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転生しても無能でした  作者: 抹茶ice
第七章 世界の影
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第三十三話 最果ての隠れ里(2) 月夜の想い



「すみません、話が長くなってしまいました。

 続きは明日、長老の元でするとしましょう」


 ヤクモは笑顔を作り、そこで話を打ち切った。

 確かにこれ以上の話を一度に詰め込まれても、頭が混乱するばかりである。


 まだ整理の付かない気持ちをどうしたものかとヒロシが思っていると、廊下をバタバタと走る音が座敷に近付いて来た。


「はぁ、はぁ……ヤクモ様っ!」


 そう声を張り上げて現れたのは、薄い桜色の上等な着物を身に付けた、やはり身分の高そうな若い娘であった。


 年齢はヤクモの弟と同じ十四、十五歳くらいといったところで、まだあどけなさを残した顔立ちをしている。腰の下まで伸ばした黒髪を振り乱しながら、彼女の両目はヤクモに釘付けになっている。


「お、お戻りになられたのは本当だったのですね……ああっ、会いたかった!」


 言うなり娘はヤクモに飛びつき、胸元にぐりぐりと頬ずりを繰り返す。

 いきなりの乱入者に全員が唖然とする中、ヒロシが尋ねる。


「え、えっと、こちらのお嬢さんは?」


 ヤクモは困った顔をしながら娘を引き剥がし、コホンと咳払いをする。


「よさないかサツキ。客人の前ではしたないぞ」


 娘の名はサツキと言うらしい。


 対する彼女はと言うと、ムッとした顔で頬を膨らませている。


「なにを言ってるんですか、もうっ。何年も便りすら寄越さなかったクセに!」

「手紙など出せば里の位置が知られてしまうだろう。

 旅立つ時にそう言ったはずだ」

「でも……寂しかったんだからっ……!」


 いいながら、サツキは再びヤクモに抱き付いて離れない。

 さすがに衆目の前での遠慮がない行動に、ツキヨが口を開く。


「失礼ながら……ヤクモどのとこのお嬢さんとは、どのようなご関係なのですか」


 サツキは知らんふりをしてヤクモにくっ付いたままで、仕方ないと言った様子でヤクモが答えた


「申し訳ありません皆さん。サツキは里の重臣の娘でして」

「私はヤクモ様の許嫁よ」


 そうきっぱり言い切ったサツキの言葉に、空気が凍り付く。


「い、許嫁……?」


 嫌な汗をかきながらヒロシが呟く横で、ヒナタも青い顔をしている。


「いやこの小娘、どう見てもまだ十代くらいだニャ。

 ヤクモは何年か前に里を出たっていうけど……

 オメーまさか、そういう趣味があったんニャ!?」


 ドン引きするヒナタに苦笑しつつ、ヤクモはサツキの身体を押し返す。


「どうやら誤解があるようですが、私はこの子が幼い頃から遊び相手をしていたのです。弟のムラクモと一緒に。許嫁というのは、ままごとでの話であって、本当の約束ではありませんよ」


 その説明を聞いてなお、引きつった表情のヒロシとヒナタをキッと睨み、ツキヨは目線で威嚇する。


「失礼なことを言うんじゃない二人とも。その……サツキどの。

 お二人の間柄については分かりましたが、ヤクモどのも困っていますので。

 少々わきまえられた方がよろしいかと」


 サツキはゆっくりと振り返り、やんわりと言うツキヨにジトっとした視線を向ける。


「なんなの、あんたは?」

「ラビト族のツキヨと申します。ヤクモどのとは旅の供をして……」

「私が誰とどうしようが、あなたには関係ないでしょう。

 余計な口を挟まないでちょうだい」


 サツキも譲らずといった具合で、ヤクモから離れようとしない。


「いい加減にしないかサツキ。久しぶりに会えて嬉しいのは分かるが」

「まあ、ヤクモ様ったらウサギ女の肩を持つの?」

「……失礼な物言いはやめなさい。ツキヨどのには色々と世話になっている」

「ふんっ、どうせヤクモ様に色目でも使ったんでしょう」


 サツキは色々と拗らせた台詞を口にするばかりで、言うことを聞く様子が見られない。小さくため息をつき、ツキヨは立ち上がってサツキの傍へ行き、膝を付いてその肩に手を伸ばす。


「親しい者であれば、なおさらヤクモどのに迷惑をかけてはいけません。

 後でゆっくりと――」


 ツキヨの手が触れようとした時、サツキはその手を乱暴に払い除けて叫ぶ。


「勝手に触らないで頂戴! ケモノ風情が!」


 その瞬間、場の空気が静まり返った。


 ツキヨは眉ひとつ動かすことは無かったが、伸ばした手を引っ込めると、静かに立ち上がる。


「……すみません。差し出がましいことをしました。少し表の空気を吸ってきます」


 ツキヨはくるりと背を向け、座敷の外の廊下へと出て行ってしまう。

 誰もが唖然とする中、ヤクモは一人険しい顔つきをしていた。


「サツキ、今の言葉は取り消しなさい」

「イヤよ! あの女が勝手に触ろうとするから……!」

「ツキヨどのを侮辱することは許さない。

 彼女の助けが無ければ、私は生きて里へ戻ることは出来なかった」

「で、でも……」

「とにかく今は戻りなさいサツキ。

 頭を冷やし、後でツキヨどのにきちんと謝ること。

 それが済むまでは、私はお前とは会わない」

「そ、そんな……ひどいわ!」


 サツキは涙ぐみ、顔を両手で押さえて走り去ってしまった。

 その後ろ姿を眺めながら、ヒナタが呆れたように言う。


「あーあ、ヤクモってば大した色男だニャ。んで、どうオトシマエ付けんのニャ」

「当然、私からも詫びを入れてきます。

 お見苦しい所をお見せして申し訳ありません」

「あー見えてツキヨちゃんも繊細だからニャー。しっかりフォローしとくんニャよ」

「ええ、それはもちろん」


 ヤクモは頷き、大きなため息をつく。


 ただ、今すぐ追いかけても冷静な会話は出来ないだろうと踏んで、ツキヨへ声をかけるのは日が暮れてからということになった。




 やがて夜が更け、ヒロシたちは屋敷の大浴場で旅の疲れと汚れを落とした。


 それから浴衣に着替え、用意された夕食にも舌鼓を打ったが、ツキヨはずっと言葉を喋らず、黙々と食事を済ませるとまた廊下の向こうへ行ってしまう。


「ヤクモ、いい加減に気持ちも落ち着いたはずだし、とっとと慰めて来るニャ」


 腹いっぱいに食事をしたヒナタが座布団に座ったまま言うと、ヤクモは頷いて立ち上がる。


「はい、そろそろ頃合いのようですし、行ってきます」


 ツキヨの後を追って部屋を出るヤクモの後ろ姿を見つめ、メリアも心配そうな顔をしていた。


「ツキヨさんとヤクモさん、二人とも上手く行くといいですね」

「ああ、そうだね」


 メリアの隣に座るヒロシが相槌を打つと、メリアはヒロシの口の横に付いた汚れをハンカチで拭いてやる。その様子を眺めながら、ヒナタは隣で行儀良く座っていたウィルの足に頭を乗せて寝転ぶ。


「あーあ、なーんか両方からイチャイチャの気配がするし?

 アタシらも余りモノ同士やっとくかニャ?」


 ヒナタが笑いながら冗談めいて口にした言葉に、免疫のないウィルはすぐに真っ赤になってしまう。


「ちょっ、ヒナタさんッ!?」

「冗談だニャー。でも、アタシはともかくウィルが余りモノなんて失礼だったニャ、ごめん」


 急にしおらしく謝ってくるヒナタに、ウィルは思わず胸の鼓動が高鳴ってしまう。


「いっ、いやそんなことないですよ!

 俺だってヒナタさんが余りモノだとか思ってませんし!

 それに、こういうのは仕方なくでくっ付くとか離れるとかじゃないと思うので、あの……!」


 しどろもどろになって上手く言葉が出ないウィルを見上げ、ヒナタはニッと笑顔になる。


「あはは、やっぱりウィルはいーヤツだニャ。

 その調子でアタシのことも構えニャー」

「は、はいぃッ!?」


 真っ赤になって硬直するウィルを面白がり、横で見ていたハヤトも真似して反対側からウィルの足に頭を乗せ、足をバタバタさせて喜んでいた。




 ツキヨは独り、庭園の池が見える場所で佇んでいた。


 頭上には満ちた月が輝き、名も知らぬ植え込みの葉には、緑色の光を放つ虫がたくさん止まって明滅を繰り返している。淡い光に包まれながら、ツキヨはただ暗闇をじっと見つめ続けていた。


(どうして忘れていたのだろう……気の良い仲間に囲まれて、気が緩んでいたのか)


 暗闇の中で、小さな光がひとつ飛び去り、そして闇に溶けていく。


(ずっとそうだったはずだ。私は……なにを期待して……)


 久しく感じることの無かった揺らぎが、心の中まで黒く塗り潰していく。

 その思いを反映するかのように、流れてきた雲が満ちた月を覆い隠してしまう。


 故郷を焼かれ一人彷徨って暮らしていた頃、ツキヨは人間社会での現実を嫌というほど思い知らされた。


 どこへ行っても奇異や好奇の眼で見られ、二言目には一晩いくらだと聞いてくる輩ばかり。自分のような女の亜人は、彼らにとって愛玩動物のような存在でしかないのだと、深い失意の底に突き落とされもした。


 後に知り合ったある人物に武術の手ほどきを受け、一人で戦う技と力を身に付けた時にツキヨは誓ったのだ。



 世界は酷薄であり、誰かに頼ろうなどと思ってはならないと。



 だが、ヒナタと出会い、ヒロシと出会い、そしてヤクモと出会い全てが変わった。


 愛すべき仲間たちは自分を対等な存在として向き合ってくれて、決して態度を変えることが無かった。そんな彼らの中に長く居過ぎたのかもしれないとツキヨは自嘲し、そして思い出していた。



 最初から自分とは違っていたのだ。何もかも。



「……」


 きしりと、床を踏む音がした。


 振り返るとそこに、浴衣のヤクモがいた。


 暗がりで顔はよく見えないが、いつもと変わらぬ彼の雰囲気であった。

 ツキヨは再び背を向け、庭の中の暗闇に目を向けて押し黙っていた。

 ヤクモはそっとツキヨの隣に立ち、同じように暗闇に目を向ける。


「昼間は大変申し訳ない事をしました。

 サツキの肩を持つわけではありませんが、あの子はまだ世間知らずで幼い。

 今回は私に免じ、どうか許して頂きたい」


 ツキヨはじっと押し黙っていたが、やがてぽつりと口を開く。


「ヤクモどのが気に病むことはありません。私は……慣れていますので」


 しばしの沈黙が続いた後、ヤクモはじっと前を見たまま言った。


「それは違う。慣れる必要などないことです」


 普段であれば、どんなに嬉しい言葉だっただろうか。

 だが、今のツキヨにはその言葉すらも腹立たしいものにしか感じられなかった。


「あなたになにが分かるのですか。

 女の亜人が一人で生きるとはどういうことか、ヤクモどのに分かるはずがない!」


 ただの八つ当たりであることは分かっていた。


 それでも気持ちをぶつけずにいられない自分が嫌で仕方が無かった。


「しばらく……そっとしておいてください。

 私が勝手に勘違いしていただけ。それだけです」


 それでもヤクモは立ち去ろうとしなかった。


 その空気にいたたまれなくなり、ツキヨがその場を離れようとすると、急に腕を掴まれ引き留められた。


「……放してください」

「離しません。もう少し、私の話に付き合ってもらいます」


 振りほどこうと思えば出来ただろうが、ツキヨはそこから動かなかった。

 ヤクモは暗がりの中で微笑みを浮かべ、そしてゆっくりと語り始めた。


「四年前、里を出たあの日に私は死人(しびと)となりました。

 己の素性は決して語らず、生きて故郷の土を踏むことは無い。

 探求心と自己満足のために全てを捨てた……それが私という人間の正体です。

 その事に後悔はなく、覚悟の上でした。ですが……」


 一陣の風が吹いた。


 ざわめく草の音と共に、明滅する無数の光る虫が宙に舞い上がる。

 月を覆い隠していた雲が流れ、淡い月光が二人の姿を浮かび上がらせた。


「ヒロシどのを始め、皆さんは得体の知れぬ私を詮索もせず信じてくれた。

 些細なことかもしれませんが、私にはそれが嬉しかったのですよ」


 二人はしばらく、舞い踊るような光の粒をじっと見つめていた。


「ツキヨどのは考えたことがありますか?

 もしも自分が普通の生き方をするなら……どんな相手を伴侶に選ぶだろうかと」

「……いえ」


 言葉を濁すように返事をしたツキヨだが、ヤクモは笑顔のまま続けた。


「恥ずかしながら、私は考えたことがありまして。

 凛として強く気高く、それでいて優しさを失わない……

 あなたのような女性が良いと」


 その時、ツキヨの両耳がぴくんと跳ねた。


 あまりに唐突な発言に、声が詰まって言葉にならなかった。


「ツキヨどのは素晴らしい女性だ。だからどうか、悲しまないで欲しい。

 これが私の偽らざる気持ちです」

「う、あっ……わ、わた……私は……」


 想像もしていなかったヤクモの告白に頭がこんがらがり、狂ったように高鳴る胸の鼓動が響き渡る。様々な感情がごちゃ混ぜになって、上手く舌が回らない。


 そう思っている間にヤクモはツキヨの前に立ち、そっと手を握り締めてきた。


「本当にすまなかったツキヨどの。

 あなたを傷付けるなど、あってはならなかったのに」


 息遣いが分かるほどに、ヤクモが近かった。

 もう一押しされれば、自分の中のなにかが崩れてしまう予感があった。


 だが、かつて他人に頼らず生きようと誓ったその思いが、あと一歩のところで彼女を踏みとどまらせていた。


「ま、待ってください。今の言葉は……嬉しく思います。ですが、いけません」

「なぜです?」

「か、仮に、その……わ、私があなたの妻になったとして……

 でも、そのせいでヤクモどのが嘲笑されてしまうようなことになったら……

 私にはとても耐えられない。だから……」


 ツキヨは震える両手でヤクモの胸を押し、距離を取ろうとする。

 だが、急に強い力で引き寄せられたかと思うと、唇を奪われた。


「んうっ……!?」


 ツキヨは驚きのあまり抵抗しようとしたが、力が入らなかった。

 唇から伝わる温かさを感じた瞬間、心の奥に留めていた感情が堰を切って、どうにもならなかったのだ。


「っ……ううっ……」


 唇を重ね合ったまま、ツキヨの閉じた瞳からはとめどなく涙が溢れ、床を濡らす。


 やがてゆっくりと顔を離したヤクモは、月明かりに濡れたツキヨの顔をじっと見つめた。


「ツキヨどの……こう見えて私は結構な頑固者でして。

 あなたと共に居ることを世が笑うというのなら、そんなもの変えてしまえばいい。

 わずかな姿形の違いに意味など無いと、我々が証明し笑ってやりましょう。

 どのような事があろうとも、私はツキヨどのを信じている。

 そして隣にいて欲しいと願っている。今までも、これからも、ずっと」


 その眼差しが、変わらぬ笑顔が。


 凍えた心を雪解けのように溶かしていく。


「……っく……うっ……ぁああっ……」


 優しく包み込む腕の中は暖かかった。

 ツキヨの涙が止まるまで、二人はずっとそうしていた。


 満ちた月と、舞い散る優げな光の中で、いつまでも。


次の投稿は金曜19時予定です

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