刀憑(カタナツキ) ─六、
久シウ無カツタ平穩ト
モウ逢フ事無キ風ト炎
彼等ニ與ヘシ代償ハ
餘リニ小サキ弍文字ト
ヤガテ消ヘ行ク思ヒ出ト
「あっ、兄ちゃん気が付いた!」
あれから、丸二日。
一人静まり返った小屋の中、目が覚め咄嗟に外へ出た早良に、何時もの様に翠蓮が笑顔を向ける。
……同い年である筈なのに、この翠蓮は早良の事を「兄」と呼ぶ。
余り良い気がせぬ早良であったが、しかし今日も其の事に対して突っ込む様な事をせず、包帯の下にある眉をひくつかせるのみに留まった。
相変わらずの澄み切った空の下、翠蓮は何時もの様に洗濯物を干していた。
しかし、何かが違う……思い、そう言えば鍛冶場にて鋼を打つあの音が聴こえて来ぬ事に、気付く。
「翠蓮、焔屋殿は」
「ん?さあ……し乃雪さんと三日前に出て行ったまま戻って来ていないけれども」
――― …… 焔屋殿が?
まさか、あの夜……。
ぞっ…と早良の顔が青褪め、包帯の下にある顔が絶望に染まり掛けた、其の時だ。
小屋の向こう側よりヒュンと唸りを上げて小石が飛び、翠蓮の後頭部を真っ直ぐに叩き。
「痛っって!!」
「勝手に行方知れずにすンな翠」
振り向いた二人の視線の先、小屋の陰方より、ゆぅるりと現れた者。
焔屋らしき人が、幾許かの怒りと呆れを混じらせ、此方へ見遣っている。
……『らしき』と言ったのは、其の男が全身に包帯を巻き、まるで今の早良を真似た様な姿であった故だ。
しかし、片目ながらも此方へ向けられた瞳は、正しく焔屋の紅玉の其れであった。
「よォ、達者かい」
掠れた声にて、焔屋が言う。
早良は少々青褪めた様子にて、しかし安堵混じりに口を開く。
「嗚呼、……いらしたのですか、」
「焔が火で焼け死んだら笑いモンだろうがよ?」
フン、と鼻をならしつつも、しかし身動き一つ取る度に包帯の下が苦悶の表情を漏らす。
其の事に触れる事は無く、焔屋はクンと顎で小屋の中を指し。
「中に来いや、渡してェモンがある」
早良も又、全身に走る傷の痛みを抑えつつ、頷いた。
体を無理矢理突き動かすかの様に、焔屋は居間の中央にゆっくり腰掛け、早良へと身を向ける。
「出来てるぜ、」
す、と焔屋差し出したものは、袋に入った刀……本差と脇差の二振り。
其れを恭しく受け取った早良は、ゆっくりと袋より取り出し、懐より出した紙を口に咥えて刀身を確認する。
……何時もながら一寸の曇りすら無き見事な仕上がり。
キンと鞘へ仕舞うと共に、小さな溜め息が漏れた。
「……何時もながらお見事な出来映え、」
「脇差は最初から打ち直した。本差は欠けを直した程度だが、少しばかし手を加えた。
ちったァ欠け難くなった筈だ」
「……其の身にて、打ち直されたのですか?」
「其れがオレの役目だからよ」
「かたじけない」
「言うな」
品物を渡した安堵感故か、其れとも別の何かか。
焔屋は大きく息を吐いた後、流し目の如き瞳を早良に向け、傍に置いていた煙管に火を着ける。
「……しっかしよ。
お前は如何やって其の刀をぼろぼろにしやがった?
ソイツぁ故意に石でも斬らねェ限り刃が欠けるなんて事ァ無ェんだがよ。
人斬った痕跡は無かったから違うとして……
まさか、薪割りでもしていやがったかィ?」
冗談で言った訳では無い。
昔、同じ事をしていた知り合いが居た故のはったりである。
……が、早良は酷く申し訳無さ気に斜め下へ視線を落とし。
「………… かたじけない」
「! まっさか……
お前、ど阿呆が!」
ぶっ、と、耐え切れず焔屋は吹き出した。
げらげらと痛みを堪えながらも笑う焔屋の姿は、何処か大役を終えたかの様な清々しさを含み、心配を胸に秘めていた早良の蟠りがゆっくりと溶け行く様で。
「お前は本当に疾風そっくりだぜ、丸!!」
腹を抱え漸く涙を拭った辺り、早良はさも恥ずかしそうに顔を赤らめ、しかし何処か嬉しそうでもあった。
……其れを『笑み』と言うならば、幼馴染み以外に向けて、そして自らの意思では相当振りの笑顔である。
「そうだ、偶には笑えよ……今の内に笑っておけ。
其のまんま歳を取っちまったら、運すらも見放すぜ。オレみてぇにな」
ゆっくり、焔屋は立ち上がる。
早良の前にてしゃがみ、真正面より早良の顔を覗き込めば、早良はやはり少し恥ずかしそうにしつつ。
しかし再び畏まった彼に、焔屋が口を開く。
「良いか、丸。
これから暫くァ鍛冶は出来ねェ。
薪割りだけは止めとけよ」
「……はい」
「其れとな、 ……友人から言伝があるんだが。
ちょいと、目を閉じてくれや」
突然何を言い出すかと思えば……。
早良は今から何が起こるのか訝しみつつ、戸惑いながらもゆっくりと目を瞑る。
さすれば、目前に居た筈の焔屋の気配では無く、違う別の……何処か懐かしい気配が、柔らかく動く空気の感触と共にあった。
「……乱丸、」
突然呼ばれた、名前。
一瞬彼の身体に戦慄が走ったが、声色が酷く懐かしいものである事に気付き。
自らの耳を疑った後、次に込み上げてきた物は涙であった。
今まさに目と鼻の先程の所にある其れは、先日の騒動の最中、意識の隣に佇んでいた……"父"だ。
「乱丸。
もう一年で元服だな……逞しくなったな、本当に」
「……っ……」
自分を包み込んで来る様な其の声が、胸の内を酷く揺らす。
大粒の涙が堪えきれず、溢れ出した。
俯いて耐えようとするも、止まらない。
……止められる筈も無かった。
「……父上……っ……」
「苦労を掛けたな……お前をこの様な目に遭わせてしまって」
未だ包帯取れぬ頬を、温かい手がそっと撫でる。
其れこそ、遠い記憶にある仕草と同じで、早良は涙で前見えぬまま、其の胸に飛び込んだ。
声だけでは無い。
不思議と、沁み入って来る体温も、鼻腔を擽る薫りも……まさしく、あの頃のままの『父』が、震える息子の背中を優しく撫でている……
間違い無く。
其処に、"居る"。
しゃくりあげながら何とか声を押し殺す少年を、彼は引き剥がそうとはせず。
大きくなった体躯を確かめる様に、背中へと腕を回す。
温もりが……懐かしい。
「……もう、私達の事で苦しまないでおくれ。
これからは……自分の人生を歩みなさい。
私達の分まで、お前は生きなさい」
「でもっ……」
「大丈夫。私達はお前の傍に何時も居るから」
長い時間の様にも、ほんの少しの間にも思えた。
やがて、総てを包み込んでくれていた腕は離れ、代わりに冷たい空気が早良の身を冷やす。
「さぁ……もう、行きなさい」
「……父上、」
「お前は強い。臆せず、真っ直ぐ歩くんだよ……ほら、」
……早良は、俯いたまま。
涙で見えぬ其の先に、懐かしき影を垣間見て。
深く……
深く、一礼をし。
早良は外へと飛び出していった。
「兄ちゃん?」
戸を閉めた所で、一度立ち止まる。
滅多に見ぬ早良の姿に翠蓮が心配そうな声を上げたが、言葉を返す余裕は無い。
ごし、と袖で涙を拭き、しかし其れでも止まらぬ嗚咽にて肩を震わせながら、何かを吹っ切るかの様に走り出し。
やがて、其の姿はあの林の中へと消えて行った。
「……、」
何時の間にやら外に出、小屋の戸に寄り掛かり小さく溜め息を漏らす、焔屋。
「親方、兄ちゃんを泣かせたのかよ?」
唸る様に零した翠蓮に、焔屋は苦笑気味に。
「オレじゃあ無ェよ、」
「じゃあ誰だい?」
「あいつの親父さんさ。 ……全く、人使いが荒いぜ」
くつくつと、苦笑は笑みへと変わる。
翠蓮もまた膨れ面を笑顔に変え、尊敬する師の傍らにて只其の姿を見守った。
何時もなれば、焔屋の出鱈目な嘘は直ぐに分かるものなのだが。
……夢物語の如き其の言葉を、しかし如何しても嘘に思えなかった。
* * * * * * * * * *
「………………」
すっかり怒り心頭にて口を利かぬ源三郎に、し乃雪はほとほと困り果て、涙目にて彼を見上げる。
「…… 好い加減、許してくれぬかえ?」
「………………」
「ね、源さァん……駄目?」
「許すか!
お前、自分がした事を分かり得ておるのか!?
危うくお前が怪我する所であったのだぞ!!」
あの騒動よりもう四日が経つ。
あの翌日に焔屋の小屋を訪れた悟兵衛は、自分の居らぬ内に騒動が終息した事を知らされ、驚愕と共に其の場にてし乃雪を怒鳴り付けた。
其れは自分が仲間外れになった事に対する物では無く、焔屋とし乃雪に危険が及んだ事に対する怒りだ。
「アンタが居ても何にも変わらねェよ」と言う焔屋のきつい一言にて其の場は収まったが、しかし未だに腑煮えくり返る程の憤慨は収まらぬらしい。
遊郭へ来る気配の無くなった源三郎を、し乃雪は狛虎伝てに探し当て、こうして無理矢理部屋へ引き込み頭を下げているのである。
「源ったら……ねぇ、」
「煩ぇ!」
「…………ふぇっ……」
ぼろっ……と、涙が零れ落ちる。
途端、子供の様に顔を歪ませ、し乃雪はぼろぼろぼろと泣きじゃくり始めた。
「……意地悪ぅ……!!」
「あ!?……お前………… ったく、」
無論、これでは源三郎もたまったものでは無い。
「分かった、分かったから、」と慌てて慰めに入るが、少なくとも嘘泣きでは無いらしい。
しゃくりあげて泣き続けるし乃雪が収まる気配は一向に無い。
「嗚呼もう!!俺が悪かった!!」
結局音を上げたのは源三郎であった。
此度こそはきつく灸を据えてやらねば……そう思うていても、やはりし乃雪の美しき泣き顔には弱いらしい。
自分自身に毒づきつつ、震える細い肩をおろおろしながら抱き宥める。
「ほら、もう怒らぬ故……な?
済まなかった……って……、」
「…… お前さんが狛虎に騙された理由、良う分かるわえ」
ぺろりと舌を出したし乃雪の言わんとしている事を察し、源三郎は途端に顔を赤らめ、ばつの悪そうな表情を浮かべた。
次第に遅くなり行く日没。
未だ仄かに明るい西の空を何時もの出窓に座り眺めつつ、し乃雪はもうじき桜の季節がやって来る事を悟る。
ほんのり桜色に染まったし乃雪の肌。
源三郎は傍に座り、共に空を眺める。
「雪、」
「ん……」
振り向いたし乃雪の瞳は、また少し濡れている。
「焔屋殿の所へは、明日も行くのであろう?」
「嗚呼、……包帯を替えてやらねばならぬ故にな」
「明日は俺も参ろう。幕府よりの礼と詫びを伝えねばならぬ」
「何の、」
「村正討伐と加具土の民迫害の、だ」
ほんの少しの間を挟んだ後、し乃雪は「……うん……」とだけ頷く。
其の間に、源三郎は何か不快な感情をちらとだけ抱いた様な気がしたが、次の時にはすっかり吹き飛び、今度は源三郎が目を丸くする方であった。
し乃雪が出窓より下り、まるで猫がそうする様にそっと肩に寄り添って来たのである。
……何時もの仕草とは違う、其れはまるで縋る様に。
「……雪、」
「暫し、こうさせておくれ」
「…………」
「あの時よりずっと、胸の内が痛くてならぬ……。
あの二人が、羨ましゅうてならぬ」
「ん、」
「俺にもあすこまで信じられる者が、おればの……」
「じゃあよ。如何して俺にこうしているんだい?」
「…… ふふ……さて、ねぇ……」
次第に霞みいく其の声は、最後には泣き声と消えた。
ぽたり、ぽたり……
源三郎の膝に、雫が落ちる。
源三郎は、其の言葉に何かを返そうとはしなかった。
し乃雪の肩を、……少し震える大きな手が、ぐいと抱き締める。
少々乱暴な仕草であったが、其れが寧ろし乃雪を安心させ。
温かさ沁みる其の腕に抱かれ……彼は、暫しぽろぽろと涙を零し続けていた。
* * * * * * * * * *
翌日。
「よお、大人しくしておるかえ?焔屋」
「おうダイコン、 ……何だ、今日はゴボウも来やがったのかィ」
し乃雪の来訪に少し顔が明るくなり振り向いた焔屋であったが、背後に居た悟兵衛の姿を見付けるなり眉を顰め、吐き捨てる。
「まぁまぁ、そう言いなさるな……悟兵衛どんも申し訳無く思うておるのじゃ」
笑いながら、し乃雪は焔屋の横へ座り、早速持参した道具箱を開く。
其れを見、何も言わず自ら着物を脱ぎ始める焔屋……恐らく、初めは相当嫌がっていたのをし乃雪が調教したのだろう。
其の夫婦の如き光景を見せ付けられ、悟兵衛は内心にて舌打ちした……が、どうやら顔に出てしまったらしい。
ニヤァと焔屋が笑み、「アンタ、妬いてんな?」とからかえば、悟兵衛は顔を紅潮させて少しばかり声を荒らげた。
「何故に男に嫉妬せねばならぬのでしょう、」
「オレがそうだからさ」
「!」
「はっは!本気にしやがった、」
以前と違い大分口数が増え、彼が湛えている印象までもが違って見える……が、意地の悪さは健在らしい。
又しても嵌められた悟兵衛は唇をわなわなと震わせ、しかし此処で反論すれば泥沼化するであろう事を察し、漸く口を噤んだ。
「相変わらず詰めが甘ぇな、ゴボウ。
で?アンタは此処にもう用事は無ェ筈だが、」
焔屋の前に座り頭を下げ、改めて口を開こうとした悟兵衛。
……が、顔を上げた時、彼は言葉を詰まらせた。
其処にあったのは、包帯を外した焔屋の顔だ。
顔の至る所が爛れており、色黒ながら綺麗であった皮膚の面影が無い。其れは全身にも言え、至る所にて皮膚が剥がれ、痛々しい姿を晒しているのだ。
つい、悟兵衛は目を逸らし。しかし其れを察したし乃雪が、手当てを続けつつ笑いながら声を掛けた。
「見た目程酷くは無いぞ、日焼けの様なものじゃ。
これなれば程無く綺麗に治る。
流石加具土の民じゃ、どうやら火傷には強い体らしいのぉ」
……だと、よ。と、焔屋も笑う。
悟兵衛はほっと胸を撫で下ろし、再び真正面へ向いて口を開いた。
「……改めまして。
焔屋殿……否、焔 紅蓮殿。
老中・田沼意次様より直々に御礼と御詫びを申し上げたいとの事。
明日、江戸城へ内密に足をお運び頂きたいと」
「幕府は阿呆かィ?この死に掛けが明日行けるかっつーの、」
「そう思い、先立ってお断りして参りました。
其れで……これを」
すと差し出したのは、一通の文書と小さな風呂敷包み。
焔屋が開けば、中は何かの依頼書と小判五枚であった。
早速文に目を通し、……しかし焔屋の表情がほんの少し曇る。
「……回り諄くてわかんねェんだが」
「詰まり……貴殿の鍛冶の腕を見込み、幕府お抱えの鍛冶職人としたい、と言う事です」
「ふゥん……、」
薬を塗り終え、まるで着せ替え人形の如く包帯を巻かれながら。
焔屋は間を置き、口を開く。
「嫌だね」
「何故に、」
「刀鍛冶は辞めたッつったろ?……まさか幕府お抱えになってまで鍋を打てとは言うまい。
其れに、ついこの前まで殺そうとしやがった奴等に手ェ貸す義理は無ェよ。
これっぽっちもな」
全身に包帯を巻き終わり、着物を着せられ、改めて悟兵衛と向かい合う。
包帯の隙間より漏れる顔は、明らかな呆れ顔だ。
勿体無い、と隣にて呟くし乃雪にちらと目配せし、文を悟兵衛へひらり投げ返し鼻で笑った。
「焔屋は死んだとでも言って適当に断っといてくれや。
どうせ一度死んだ事になっているしよォ……
嗚呼、金は翠が受け取った事にしといてくれ」
「……本当に宜しいのですか?」
「しつけェよ」
間髪入れずに返され、流石の悟兵衛も其れ以上問う事をやめた。
代わり、漏れたものは苦笑。
「流石は焔屋じゃな、伊達男め」
し乃雪が笑えば、「褒めンなよ、」と焔屋が冗談混じりに零した。
「さて……言い訳を考えねばなりませぬな、」
わざとらしく困り顔を浮かべる悟兵衛。
「お前さんなら簡単であろうて?」
「確かに……ゴボウめ、言い訳は得意そうだ」
二人に言われ、いやはやと再び苦笑を漏らすより無かった。
日が少しずつ傾き、気付けば小屋の中へまで仄かに色付いた日光が差し込む。
し乃雪の肌が夕色に染められている事に気付き、悟兵衛は嗚呼と顔を上げる。
「随分時間を食うてしまったな……
雪、そろそろお暇しようか」
「ゴボウ、」
不意に上げられた声。焔屋だ。
顔を向ければ、焔屋の紅い眼が真っ直ぐ悟兵衛を捉えている。
「?何か、」
「少し、こいつと話がしてェ。
外で待っていてくれねェか?」
焔屋にしては珍しい頼み方だ。
なかなか見られぬ其の態度にし乃雪も又目を見開き、焔屋を見る。
……余り良い気はしないが、悟兵衛は何も言わず深く頭を下げ、立ち上がり。
「雪、外に居るぞ」
とだけ言い、小屋の外へと姿を消した。
少し、空気が変わった様な心持ち。
其れで……とし乃雪が口を開こうとする間に、焔屋が声色を落とし、言った。
「旅に出る事にした」
「? ……ん?今何と」
「た び、だ」
焔屋の横顔を見詰めたまま、し乃雪は固まる。
後、数瞬して彼の顔が不安気な其れへと変わる。
「何時じゃ、」
「この体が動ける様になってからな」
「何故にじゃ?どの位じゃ?翠蓮は?此処は如何するのじゃ?」
「二人で一年掛けて全国をよ……疾風の墓参り、村正に殺された奴等との供養行脚。
其れと、翠蓮を鍛え直すのさ。何時か行こうと思っていたんだがよ。
……此処は一旦畳む」
「…………帰って来ぬのか?」
「さてな、」
「……そう、かえ……」
「永遠の別れじゃねェんだしよ?縁があったらまた逢えるさ」
「……」
「しっかし。厄介事に付き合わせちまったな」
「俺は……何もしておらぬわえ」
「お前のお陰で曽々祖父さんと大師匠さんが成仏出来たンだ」
持っていた煙管より、ふんわりと紫煙が揺れる。
心地良さそうに流れた其れはすぅと消え、其れを挟んだ紅玉の瞳同士が合う。
「嗚呼、そうだ。
疾風がよ、お前を誉めちぎっていやがったぜ。
……流石、"楓"の姉…"椿"の子だと、な」
「!」
クン、と、し乃雪の顎が上がる。
焔屋が知る筈も無き名を聞き、胸が飛び跳ねた。
「何故に其の名を…!」
「楓は丸の母親さ。とうに死んだがァよ……
お前の事を何処で知ったかは分からねェが、あの夜お前に取り憑けたのァ其の為だとか言っていやがった」
「……まさか、」
「お前が丸そっくりなのも合点が行ったぜ」
し乃雪の視線が下へ落ち、彼は唇を噛み締める。
今にも泣きそうな顔をする彼に、焔屋は意地悪そうな笑みをにやぁと浮かべ、下よりし乃雪の顔を覗き込んだ。
「何だぁダイコン?其の湿気たツラは」
「……わざわざ聞くのかえ、」
「嗚呼聞くさ。他人の困った顔は面白ぇ……
特に、お前みてぇな気ィ強ぇ奴のはな」
……こやつ、そう言う性格であったのか。
し乃雪の顔が今度は苦笑に変わり、焔屋もまたニッと笑む。
「なァ、よォ。
お前も来るかイ?」
「えっ、」
「こう言っちゃァ何だがよ。
吉原に居るとなりゃ、親とロクな別れ方をしていねェんだろが。
お前の気が向いたらな、お前の里に寄ってやっても良い」
焔屋より掛けられた、優しい言葉。
途端声を詰まらせるが、「泣き虫め」とニヤニヤする焔屋が頬を突付き、見る間にし乃雪の顔が赤く染まる。
「……焔屋。何故に俺に其処まで、」
「"興味"」
「…えぇ…?」
し乃雪の顔が不意に歪む。
焔屋の其れが、意地悪な笑みへと変わった様に見えた。
「お前が丸の従兄だと知ったらよ、面白くなって来てなァ」
「何じゃ、……喜んで損したわえ」
「行くンなら早めに決めやがれよ?興味が薄れちまうしよォ、」
「…お前となぞ行くか!」
苦笑し、そう吠えながらも、唇を噛み締め、焔屋の顔を見る事無く。
……否、見る事が出来なかった。
見え隠れする優しさ故だろうか。
胸の内にて、何時の間にか彼の存在は……
今、余りにも、大きい。
まるで逃げるかの様に焔屋の元を離れ、外へ出ようと戸に手を掛けた。
其の、直前。
「し乃雪」
名を呼ばれ、戸に掛けた手が震え。
戸惑いにて躊躇した彼の手首が掴まれ、ぐいと体の向きを変えられる。
「っ、」
顔が後ろを向いた瞬間。
総ての状況を認識する間も与えられず、唇がふわりと塞がれた。
時が、止まる。
柔らかな感触と、染み入る温もり……
……絡み合う、吐息と舌。
し乃雪の身より力が抜け、膝が身の重さに耐え切れなくなった辺り。
唇がゆっくりと離れ、紅蓮色の瞳が紅玉色の其れをじっと見詰め、微笑を浮かべた。
「……成る程な。
世の男共は、この表情見たさにお前を抱くのかィ……
なぁ、……"し乃雪"」
其処に浮かぶは、混沌と混ざり合う感情にて涙を浮かべ戸惑う、複雑な顔。
其れは恐らく、世の男なれば一度は見てみたいと願うであろう、最も美しき女の表情であった。
「…………意地、悪……」
言うが早く、一筋涙が零れ落ち。
ドンと厚い胸を殴った後、し乃雪は外へと飛び出し、戸が閉められた。
「……」
温もりと共に微笑みも消え。
冷たくなった空間の中、焔屋はふと俯き。
「………… 意地悪、な……」
胸を擦り、唇を噛む。
叩かれた箇所が……し乃雪の精一杯であったろう一言が。
胸の奥まで刺さり、抜けないまま。
息が、詰まりそうだった。
* * * * * * * * * *
「雪?」
顔を真っ赤にして飛び出して来たし乃雪に只ならぬ何かを感じ、訝しんだ源三郎が彼に駆け寄る。
「何をされた?まさか、」
「……何もされぬよ」
やっとそうとだけ零し、涙をぐいと袖で拭い去り。
上げられたし乃雪の表情は、しかし其れだけでは済ませれぬ程に複雑で、源三郎は眉根を寄せたまま唸る。
「嘘だろうが、あの男は何を」
「……なぁ源三郎、お前さんは俺の友人であろうて……
なれば何故に其処まで関わらんとするのじゃ?」
「……何だよ今更、」
そう呟いた後、源三郎は少し目を細め。
「何があろうと嫌うなと、そう約束させたのはお前だぞ?し乃雪」
其の声は、向けられた目と同じ。
落ち着いておりながらも真っ直ぐであり、し乃雪以外の何処にも向いてはいない。
何時も以上に率直な其れに、何を感じたのであろうか……未だ涙に濡れる目を伏せ、し乃雪に漸く笑顔が零れた。
「……そうであったな。
だが、答えになっておらぬ」
「今は"其れが答え"さ、」
「そうかい……」
其の、源三郎が発した言葉には深い深い意味があったが、し乃雪には意味其の物を読み取るまでには行かず。
「帰ろう。
もう、着いた頃には日が沈んでいるだろうな……
槇島殿や皆に顛末の肴を届けねばな」
そう言い手を取った源三郎の自然な振る舞いが、今のし乃雪には少々苦しい。
しかし、今は――― 其れで良い。
もう逢わぬやも知れぬ赤髪の面影を忘れるまで、苦労を掛けるやも知れぬが。
し乃雪にとってやはり源三郎は大切な存在である事を、彼はじっと感じ取り。
「……そうじゃの、」
きゅ、と握り返した手に、源三郎の温もりが沁みて、少しだけ……ほんの少しだけ、心が軽くなった気がした。
「源三郎、」
「ん?」
「手、解くなよ」
「言われずとも、な」
零れる冗談、笑って返事。
其れだけでも何か堅く繋がれた物を感じ……
お互い、嬉しかった。
* * * * * * * * * *
数日後。
今宵は星が美しい。
ざわ……と駆け抜ける早春の風が、佇む黒装束の体を撫で、針葉の木々の香りと共に離れていく。
其の夜、焔屋……紅蓮は、風呂に浸かっている時間がやけに長い。
心地の良い風と、くっきりと空に散らばる星の所為であろうか。
其れは長風呂を促すかの如く、紅蓮はぼぉっと揺れる水面を見詰めつつ。
「………」
否、見詰めるは水面に映る自身の眼。
暗い中でうっすら見える紅の色が、ふとあの白く美しい姿を思い出させ、図らずも瞼の奥へと隠れた。
……ふぅ、と小さい溜息。
そして。
「……知り合いだからって勝手に上がり込むたァ、行儀が悪りィぜ……
ゴボウが」
ぽつり呟いた其の背後に、黒装束の男の姿。
闇に紛れ込む程に深い色をした其の者は、深く一礼し。
其の様に振り向きもせぬまま、しかし紅蓮は続ける。
「殺しに来たかイ、」
「否、内密にお伺いしたき事が」
「他の焔を探ろうとしても無駄だぜ、」
「其れでは御座らぬ。
……焔 紅蓮殿、」
す、と淀み無き動きにてひざまずき、口布と頭巾を外す、男。
其の顔……先日まで"丹原悟兵衛"と名乗っていた、あの男のものだ。
「紅蓮殿なれば、よもや耳にしたやも知れぬと思いました。
今、某はとあるものを追っております」
「……で、」
「"鬼の角"……存じてお出ででしょうか、」
「鬼にゃァ角ァ付き物だろうがよ」
「そうでは無く、何と申しますか」
「はっきり言え、茹だッちまうぞ」
「……早良乱丸が持っている物の事、」
「……嗚呼、」
其処で漸く、何の事か気付いたかの如く。
横目のみを男へ向け、気だるそうに。
「楓の形見さ。
寄越せッて言われたら全力で止めるぜ」
「我々が追うは其れ其の物にありませぬ。
嘘か真か、其れには"鬼"が潜むと」
「……」
「そう言えば、早良は幕府お抱えの武士達の間にて"鬼に好かれた男"と呼ばれていた事を思い出した次第。
……紅蓮殿。何か御存知ではありませぬか?」
暫しの無言の間を、春風がひゅると鳴りながら抜けていく。
湯気が其の瞬時消え、濡れて肌に張り付いた赤髪が鮮やかに煌めく。
「知っていたとして、どうするンだ?」
低く、唸る様な声。
「そもそも、なァ、よォ。
幕府は何を考えていやがる?
焔(オレ等)を狩り、村正討伐にアンタを寄越し、今度は鬼か?
怯え過ぎなんだよ」
「其れが我が命で御座る故」
「例え鬼が暴れ出したとしたらよ、そりゃあアンタ達が藪をつついた結果だ。
幕府が裏で何をしていやがるか、アンタは知っていやがるだろうが?
"奴"は相当カンカンなんじゃあ無ェかねェ……甘んじて受け入れな」
「其れでも、城下や他の民を巻き込む様な事はあってなりませぬ。
人にも生きるに値しない者が居る事は重々承知、しかし命は命……
放っては置けませぬ」
「オレ達を殺しておいて何言っていやがんだい?幕府の犬。
恨みってェ奴ァそうそう消えねェよ、其れを村正の件で分かっただろうが?」
ざざ、ん……
長い問答を割くかの様に、崖下にて波の音。
紅蓮はぱしゃ、と湯で顔をすすぎ、再び空を見上げた。
「オレは村正でも"あの鬼神"でも無ェからよ、殺しはしねェ。
……だがな、弟以外全部奪いやがったアンタ等に手を貸すつもりも更々無ェ。
せいぜい足掻きな、アンタ等がほとほと困る様を笑って見物してやるさ」
「……… 失礼をば、致した」
「……嗚呼。
一ォつだけ、教えてやろうかイ」
「、」
半ば諦め去ろうとした男に、振り向かぬままの紅蓮がくぐもった笑いと共に呟く。
「"紅蓮"……あの刀ァは、同胞を討つ為だけに作られたモンじゃァ無ェ。
あれは"鬼斬り刀"よ」
「……其れは、某にお教えしてはいかぬ事であったのでは?」
「察しろよ、ゴボウ」
ほんの僅かばかり、其の声は沈んでいた。
其れは情けか、……其れとも。
黒い衣の男は、深く、深く一礼した。
紅蓮が大きく息を吐いた時、其の姿はもう其処には無かった。
潮の香りが、波音の向こうより流れ来る。
普段嗅ぎ慣れている其れが当たり前ならず、少しだけ別物に感じた紅蓮。
目をゆっくり閉じ、風呂の縁に頭を乗せた。
星散る群青の世に、潮騒、又、潮騒。
刀憑 完
* * * * * * * * * *
…… 間
何時もは疲れ等微塵も見せぬ白き天人が、ぐっすりと眠っている。
少しばかり瞼の下に隈がある。
この数日の事、顔に出さぬまでも酷く疲れているのだろう。
音立てず静かに傍にて見詰めている彼は、其の頬にそっと、触れる。
月明かりがほんの少し木戸の隙間より差し込み、雪の如き肌が淡く輝いている様にも見え、幻の如く思えた故だ。
彼の口より、溜息。
美しさに、否。其れのみならず。
思い出されるは、つい昨日、西の隠れ里にて受けた命の内容。
― 其れで。
其の"紅蓮"が、"村正"無き今、鬼を討てる刀であるやも知れぬと?
「は…… そもそも、村正を討つ為に作られた刀でありました様子」
― 成る程、そうですか。
で、今何処に?
「本差し・脇差し共に早良乱丸が所持しております」
― 早良……
"鬼の角"を持つあの早良乱丸が、刀までも……ですか。
― 二十年程前に居ましたよ、確か幕府が最も信頼する剣豪……
早良"一閃斎"疾風でしたか
「御存知だったのですか、早良疾風を」
― ええ。名のある剣豪でしたから。
彼は"子狩り"に巻き込まれ、夫婦共に殺害されたのでしたっけ……
そして、母親はあの陰陽寮分所より"異物"……"鬼の角"を持ち出し逃げた犯人、
「楓」であったと記憶しています。
― 詰まる所、其の両方が……何の因果でしょうね……。
「……
"鬼"の名が何故に又浮上しているのか、分かりかねます。
…まさか、」
― 陰陽寮よりの"命"故です。
「……陰陽寮?
我等氷雨衆は幕府管轄の筈、」
― 左様。
幕府でも一部の者しか知らぬ「氷雨衆」の情報を陰陽寮が入手した経緯は調査中です。
……まぁ、大方見当は付きますが。
しかし、其れを知りながらも尚、陰陽寮は式神を通じ接触してきました。
― 陰陽寮は、"依代"とは別の鬼神も恐れています。
"依代"出生の元凶、"朔天童子"を。
鬼斬り刀を探すは、恐らく其方が目的でしょう。
「なれば妖太夫はもう、無関係とはなりませぬか?」
― 本音は、……そうしたい所ですがね。
帝…陰陽寮は、どうやら我々氷雨衆を暗殺組織だと勘違いしておる様子……
― 私としても、害の気配無き彼を手に掛ける事、気が乗りませんが。
― ……排除の必要が浮上した場合、判断は現場の貴方に委ねます。
命が下るまで、太夫の元にて待機を。
「…… 御意」
「………」
懇々と眠り続ける其の姿が、余りに無防備に見え、彼の手がゆっくり、首へ。
細い。
吸い付く様な手触りが、心地良い。
――― 事と次第によっては……か。
其の意味を知る彼の手が、ほんの少しだけ力を入れた。
何れ、死なねばならぬのなれば…… 俺が………
否。
震える其の手は、額へ触れた。
殺める事等、……無理だ。
漆塗りの角箱に、あの簪が置かれている。
絹の風呂敷を敷いた上に、其れは大事そうに。
何故に殺めねばならぬ?こやつは……
陰陽師共が知っている様な……"角無き鬼神"等では、決して無い。
其れを伝えるに、未だ時は満ちておらぬと。
其の、経験にて知る事実が、今は酷くもどかしく。
鴉獄は木戸を開け、窓辺より飛び立った。
嗚呼、月の光が。
この黒き体に染みて、まるであの太夫の様だ。
続




