第三十二話 争いの影(5) イレーナとの再戦
ケンタウロスの将軍タイロンと騎馬兵団が倒れた一方で、ウィルとブラッドの打ち合いはまだ続いていた。
――ガキィン!
もう何度目か分からないほどに響く、槍と槍がぶつかり合う音。
二人はそうやって地を蹴り、駆けながら戦い続けている。
「はぁ、はぁ……くそっ、しぶとい野郎だ」
「お、俺だって昔のままじゃない……!」
互いに息が上がりながら、決着は付かないままだった。
疲れ切った二人が足を止め息を荒げていると、城のある北の方角からぞっとする気配が近付いて来たのをその場の全員が感じ取った。それは暗い紫の球体として姿を現わし、やがてその中から血のような赤の、露出が多いドレスを着た女が姿を現わした。
「ガチャガチャ騒がしいから来てみれば……なんなのこのザマは」
背筋がぞっとする冷たい視線を向けてそう言った女は忘れるはずもない――かつて港町リンドで遭遇した四魔将イレーナに他ならなかった。
腰に届くほどの長い黒髪、冷徹な光を宿す切れ長の瞳。
作り物んのように整った美しい顔と、血のように赤い唇。
その姿は以前と変わらず、そして露骨な敵意を剥き出しにしている。
「イ、イレーナ様! 申し訳ございません!」
ブラッドは青い顔をしてその場に跪き、頭を下げたまま頬に汗を垂らしている。
「とうとうこんな所まで来たのね、私に恥をかかせた忌々しい連中……!
こんな雑魚どもにやられて逃げ帰って来るルークといい、
あまつさえ倒されたギリュウといい、本当に役立たずね男どもは」
忌々しげにそう吐き捨てたイレーナは、倒れているタイロンやケンタウロスの騎兵たちを一瞥する。
「仮にも軍のエリートと呼ばれてる騎兵が、あんな連中の一人も仕留められないなんて……まったくお笑いだわ」
そう溜め息をつき、イレーナは軽く俯いてから再び顔を上げた。その表情はおよそ人間味の感じられない、底知れぬ悪意で凍り付いたような目をしていた。
「いつまで寝ているお前たち……骨のひと欠片になるまで踊り戦え!」
イレーナの両目が、全身が妖しく紫に輝き、その波動は一気に周囲へ広がっていく。その場にいたヒロシたちは、その感覚に覚えがあった。
(前とは違う……けど、この感じは『魅了』だ!)
わずかな一瞬、ヒロシは思考が塗り潰されるような感覚に陥ったが、首からぶら下げた匂い袋の香りを感じた瞬間、その意識は一気に引き戻された。
「――はっ!?」
一瞬だけ意識が飛んだ事に驚いたが、ヒロシは頭を振ってから自分の両手や身体を確かめる。
「あ、操られてない。メリアが作ってくれたお守りが効いてる……!」
急いでウィルの方に目を向けても、特に変化は見られない。
やはりメリアが用意した『魅了』への対策は正しかったようである。だが、その光の波動を浴びたケンタウロス兵やタイロン将軍はガクガクと身体を震わせ、白目を剥きながら叫び声を上げ始めた。
「ぐぐ……うっ……ガアアアアァァァァ!!」
彼らは傷口から血を噴き出しながら立ち上がり、正気を失った目でゆらりと動き出す。かつて港町リンドで見た、操られた兵士や市民たちと全く同じである。
「ダメだ、そんな怪我で動いたら本当に死んでしまうぞ!」
だがその声は届くことは無く、立ち上がったケンタウロス兵たちは再びヒロシたちへと迫ってくる。
「その『能力』はもう通じません! えいッ!」
メリアは一歩前に出て杖をかざすと、その先端から柔らかな光が周囲に放たれる。その光に触れると、正気を失っていたケンタウロス兵やタイロンの目に理性の光が戻ってくる。
「こ、これは……あの魅了の力を跳ね除けたのか……!」
タイロンは胸を押さえながらそう呟く。
だが自身の術を破られても、イレーナに動揺は見られなかった。
「ふん……生意気に対策してきたようね。目障りな小娘だこと」
「あなたの術は封じました! 観念してください!」
メリアが声を振り絞って言うと、イレーナは大きな声で笑い始めた。
「ほほほほ! まさかお前、この程度で私の『能力』を破ったつもりなの? おめでたいわねぇ」
それは強がりやハッタリではなく、絶対の自信から来る笑い方だった。
そして次の瞬間、イレーナの気配は豹変する。
「ナメるんじゃないわよ小娘。『魅了』は私の力の一部に過ぎないこと、思い知らせてやるわ」
イレーナの身体から強烈な魔力が立ち昇り、その奔流によって彼女の髪が逆立ちうねり始める。そしてその身体から濃い紫の霧のようなものが溢れ、風に乗って周囲へ拡散していく。
ちょうどヒロシたちは風上にいてその霧のようなものに触れることは無かったが、ヒロシはそれに触れた地面の草が、一瞬にして変色し枯れていくのを目撃した。
「まずい! みんなこの霧に触れるな!!」
咄嗟にヒロシは叫んだが、負傷して身動きが取れない数人のケンタウロス兵が濃い紫の霧に包まれてしまう。
「ぐわあああああああっ!?」
その途端、彼らは喉を押さえて苦しみもがき、目や耳、そして口や鼻からも血を吹き出して倒れ、二度と動かなくなってしまった。
「も、猛毒だ……イレーナの本当の『能力』はこれだったのか……!」
聞くに堪えない悲鳴が響き渡る中、髪を逆立てたイレーナはぞっとするような冷たい目を向けてくる。
「そうよ。これが私の本当の『能力』……毒はそのまま相手を殺すだけじゃなく、薄めれば相手の思考や神経を狂わせて従わせたり、色々な使い道があるのよ。使えない男ども、そして私に逆らう愚か者も生かしておけない……全員ここで死ねッ!」
イレーナは殺意を剥き出しにし、より大量の猛毒を周囲に撒き散らし、それを背中に出現させた大きな黒い翼でヒロシたちのいる方へ送り込んできた。
ヒロシは急いで周囲を見回し、少し離れた場所にいたヒナタとハヤト、タイミング悪く駆け付けてしまったツキヨとヤクモ、そしてウィルを呼び、メリアの近くに集まるよう叫ぶ。
「みんなメリアから離れちゃダメだ! あの霧に触れたらお終いだぞ!」
すぐに集まってきた仲間たちの周囲に、メリアが作った魔力の防壁が張り巡らされる。それはイレーナの毒を遮っていたが、その表面はじわじわと滲んで変色し、少しずつ浸食されている様子だった。
「うう……な、なんて強い……!」
「その場しのぎでも私の毒を防いだのは褒めてあげる。
けど、いつまで持つのかしらねぇ。私は何時間でもこうしていられるわよ」
必死に耐えているメリアと対照的に、イレーナはまるで苦も無く毒霧の放出を続けている。考えるまでもなく分が悪いのは明らかだ。
「ご、ごめんなさい……私、あまり長く持たないかも……!」
メリアは魔法の杖を両手で握り締めながら必死に魔法の防壁を展開し続けるが、紫の霧は意志を持つように集まり、魔力の防壁の一部を破って内側に漏れ始めていた。
「ぐっ……!」
真っ先に反応したのはヤクモだった。左腕の傷口が、包帯越しであっても毒の侵入を早めてしまった。ヤクモは苦痛に顔を歪め、何度かひどく咳き込んだ後、口と鼻から血を吐いていた。
「くっ、どうにかならないのか!? このままではヤクモ殿が――!!」
「ヤクモどころかアタシら全員ピンチだニャ! こんなんで死ぬのイヤだニャー!」
逃げ場がなく皆が追い込まれる中、ヒロシも口と鼻を押さえながら何度も周囲を見回していた。それは恐怖に取り乱していたからではなく、あるものをずっと探していたのだ。
(どこだ……確かあっちの方に……)
濃い霧の向こうにじっと目を凝らすと、猛毒の霧に倒れたケンタウロス兵に混じり、傾いた姿勢で動かなくなっているゴーレムを見つけた。
両目が不規則に点滅し、手足や首を不規則にガクガクと動かし続け、まともな動作が出来ていない様子だった。文字通り故障した機械のようになったゴーレムを見たヒロシは、どういうわけかその理由が脳裏に浮かんできた。
(そうか、イレーナの強い毒が回路にも干渉して、誤作動を起こしているんだ。
でも、どうして俺はこんなことが分かるんだ?)
なぜか『そう直感する』現象が続いている事に自分でも違和感を覚えるが、今はそれを気にしている場合ではなかった。
(でもゴーレムなら、生き物と違って毒の影響も少ないはず……
みんなが助かるにはこれしか……!)
ゴーレムとの距離はおよそ二十メートル。もう迷っている時間は無かった。
ヒロシはポケットに入れてあったハンカチに水筒の水をかけて濡らし、それで口と鼻を覆って頭の後ろで結ぶ。
そしてメリアが作ってくれたお守りの匂い袋を顔の前に掲げ、ゴーレムめがけて一直線に飛び出していった。
「ヒロシ様!? ダメです外に出たら――!!」
メリアは叫ぶもそこから動くことが出来ず、毒の霧の中へ突っ込んで行く後ろ姿を見つめる事しかできない。
ヒロシは息を止めて両眼を閉じ、可能な限り毒を身体に取り込まないよう夢中で走った。
(く、苦しい……!! そろそろこの辺に――!)
走る直前に目測を付けていた距離まで辿り着いたヒロシは、匂い袋を持った手を伸ばす。
その手が硬いものに触れた瞬間、ヒロシは叫んだ。
「ゴーレム、みんなを守ってくれ!!」
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