれくらいの時間が経っただろうか。
「ママ……」
その言葉が漏れた途端、タバコの火が近くのごみに燃え移り、部屋は炎に包まれ燃え上がる。やがて視界が黒く塗り潰されると同時に、ハヤトはまたしても暗闇の中で我に返る。
「マ、ママって……そんなこと……!」
ハヤトは血の気が引く思いで立ち上がり、無我夢中で闇の中を駆け抜ける。
必死に走る中で、いつかルークが語っていたことを思い出したのだ。
『四歳かそこらのガキに邪魔だからって殴るわ蹴るわ、おまけに飯もロクに食わせない有様でさ――しまいにゃ親の火の不始末で家が火事になって、腹空かせてガリガリになった弟と一緒に焼け死んだんだ。お前らも哀れだと思うだろ?』
頭の中がぐちゃぐちゃで、ハヤトは冷静でいられなかった。
ただ全力で走り、無我夢中でその名を呼び続けた。
「アンジェラーーーーーっ!!」
その叫びが暗闇に吸い込まれたその時、無限に広がる暗闇の中、円形の黒い炎がハヤトの前に出現した。暗闇の中で黒い炎という不自然な光景だが、どういうわけかそれはハッキリと見える。
そして炎の円の下から、せり上がるように人影のようなものが伸び上がって来た。
見上げるほどに巨大なその影は人間の女のような形をしてはいるが、その身体は死骸が集まった不気味なもので、顔に当たる部分は不気味に歪んで人のそれには見えない。
「こ、これって……!?」
ハヤトが驚いたのも束の間、女のような怪物は右手を振り上げ、平手で殴りつける動きをした。ハヤトとの間には距離があり直撃はしなかったが、手が振り抜かれた直後、空間が弾けたような衝撃が広がりハヤトに襲いかかった。
「うわあっ!?」
頭を揺らされ、耳を衝く轟音。
それはさっき、幻のような光景の中で味わったそれと同じだった。
ハヤトは頭を押さえ、その場にうずくまる。
そこへまた同じように、女のような怪物はハヤトを足で何度も踏みつける。
「うぐっ……!!」
身体の芯に響く重い衝撃とその苦痛に、ハヤトは身を丸めて耐えるしかなかった。そうしているうちに、怪物がなにか声を発しているのが聞こえてきた。
「お前さえいなければ……お前らさえ……消えろ、消えろ……!!」
その声は幻の中で聞いた声と同じだった。
手加減もなく、ただ怒りをぶつけるだけの行為が続き、ハヤトは意識が遠のきかけていく。それでもかろうじて繋ぎ止めていたのは、少年の心の内に芽生えたひとつの強い思いだった。
「ううっ……くっ……うわあああーーーーーーーっ!!」
刹那、ハヤトの身体に強い力が漲り、踏みつける足を跳ね除ける。
よろめいて後退する女のような怪物の前で、ハヤトは拳を握り歯を食いしばりながら立ち上がり、絶叫した。
「勝手な事ばっかり言うなッ!!」
その気迫に気圧されたのか、女のような怪物は下がったまま動きを止める。
「なんで……どうしてこんな事が出来るんだ!
母さんが味方じゃなかったら……子供はどうすればいいんだよっ!!」
その怪物に意志や感情があるのかは分からない。だがハヤトが立ち上がったことが逆鱗にでも触れたのか、女のような怪物はおぞましい金切り声を上げ、狂ったように執拗にハヤトを殴りつけてきた。
「ううっ……ぐううっ……!」
しかしハヤトの身体の奥から湧き上がる不思議な力は、空間が破裂する衝撃と轟音を跳ね返す。
「あんまりだ……こんなのが一生だなんて……
それじゃ、あの子はなんのために生まれてきたんだ!!」
ハヤトはその憤る気持ちをただぶつけるしかなかった。
――ズバッ!
背中の剣を抜き、目の前の怪物を一刀の元に斬り捨てる。
真っ二つに切り裂かれた女のような怪物はグズグズに崩れて消え去ったが、間を置かずに足元から黒い炎の輪がいくつも出現し、無数の女のような怪物の他にも、眼鏡をかけた痩身の男の形をした怪物たちが次々に出現してきた。
「消えろ、消えろ……!」
「早くチカラを出せよ。お前、それしか能がないんだから」
周囲を埋め尽くすほどに出現した不気味な怪物たちは、口々に聞くに堪えない言葉を吐いては近付いて来る。
「そうか、わかったぞ……お前らがアンジェラの心の中に住み着いていじめてたんだな! ずっと!」
ハヤトは剣の柄を強く握り締めると、矢のように飛び出して怪物たちを斬り倒し始めた。ハヤトの勢いは凄まじく、あっという間に十体以上をなぎ倒すが、倒した傍から新たな怪物が地面から湧き、数は増える一方だった。
「ぐっ……邪魔すんな! あっち行けよっ!!」
ハヤトは叫びながら怪物の群れを斬り倒すがキリがない。
そうしている間にも周囲からの打撃や心ない言葉が次々に飛んできては、ハヤトの心身を苛んでいく。じわじわと追い詰められる中、ハヤトはずっと気配さえ感じられない彼女を求めて叫ぶ。
「ちくしょう……アンジェラ! オレだよハヤトだよ!!
返事してくれよーーーーっ!!」
声は虚しく暗闇の中に溶けて消えていく。だが、遥か暗闇の遠くに、ごく小さな光がハヤトには見えた。
「……!」
ハヤトはその直感を信じ、小さな光に向けて全力で走り出す。
後ろから追い縋る怪物たちを剣でなぎ払いながら光の元へ辿り着くと、足元から洩れる小さな光の場所をハヤトは手で掘り始めた。
次の投稿は月曜19時予定です




