表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/53

鬼(オニ) ─参、

 



< ……未だ、信じて無ェのかイ? >



 眠りに沈んだ意識の深淵より、声。



< 信じたく、無ェんだろう? >


< あの、神が宣った一言をよ >



< 其の…… 眼、だ >


< 其の髪も >




< お前は、俺の――― >





「違う!!」


 叫び飛び起きた其処は、行灯の光に照らされた自室であった。

 汗が滴り、タシ、と手に落ちた。


 冷えた空気。

 行灯の炎が僅かに揺れ、止まっていた空気が僅かだけ流動した。



「…… し乃、」


 隣にて眠っていた筈の焔屋が、掠れた低い声を漏らす。


「魘されていやがったな、」

「……聞かれておったかえ、」

「ンなデカい声をこんな近くで出されりゃァ聞こえるぜ、」


 ククッ、と笑いながら、し乃雪の背に手が触れる。

 温かな手が漸く自分が覚醒している事を自覚させ、心地良い。



< ……俺が今、 >



「…… のぉ、焔屋」

「ん?」


 間の抜けた返事だ。

 無理も無い、彼も又今まで眠っていた筈。

 背にあった手がゆっくり腰に落ちて来たが、恐らく他意無き無意識のものであろう。

 其れをそっと握り、瞳は焔屋へと向いた。


「如何したイ、(しお)れた顔して」

「……俺は、人に見得るかえ?」

「お前は何かに化けられるのかイ?」



< 何処に居るのか、 >



「否、無理じゃの……」

「ツノがあるのかイ?」

「…… 無いわえ、」

「火とか氷とかは出せるのかイ?」

「…… 似た様なものなれば」

「そうだったな、」



< 俺が、何を今しようとしているのか >



「…………鬼、が」

「あン?」

「鬼の声が、……俺を、呼び続けるのじゃ」

「鬼、……村正みてェなのかイ、」

「さて、其れか如何かは分からぬが……」



< 知りたくは無ェかい? >



「…………」


 瞳より少しばかり光が消え掛かっている様を、焔屋は暫し黙り、じっと見詰め。

 ……まるで、次第に心を乗っ取られ行く様な素振り。

 白く美しい天人が、空っぽな表情へと変わっていく其の姿が、……



< 待っていな、 >


< もうじき、迎えに行くぜ >



「いやらしい表情(かお)してンじゃ無ェよ、ダイコン」


 ククッ……笑った焔屋の声がにわかに割り込み、はっと目に光が戻る。

 不思議と、其の数瞬前までの感覚は消え去り、言葉の意味を理解した瞬間、かぁ…と顔が熱くなる。


「……どの様な顔をしておったかえ?」

「"気持ち良さげ"、だったな」

「もう……助平、」


 笑いながら返す。


 ゆるり。

 そう言えば先刻まで揺れていた行灯の光は今静かに落ち着き、何時もの静寂を照らしている。

 もう、外の活気も大分落ち着いている様子。常なれば夜が明けるまで錦を人が歩くが、今宵は沈黙の間を桜揺れる音が心地良く流れている。



「なァ、し乃雪」


 空気が生肌に冷たく、再び布団へ潜ったし乃雪に、紅蓮が言う。


「ん、」

「鬼、鬼、たァ……最近良く聞く言葉だな。

 人も鬼に取り憑かれているとか何とか、殺しが増えていやがるらしいしよ」

「流行りやも知れぬの?」

「……いいや、」

「ん?」


 不意に返ってきた言葉が予期しなかったもので、し乃雪の目が焔屋へと向く。


「否、とな?」

「俺があの刀を作った理由、だ」


 空気が再び流動し始めた事に、二人は気付かぬまま。



「"鬼童"を知っているかイ?」

「鬼童、……東にて、山賊を襲って回ったと言う噂の事かえ?」

「オレがあの刀をこさえたのは、村正と言う"刀"の"鬼"を、同じ"刀"と"鬼"で倒す為だった。

 あの刀は、鬼が持つ為の刀だ……鬼が持って初めて完成する。

 オレは丸の親父……疾風に"鬼"の心を見出し、アイツに刀を渡した。

 ……本物の"鬼"が、直ぐ側に居た事を知らずによ」

「本物の、」


 ふぅ……。

 溜息と共に見上げた天井。

 暗く、何かが潜んでいるかの如く……ぬらりとした闇が、ある。


「アイツの母親がな、生きていた時に一度話していやがった。

 里から逃げたのは、御神体……"鬼の角"を、そして其れに宿る鬼神様を、里が葬ろうとしていた故だ、と。

「鬼とて神様、其れを理由無く葬り去るは余りに罰当たりだ」、と。


 見せて貰った其れをよ、……そして、オレがこさえた"刀"を。

 "鬼童"は……早良乱丸は、持っていやがったのさ」



 口を噤んだまま、し乃雪は焔屋を見詰めている。

 複雑な目だ。其れは、焔屋には図り知れぬ程に。



「嗚呼……なァ、やっぱりよ。

 丸の目ァ、いけねェ目だった。信じたくは無ェんだがよ……

 オレは丸を……止めなきゃァ、いけねェかイ……

 アイツなら、疾風の息子なら、大丈夫だと……思ってたンだがなァ……」


「未だ、早良が妖を殺める此度の"鬼"とは決まっておらぬであろうて?」


 紡がれたし乃雪の声が、少々震えている。

 しかし力強く、彼は真っ直ぐに焔屋を見遣る。


「其れこそ、一度会うて聞いて見ねばいかぬの?

 で無くば、落ち着かぬよの?」

「……」

「案ずるなよ、大丈夫。

 日が昇ったら共に、早良を探そうぞ」


 俯いていた焔屋が、し乃雪を見た。

 今まで見せた事の無かった弱々しい目。

 ……不安にて涙を溜めている様にも見得、子供の様に、微かに震えている。


 普段なれば雄々しき赤髪を、そっと抱き締め。

 胸元にある彼はし乃雪に腕を回し、甘える様に顔を埋めた。

 ……ずっと、不安を我慢しておったのであろう。



 同時、し乃雪の胸の内にも、混沌たる不安が渦巻き始めた事を、自身で感じていた。


 "御神体" "鬼の角" "持って逃げた"……

 聞き覚えのある言葉。


 認めたくなかった。



 * * * * * * * * * *



 ――― ざわ、ざわ、ざわ。


 其の姿を見た途端、木々は悲鳴を上げ、動物は姿を隠した。


 異様な程に、気配。

 殺気、似て非なる、これは享楽に嘲笑う、極卒の如き。

 しかし酷く濃く、重たく、空気が歪むかと錯覚する程に。


 ――― ざく、ざく、ざく。


 地を踏み締めるかの如く、ゆっくり、確実に、歩く、足。

 興奮に酔う様な、深い、呼気。

 額を破り生える、三本半の角…折れた半の角を首から下げ。

 唇を舐める其処に、深い牙。

 手にしたままの刀の抜き身が、ツヤリと艶めかしい。


 らんらんと輝く瞳は、常に真っ直ぐを見詰めている。


 この先だ。其の先だ。

 "気配"を見ているらしい。其の先に"目的"が居る事を、知っている。

 獲物を追うが楽しい、そう眼は言う。



 ――― 楽しい。

 そう、楽しくて仕方が無い。

 嗚呼……愉快でならぬ。



 淀む其の気配の背後。

 ギィギィと叫ぶ異形の塊が居た。

 妖だ。

 普段なれば有り得ぬ程に高密度の障気に当てられたのであろうか。

 苦しみもがく様な仕草にて、ゆぅるり歩き続ける其れに牙を向き爪を出し、

 飛び掛かった、途端。


 "スパンッ"


 銀の輝きが閃光を描いた。

 次の瞬間、其れへ飛び掛かった妖は真二つとなり、紅いものを周囲へとまき散らし。

 地へ、沈んだ。



 ヒク、…と、未だ蠢く其れに、しかし侍は振り返る事は無い。

 古傷にまみれた額に生えた角が、ミシ、と軋む。

 少年の面影を濃く残す侍の顔は、ニィ、と笑い。


 立ち止まった。



「よォ…… 漸く逢えたな?」



 其の数歩先に、もう一人。

 黒い異国の外套にて身を包んだ男の姿がある。

 釜の様な黒い帽子を深く被り、まるで烏の様な姿。

 ……否、良く見れば其の外套も、帽子も、唯一肌見える頬も、赤黒い何かべっとりとこびり付いている。



「貴方がちいちゃかったあの時、以来。ですねェ……?

 嗚呼、……こんなに傷だらけになっちゃって。

 もう、売り物にもなりゃあしない」


 ニィ。

 三日月の形に口が裂ける。


「貴方に切り落とされた指も、ホラ。

 "元に戻りました"よ。

 あの時まさかね、切り落としたお父さんの腕をひっ掴んで、其の手に握られた刀で斬り付けて来るとは、ねェ……?」


「特段驚かねェや。

 お前が"俺"と同じ"鬼"だ、ってェ事たァ知っているんだよ」

「…… おや? 貴方、乱丸くんの……」

「気付くのが遅ェよ」


 ミシ、ミシ。

 角が軋み、ニタァと笑みを作る、侍。


「幕府に憑く"鬼"がよ……クク……

 この可愛い可愛い疾風の子を、よくも虐めてくれたなァ?

 俺の"息子"……蘭樹まで奪いやがって、なァ……


 潰してやるよ!!」


 "ダンッッ"


 地を蹴りあげ、其の身は音速。

 目に留まらぬ速さで振り上げられた其の動き、元の彼に非なる。

 空気が刃となり黒服を捉え、しかしギュンと唸りて空間を斬り、裂いた。

 途端、もやの如く揺れる姿。…黒服の姿はどうやら幻らしい。

 せせら笑いながら、黒服が言を返す。


「クク…惜しいですねェ?

 私は此処に居る訳が無いでしょうが」

「嗚呼、そうだろうなァ……しかしよ、良いのか?」

「何がです、」

「お前は"己"の(かたき)だ」


 ゆぅらり。幻が消え掛けた所に、侍はもう一閃。

 ギュン、空気が唸り、幻は斬り裂かれ、消滅した。



 "ヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲンンンンンン……"



 空気が鳴動し、空が掻き曇る。

 侍の背後。

 ……ドロドロドロ……歪んだ空間の塊。

 其れは、飽和状態の障気に負けて"彼"の配下となった妖達の塊である。


 密度濃い其の障気は、周囲の草木を目に見える早さにて枯らし始めている。

 唸り続ける妖達にニィと微笑んだ、其の侍の前に、先刻の黒服とは違う男が駆け寄る。

 いつの間にか姿を現し、息を切らした其の姿……外套ならぬ、忍装束。


「……早良!!

 お前、何があった!?」


 其れは、空気の異変に気付き藤雅を飛び出した、鴉獄だ。

 濃度増した障気に怯える狛虎達を、無理に引っ張り出す訳には行かぬ……そう判断し、一人調べに出たのであった。


 其の目は驚愕、そして恐怖に揺れている。

 早良、と呼ばれた侍は、ギシリ…角を軋ませ、源三郎を見遣った。

 其の眼……鵺よりも禍々しい、赤黒に浮かぶ金の瞳。


「ほぉ、お前かよ……"源三郎"」

「おい、まさか早良……妖の殺しとは、」

「嗚呼?……嗚呼、お前なら分かるだろが、なァ?」


 "ドッ…!!!"


 空気の衝撃が、鴉獄の身を叩く。

 脳天を打ち抜かれた様な感覚。

 身が動かなくなり、思考が吹き飛ばされた。


「が……ァ……!?」

「お前、"息子"の眼ェを良ォく欺けているよなァ?

 褒めてやろうか?

 お陰で"お前なんか"にすっかり懐いちまって。

 ……嗚呼、いや、アイツは優しいからなァ、」


 これは不味い。

 思った時には、身の感覚が消えた。

 まるで浮いている様な。

 ぞわり、……意識が黒いものに染め上げられていく。

 人を欺く為の"理性"が、全て削り去られて行く心地がした。


 削がれて行く……

 剥がれて行く。

 猫又に操られたあの時に感覚が似ており、しかし非なる。


「ぐ、あああッ……あ……」


 視界が、揺れる。

 青緑に、濁っていく。

 早良の指が、自分の方を向いている。

 見えぬ"糸"が金色に鈍く反射しながら、自分へと伸び。


「しかし、丁度良かった。

 お前みたいな奴が欲しかったんだ……

 ちィと、"お遣い"を頼まれろよ?」

「やめ、ろ……やめ…ッ……」

「吼えるなよ、子烏が」


 早良の顔が、早良ならぬ微笑みを浮かべ、嬉しそうに角を軋ませた。

 ギシギシ、ギチ……

 其の音は理性と共に遠退き、終い、


「…………」



 "ブッ … ブチ……"

 "ザ ァ……、"


 ……背の皮膚が、拒む様に裂け。


 "解放"される感覚がした。




 * * * * * * * * * *



 手掛かりを探す為、吉原を出た二人。

 ……慈恩寺……付喪神達へ会いに行く、其処は郊外。


 遠い、遠い向こうにて、オオオオォン……と獣達の声の様な音を聞き、し乃雪の脚がひたり止まった。

 酷く胸を揺るがせる、嫌な音だ。

 風の唸りなのだろう、しかし妖の悲鳴にも聞こえ、身震いが止まらない。


「怖ェかイ?」


 前を歩く焔屋がふと振り向き、問う。


 彼にはこの嫌な空気は感じぬと言う。

 しかしし乃雪の反応は敏感に感じ取り、時折こうして案じてくれる。


「……嗚呼、」


 青い顔にて、小さく頷くし乃雪。


「酷く気持ちが悪いわえ……」

「身篭もりでもしたかイ、」

「戯け、」


 漸く少しばかり笑顔を零す。

 が、相変わらず…否、時が経つに連れ障気は濃厚になっていく。

 感覚が麻痺し始め、鈍色の景色がゆぅらり蜃気楼の如く揺らぐ。


 このまま歩き続け、果たして慈恩寺まで行けるのであろうか……。

 目的地へ続く道にある最後の木の幹に、漸く手を付いた、其の数瞬ばかり後だ。


 唸りの聞こえた方……慈恩寺の方角より、今度は違う風。


「……?」


 先程までの障気とは違う其れに、し乃雪は顔を上げた。

 冬の北風に似た冷たくさわやかな風がヒュルル……と鳴き、同時に聞こえ来るは美しき女の声。


「……太夫!太夫、紅蓮様!」

「あ?」


 不意に嫌いな方の名を呼ばれ、間の抜けた声を漏らす焔屋。

 し乃雪も又餌付く胸を押さえ見遣れば、重い曇天を此方へ走り来る鮮やかな玉虫色があった。

 馬よりも大きな、しかし馬よりしなやかな其の姿……麒麟だ。


 北風を従え真っ直ぐ二人へと駆け寄った麒麟、如何やら少しばかり浮いているらしい。

 ふぅわりと目前へ音無く立ち止まり、白い着物の女の姿となってぺこり頭を下げた。

 霞である。


 生温く不快な障気は北風にて消し去られ、瞬く間にし乃雪の身より不快感が消え。

 小さな安堵の溜息と共に、彼の顔は理性を取り戻した。


「霞じゃあ無いかえ!何じゃ、綺麗な妖に化けるのじゃのぉ?」

「太夫、いけませぬ!」

「何がじゃ、」

「危険に御座います、妖達が殺気立っておりますれば……!」

「……アンタ、カブの兄弟か何かかイ?」


 ぽろり零した焔屋に、其の一瞬にこりと何時もの柔らかな笑みを向ける霞。


「左様に。お初にお目に掛かります、霞と申します」

「……カブにそっくりだがァよ、別嬪さんだなァ?」

「お褒め頂きましても何も出て来ませぬで、」


 ほほ、と上品に笑い零す霞。

 相も変わらず己を崩さぬ姿、先刻の霞の剣幕はすっかり消え失せ。


「霞よ、」

「はい、」

「妖が殺気立って如何したのじゃ?」

「……嗚呼!そうで御座いました!

 慈恩寺が戦場となっております、其れに一部の妖は太夫の名を口にしておりますれば……

 何が起こるか分かりませぬ。太夫、御身を御隠し下さいませ」


 我等の社までお送りします故、さあ。

 促そうとした霞の言葉を、あの不気味な声が遮る。


 "ヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲァァァァァ……!!!"


 先刻のものより次第に大きくなり、青褪める霞の顔。

 嗚呼……と、紅に塗られた唇より声が漏れた。


「少し、遅う御座いました……」


 "ゴ、ォ!!!"


 上空を、雪崩れ来たものがあった。

 無数の黒い影だ。

 大きな旋風となり、無数の其れが郊外へ続くこの広い野原を駆け回り、散った。


 妖の塊が入り乱れ、川となり、しかし其れ等はお互いへ刃を向け、刻み合い、狂い笑っている。

 ボタボタと雨の如く振り撒かれる妖達の血が、し乃雪の頬にも数滴流れた。


「……百鬼夜行、まさか」

「おう、これが噂の百鬼なんちゃらかイ?」

「平安の世にて、都に恨み持つ鬼の障気に狂わされた魑魅魍魎(ちみもうりょう)達が川となり襲い来たと言う。

 霞、やはりこの障気は……」

「左様に。

 先程白銀より伺いまして御座います。

 妖の"殺し"が、人の"殺し"が起こった跡を彼方此方(あちこち)彷徨いつつもゆっくりと追っていた、と。

 そして途中より離れ行き、慈恩寺へ向かっておるとの事。

 慈恩寺は危ない、この地よりお逃げ下さいと、彼女が教えて下さった直後に御座いました」

「…… 人を殺して回っている"何か"を、この百鬼夜行は追っていやがる……

 "鬼"が、其の"何か"を狙っている、のかィ?」

「……否。どうやら、途中で流れを変えた様子に御座います。

 今はこの流れ、吉原に…… !?」


 そう、震える声にて霞が言った直後の事。

 黒き影の幾つか……否、ひと塊が、クン、と方向を変え、此方へと向かい来た。

 滝の如く雪崩れ、向かい来る……しかし其の影は見た事のある姿ばかり。


 "見付けた……みつ、けた、ぞ……

 蘭樹!蘭樹ィ!!"


 同じ言葉を、どの妖も口にしている。

 破れた唐傘を頭に持つ巨大な鬼。

 炎を纏った虎の如き獅子。

 腕に傷跡のある一見人に見えるくノ一の女。

 書を羽衣の如く纏った十二単の鬼女……。

 其のどれもが、し乃雪だけを見、失くした筈の名を呼び、気が狂うた様に刃を向けた。


「槇島!狛虎、白銀!?霧島まで……」

「いけませぬ、此処は私達が!!」


 霞が姿を変え、麒麟となりて立ちはだかる。

 其の前を、妖の川を縫って飛び来た鵺も降り立ち、二柱は二人の周囲に透明な壁を作る。

 妖達は壁目掛けて身を投げ、刃を向け、血飛沫が壁を滴った。


「行け、太夫!!身を隠せ!!」

「朧!?」

「吉原には戻るな、我等神に任せろ、主は出るな!!」


 見渡せば、彼方此方に妖とは違う姿が舞い降りている。

 遠くの空で白龍が空を斬り裂きオオオオォンと吠え、其れを合図に紅蓮がし乃雪の身をぐいと引いた。


「チッ…闇御津羽神(クラミツハ)まで来ていやがる」

「……まさか、」

「行くぞ。こりゃァ、本当に不味いぜ」


 其の動きを察したのであろうか。振り向けば、馬車程の大きさをした狛犬が背を見せている。

 豊富なたてがみを揺らし、幼い少女の声にて二人に語り掛けた。


「にいさん、おじちゃん。のって」

「おねね!お前さんまで、」


 紛れも無い、其れは以前よりし乃雪の傍にいる禿(かむろ)・ねねの声。

 一度だけ少女の姿を見た事がある焔屋、言葉を失ったか何も感じぬのか、無言にてし乃雪の背を押し、自らも獣の背に跨がる。

 途端、重さを感じぬ様子にてぱっと狛犬は飛び立ち、上空へ続く百鬼夜行の流れとは違う方向へ走り始めた。


 ……改めて、見る。

 あの流れ、吉原へ続いている事に、気付く。



「詰まりよ、……何が起こっているンだイ?」


 ぽつり、焔屋が漏らす。


「この百鬼なんちゃらは鬼の所為、だが鬼はさっき襲って来た中に居やがっただろうがよ?

 アイツじゃァ無ェのかい。

 ……頭がぱんぱんだぜ……」

「あれはつくもがみのかしらさま。あやかしなの」


 ねねが静かに返す。


「詰まりよ、下手人……下手鬼(げしゅおに)は強ェのかイ、」

「おにだけど、かみさまなの。きしんさま、なの」

「何でこんな事していやがるンだイ?」

「おこってる、きっと。おにのかみさまがひとにおこってる」

「闇御津羽神まで出て来るたァ、どんだけ酷ェ事なんだ、」

「おにのかみさまがおこると、かみさまでもとめられない」

「下手鬼は何処に居るンだい?」

「あのいぎょうのかわがむかうほう」

「……吉原、か」

「よしわらはえどのきもん。

 それに、きしんさまは……

 にいさんを、ねらってる」


 妖の川より、ぐんぐん離れ行く。

 田畑のなびく流れが唯一心地良い。


 し乃雪はずっと口を噤んだまま俯き、……しかし。


 突如、ぐいとねねのたてがみを引っ張る。

「いたぁい!」と鳴いて立ち止まった狛犬に、し乃雪は叫んだ。


「吉原へ向かえ!」

「おい、ダイコン何言って」

「早良が其処におる筈じゃ、心配では無いのかえ?」

「お前を守るのが先だ!オレが後で、」

「焔屋。

 お前さん、よもや最初から分かっておったのでは無いかえ?

 ……俺を吉原より離す目的で訪ねて来たのじゃろうて」


 焔屋が、一瞬口を噤む。

 すと目を細め、口角がほんの少しだけ上がり……

 其の答えを口にする事は無いまま。



「……嗚呼、オレの負けだ。

 お前の好きにしな……し乃雪」


 し乃雪の瞳は、真っ直ぐ吉原を捉えていた。


 これを止められるとしたら――― 恐らく、自分のみ。

 金の光をチカリ放った紅玉の瞳は、其れを知っている様子であった。




 * * * * * * * * * *





「痛っ、」


 カタン。

 すらすらと動いていた筆を俄かに取り落とし、奈々尾はふと顔を上げた。


 障子開け見える外は、曇天。

 もう直ぐ夕方、ほんのり西の空、僅か切れた雲の隙間に赤みが差し始めた気がする。


 濃い鈍色に朱が混じった其の空色と、城下への御使いを頼んだまま帰って来ない早良の事がふと重なり、連想的に溜息が漏れた。



「……何処へ、行ってしまったのだろう」


 気付けば、奈々尾の顔は酷く浮かぬものであった。

 早良を城下へ送った事に対し、少しばかり申し訳無く感じた故だ。


 この所、早良は奈々尾と四六時中共に居た。

 気遣いなのか何なのかは分からぬが、彼の表情が時折曇る瞬間を、奈々尾は見逃さない。

 其れを見る事が辛く感じ、偶には息抜きも大事だと、彼に買い物を頼んだのであった。


 そして。

 今、独りの内に……と、手紙を綴っている最中。

 すっかり古くなった筆の柄がささくれ立ち、指に細いとげが刺さっている。

 其れを引き抜きつつも、……



 …………


「……?

 何、だろう……」



 屋敷の奥が、俄かに騒がしくなった気がした。


 聞いた事の無い様な足音。

 バタバタと、振動だけが僅かに奈々尾の脚を震わせる。

 其れはあっと言う間に此方へ向かい来、足音のみならず、幾つもの金属音と、悲鳴。


 奈々尾は戦慄した。

 以前より早良に聞かされていた話が、現実となってしまった事を知った故の。



 ――― 奈々尾。

  彼奴(きゃつ)はお前をも襲うやも知れぬ。

  お前を守る為の、敵討ちでもあるのじゃ……



 何時ぞやに零された早良の言葉が脳裏にて響いた時。

 この屋敷にて働く女中の悲鳴が、直ぐ其処より奈々尾の耳をつんざいた。

 直後、何かが吹き上がる音、ドン、と落ち転がる音。


 漂う、血の、におい。


 立ち上がり逃げようとしたが、脚が言う事を利かない。

 何故であろう、この時に限って力入らず、ガクガクと震えた。



「柏木ーの坊ーんは、はァて何処……」



 襖の向こうから、歌う様な低い声が聞こえる。

 楽しげで、笑い声混じりで。


 逃げようと這って窓へ向かえば、縁に手を掛ける直前にバタンと窓が閉じた。

 襖が開く事を恐怖し、振り向いた時。


 襖の無い、壁際に。

 目前に。


 赤黒い影と、白銀の閃光が、居た。



 音が、消える。

 …… 否。

 耳鳴りが、キィン……と、奈々尾を刺した。



「見ぃ、付け、た」



 血にまみれた赤黒い顔が、優しく笑う。

 慈悲すらも湛えているかの如き笑みは、憎悪の其れより幾分も恐ろしく、冷たい。


「奈々尾、君……噂通り、良い(かんばせ)ですねぇ……

 怯えた表情が美しい」


 奈々尾の全身が、震える。

 ぎらぎらと輝きながら男を囲み回る刃が、彼の鼻先を掠める程に近く。

 弄ぶかの様に、男は黒い袖を揺らし、ゆるり、ゆるりと歩み寄り。


「あの"鬼童"に思いしらしめる為の、"餌"、に……

 なって貰いますよ?」


 胸が、痛い。

 緊張と恐怖に鼓動が悲鳴を上げ、突き刺さる痛覚と共に奈々尾の意識が遠退き掛けた、次の時。



 "ダンッ"


 天井より目前へ降り落ちた、大きなものがあった。

 人の背が奈々尾の前に立ち、男の前にて刀を構える。


 見覚えのある、背中待ち詫びていた背中だ。

 はくはくと息を混濁させていた奈々尾の意識は其れだけで浮上し、出ぬ声が涙となって筋を描く。


 其の、背。

 奈々尾が悟兵衛と呼び親しむ男のもの。

 頼もしき壁となり見え、其れは彼を抱くかの如く大きい。


 が。

 其の時、奈々尾は其の目を疑った。


 "ざ、ぁ……"


 間違い無く、目前にある背は悟兵衛のものである筈、なのに。

 其処より不意に広がり視界を覆ったものが、あった。


 "翼"だ。

 其れも、烏の如く、玉虫の輝きを秘めた黒。

 しかし、部屋の両角を擦る程に、大きな、大きな。



「おや、聞いておりませんよ?

 貴方、確か勘定奉行に勤めてらした方ですよねぇ?

 先程"あの道"を走っていらっしゃいましたが」


 黒服の男が頓狂な声を上げる。


「妖、だったのです?

 ……嗚呼、じゃあ此処にいらしたのは、」

「そうさ、」


 悟兵衛の声で笑う、鴉の男。

 楽しそうに、しかし凡そ悟兵衛に似つかわしくない、心地の悪い声で。



「約束通り、お前を喰らいに来たぜ……隠形鬼(おんぎょうき)よォ」

「……貴方、"朔天童子"……

 乗っ取られましたか、」

「気付くのが遅ェなァ?」


 "ギュル、"


 何処からであろう。突如、室内だと言うに強い風が巻き起こる。

 旋風で見えぬ中、姿消した二つの影がギン、キィン、と彼方此方で音を立て、壁がゴシャァと破壊される音がした。

 黒服と鳥妖は旋風と共に外へと転がり出、ザ、と空を斬る衝撃が身を弾いた。


 奈々尾が次に見遣った時。

 あの中庭に、鳥妖は佇んでいた。


 ……鳥妖の手に、腰より下の無い黒服が、掴まれている。


「……!?」


 ブラン、ブラン。

 揺れる其れを手に、妖は笑んでいた。

 黒い羽毛に覆われた、猛禽の顔で、だ。



「………… ご へえ……さん……!」


 思わず叫んだ奈々尾の声が、掠れ、上擦った。

 叫んだ筈なのに、其れは小声にも満たぬ声。


 ……しかしどうやら鳥妖の耳へ届いたらしい。

 青緑に濁った猛禽の瞳が、つい、と向いた途端。

 其の顔はすぅ……と正気に戻り、瞳に美しい金が宿る。

 ……やがて恐怖と驚愕に、歪んだ。



「…………若、様……?」

「悟兵衛さん、なのでしょう!?」


 黒服の襟を掴んだ鳥の手が、小刻みに震える。

 羽毛の顔が、青褪める様に絶望の色を滲ませた。

 掴まれている隠形鬼が、ゲタゲタと笑った。



「お、……お願いです、悟兵衛さん!

 早良を!早良を……!!」


 必死で、掠れた声を振り絞る。

 鳥妖は、震える身で……顔を背け、小さく頷いた。


 其れを奈々尾が認識した時、其の姿は数枚の羽根と黒服の下半身を残し。


 消えていた。




 ……流れ来る、血のにおい。

 西の切れ目が次第に広がり、差し込むは、茜色。


 奈々尾は、只震えているしか出来なかった。



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ