第三十二話 争いの影(6) 戦い終わって
メリアの『魅了』破りの魔力が宿った匂い袋の香気が、ゴーレムの回路を侵していたイレーナの毒を打ち消していく。すると不規則に動いていたゴーレムの動作がぴたりと止まり、両目を光らせてゆっくり立ち上がる。
ゴーレムの視界には無数の文字が走り、その中で大きな文字が表示される。
『周辺の大気中に、生物に対しきわめて有害な毒素を検知。危険レベルSと認定。
マスター所有の物体より毒素の中和エッセンスを検出。
エネルギーフィールドに中和パターンを同調させることで、
広範囲で毒素の無効化が可能』
ゴーレムは両眼を青く光らせ、心臓部の魔光石から取り出したエネルギーを全身から放出した。
『アンチ・ベノムフィールド展開。周辺大気より毒素を99.6%除去完了。
残留物による生命、人体への影響なし』
ゴーレムを中心に広がったエネルギーはイレーナの放った毒を瞬く間に無効化し、周囲に漂っていた濃い紫の霧は嘘のように晴れていく。
「なっ、毒が消えて……! 一体どうなってるのよ!?」
突如として攻撃を封じられたイレーナは戸惑いの色を隠せない。
そしてゴーレムは余計な事を考えさせる隙さえ与えないとばかりに、イレーナに向けて右腕を突き出、その形状を大砲へと変える。
――バシュンッ!!
砲身の奥から放たれた真っ赤な光線は、炎のエネルギーを一点に収束させた超高温のビームだった。イレーナは素早く動いて直撃を免れたが、彼女の横をかすめて行った高熱の余波で長い髪の一部が焦げ、周囲に飛び散る。
「こ、このガラクタ……ッ!!」
――バシュンッ! バシュンッ! バシュンッ!
逆上するイレーナに向け、ゴーレムは超高温のビームを連射しながら迫る。
表情など無いゴーレムだが、その苛烈な攻撃と無言の行進には、目標に対する冷徹な意志が潜んでいるようにも思えた。
「舐めるなあああぁぁぁぁッ!!」
突如、耳を覆いたくなるような叫びをイレーナは発した。
それと同時に周囲の気温が一気に下がり、彼女の周りに巨大な氷の柱が伸び始めていく。それらはミシミシ、ピキピキといった音を立てながら成長し、イレーナの周囲を取り囲む。
――バシュンッ!
ゴーレムがその氷に超高温のビームを放つと、氷はその熱で溶けはしたが、ビームはその熱を失って消滅する。
さらにイレーナは頭上に人差し指を突き上げ、その先に巨大な氷の塊を出現させる。直後、その表面に無数の亀裂が入ったかと思うと、氷の塊はバラバラに砕け飛び散っていく。だがその鋭利な破片は落下することなく、全てゴーレムへ向かって飛んで行った。
ゴーレムの装甲は氷よりも頑丈だが、次々に浴びせられる破片によって装甲の表面に氷の層が出来上がり、ついには関節が氷で固まり動けなくなってしまった。
「潰れてしまえッ!!」
イレーナは悪鬼のような形相で手を伸ばし、ゴーレムの頭上に直径五メートルはあろうかという巨大な氷塊を作り出し、落下させた。
氷の下敷きになったゴーレムは、そのまま身動きが取れなくなってしまった。
「お前たちも全員すり潰してやる……!」
そう言いながらメリアたちの方を見たイレーナの顔は、もはや作り物のような整った美女のそれではなく、激しい怒りによって歪んだ恐ろしい怪物のようであった。
イレーナが左腕を伸ばし、メリアたちへ向けて魔力を集中させたその時だった。
「させるかッ!!」
一瞬の隙を見たウィルが地を蹴って駆け、矢をつがえた弓を引き絞る。
その先端に金色の光が渦を巻いて集まると、ウィルは狙いすました矢を放った。
輝く流星のように光の尾を伸ばして飛ぶ矢は、イレーナの顔面に直撃し弾けたように見えた。
「うあああああっ!! よ、よくも私の顔を……おのれゴミクズがあっ!!」
イレーナが右手で押さえた顔には無数の亀裂が走り、剥がれ落ちた破片が砂のように零れ落ちている。怒りが頂点に達したイレーナは髪を逆立ててさらに強い魔力を放出し始めるが、それと同時に額に血管が浮き上がり苦痛に表情を歪ませる。
「うぐっ……こ、この痛み……!」
イレーナは顔を押さえたまま後方に飛び、空高く舞い上がる。
「覚えておくがいい! 次だ……次に会う時、必ず皆殺しにしてやるわ……!!」
そう言い残し、イレーナは紫色の球体に包まれ、虚空へと消えていった。
危機が去り安堵したのも束の間、メリアを始め仲間たちはゴーレムと、その足元にうずくまるヒロシの元へ駆け寄る。
「ヒロシ様、大丈夫ですか!?」
メリアが駆け寄り、傍にしゃがみ込んで垂れ下がった前髪の奥を覗くと、ヒロシの顔面からは血の気が引き、鼻や口から血を垂らしていた。
そして急に激しく咳き込むと、口から吐いた血で地面が赤く染まっていく。
「いけない毒を吸ってる!! むーちゃん、お願い手伝って!!」
ゴーレムがヒロシに向けて両手をかざしてエネルギーを放射する中、メリアはヒロシの胸に手を当てて自らの魔力を送り、解毒を試みる。
目を閉じて浮かび上がるイメージの中では、ヒロシの肺の部分が真っ黒に染まってしまっていた。
(間に合って……!)
メリアはゴーレムの力の波動を補助に、イレーナの猛毒を中和する魔力を送り続ける。普通の解毒魔法と違い初めての試みだったが、難易度の高い蘇生魔法をすでに成功させたメリアには、その時の経験と集中力が大きな支えとなっていた。
やがて真っ黒なヒロシの肺は徐々に白く正常な色へと戻り、体内を蝕む猛毒の気配は完全に消えて無くなった。
そのままヒロシは意識を失ってしまったが、毒が消え正常な呼吸をしているヒロシを前に、メリアもただ安堵のため息を漏らすばかりだった。
その後、まだ息のあるケンタウロス兵たちの手当てと救助が行われた。
多くの兵士がイレーナの猛毒で命を落としてしまったが、毒の霧を免れ生き延びた中にはタイロン将軍の姿もあり、そしてウィルと戦っていたはずのブラッドはいつの間にか姿を消してしまっていた。
ヒロシが目を覚ますと、そこは見覚えのない部屋のベッドの上だった。
部屋には質の良い什器が揃えられ、テーブルの上には綺麗な花が飾られた花瓶も置いてある。そしてベッドの傍らには、椅子に腰掛けてじっと顔を見つめるメリアの姿もあった。
「こ、ここは……イレーナはどうなったんだ?」
ヒロシが身体を起こすと、メリアはその右手をぎゅっと握る。
「イレーナは逃げました。ヒロシ様は毒を吸って倒れてしまったので、お城の部屋を使わせてもらっているんです」
「そうか……なんとか命拾いできたのか、よかった」
「よくなんかありません」
そう返事をして手を握り返してきたメリアの顔は、いつになく真剣で怒りに満ちていた。
「どうしたんだメリア? そんな怖い顔をして」
「今回もヒロシ様のおかげでみんな助かったんだって分かってます。
でも……でもこんな事ばかりしてたら、いつか本当に死んじゃいます。
約束したじゃないですか……私を一人にしないって」
「う……ご、ごめん。あの時は他に思いつかなったんだ」
「どうして……どうしていつもあんなに無茶をするんですか?
ヒロシ様にもしもの事があったら、私もう……」
うつむいて震えるメリアを前に、ヒロシも言葉が出なかった。
戦っている最中はただ必死で、後先がどうなるかも考えたことが無かった。
どうしてそんな行動を選んでしまうのか――
少し考え込んでから、ヒロシはメリアの手を握り返す。
「心配かけてごめん、言われて初めて気付いたよ。俺はメリアやみんなみたいに戦う力がないから……それしか出せるものがなくて」
「……!」
「命がけなのはみんな同じだ。なのに自分だけ何もしないのは違うよなって、
そう思うから……」
その言葉を聞いてメリアはうつむき、何度か首を振る。
そして彼女の膝に、ぽつぽつと雫が落ちて布地に吸い込まれていく。
「ごめんなさい、私……ヒロシ様を困らせたいわけじゃないのに。
ああするしかなかったって分かってるのに、でも……怖いんです……
本当はこんな旅やめて、前みたいにおうちで過ごせたらって、ずっと……」
ポロポロと涙を零すメリアの気持ちは痛いほど理解できた。
同じように思ったことも一度や二度じゃない。
特別な力のない自分を知っていれば尚更のことだ。
「メリア……」
ヒロシは少し身を乗り出し、嗚咽するメリアの身体をそっと抱きしめる。
「あっ……」
メリアの身体は驚きで少し揺れたが、その後はじっと身を任せていた。
「うん。俺も帰りたいよ。こんな戦いとか争いから離れて、みんなと一緒に暮らしたい。それだけでいいんだ」
「はい……」
「俺がこの世界に放り出されて、それでもなんとか押し潰されずにいられたのは、メリアのおかげだよ。君と出会えてなかったら、俺はとっくに死んでたと思う。
魔物に襲われなくても、絶望して自殺してたかも」
「ヒロシ様……」
「みんなで帰ろう。魔王なんかさっさとやっつけて、俺たちの家に。
俺はまだまだ人の助けを借りなくちゃいけないし、心配かけると思うけど……
ここまで生き延びてきたんだ。この先も上手くやれるさ」
「……はい」
「だからもう少しだけ、俺のそばにいて支えていて欲しい。ダメかな?」
メリアは抱きしめられたまま首を振り、そっとヒロシの背中に手を伸ばす。
「私も支えてもらってます。ヒロシ様に出会ったあの日からいっぱい。
だから……ダメじゃないです」
二人の影が重なり合い、互いの顔が近付く。
そしてほんの一瞬、唇が触れあう感触とぬくもりを感じたその時――。
「いやっほー! ヒロシ目ぇ覚ましたかニャ!!」
バンッ! と扉を開けて部屋に躍り込んできたのはヒナタだった。
光の速さで身体を離し何事も無かったかのようにするヒロシとメリアだが、二人の視線は泳ぎ顔は真っ赤になっている。
メリアに至っては耳まで赤い始末だ。
「ん? んん~? おんやぁ~?」
その空気を敏感に感じ取ったヒナタはニヤァと大きく口を開けて笑みを浮かべ、瞳孔を大きく開いた瞳でヒロシの顔を覗き込む。
「もしかして二人、イイ感じにキメてた所だったニャ?」
ニヤニヤ笑うヒナタに、ヒロシは顔に汗を浮かべて逃げるように横を向く。
「な、なんのことかなっ」
続けてメリアの方へシュバっと移動したヒナタは、真っ赤な顔のメリアにぐっと顔を近付ける。
「メリア顔が真っ赤っかだニャー。これはつまり、そういうコトだニャ?」
「どっ、どど、どういうことでしょう……」
赤い顔をさらにに真っ赤にして、メリアは口ごもったまま視線を逸らしてヒナタから逃げ回る。ヒナタは心底面白そうな顔をして、フスーッっと鼻から息を吐く。
「やっっっと奥手の二人に進展があったみたいだニャー。今夜は赤飯かニャ?」
と、ニヤニヤし続けるヒナタの頭に、背後からゴスッと手刀が落とされた。
「ギニャ!?」
「他人の関係を茶化すのも程々にしろといつも言っているだろう、まったく」
そう言って呆れた顔をしながら立っていたのはツキヨである。
彼女の後ろ、部屋の入口には右肩に包帯を巻いたヤクモと、食事が乗ったトレイを持った笑顔のウィルとハヤトの姿もあった。
次の投稿は月曜19時予定です




