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鬼(オニ) ─壱、

 



 今より十年程昔の話。


 江戸より東の方にて、山賊達の間にて恐れられている妖の噂があった。


 "鬼童(きどう)"、と、男達は呼んだ。


 見た目は齢五歳程の男児。

 色黒で、全身傷だらけの姿。

 胸元には、何か"角"の様なものを中央にあしらい、宝玉で囲んだ美しい首飾り。

 背には古びた、しかし異様な気配を纏った刀。


 山賊達は皆、其の刀と首飾りを目当てに、其れの前へと立ちはだかった。

 命惜しくば差し出せ……口で脅せど、其れはじっと睨み付けるのみ。

 腹が立って刀を構え、少年に切りかかったら、最後。

 自分の身の丈よりも大きな刀がしゃらり抜かれ、素速い動きと力強い太刀捌きにて返り討ちに遭い、終いには動けぬ身より金品と食い物を取られた……と言う。


 其の童子の目、まるで……"鬼の目"に相違無かった、と。


「其の身には何度も肌を刀が掠め、無数の刀傷がある」

「気を付けろ、刀傷だらけの童子には手ぇ出すな……」

「例え、素晴らしい刀と美しい首飾りを持っていても、だ……」



 其れを"鬼の子"だと、男達は口々に言った。

 十年程経った今も尚……"鬼童"は人を斬り続けている、と。



 其の"鬼童"こそが、両親を殺され、形見を餌に山賊を狩りながら彷徨っていた早良乱丸たる"人"である事を知るは、恐らく彼本人、只一人であろう。


 生きる為、早良は必死であった。

 この命は敵を討つ為にある……其の気迫が、当時の彼が持つたった一つの動力源であった。






 * * * * * * * * * *





「嗚呼、早良!丁度良い所に来たな、」


 奈々尾に頼まれ、新しい着物を作るための反物を買い出しに城下へ出た早良。

 先ずは腹を満たそうと入った行き付けの飲み屋・藤雅で、聞き覚えある声に呼び止められ。

 見ると、声の主は藤雅の常連客・源三郎であった。


「嗚呼、……源の字か」

「如何した?随分ふ抜けた声だな、」


 早良は、腕利きの隠密である源三郎……否、鴉獄に、この藩内に潜む「子売り」の正体や動向、大名・情勢との関係を調べさせていた。

 今の自分に、自分で調べる程の余裕が無くなって来ていると言う事実は、少し前より気付いていた。


 余裕のみならず、情報を得るに素人である自分では限界がある。

 剣豪である我が父をも殺めたあの男が、何時又自分や幼馴染みに手を出すか分からぬ……

 よもや、逃してしまうやも知れぬ。


 源三郎に頼み込み、抜刀術のみならぬ剣術を教わり、自身を追い込む……

 其処に酷い焦りを見出し、しかし其れを感じて尚、お互い共に口に出す事は今も無い。


「昼間ッから、又飲んでいやがるんだろう。

 お前、"弥次郎"の仕事は如何した?」

「何だ、ご挨拶だな。

 折角"弥次郎"を休んでまで、欲しがっていたモンを持ってきてやったのにな?」

「……何?」


 早良の顔色が変わる。

 其れを見ていた源三郎、ニヤリ笑いながら一口酒を流す。


「そろそろ、小出しにさせて貰っていたモンも全部御開帳したろうか、と思ってよ」

「……今まで全部教えてくれておった訳では無かったのか」

「そんな声を出すなよ、此方にも事情はあろうて?」

「知らぬわ、」


 僅かな溜息を余儀なくされ、源三郎の向かいに腰を下ろす早良。

 ぱたぱたと忙しそうに往復する馴染みの娘に茶と肴を頼み、漸く小さく一息。

 少し疲れた様子の早良に、源三郎も又ふ、と息を吐きつつ、微笑んだ。


「随分疲れているな?早良よ」

「否、案ずる程じゃあ無え」

「気疲れに見えるぜ、」

「最近変な夢を見るもんでよ……夜な夜な、夢に鬼が出て来やがる」

「少し時を置いた方が良いやも知れねぇな?大丈夫か、」

「否、教えろ。今まで隠していやがったんだろうが、」

「だからよ、こっちにも事情があるんだって言うんだよ」


 そんなに聞きたいなら、顔を近付けろ。

 誘いに、早良は少しばかり顔を彼へと近付ける。

 さすれば、何時の間に居たのだろう。源三郎の懐よりひょこりと茶虎の猫が顔を出し、「なぁ」と一声。

 其れが何なのか知る早良、さも嫌そうな顔で小さな額をぺしんと小突けば、猫は「ンにぃ!」と悲鳴を上げて懐へと引っ込んだ。


「……余り狛虎を虐めてやるなよ。

 お前さんの為にと、こやつも頑張ってくれたんだぜ?」

「!……そ、うか……」


 ……済まぬ。小声で猫に謝りつつ、コホンと一つ咳払い。

 さすれば、懐の猫は不機嫌そうに顔を出したかと思うと、口に咥えていた古びた冊子をぽいと投げ、また顔を引っ込める。

 其れを受け取った早良、何気に其れをぱらぱらとめくり始めた。



「そいつはな、今まで吉原のとある遊び茶屋に売られて来た子供達の一覧名簿だ。

 ……全員じゃあ無えが、少し嗅ぎ回ってみた。

 俺が調べた子の親達は、大概はもう彼岸に居る」

「……… 殺されたのか、」

「嗚呼」


 源三郎の手が伸び、何枚か紙をめくる。

 ……其処にあった、何某かの子供の名前。

 二重線を引かれた其の名前の下に、「し乃雪」と書かれている。

 息を呑んだ。


「……この名、」

「会ったよな?"あいつ"だ」

「まさか、……こいつも?」

「これの場合は少し勝手が違ったがな。

 当時親代わりだった蘭方医に相当な金を積んで買っていた。

 ……理由は分からんままだが」

「!……… 源、三郎……」

「ん、」


 ふと顔を上げると、早良の顔が先程以上に青褪めている。

 紙を握る手が、震えている。……表情無き顔は、まるで怯えている様にも見えた。


 其処にあった、名前。


『早良 乱丸』 そして―――

『柏木屋 奈々尾』。


「……奈々……尾……?」

「…… 見付けたか」

「奈々尾が…… 己に同じく…… "狙われておる"……??」


 声が……震えた。

 途端、蘇るはあの日の記憶。


 其れは稲妻の如く。

 あの時の……早良が"独り"となったあの瞬間が、鮮やかな赤と共に、瞼の裏を駆け抜けた。





 * * * * * * * * * *






「坊っちゃん、お名前は?」


 背後から、名を聞かれた。

 普通、小さな子供なら名などすぐ語るだろう?

 己も例外ではなかった。


「…乱丸ランマル。」


 夕焼けを背に、真っ黒なそいつは立っておった。

 全身黒ずくめで、異国の服を身に纏う。

 釜の様な帽子を被り、しかしほんの少し漏れた肌は酷く青白い。

 背の高い、気味の悪い男だった。


「お家は何処だい?」


 帽子の下から、裂けるように口元が笑う。

 地を這うような気味の悪い声が、しかし酷く耳に通り良く突き抜けていく。

 夕飯の魚をとる手も止まり、己は立ち尽くした。


 南蛮の服を着る者など、南蛮人か金持ちしかおらぬ。

 そいつも例外ではなかったのだろう。

 見た事もない艶の黒服は、其れだけであれば珍しいの一言で終わる。


 が、そいつは異様だった。

 そいつからは、異様とも思える程…血の臭いがした。

 子供の己でも分かる程に。


 己は、何も言わずに立っていた。

 足元を流れる小川の水も、男の気配に何かを察し、怯えるように早足で流れていた。



「お家は何処だい?と言ったのだよ」


 男の、地響きのような低い声が殊更強くなる。

 己は恐ろしくなり、つい本当のことを言ってしまった。


「…あっち」


「お利口な坊っちゃんだね…」


 男は、己に何かを渡した。二粒、小石程の。


「外国のお菓子だ。美味しいぞ」


 焦げたような色の、嗅いだ事も無いような甘い匂いの物だった。


 男は気味の悪い口元をにいっと己へ向け、其れだけだ。

 己が指差した方向へと服を翻し、ゆっくり歩き出した。

 ゆっくり、ゆっくり…夕日を正面に受けながら。

 己は其の後姿を追う事もせず、只遠くへ消えて行く「黒」を呆然と見詰めていた。


 焦げたような色のものは、己の手中で次第に柔らかくなり、溶け始め。

 気味悪く思った己は、其れを足元の小川へ流し、其のまま一心に手を洗った。

 すぐに流れるかと思ったが…小川の冷たさにまた固まり、なかなか手から落ちようとはしなかった。


 其の時初めて、小川が凍えるような冷たさを己の足に伝えて来ている事に気付いた。


 今考えてみれば、あの"冷たさ"は己に危機を教えるものであったのやも知れぬ。

 酷い胸騒ぎ。不安に駆られ、捕った魚を入れた魚篭を腰に締め直し、己は急いで帰路へついた事を覚えている。





 家の前は、血の臭い。

 息も出来ぬ程充満していた。


 …きっと、あの男の仕業だ…直感的に、己の本能が叫んだ。

 …逃げろ、殺されるぞ、と。


 逃げられる訳が無かったさ。己には両親がいる。

 其の頃己は剣術を父より習っていた。

 しかし、父には左腕が無い。

 故、戦えぬ父を、父が愛する母を、己が守らねばと。



 …… 根拠の無い理屈は…家に一歩足を踏み入れた途端、徹底的に覆された。



 酷く。

 酷く、静かだった。

 物音一つしない、気配も総て掻き消えた玄関で、己の足は一度止まった。

 足元に、赤黒い水溜りがあった。其れを、踏んだからだ。

 べっとりと粘り気のある其れに足元を掬われ、己は声を上げた。


 そして、全身に鳥肌と、胸に酷く高鳴る鼓動を抱えながら、戸を開けた。


 あか、だ。

 家の中は、夕焼けの光が差し込んだように紅かった。

 鮮やかな血の臭いが、己をむせ返らせた。


 両親は死んで、転がっていた。

 苦悶と絶望の表情を浮かべ、白目を赤く充血させて此方を見ていた。



 周りは、紅。

 総てが紅く、夕焼け色に。



 土間の中央に、男は立っていた。

 まだ幼かった己にとって、男は大木のように大きく見えた。

 まるで昔から変わらずに居たかのような佇まいで、しかし途轍もない違和感を撒き散らし、居座っていた。



「…おや、」


 ゆっくりと、己の方に顔を向ける。

 血塗られ、人肌の色が既に見えないくらいに、紅く。


「チョコレイト…食べなかったねキミ、」


 己を見るなり、あの気味悪い笑みを己に見せ。

 紅い顔に浮かぶ其れは、傷の裂け目のように三日月形に裂け、鮮明だった。


 何故己があれを口にしなかったのが判ったのだろう…そんな疑問を抱く暇など己には無かった。


 直後に、男が其の答えを口にしたにもかかわらず、だ。



「あれを食べないと、これから辛いんだよ。

 麻酔がなければ直ぐ裂ける…使い物にならないからね、男の子は」



 男の正体は……後で知ったが、"子売り"であったらしい。

 "子を"、"売る"……口減らしの為、金の為に子を払いたい家より子を買い取り、働き手の欲しい庄家や遊廓に売る商売。其れが、所謂"子売り"だ。


 が、男の手口は噂になる程手荒であった。

 子供一人連れて行く為に家の者全員を殺し、子供が逃げても行き場所が無い様に身寄りを無くし、攫って行く……と言うもの。

 ……どうやら、己はそんな残酷な野郎に狙われたらしい。


 とんだ物好きも居たもんだ。

 何処から仕入れてきたのか、「この近くに活発な男児が居るらしい」と誰かから其の情報を買ったのだ、と得意げにべらべらと喋っていた。


 己は、余りにも常識離れな現実に、只立ち尽くしているだけだった。

 何も考えられなかった。

 考えられる筈も、無かった。


 男の手には、鋸と短刀が握り締められていた。

 両親の脳天へ振り下ろして間もない様で、臓物と脳漿がべっとりと着いたままだった。



「…さあ、乱丸君。もう逃げられないよ…おいで」


「乱丸君…さあ、おいで。」


「…乱丸君」



 耳の中で、まるで鐘を突いた様にぐるぐると男の声が木霊し、寒気がした。

 なのに、頭の中はぞくぞくするほど熱く火照り、其処だけが無性に鮮明に傷を残して行く。


「…うっ…」


 吐き気がこみ上げた。

 己は、其れでも必死になって堪えた。

 同時に、背中に差していた銛を手に取り、己は恐る恐る震える手で構えた。


「…親父を…おふくろを…殺…したな」

「殺したさ」


 男が躊躇無く言い、卑屈な声を上げて笑う。


「キミ、きっと売っても逃げてしまうだろうと思ってね。

 ほら、これでキミの家は無くなってしまったよ」


 一歩一歩、野郎は己に近付いて来た。

 血の臭いが、死の臭いが殊更強くなっていく。


 怖かった。

 己の中は、両親が殺されたと言う恨み、そして得も言われぬ恐怖が入り混じり、混沌としていた。


 涙が溢れた。

 胃から何かがこみ上げてくる感覚が一気に迫って来た。




 其の直後の記憶は、無い。

 ……気付けば其処にあの黒服の姿は無く、手には父の形見である刀が握られていた。

 振り回す程の力など無かったのに、どうやって其れを振ったのか、分からない。

 だが、自分の足元には血に塗れた指が転がっていた。



 紅い。

 総てが、紅い。


 ……今も。

 其の"紅"は、己の心の一角を染め上げたまま、離れない。




 * * * * * * * * * *



「 !? 」


 ……早良の顔が俄かに歪み、頭を抱える。

 耳の奥……否、頭の奥。

 あの"声"が、不意に響き出し。



< キミの家は無くなってしまったよ >


< 乱丸君、さぁ >


< ……乱丸君……、 >



< さぁ、 >


< "復讐の時だぜ" >



 心の臓が、

 其の時、


 "跳ねた"。




「…… 吉原の、"とある出会い茶屋"、と言うたな」

「嗚呼」

「其の物言い……其処一ヶ所だろう?」

「……」

「あの……"し乃雪"が居る茶屋の者、なのだな?」

「…… 知れちまったな、」


 はぁ……。

 源三郎の大きな溜息が、少しの酒の匂いと共に流れ、喧噪に消えた。

 憂い……其処に、少しの諦めと、不安が見て取れる。


「姿形、身形は覚えているか?」

「……忘れるかよ……」

「なれば、誰、とは言うまい。

 其処に見た事のある黒服が居たら、そいつさ。

 ……俺が教えたく無かったのは、其の為だ」


 源三郎の声色とは真逆。

 俯いた早良の肩が、震える。

 泣いている?否、くつくつと漏れ始めたのは、笑い声。

 …… 息とも音ともつかぬ其れ…… 其処に"喜び"の感情は、無い。


 何時からだろう、……其の首元には、首飾りが掛けられていた。

 其れは、心惹かれる程異様に美しい首飾り。

 中央にあしらわれた象牙の様なもの……何かの"(つの)"が、錯覚だろうか……僅かに拍動している様に見え。


 源三郎の目が、細められる。

 ――― 嫌な、……身を刺す様な、予感がした。



「……く……クク……」

「早良、…… お前」

「っふふ……そうか、そんな近くに居やがったか……!」


 上げられた、顔。

 初めて見る"笑顔"、否。

 其の様な物とは全く異質の表情。


 一瞬だけ、見えた気がした。

 赤黒い眼球に浮かぶ金の瞳……

 其処に居るはまさしく、鬼の形相。


「早良、おい。

 落ち着け、未だだ!」


 肩を両の手で掴み言うが、其処に人らしき熱が無い事に気付き、図らず手が離れた。


 ふと思い出される、ある言葉。


 ――― "奴"は相当カンカンなんじゃあ無ェかねェ……甘んじて受け入れな……。


 ……其の意味を、今知った気がした。



 早良は、腰にある二本の刀を差し直し、ゆっくりと立ち上がる。


「早良!」


 背を向けた少年は、源三郎の声にゆっくりと振り向き。


「恩に着るぜ、源三郎……。

 お前が友で良かった」


 其の時見せた優しい笑顔が、早良本人の意志である様には到底見えない。


 ――― 不味い方向に転びかけていやがる……。


 少なくとも源三郎にはそう感じ、知れず肌が粟立った。



 

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