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鬼(オニ) ─四、

 



 流れ込むは、声のみならぬ。

 流れ込むは、声の、思惑。



< さぁ……息子ォ >



 其の声の意味を、し乃雪は知っていた。

 ……認めたくなかっただけだ。



< 宴の準備は、整ったぜ…… >



 其の声の主が、何を求めているのかも。

 何処へ向かっていたのかも。



< 迎えの使いを蹴った癖によ、来てくれるのかい……、 >



 "誰"を恨んでいるのかも。

 "何"をしようと、しているのか、も。



< おいで、 >



 "自分が生まれた理由"も。

 ……"自分を、欲する理由"も。



< 蘭樹。 ……俺の、子よ。 >



 この"魂"が、繋がっているが故に。



< 時は、来たぜ >



 来て、しまった。





 吉原の門から、既に其れは見えた。

 とっぷりと陽が落ちた吉原錦の奥に、一際大く明々とそそり立つ錦。

 ……金と蒼が混ざりあった炎が、火柱の如く舞っている。



「ありゃァ……、」


 焔屋が、零す。


「"火"じゃァ、無ェな」

「分かるのかえ、」

「其れ位分からァよ。

 ……ありゃァ村正の火とも違ェ……熱が、意思が感じられねェ。

 冷てェよ」


 人々が逃げ惑い、門の周辺なら遠い故と野次馬も居る。

 吉原の火消し達の数人が、叫ぶ。

 燃えているんじゃ無え、ありゃあ何だ、との言葉が口々に飛び交い、焔屋の言葉が真である事を知る。


 少女の姿と戻ったねねが、くいとし乃雪の袖を引いた。

「ん、」と微笑めば、ねねは黒豆の様な瞳にて、じっと見遣り。


「いくの、」

「嗚呼。おねねは隠れておりな、」

「ねねはにいさんをまもるの。

 にいさんがにいさんじゃなくなるのが、こわいの」


 ……其の言葉。

 自分の正体を、もしかすれば朧や霞も、気付いていたのやも知れぬ……。

 否、恐らくもっと前に。


 し乃雪はそっとねねの頭を撫で、やがて抱き締めた。

 其処にあるは、人のぬくもりだ。


「おねね、」

「うん」

「俺が江戸へ来てよりずっと傍におって、怖く無かったかえ?」

「……うん」

「鬼の子の見張り、長い間ご苦労じゃったの……」

「!」


 ぴく、と、ねねの体が強ばる。

 震え出した其の小さな身……やがてしゃくりあげ、し乃雪の背にぽたり、ぽたりと雫が落ちる。


「今宵で、お別れやも知れぬ。

 ……後は、頼むぞ」

「っねね……ねね、ね、」

「ん?」

「にいさんが……すきなの……!」


 首に回された細く短い腕は、其れが神だと思えぬ程に華奢に感じる。

 そっと解き離れれば、幼子の泣きじゃくる顔があった。

 普段余り表情を見せぬねねの其の顔が、嬉しい。


猿田彦命(サルタヒコノミコト)様に、宜しゅうな……」

「やだぁ!」

「何事も無く帰って来られたら、美味しいおじやを作ってあげようね」


 ぼろぼろと涙を流したまま、ねねは其の場に立ち尽くした。

 にこ、と微笑んだし乃雪の姿を目に焼き付ける様に、じっと見詰めたまま。

 彼等が門を潜り、姿が見えなくなっても尚、其処より動く事は無かった。



 人が逃げる方向とは逆、人が見上げる方向へ。

 し乃雪と焔屋は、急いだ。

 しかし、吉原は広い。足を動かせど気ばかり逸り、進んだ心持ちがしない。


「遠いなァ、」


 焔屋が笑う。


「お前に会いに来た昨日と同じ感覚だ」

「何じゃ、俺は凶物かえ?」

「凶と大吉は紙一重って、聞いた事ァ無ェかい?」


 僅か漏れる、笑み。


「し乃雪、なァ、よォ」

「ん、」

「恨みたァ、怖ェなァ……。

 オレァ、心のどッかでこうなる事を望んでいたがよ、……」


 く、と息を呑み、後。


「恨みの炎は綺麗じゃァ無ェな。

 真ッ当な炎の方が、やっぱり良いや」


「……お前さんは真っ当さ、」


 し乃雪が、自分へと言い聞かせる様に呟く。


「お前さんは、酒呑童子、茨木童子と言う鬼神を知っておるかえ?」

「いンや?」

「小さき頃に聞いた話じゃ。

 平安の世、貴族達は都の外におる小さな村々の人々を「鬼」と称し殺めて回った。

 都の外の者達は静かに暮らしておったにも関わらず、疫鬼(えきき)じゃ、とな。

 其の恨みの魂が煉獄へ落ち、固まって出来たもの……

 其れが、人々を断罪する神、"鬼神"……酒呑童子や茨木童子じゃ」

「……鬼だと殺された奴等が鬼になっちまったってェのかイ、」

「左様。

 そしての……村に伝わっておった話では、」


 ふぅ……軽く呼気を整えた後。


「酒呑童子が封じられた後、茨木童子は都の狩人達の目より逃げる為に名を変えたと言う。

 "朔天童子"と。

 しかし、結局は陰陽師……安倍晴明の子に角を折られ、其の角に封じられたのだ、と」

「…………そりゃァ、」

「あやつ等より、お前さんは余程人らしいよ」

「確かに、そうだがァよ……」


 焔屋が息を呑んだ辺り、吉原中央に差し掛かった。

 総てを呑み込まんとする炎が、しかし静かに揺れている。

 周囲の茶屋が取り壊されており、黒町屋の姿がはっきりと浮かび上がっている。

 金と、蒼……酷く冷たい風を巻き起こし、他の建物に飛び火した痕跡は一切無い。

 其れどころか、焦げた痕すらも無い……"何も燃えていない"。



「見遣れ、迦具土の民よ。

 これが煉獄の炎じゃ」

「……成る程、オレにゃァ出せねェなァ」

「お前さんの炎は天の炎である故にのぉ?」


 震える声は、武者震いか、其れとも。



 にやり笑いあった二人に、よろよろと近付く、人……否。

 妖が一体、居た。


「……き……キツネよぉぉ……」


 真っ白な狼の頭に人の体……抉れた脇腹を両手にて押さえている。

 焔屋は服装で漸く気付いたが、し乃雪は最初から知っていた様子で、驚きの声を上げた。


「戌良!お前さん、無事であったのかえ!?」

「無事じゃァ無ェよぉ……キツネがくれたお守り札で気狂いは防げたけれどもよぉ……

「じゃあ要らねえ」ってかじられちまってよぉ……。

 これじゃァ傷跡が残っちまうぅ」

「命あるだけでも良かったじゃあ無いかえ……。

 其れより、皆は?」


 問えば、戌良の情け無い顔がゆっくりと、黒町屋へと向き。



言伝(ことづて)を……頼まれてよ……

 『俺の元へ来たら返してやるよ』……と」



 し乃雪の表情が、凍り付いた。

 にわかに沸き立った冷たい殺気は戌良の肩をビクゥと震わせ、一歩、後ずさった。


「な、なァキツネよい、まさかあんた」

「…………やりおったな?あの"鬼"め」

「いやさ、まさかあんたさ、中へェ……」


 戌良が言い終わるか否か。

 す、と懐より取り出すは、形代。

 其れを投げ淀み無い手つきにて幾つか印を描けば、片方はボォと燃え上がり、もう片方はビュゥと水滴含む旋風となり、現れたは赤猫と氷魚。


「いやさ、やめた方が良いよォ?

 わしを助けてくれた恩があるからさ、キツネに死んで欲しく無い訳だしよ?な?」

「怖いなれば吉原より出て置けよ」


 唸った其の声に、何時もには無き、鬼の怒気。

 其れ以上の言葉を掛ける事が出来ず、戌良は凍り付き。

 し乃雪が二つの異形を連れ、冷たく燃え盛る其の中へ飛び込む様子を、只見詰めるしか無かった。



「なァ、よォ、戌良……つったか」


 横に立った焔屋が、呟く。

 戌良の首が、ギギギ、と彼へと向いた。


「大丈夫だと思うぜ?多分、な」


 そうとだけ言い、赤髪を湛えた逞しい背も、中へ。



 戌良は、呆然とした。

 未だ嘗て無い光景に、頭の中が毛並みと同じ真っ白に染まっていた。




 * * * * * * * * * *





 "煉獄"。

 正しく、其の一言が、相応しい。


 蒼く輝く炎。

 其の中を踊り狂う妖の群れがある。

 黒町屋の廊下では無く、其処にあるは何処か分からぬ冷たき炎の海。

 ……異界と化している……直感で、知る。

 凍えそうな程に空気は澄み渡り、妖達が見遣る中を進むし乃雪の息が、白く舞った。


 妖達の目に光が無い。

 其れを、見慣れたし乃雪は敏感に感じ取る。

 皆が一様に此方を見詰める中、狛虎の姿もある。

 角を生やした夜叉の姿だ。


 其の姿を認識し、目が合った瞬間。


「ギキェケケケケケケケケ!!!!」


 奇声を発し、ジャキンと伸びた銀の爪にて飛び掛かった。

 其れに呼応し、他の妖も一斉に叫び、し乃雪へ。

 ……しかし。


「喝!!」


 し乃雪が咆哮した其の声が衝撃となり、妖達が強か吹き飛び、地を擦った。

 瞬間の事、少し離れた所にて構えていた焔屋が、呆気に取られし乃雪を見る。

 ……其の横顔の変化に、彼は目を疑った。


 眼が。

 白目無き赤黒い眼に、金の瞳が浮かんでいる。

 其れは正しく鬼の眼だと、……先に聞いた言葉の意味を、初めて知り得た。



「おい、し乃雪」


 声を掛ける。

 さすれば其の眼のまま、ゆっくり振り向くし乃雪。


「案ずるな、俺のままじゃ」


 微笑みは以前に変わらぬ美しいもので、其れを認め、焔屋は頷いた。


「其の意気だ」



 と。

 し乃雪の前に、赤猫と氷魚が立ちはだかり、グルルと唸った。

 振り向けば、何時の間にやら其処は大きな石壁の前。


 三本半の角を生やした古傷だらけの侍が、妖に囲まれていた。


 ゲタゲタと笑いながら、妖と鬼は何かを囲んでいる。

 侍の隣に佇むは、忍装束の黒鴉。

 何かを掴み上げ、掲げている……其れが黒町屋の主、あの黒服の半身である事を知り、しかしし乃雪は眉一つ動く事無いまま。


 黒鴉と、目が合った。

 濁った青緑の其処に、光は無い。



 隣にて大きな器に酒を盛り、ぐいと一呑みした侍は、早良。

 ……しかし、見た目以外の何もかもが、違う。


「……丸……」

「違う。あれは、」


 名を呼ばれた筈の早良、しかし焔屋の声に応じる事は無い。

 投げ捨てた其れがガラァンと音を立て、ゆぅるりと彼を……し乃雪を、見遣った。


「……来たぞ。朔天童子よ」


「よォ、

 "息子"ォ?」


 額より生えた四本の角をギシィと軋ませ、笑う。

 し乃雪は、唸り返す。


「違う」

「認めていやがるじゃァ無ェか?其の眼ェ……」

「力は認めよう。この眼も、お前さんが寄越したものに相違無い。

 じゃがな…………俺は、正真正銘、人の子じゃ」

「言うねェ?

 色々と、俺の恩恵に預かっていた筈だろうが?

 楽しかったろう?妖に囲まれた暮らしは」

「嗚呼」

「皆慕って来ただろうが?其の"魂"……

 俺の魂の欠片のお陰で、狭間の生活に不自由は無かっただろう?よォ?」

「其れでも、何度願った事か……

 人の世を、はっきり見たいと」


 赤猫と氷魚が、し乃雪を護る様に佇む。

 其の様を、"朔天童子"と呼ばれた鬼は笑い、声を上げた。


「……ハハ!! この期に及んで歯向かうか!?」


 ツイ…と、指が動く。

 途端、氷魚がスパンと二つに裂かれ、無数の形代となって散った。

 あの鴉の忍だ。

 忍刀と苦無を構え、誇る様に翼を広げ、……濁った青緑の瞳が、此方を鋭く捉え。


 鬼の指から鳥妖の忍へ、キラリ…金が伸びている。

 糸?……否。

 し乃雪には、其れ等に覚えがあった。



「じゃあよ、ちぃと遊んでみるか?」


 ぬらり、鬼の指が揺れる。

 呼応した鴉忍が飛び掛かり忍刀を振り上げ、赤猫の喉を斬り裂かんと迫った瞬間。

 其れはジュウと紅い液体となり飛び散る。

 焔屋が、赤猫の傍にて燃える拳を構えていた。


「……いけ好かねェな」

「焔屋、」

「コイツはやらせろ」


 柄を投げ捨て、伸ばした鉤爪を構える鴉忍。

 正確に喉や胸を狙う鉤爪を、焔屋は寸での所でかわし、炎の拳で腕を殴り弾いた。

 よろける鴉忍。

 着火も意に介さず、振り被った爪が焔屋の腕を掠め。

 続け様、上段へ回し蹴りを放つ。

 腕で受け止める焔屋。翻った鴉忍が、もう一撃。

 脇腹に入り、「ぐ、」と焔屋より声が漏れる。

 タン、タン―― 跳ねる様に後方へ返り間合いを外す鴉忍。

 踏み込み唸る炎拳を紙一重でかわし。

 "ギュン"―― 隙へ差し込まれた鉤爪が、焔屋の右胸へと食い込む。


 ブシュと舞う血、肉を削ぎめり込む爪。


 ――が。

 焔屋は其の手首を、両手で捻じ伏せる様に掴んだ。


「し乃!!」


 叫ぶ。

 焔屋の背後に控えていたし乃雪が、前へ出る。

 バ、と焔屋が間を切る様に離れ、代わり、し乃雪の手が鴉忍の額を掴んだ。


 赤黒に浮かぶ金の瞳が、光を放つ。


「命……傀儡、配下!」


 し乃雪の指より伸びた金の糸が、鴉忍へ繋がる。

 刹那、鴉忍の身がビタリ止まり。

 後、頭を抱え悲鳴を上げ、もがき始めた。


「ギ……ァアアアアアアアアアア!!!?」


 揺れる妖の瞳、澱んだ青緑に泉の如く澄んだ青緑が差し込まれ、しかし混ざる事無く拮抗し。


「親と能力(ちから)比べか!? 面白ェ!!」


 嬉しそうに笑いながら鬼が立ち上がり、右手を差し出す。

 更に伸びた金の糸が鴉忍を縛り、其の身がグイと後ろへ引かれ。

 し乃雪は両手にて応戦するも、一本…二本、と糸が切れていく。


「ぐ…ッ、」

「ほらほら如何したよ息子ォ?足りねェなァ?」


 し乃雪の両目より、涙……否、紅色の線が、頬を走った。

 赤い光が涙線を流れ、額がミシ…と音を立てる。



 ――― これ以上は……。

 が。

 今が、"好機"。



 鬼の背後に、突如現れる気配。


「あン?」


 左手にて薙げば、其処に居たのは五尾の狐人。

 式神・白影が鬼の手に吹き飛ばされ、石壁に身を打ち付け、フと消えた。


 ……鬼の意識が、逸れる。


 ――― 今!


 鴉忍に走り寄り身を抱き。

 し乃雪は、鬼より伸びた糸へ手を伸ばし、掴んだ。

 刹那。


「……滅!」

 "リィン……"


 其れはあの不可思議な音を立て、青緑の光る粉となり消滅した。


 鴉忍の身より、ふ…と力が抜ける。

 僅か……ほんの微かな麝香(じゃこう)が、鼻をくすぐる。

 温かな……胸に染みる、懐かしい香り。


 翼がだらり下がり、其の瞳は金に戻り……


「…… ゆ……き……」


 嘴より、そう吐息が漏れた気がした。

 し乃雪の表情が――― 歪む。



「……ヒヒハハハハハ!!!」


 呆気に取られていた鬼が、笑う。

 額に手を当て、さも嬉しそうに、楽しそうに。


「思った以上に育ってくれたなァ!!

 お前を使えば"(ことわり)"へも直ぐに手が届くぞ!!」

「……」

「まさか、"晴明"より早く整うとはよォ!!」

「……… 、」


 クク……と、肩を揺らす、鬼。

 否、其の身がミシリと軋み、見る間に膨れ上がった。

 傷跡が虎の如き模様となり、髪は赤く色付き。

 隆々たる筋肉を湛えた巨大な其れこそが、真の姿……"朔天童子"。


 笑いながら、朔天童子はずいとし乃雪へ近付いた。

 …… 気を失った鴉忍を傍へ寝かせ、振り向くは怒り満ちた相貌。


 手にしていた刀を、朔天童子は彼の前へ投げ、其れはガシャンと音を立てた。

 間違い無い、其の刀はあの銘刀……"紅蓮"。


「ならば、よォ、良いぜ?

 この刀を遣ろう、俺を斬れ。

 逃げも隠れもしねェ……、鬼を殺すにゃこの刀が一番手っとり早い」


 ……し乃雪は、其の刀を拾おうとはしない。

 静かに、口を開くのみ。


「断る」

「ほぉ?」

「俺の魂を支配し、この身を利用する気であろうて」

「分かっていやがるねェ?」


 ニィ。

 朔天童子の顔が、笑みに歪む。


「俺の欠片と"道満"の魂を混ぜたのが良かったのかねェ?

 お前の中身はうまぁい事色々共存していやがる……」


 一歩。


「其の式神にゃ火之迦具土神と闇御津羽神が欠片とは言え使われていやがるだろう?

 さっきの白い式神なんざ、妖の魂が何匹か混ぜられていやがった」


 一歩。


「"理"に近付くにゃ、神と人、妖、鬼の魂を混ぜ込む必要がある……

 お前は只"生きる"だけで、其れをやってのけたってェ事だ」


 ……また、一歩。


 朔天童子の顔が、吐息掛かる程に間近に、あった。

 大きな手が、し乃雪の顎をクイと上げる。

 ……赤黒に金。同じ目が、かち合う。


「なァ、"息子"よ。

 俺と一緒に"理"になろうぜ……


 意志持つ"理"になりゃァ、世の理不尽全部、ひっくり返すことが出来る。

 お前をそんな身にした陰陽寮も、指一つで消し去れる。

 安倍晴明の思想ごと、な?」


 そして、其の耳元へ……囁かれる、甘言。



「さぁ…… "神"を、超えようぜ。共によ」


「……外道がァァァ!!!!」


 俄かに、し乃雪が総毛立つ。

 朔天童子の手を強か払いのけ、吼える。

 どうやら朔天童子も予想外であったらしい。「おっ?」と漏らし、ひくり身を引く。


「如何したィ、"息子"ォ?」

「黙って聞いてりゃ息子だ何だって好き放題ぶちまけやがって!!

 お前自身が俺の生き方を散々コケにした上で、"理"なんざになれだと!?

 大事にしておった黒町屋も、生活も、挙句友人達までモノの様に転がしやがって!!

 誰が! お前なんかと!! "理"なぞと言う下らぬモンになるか!!!」


 威勢良く啖呵切った其の様に、総ての妖が……止まる。

 恐ろしい剣幕。瞬時シィン……と、煉獄が静まり、後。


「……ほぉ、言うねェ?

 晴明すらも目指したモンを"下らねェ"と、」

「未だ気付かねぇのかえ!?

 お前がやろうとしている事が、お前が心底嫌う"晴明"と同じモンだと言う事を!!」


 間髪入れず、し乃雪はくるりと焔屋へと向く。

 焔屋も又、其の剣幕に呆気に取られた一人だ。

 傷を押さえ、しかしし乃雪を護らんと立ち上がった姿勢のまま……凍り付いている。


「赤猫!!」


 叫ぶ、し乃雪。

 彼を守る様に側にいた赤猫が「……なぁ!」と一声鳴き、ゴ、と火の玉となって真っ直ぐ焔屋へ飛ぶ。

 訳分からぬままの焔屋に其れはぱぁんとぶつかり、彼の身が見る間に炎に包まれた。


「お、おああぁ!?」


 戸惑いつつも、其の火の玉はぐんぐんと大きくなった。

 燃え盛る其れは冷気の中にて熱気をぶちまけ、やがて、鬼神すらも冷や汗と共に後ずさる。


「お……おいおいおいおい!

 蘭樹、これは卑怯だろォ!?

 火之迦具土神を呼び覚ましやがって……!!?」



 "ヴオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!"



 巨大な炎神が、咆哮した。

 ドォン、ドォン、と爆ぜる其の身が、ジュゥと岩を溶かした。


「迦具土の民……迦具土の"器"がおって、良かったわえ。

 お前さんが言うた通り、赤猫の魂は火之迦具土神の欠片……

 朔天童子よ。お前さんはすっかり見逃しておったな?」


 くる、と振り向いたし乃雪の眼が、人と戻っている。

 其処に浮かぶは、はんなりと微笑む美しき紅玉の瞳。


 威圧に後ずさる朔天童子の目前に、煉獄を見下ろす巨大な炎神が立つ。


 し乃雪は、炎の神に、微笑んだ。



「紅蓮の神、火之迦具土神よ」


 "グルルルルルルルゥゥゥゥゥゥ……"


「さぁ、存分に暴れ遣れ」




 刹那。



 " ド ォ ン ! ! ! "



 蒼き炎に凍える地獄であった筈の異界が、真っ白な炎に染まった。






 * * * * * * * * * *





「……嗚呼…… 嗚呼、炎が……」



 戌良が立ち尽くす其の目前で、あの冷たい炎の柱は急激に縮小していく。


 脇腹押さえ、いよいよ尻餅付いた戌良。

 不安気な眼差しはしかし其の様より離れる事無く、意識朦朧とした今ですら、あの白き太夫の姿を待ち侘びている。

 消えいく炎に安堵を感じつつ、しかしあの"中"の地獄と共に、まさか消えてしまわないだろうな……妙な不安も渦巻きながら。

 彼には、只待つしか選択肢は無かった。



「……まぁ、貴方様、お怪我!」


 背後より、声を聞いた。

 自分を見て言うたのか?振り向けば、駆け寄って来たのは人形の如き黒髪の女がいる。

 そう言えば時折黒町屋にするり入って行く、人でも妖でも無いあの女性だ。


「嗚呼ァ……あんた、キツネと仲良い人ですかイ……」

「左様に。其れよりお怪我を……」


 自分が狼の頭のままである事を思い出し、瞬時慌てたが、人へと化ける力も無い故、取り出した手拭いにて頬被りするしか方法は無い。

 恥ずかしそうにしていれば、女がそっと手を当てた所より、じわり……痛みが消えて行く感覚。


「……嗚呼……あんた、もしかして」

「何で御座いましょう、」

「天女さん、かい……?」


 ほぉ……と、惚けた顔にて、戌良は彼女を見詰めている。

 思い出していたのだ。し乃雪に助けられた、あの時を。



「……昔、」

「はい」

「足に喰らい付く罠から、助けてくれた人が居たんですよ」

「左様で、」

「ちいちゃな、白い髪の男の子でしたよ……覚えたての蘭学で、必死になって手当してくれましてね」

「左様に御座いますか、」

「……お姉さん、キツネみたいに優しいねぇ……」



 女の頬が、ほんのりと赤い。

 黒豆の如き目と、狼の弱った青い目が合わさった時、どちらからとも無く、逸れた。



 炎の柱が、ふっ……と、消えた、其の辺り。

 よろよろと、一番に出て来た者…… 疲れきった顔の狛虎が、微妙な雰囲気の二人を見遣り。



「…… 何か、腹立つからにな」


 開口一番そう吐き捨てたのが、記憶途切れていた狛虎の、最初の記憶である。






 * * * * * * * * * *






「…………ん……?」



 次に源三郎が意識を戻した時、其処は見慣れた部屋であった。

 開け放った木戸より朝日が差し込み、爽やかな風が彼の頬をするり撫で過ぎた。


 ……不快感がある。

 胸の中に渦巻く其れ。

 餌付くにも出来ず、しかし其れを掻き消すかの様に、静かな声。



「起きたかえ?」


 出窓に腰掛け、微笑みながら此方を見るし乃雪の姿。

 何時もの美しい振袖で身を包み、澄んだ紅玉の眼にて、此方を見詰めている。


「……嗚呼、」

「お早う」

「嗚呼、お早……う……」


 記憶の奥底に、そう言えば奈々尾の顔がある。

 泣いていた……あれは、


「……何が、あった?」


 ストンと無くなっている記憶の穴を探るに、其の一言しか思い付かない。

 さすれば、し乃雪は又微笑み、顎にて部屋全体を指した。


「其処に皆居るわえ」

「…………あ?」


 見れば、そう言えば敷かれている布団は一枚では無い。

 自分の隣には疲れた顔で昏々と眠り続ける焔屋、其の首元にうずくまる二股短尾の茶虎猫。

 右隣には、情け無い顔をした朧の怪我を治療する霞。


「お気付きになられましたのね、重畳に御座います」


 にこり、霞が微笑む。


「……えーと、」

「神様達は百鬼夜行を抑えてくれた。

 大旦那は死んだ故、これより先の吉原は荒れそうじゃが……の?」

「大旦那、……」


 と。

 瞬間、源三郎の脳裏によぎった景色があり、彼は跳び置き、叫ぶ。


「……そうだ!奈々尾様は!?奥様は、柏木の旦那様は……」

「偶々じゃ。夫婦揃いで出掛けておったのだとさ。

 丁稚は多く亡くなった故、暫し喪に服すらしいが。

 奈々尾も無事じゃ、お前さんのお陰でな」

「そう、か……」


 肩より、どっと力が抜けた。

 ……何が起こったのか、混沌たる記憶は暫し上手く思い出せぬままであるが。

 し乃雪の微笑みは何時ものものであるし、パタン!と嬉しそうに襖を開き入り来たねねも、其の顔はとても朗らかで。


「げんにいさん、おきた」

「嗚呼、ねね……久し振りだな、」

「みんな、おもいだせてないから、だいじょうぶよ。

 つかれがとれたら、きけばいいの。

 ぜんぶ、にいさんがしってるのよ」


 ……其れが何の事か分からぬが。

 今は其れで良し……何故か酷く疲れている頭は、其の一言で斬り捨てた。



「……そうだ!

 し乃雪、早良は如何した!?」

「奈々尾の所、さ」

「……其の……早良は、元に戻ったのか?」


 其れに触れた時、し乃雪ははんなりと微笑み、立ち上がった。

 寝返り打った焔屋をほいほいと跨ぎ、彼が立つは押入の前。

 ……かつて幽霊のシミがあったあの襖を、し乃雪は開けた。



「…………し乃雪。お前……」

「さて、これにたっぷり仕置きをせねば……のぉ?」


 其処には、三本半の角を総て丁寧にへし折られ、呪札の巻かれた鎖にきつく縛られた朔天童子が、さめざめと泣き続けていた。

 其の姿、余りに情け無く、そして。



「……お前が如何に恐ろしい男か、実感したぜ……雪」

「褒め言葉じゃの?」


 朝日に眩しそうなし乃雪は、少年の様に笑った。




 鬼 完



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