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鬼(オニ) ─弐、

 



 時は、桜の季節間近。

 吉原の中央に桜の苗木が運び込まれ、一時の並木道が現れたこの宵。

 黒町屋の周辺も例外にあらず、其の壁を飾っている提灯の錦色の光が、色付いた桜の蕾を柔らかく照らしている。


 早咲きから離れた一片(ひとひら)の花弁がくるくると回り舞い、二階出窓にて今宵もはんなり顔を出している白い太夫の目前へとやって来た。

 しなやかな玉肌の手が其れをするすると弄べば、やがて風は手にふんわと花弁を乗せ。


「良き季節じゃ、」


 見せた笑みは常よりも柔らかく、しかし常よりも寂しそうな色香を混ぜた。



 村正の騒動より、ひと月と少々。

 久しく何事も起こらぬ静かな日々が続いており、そう言えば時々狛虎が猫の姿にて遊びに来る以外、朧も霞も槇島も姿を見せていない。

 妖や神にとってのひと月は短きもの…其れを知っておれど、しかしし乃雪は人だ。

 其れまでの良くも悪くも派手な日々がぱたりと無くなれば、感じる寂しさも大きい。


 今宵は源三郎も何か用事があるらしい、「明後日には又来る」と言い残し、昨日より姿を見ていない。

 嗚呼、せめて狛猫めの柔らかき毛皮をふわふわと愛でて遣りたいわえ……漏れた溜息が、手の上にてじっとしていた花弁をふわり飛ばした、其の瞬きの間だけ後の事。



< …… よォ……出番だぜ >


「!」


 し乃雪の身が、跳ねた。

 ……あの"声"だ。

 自分を呼ぶ、あの。


 囁く其れはまるで耳元にてそっと紡がれたかの如く。



< なァ、息子ォ……

 もうちっとしたら、迎えに行くぜ…… >



 ――― やめてくれ。

 俺を息子と呼ぶな……!

 お前は、"誰"じゃ!?



 耳を塞ぎ、頭を振る。

 あの"首飾り"は早良が持っている。

 此処であの"声"が聞こえる筈等有り得ないのに、



< "誰"だ、だと? >


< 俺はなァ、 >



「何だ、ダイコンが干しダイコンになってやがらァ」


 今し方の囁きとは違う、低い声。

 落ち着きある声はし乃雪の意識を恐怖より引き上げ、錦の輝きをきらめかせた眼が声の主を捉えた。


 嗚呼、会いたかった姿だ。


「……焔屋!」

「よぉ、し乃。

 暇してるみてェだな」

「ちょいと待っておくれ、今其方へ行くわえ」


 以前に増して不敵な笑みにて軽く手を上げた其の男。

 紅髪の大男は、先日妖刀・村正の騒ぎにて世話になった鍛冶屋、焔屋である。

 すっかり包帯は取れ、痕も殆ど残っておらぬ様子。


 し乃雪は先の憂鬱等すっかり忘れ、階段を風の如く駆け下り、玄関を飛び出し。

 目前にて待っていた焔屋の胸へと一目散に飛び込み、抱き付いた。

 愛する人を出迎えたかの如き様に少し驚きを見せた焔屋、しかしやがて微笑みと共に白く華奢な体をそっと抱き締めた。


「何じゃ、旅に出ると言うておらなかったかえ……?」

「そりゃァ怪我ァ治ってからって言ったろうが?

 ……しっかし如何したイ、親父を待ちわびた子供みてェだな、」

「この所誰も来ぬのじゃ…詰まらのうて詰まらのうて枯れ死にそうであった……」

「フン、そんなこったろうと思ったぜ」

「其れに、のぉ…"紅蓮"、」


 焔屋を見上げた顔は、少女の如き美しい笑み。


「逢いたかった」

「……らしく無ェな、ダイコン?」

「お前さんの唇の感触がの…恨みの如く離れてくれぬのじゃ」

「恨みかよオイ、」


 苦笑、と共に、大きな手が少々乱暴に頭を撫でて来る。

 其の仕草が堪らず、し乃雪は更にごろごろと甘えた。

 まるで父の様で、男友達の様で、……恋人の様で。



「……あの」


 先刻より戸惑い気味に様子を見ていた客寄せの戌良が、とうとう声を絞り出す。


「ダイコンよォ、客呼ぶのに邪魔だってよ?」


 笑いながら焔屋が言えば、し乃雪はぷぅとわざとらしく頬を膨らませた。

 子供の如き。焔屋は其れこそククッと笑い、其の身をひょいと抱き上げ。


「おい、何…」


 戸惑いながらも為すがままに抱えられたし乃雪が漏らせば、


「動かねェならこのまンま持って行くだけだ、」


 其のまま肩に担ぎ、難無く玄関を潜った。

 ……まるで見世物。周囲より感じる奇異の視線が恥ずかしくて堪らず、後悔と共にし乃雪は美しい顔を大きく逞しい背中にうずめてしまった。


 ――― あの声は…… 消えたか……。


 ほんの少しの安堵。

 ……焔屋の身を纏う鉄の匂いが、懐かしい。





 相も変わらず吉原錦。


 し乃雪の部屋は、丁度窓の高さに桜がある。

 金の光に照らされた蕾の群れが喧騒と春風にさらさら揺れる様は贅沢で、焔屋はし乃雪越しに其れを眺め、感嘆の溜息。


「お前らしい景色だぜ、」

「儚き景色さ、桜が散れば全部抜かれて何処かへ消える。

 ……其の様子を見るに、もう身の火傷は心配無い様じゃな」


 窓より聞こえ来る喧騒を後目に、振り向いた乃雪は微笑む。

 よっこいしょ、と漏らされた声にて彼の見た目に分からぬ年齢を感じ、次いで新造が運んでくれていた膳をすと焔屋の前へ置き、酒を準備し始めた。

 しかし、差し出された徳利を焔屋は苦笑気味にそっと退ける。


「ん?呑まぬのかえ、」

「酒は苦手でなァ…悪りいが茶ァくれ」

「まさかお前さん、蟒蛇(うわばみ)(つら)して下戸かえ、」

「じゃあお前は如何だィ、下戸の面した蟒蛇じゃ無ェのかよ?」

「おや、なれば何故にお前さんの鍛冶場には欄引なぞあったのじゃ?」

「鍛冶代代わりの貰いモンだ…要らねェと言ったんだがよ」

「其れは其れは……、」


 そんな会話を交わしつつ、笑い合い。

 あの時よりも穏やかになった焔屋の笑顔に、大きな安堵を感じつつ。



「して。

 今宵は如何言う風の吹き回しじゃ?お前さんから吉原に出向く等」


 焔屋の分の酒を口にしながら、そっと寄り添うし乃雪。

 フン、と笑う焔屋はやはり嬉しそうな雰囲気であるが、しかし声色が少しばかり落ちる。



「そろそろな、江戸を出る」

「嗚呼、……いよいよ旅に出るのかえ」

「村正待ち伏せにかこつけて墓参りの約束をすっぽかしていやがったのはオレの方だからよ……

 ……なァ、よォ、」


 茶を一口含んだ焔屋、身が少しばかりし乃雪へと向き。

 憂い含んだ眼が真っ直ぐ、彼を見遣った。

 ……自分の其れに見慣れたし乃雪すら、其の炎色の瞳が美しく見得。

 鮮やかな髪に金の色が混じり、其れは迦具土の名に恥じぬ気高さを思わせる。


「ん、」

「一緒にゃ来れねェ、んだよな?」

「……そうじゃの、」

「じゃあ、今夜で暫くの別れだなァ、」

「そう、かえ……」

「老けるンじゃァ無ェぞ?」

「何じゃ、いきなり何を宣うかと思えば」

「オレぁもう諦めてッけどよ。

 こんなぴんしゃんしたダイコンが帰って来たらしわしわじゃァ、楽しみが無くなッからよ」

「楽しみとな、」

「嗚呼、例えば」


 続きのありそうな言葉にてふと間が入った事に気付き、し乃雪が顔を上げ。

 さすれば、吐息混じる程に近く焔屋の意地悪めいた笑顔があり、


「これとか、……よ」


 低い囁きと共に、唇が、ふわり……触れた。


 温かい。

 重ねられた唇のみならず、凍り付いていた心がじんわりと溶け行く温かさ。

 其れは、数限り無く肌を重ねて来たし乃雪の、たった数度のみ知り得た感覚。

 ……金輪際求めまいと誓った筈の感覚であった。


「…… 、」


 只重なっただけであった唇が、ほんの少し離される。

 お互い、共に笑み無く、熱く疼くものを奥に抱え。


 ……が。

 不意に焔屋の顔がふっと崩れ、意地悪く歪んだ口元より言葉が漏れた。


「……なぁ。

 お前の客ァ……何時も窓から来るのかい、」


 えっ、と頓狂な声が零れる、し乃雪。

 高鳴っていた心の臓がひやりと冷え、振り返った眼に映ったものは、さも不機嫌そうに窓縁に座っている朧の姿である。


「おッ!!!……ぼろ!?」


 慌てて焔屋の胸より飛び退き顔を真っ赤にした彼の姿を、朧はほんのり冷ややかな眼にて見遣りながら、しかし声色は何時ものまま。


「邪魔をする、急ぎの用だ」

「故にとて、何も今」

「もう一度申そう。急ぎの用だ」


 言を返そうと口を開こうとしたが、其れより早くし乃雪の前にずいと出、声を上げたのは焔屋の方であった。


「気持ち悪りィ顔色だなァ、凡そ人らしくねぇや」

「口を慎め、人風情が。我は人に有らず」


 焔屋の態度が気に入らぬらしい。普段なれば人に構う事も無い朧が、言い返す。

 俄かに周囲の空気が重怠く、冷たい風が朧を纏い。

 …が、焔屋は物怖じの欠片すら見せず。


「ふぅん、じゃあバケモンかい」

「左様。汝の畏れおののく妖、一帯の山を仕切る神じゃ。

 其の気になれば汝を木と変える事も出来ようぞ」

「人を手玉に取るか、お偉ぇなァ?

 そんなお偉ぇバケモン様が人に惚れて人に嫉妬するたァ面白ぇや」

「ッ……、」

「やめよ二人共!朧、らしからぬ振る舞いじゃな?ほれ、前に話した焔の鍛冶屋よ」

「……道理で、奇っ怪な見た目だ」

「ありがとよ。アンタなら瞬きの合間に炭に出来るぜ?」

「其の減らず口を(うろ)と変えてやろうか!?」

「お、やるかァ?」

「朧!!」


 ざわり変化せんとした朧を、し乃雪の一喝が強か打つ。

 焔屋も余りからかうでない、と肘にて小突いた所で、彼も又「フン」と視線を逸らし、漸く場が鎮まった。


 嗚呼、そうじゃ。

 こやつと初めて顔を合わせた時も、気に食わぬ者は論にて負かす癖があった……思い、あの笑みはつまり嫌悪の裏返しであった事を知り、ふぅと紅い唇より溜息が漏れた。



「……で?朧、急ぎの用事なのであろうて」


 すっかり薄れた本来の話を、し乃雪は引き戻す。

 さすれば、焔屋をちらと睨んだ朧は低く唸る様な声を漏らした。


「太夫。

 狛虎を知らぬか?」

「狛虎?あやつなれば此処には来ておらぬが、」

「此処数日、あちこちにて妖が切り刻まれておる故、暫し姿見ぬ狛虎を霞が案じているのだ」

「…! 待ち遣れ、妖が切り刻まれておるとな?」


 紅潮した頬が収まった其の顔が、俄かに不安な色をちらつかせる。

 眉根を寄せ口噤んだままの焔屋を後目に、其の身が朧へと真っ直ぐ向いた。

 暫し不機嫌であった朧も又、其の端正な人形の如き顔が何時も以上に真剣な面持ちへと変わる。


「左様。

 今し方も付喪神が細切れにされておった。

 太夫、主も危ないやも知れぬ」

「何を宣うのかえ?俺は人ぞ、」

「左様、主は人だ。だが、其の眼は"鬼"だ」

「!…」


 く……、と、息を呑む。

 其の一瞬、浮かべた顔。

「違う」と言えぬ、驚愕と絶望に彩られた、表情。


 直ぐに身を隠した其の感情を、焔屋は横目にて見逃さず。


「なァ、朧、つったか……よォ、カブ野郎」

「カブっ…ッだと!?」

「アンタよ、詰まり何しに来たイ?オレの邪魔か?」

「太夫に告げに来たのだ!」

「其れだけじゃァ無ェな。

 アンタ、助けを求めに来たンじゃァ無ェのかイ?」


 のらりくらり、低い声が朧を刺す。


「カミサマならよ、告げるより前に下手人を調べたら如何だイ?

 其れとも、調べても下手人が分からず、このダイコンに助けを求めに来たとか……そんな所か?」

「ち、違……」

「変な意地張ってやがンじゃ無ェ。

 アンタは何が大切だイ?斬られたバケモン達か?し乃雪か?自分の誇りか?

 中途半端に動く位ェなら血眼になって下手人探しに行きやがれ」


 其の声は次第に重く、最後の方にはまるで叱るかの様な口調となっていた。

 朧の頬が、ひくつく。

 ぐうの音も出ず、暫しの間ギリと歯を噛み締めて頭を垂れ。


「…… 人風情が、我に説教か」

「神様がふがいねェって事だろうが」


 歯に衣着せぬ返しに、朧はとうとうダンと膝を叩いた。

 其れまで黙っていたし乃雪、「待ち遣れ、聞きたい事が…」と慌てて声を上げるも、窓の外へ飛んだ朧の身は空中にふわり浮き上がり。


「良いだろう、迦具土の子よ…!其の言葉を一言一句覚えておけ!

 今に見返して遣ろうぞ!!」


 姿消える直前、其の眼が鵺の其れとなっていたのを、二人は見逃さなかった。



 ひゅる。

 朧の居た空間に、花弁が四つ。

 唖然としていたし乃雪に、くるり振り向いた焔屋。

 ニッ、と笑い、零した。


「カブサマたァ、ちょろいな?」

「…… お前さんと言う男は!」


 クスクスクス……。漏れたし乃雪の笑みが、少女の様に綻ぶ。


「相も変わらず、喧嘩が巧いのぉ……

 しかし怖くは無いのかえ?相手は真の、八百万の神ぞ?」

「この歳になりゃァ、逝き先なんざ如何でも良くならァよ。

 カミサマの間違いを正すのァ、悪い事かい?」


 詰まらなさそうに投げ返された其の言葉すら、粋。

 見事な漢の姿に頬が華やいだし乃雪。

 そっと寄りかかって来た其の身、焔屋は其れを見下ろしながら、しかしふと漏らす。



「……が、よ。

 ちィと気になるな」

「ん?」

「聞いた事が無ェかい?……ちっと前に、同じ様な事が起こったじゃァ無ェか、」

「"村正"、」

「嗚呼よ」

「何じゃ、三代目はお前さんが彼岸へ送りおったじゃあ無いかえ、

 ……まさか」


 す、と表情が消え掛けたし乃雪の頬を、すかさず焔屋の手が摘む。

 間の抜けた顔にて嫌がるし乃雪の頬は、思ったよりも固く、伸びない。


「なんひゃあぁ」

「其の口でン代目の仕業とか言うのかイ?嗚呼?」

「んひゃぁにゃんのひわはらと、」

「…… なァ、し乃」

「、」


 ふと離される手、変わる声色。

 見上げれば、焔屋の表情は硬い。


「今まで話に上がらねェ様子じゃァ、耳に入っちゃァいねェみてェだがよ」

「何じゃ、」

「お前に挨拶ついでなンだが、丸をな、探しに来たのよ」


 ぽろ、と漏れた其の名。

 ……し乃雪は知っている。早良の事だ。


「早良を、……何、姿を見ぬのかえ?」

「嗚呼。

 最後は五日前、オレん所に挨拶に来た。

 (かたき)を見付けた、と…よ。

 で、勘で此処に来てみたんだがよ」

「勘で吉原かえ、」

「莫迦にすンなよ?オレの勘は当たるんだぜ、」


 不敵な笑みと共に、茶と桜の甘い香りが混ざり、二人の間を漂う。

 嗚呼冷めるな、と一口飲んだ後、焔屋は腕を組み遠く窓の外へ視線を放った。


「……何時もの丸とは、少し違っていやがった」

「、」

「礼をしてこっちに向いた眼がよ……丸じゃァ無かった」

「と、言うと」

「……… あン時の三代目と同じ眼だ。

 恨みを超えて、人を食らって楽しむ眼……

 虚ン中に、とち狂った喜びを感じた」

「ほぉ、鬼と同じ眼かえ……こんな眼、かえ?」


 わざとらしく目を見開き指差すし乃雪。

 いたずらめいた笑顔で、沈んでいた焔屋の顔が少しばかり笑みに崩れる。


「そんな綺麗な鬼の眼があるかよ?

 其れを言われちゃァオレのコレの方が鬼だろうが」

「お前さんの眼は神の眼じゃよ、焔屋。迦具土の子故にの」

「じゃァよ、あのカブサマに喧嘩売って良いかイ?」

「お前さんなれば朧にすら負けぬ気がする故、恐ろしいのぉ」


 ふふ…と漏れた笑みが、お互い、柔らかい。

 其れでも少し不安げに見得る焔屋の胸にそっと身をもたれ、し乃雪は甘える様に腕を回し。


「気休めは言えぬがの、……あの男は強いよ」

「知ってらァよ」

「今宵は忘れ遣れ。……明日、共に探そう」


 其れが気休めにすらならぬ事を、お互い知り得ていた。


 早良を思い出すだに、あの"首飾り"の鮮やかな色彩が、脳裏に過る。

 ……纏っていた、どす黒い"何か"……あの、"声"。

 どうも、無関係には思えない。


 ――― 何かが起きる前触れに無ければ良いが。


 其の一言をそっと胸の内に仕舞いつつ、


「……そうだな、」


 ゆっくり頷いた焔屋の顔は、初めて見る。

 子を案ずる親の如く、優しく、しかし弱々しいものであった。




 * * * * * * * * * *



 ――― ……酷く、不快な空気だ。


 図らずとも、彼は胸の内にて呟いた。


 春の風はとても心地良く吹き流れ、この肌を柔らかな手にてするり撫でて行くと言うに。

 其の度に頭の何処かをかき回し、ざわつく様な感覚がする。

 ぞわりと肌が粟立ち、今この場所より一歩歩んだ先に落とし穴でもあるかの様な危うさ。

 動く事すら躊躇され、息を呑んだ。



「弥次郎さん、」


 名を呼ばれ、我に返る。


「何だ?」

「如何しました?」

「……別に、」

「そうですか……まさか、弥次郎さんもそうなのかと思うてしまいました」


 ははと笑い零す御用聞きの男を、眼鏡の奥の眼は少し卑屈そうな色にてねめ付ける。

 御用聞きの頬が引き吊り、笑みが些か凍り付く。後、咳払い一つ零して続けた。


「しかし、これで十と二人目。

 些細な言い争いから、突然人を殺める……。

 下せぬな……堪忍袋の尾が弱いのか、」

「さて、ねぇ。流行り病とか、其れとも"取り憑かれておる"、とかですか?」

「……前に噂にあった"襖幽霊"の様な、か」


 全く、訳の分からぬ時世ですな……。ほとほと困り顔の御用聞きに、弥次郎は「礼を言う」と会釈の後、漸く一歩を踏み出した。

 不快感よりも、長引きそうな御用聞きの世間話に時間潰しの危機を感じた故だ。


 …しかしながら、彼の足取りは重い。

 少し前、白銀に"妖狙いの辻斬り"の話は聞いている。が、白銀と狛虎を通じ知り合いの妖達に情報収集の協力を仰げど、どうやら其処に居合わせた者は皆刻まれてしまったらしく、何の情報も得られていない。

 心中のざわつきも相まって、彼は最悪の事態を想定していた。


 ――― 人に化けた妖の線……とは考えられぬか?

 俺の様な……


 似た事件が二つ、否応無しに結び付かれ、ぞっ…と血の気が引く。

 このままではいかぬ……其の足が次第に速まる。


 ……少し路地へ入った辺り、彼を待つ様に壁に寄りかかる者が居る。

 四十を超えた位の男だ。其れにちらと目を配せつつ通り過ぎれば、其れはやがて隣に並び歩き出し、聞き覚えのある声にて囁く。


「源の予想、少し当たってるかも知れないからに」

「やはり、殺しの場所は散らばっている訳では無いか、」

「確かにあっちこっちではあるけれど、何だか道になってるさな。

 只、妖殺しは人の殺しとはちっと違うっぽいさ」

「……地図に示して見た方が早いやも知れぬな」

「でもな、」


 とん、と弥次郎の肩に触れた男。

 ちらと見遣れば、初老の男では無く狛虎が其処にはおり、あの蛍色の瞳が不安に揺れている。


「この空気、不味い気がするさね」

「……お前も感じるか、狛虎?」

「うん。これ、妖の気配に似ているけれど……ちっと違う、神様にも似ているけれど。

 覚えているからに?俺が源を操ったアレ」

「"鼓ま斗"か?」

「其れを、雰囲気だけでやらかすぞ……この感じ、不味過ぎるさ」


 ――― "鼓ま斗"の時は、匂いで操られていたのだったな……俺が……。

  其れを、"雰囲気だけ"で…?


 髪の毛が、怯える猫の毛の如く逆立っている。

 生温い風にひゅるひゅる揺れた其れは見るからに危険を察しており、しかし、故に今直ぐ何かが出来る訳も無い。


 彼等の歩く後ろに、何時の間にやら町娘に扮した白銀が立っている。

 そっと、二人の間に顔を寄せ、囁いた。



「"奴"が、消えていやがったよ。此処数日見掛けないってェ話だった」

「……そうか、」

「やつ?からに?」

「黒町屋の大旦那さ」


 くぃん、と首を傾げた狛虎に苦笑する白銀。

 其の二人の背を、弥次郎はぽんと触れ、進路を右へと向けた。



 ――― 如何も、双方無関係とは思えぬ。

 ……嫌な予感がするな……。


 忍の直感が、叫んでいた。



「人の殺しと妖の殺し、場所は皆突き止めたな?」

「嗚呼」

「からによ」


 向かうは、何時もの飲み屋・藤雅。

 ……二階に小さな個室がある。其処を少し前に借りていた。


「地図を用意して置いた。

 起こった時と場所を、宛てて行こう」

「げーんー、」


 猫が鳴く様な声で、狛虎が呼ぶ。


「何だ?」

「弥次郎さん、横顔格好良いさな、」

「はぁ?何だ突然、」

「本当に隠密だったからになー?太夫も鼓ま斗も惚れ直すさねー」


 にぃまりと笑む狛虎の、頬が少しばかり桜色だ。

 ぺしんと白銀に頭を叩かれる姿が妙に微笑ましく感じつつ、しかし。


「何でどっちも男なんだよ……」


 藤雅の入り口が見えて来た。其れを認識するも、漏れるは大きな溜息であった。



 

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