第三十三話 最果ての隠れ里(6) ホウライの砂浜 その2
「ほら姫様、いつまでも隠れてたら話が進みませんよ、さあさあ!」
砂浜で休憩していると、そんな女性の声が聞こえてきた。
水着を制作してくれた職人のキヌの後ろで、小柄な誰かが隠れている。
ピンク色の花柄模様が入った水着を着たその誰かは、先日ヤクモの元へ駆け込んできたサツキという少女だった。彼女はキヌの後ろにしがみついたまま、なかなかその場から動こうとしない。
「もう、姫さまったら。出て行かないおつもりなら、こっちにも考えがあるんですからね!」
業を煮やしたキヌは、そのまま砂の上をのしのしと歩き、サツキを引きずったままヤクモとツキヨの前にやってきた。
「ここからはご自分でちゃんとなさってくださいね。それっ」
キヌはその場でくるりと回転し、後ろに隠れていたサツキが二人の前に出される格好となる。
「ううーっ……」
困ったように呻き声を発したサツキは、恐る恐ると言った様子で背後を振り返る。そこには普段と変わらない顔のヤクモとツキヨが立っているだけだったが、サツキには二人が怒っているように見えるのか、ずいぶんビクビクした様子である。
「ほらほら姫様、お二人にお尻を向けたままでは失礼ですよ。
ちゃんと前を向いて言わないと、ヤクモ様に許してもらえませんよ」
「わ、わかってるわよぅ……」
背中越しにキヌから言われ、サツキはしがみついていた手を離しゆっくりと振り返る。ヤクモとツキヨの顔色を交互に見てから、ピンクの花柄の水着を着たサツキは腹の前で両手を重ね、視線を泳がせつつも口を開く。
「え、えっと、その……昨日はひどいことを言ってごめんなさい……」
かろうじて聞き取れる程度ではあったが、どうにか謝罪の言葉を口にするサツキ。対する二人は特に感情を変化させることはなかったが、それがかえって不安を煽ってしまったらしい。
「うう……本当に悪かったって思ってるからぁ……もう許してぇ」
うつむいて涙ぐんでしまうサツキを前に、ツキヨはヤクモの顔を見て彼が頷くと、サツキに声をかけた。
「あの、サツキ様。私は気にしていませんので顔を上げてください。
ヤクモどのも、これで水に流してくれるはずです」
サツキが顔を上げると、ヤクモは口の端を小さく上げて微笑んでいる。
「意地っ張りのサツキにしてはまずまずといった所でしょうか。今後は言葉に気を付けるように」
そう声を掛けられ、サツキの顔色はぱあっと明るくなる。
「は、はいっ!」
嬉しそうに返事をするサツキを見て、様子を見守っていたキヌも安堵のため息をつき、眼鏡のずれを直しつつツキヨに頭を下げた。
「ツキヨ様、うちの姫様が失礼をいたしました。見ての通りおてんばなもので、つい口を滑らせてしまう悪い癖が……」
「いえ、大丈夫です。口が悪い相手は慣れていますし、こうしてちゃんと謝って頂きましたから」
そう語るツキヨの視線の先には、浅瀬で飛び跳ねるヒナタの姿が映っている。
「……」
そんなツキヨやヒナタの姿と自分の身体を交互に見比べ、サツキは複雑そうな表情を浮かべている。
「あら、どうしました姫様?」
様子に気付いたキヌが尋ねると、サツキは自分の平らな胸元に目を落としがっかりした顔をする。
「ねえ、異国の女の人って、みんなこんなに綺麗ですごい身体をしているの?
手足も長いし、胸もあんなに大きくて」
言われてサツキや自分とツキヨを見比べ、キヌも乾いた笑いを浮かべる。
「あーっと……それは多分、この方々がけっこう特別なんだと思いますよ」
「そ、そうなの?」
「こんな選ばれし見た目の方々が、その辺を普通に歩いてたら私たちの立つ瀬が無いじゃないですか! それに姫様もまだまだ発展途上、これから大輪の花と咲くんですから!」
日頃から慣れているのか、キヌはサツキを元気付けるのが上手かった。
「キヌにも苦労をかけたようだね。私が里を出てから、君がサツキやムラクモの面倒を見てくれていたと聞いたよ」
ヤクモが言うと、キヌは両手をわたわたと振って眼鏡をずり下げてしまう。
「いえいえとんでもございません! この程度でお役に立てるのでしたらいくらでも! それにムラクモ様も最近はたくましくなられて、少々寂しく思っていたくらいですから」
キヌとヤクモが話し込んでいると、里の方から海パン姿の少年が走ってくる。ちょうど話題にしていたヤクモの弟、若干十四歳の少年である。
「兄上!」
駆け寄ってくるムラクモはまだあどけなさこそ残っているが、体形は引き締まっておりうっすらと筋肉も付いている。もう数年経てばヤクモに引けを取らない色男になるだろう、とはキヌの言葉である。
「兄上と皆さんが浜で息抜きをしていると聞いて飛んできました。
そういうの、僕にも教えてくださいよ」
「お前は朝の稽古や勉強があるだろう。だから邪魔してはいけないかと思ってね」
「そんなもの大急ぎで片付けてきましたよ! 兄上、僕とも泳ぎ比べをしてください!」
ヤクモの弟であるムラクモは、物静かな兄と違って活発な性格のようだ。
ヤクモは笑顔で頷くと、ツキヨに「行ってきます」と声をかけ、弟と共に海へ向かっていく。その後を追いかけてサツキも走って行ってしまった。
三人の後ろ姿を見送りながら、キヌは眼鏡の奥で目を細めながら言った。
「ムラクモ様もサツキ様も、本当はヤクモ様が帰って来てくれて嬉しくて仕方が無いんですよ。ご存じかと思いますが、とても聡明でお優しい方ですので」
ツキヨもそれを聞いて、こくりと頷く。
「ええ、本当に……私も同感です」
するとキヌは眼鏡をクイっと持ち上げ、レンズをキラリと光らせニヤリと笑う。
「ところでツキヨ様。私はヤクモ様が特定の女性とこんなに親密にしているのを見たことがないんですが……実際のところどうなんです?」
「いっ!? ど、どうと言われても」
「お二人はどのくらいまで進んじゃってる感じなんですか?
ねえねえ、私気になりますぅ!」
言いながらグイグイ迫ってくるキヌに対し、ツキヨは顔が熱くて仕方が無かった。レンズのせいで大きな碁石のように見える瞳を向けてくるキヌに困ってしまうが、このまま黙っているわけにもいかず、ツキヨは小さくため息をつく。
「どこまで、とかそういうのは控えますが、その……ヤクモどのは意外と……」
「意外と?」
「ああ見えて少し強引というか、押しが強い所がある……と思う」
ツキヨはあの夜の出来事を思い出してしまい、恥ずかしさの混じった声で、珍しく言葉の終わりを濁すように言う。
それを聞いた途端、キヌは鼻を膨らませてむふーっと興奮していたが、それをどこで聞き付けたのか、いつのまにかヒナタも現れ会話に首を突っ込んで来ていた。
「きゃー! もしかして、もう押されちゃった、ってコト……!?」
「真面目な顔してツキヨちゃんもスミに置けんニャ―、このこのー」
完全に面白半分な二人の様子に、ツキヨは今度こそ閉口してしまう。
「そそ、それでどんな風だったんですか!? ぜひご感想を!」
「アタシも気になるニャー! さあ赤裸々に語るがいいニャ! 詳細を!」
ニヤニヤしながら寄ってくるヒナタとキヌに、ツキヨは眉を吊り上げて叫ぶ。
「ノーコメントだっ!」
そして、その話を砂の上で座りながら聞いていたヒロシとメリアも、耳を大きくして聞き入っているのだった。
浜辺での休暇を存分に楽しんだ後、ヒロシたちは座敷で御前の食事を口にしながら顔を突き合わせていた。全員すでに風呂上りで、遊び疲れたヒナタとハヤトはすぐさま食事を平らげ、畳の上で大の字に寝転がってイビキをかいている。
「――それでヤクモ先生、俺たちはこれからどこへ向かうんでしょう」
ヒロシが尋ねると、向かいに座るヤクモは箸を置く。
「ここから遥か北へ。そこに魔王軍の本拠地であるという城があります。
いつからかダークキャッスルと呼ばれている場所です」
「うわあ、なんかいかにもって感じの名前ですね……」
「撤退していった四魔将たちはそこへ集結し、我々を待ち構えているはず。なぜなら魔王の居城へ辿り着くには、ダークキャッスルを避けては通れないからです。おそらく空路も厳重な網が敷かれ、強引な突破は不可能でしょう」
「な、なるほど」
「今度の戦いは総力戦……今までで最も厳しいものになるでしょう。四魔将も一翼を失い手傷を負わされ、全力で反撃してくるはず。我々が無事に生き延びられるかは、女神様のみぞ知る、といった所かも知れません」
ヤクモの話に座敷は静まり返ったが、いつの間に目を覚ましていたのか、大の字に寝転がったままのヒナタが声を発した。
「ここまで来て悩んでても仕方がないニャ。今までだってなんとかなってきたんだし、四魔将の残りの連中もまとめてぶちのめしてやるだけニャ」
単純明快な意見ではあったが、それが今は頼もしく思えた。
ヒロシはいつになく真剣な表情で仲間たちの顔を見て、言った。
「みんなで力を合わせれば、きっと大丈夫。俺がここまで来られたのは、もう偶然だとか思わない。きっと大事な意味があった……そう思えるように精一杯頑張るよ」
ヒロシが言い切った所で、端の席で徳利に入ったお酒を飲んでいたタバサが「フゥー」と聞こえるように酒臭い息を吐く。普段の魔法使い然とした格好と違い、髪を結い浴衣を纏うその姿は、紛れもなくホウライの里の住人といった趣である。
「言うようになったわねぇ。最初に見た時はてんで頼りないボウヤだと思ったけど、場数踏んで多少は鍛えられたみたいだね」
「おかげさまで……結構色々な目に遭ったもんで」
危険なモンスターとの戦いや、何度も死の淵から生還した経験は、確かにヒロシの心境に少なからず影響を及ぼしている。本人が自覚せずとも、そうしたものは人の内面から現れてくるものだとタバサは知っていた。
「安心しな。あんたらヒヨッコは死なせやしないよ。魔王の野郎をぶちのめして、みんなを家に帰すまでが私の仕事なんだから」
「た、頼りにしてます」
「それに私もね……もう御免なんだよ。大事な仲間を失う所を見るのはさ」
短い言葉だったが、そう呟く彼女の瞳には深い後悔が滲んでいるようにも思えた。
「よし! 俺たちは魔王軍をやっつけて、全員で帰るんだ!
誰も欠けることなく無事に――!」
その言葉に皆が静かに頷く。決戦を前に、最後の穏やかな夜は過ぎて行った――。
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