幕間 ―闇夜にゆらめく吉原錦―
柏木の屋敷より、田畑の隙間を黒い行列が細く長く伸びている。
静かに。
読経と共に、ゆっくりと。
嘘の様に晴れ渡った空。
未だ血生臭い、屋敷の中。
早良は、消沈した様子の奈々尾の傍に、居る。
何時もの縁側だ。飛び交う鳥を見遣りながら、言葉は無い。
早良が帰って来た事が奇跡だと、奈々尾は知っている。
両親が外出していて無事であった事も、まぐれだ。
如何やって此処に戻ったのかは、本人も知らぬと言う。
覚えておらぬだと。
早良の髪は、短く整えられていた。
どうも先の黒町屋で焦がされたらしい。
其れを問えば、早良は少し戸惑いながらも
「……お前に会うに、見苦しかった故……整えてもらった」
と零していた。
神隠しの如く、謎は謎のまま。
只――― 奈々尾の胸の内には、何も無くなっていた。
そう言えば、早良の胸にあった筈のあの首飾りが、無くなっている事に気付く。
今の彼には如何でも良い事ではあったが。
「…… 好きだったのに、な」
奈々尾のポツリ漏れた言葉に、早良の首が少し、動く。
「ん」
「無くしてしまったの、形見」
「…… 嗚呼」
「如何して、」
「もう、要らぬからだ」
あれ程大切にしていた刀も、今日は持って来ていない。
「いらないだなんて、」
「…… 鬼は、己の中より総て追い出さねばならぬ」
「鬼、」
「己はもう、鬼じゃあ無え」
其の一言は力強く、地に足をどっしりと着ける様。
無意識に、胸元へ手を宛がう。
……が、其の仕草はかつての不安とは違っていた。
「……命、拾っちまったから、な。
己は…… "生きろ"と、言われた……
敵討ちも、もうしなくて良い」
「早良、」
「ん」
「お帰りなさい」
奈々尾の短い煉瓦色の髪が、心地良さそうに揺れる。
其処に血の臭いと、僅かな金木犀の香りが入り混じり、不思議な斑模様を描く。
早良は、深く、頷いた。
其処に浮かぶ表情は、紛れも無い。
笑顔であった。
* * * * * * * * * *
其れから程無く、焔屋は旅に出た。
当初の予定通り、供養行脚と早良家の墓参り、翠蓮の鍛錬。
……そして其処に、"己を見詰め直す"と言うもう一つの目的が加わった事を、本人以外誰も知る事は無い。
少なからず、彼自身、思うものがあった。
大事な少年を道具にしてしまった事が、一番の理由。
其れが人で無しのする事であると……あの時、白き天人が鬼へ啖呵を切った姿と言葉を見聞き、漸く気付いたのである。
翠蓮を連れ江戸を出る直前、早良にのみ、顔を見せに来た。
育ての親と暮らす、畑の真ん中の家だ。
少し歩けば、彼と仲が良い百姓の家がある。
常なれば百姓の家へ行った方が会えるのだが、此度は早良の家へ真っ直ぐ足が向いた。
早良は、其処に居た。
刀を鍬に変え、畑にドス、ドス、と突き立て、土を耕す姿。
泥にまみれた浅黒い肌は、普段見慣れた泥と少し違って見えた。
焔屋の姿を見るに、早良は彼を待たせた。
疾風の如き素早さにて、家より持ち来たもの……鬼の角の首飾りと、銘刀"紅蓮"。
「焔屋殿、これを」
二つを差し出した早良に、焔屋は顔色一つ変えぬまま。
「……丸、良いのかイ?」
「、」
「鬼の角に鬼斬り刀つッても、そりゃァ疾風と楓の形見だろうが?
今、"ソイツ"は此処にゃア憑いてねェし、刀は必要だろう。
……疾風達の墓に、本当に返してェのか?」
早良の眼は、真っ直ぐに焔屋を見た。
貫かれそうな程に曇りの無い、……其れも、以前以上に真っ直ぐ前を見据える、眼で。
「己には、両親に貰ったこの命があります故」
焔屋は、ゆっくりと。
其の二つを、受け取った。
「……分かった」
「両親に、宜しくお伝え下さい。
そして……行けずに、申し訳ないと」
フン、と笑う、焔屋。
踵を返しつつも、彼は息子たる其の侍に、言う。
「疾風達は気にしちゃァいねェよ」
ひらり、手を振った、雄々しき男の背。
鍛冶道具一式を背負った其の姿と、一生懸命手を振りながら去る翠蓮に、早良は、深く……其れは深く深く、一礼した。
焔屋は、如何しても言う事が出来なかった。
済まなかったと、……彼に言った所で、果たして其の深い意味を理解出来るのであろうか?と。
――― 江戸へ戻ったら、次こそは。
胸の中にそっと其れを仕舞いつつ、焔屋…… 紅蓮は、前を見据えた。
* * * * * * * * * *
"黒町屋炎上事件"……と呼ばれた騒ぎより、三日。
中途半端に壊された周囲の茶屋は、数ヶ月あれば元に戻ると言う。
どうやら、あの炎が熱くなかったから、と言うのが幸いしたらしい。
昼間の喧騒に大工の心地良い音が混ざり、心なしか更に賑やかだ。
黒町屋が炎上した時に行方知れずとなっていた者達は、気付けば黒町屋の中にて倒れていたと言う。
顛末を把握する者は、し乃雪と戌良、ねねを除けば、誰一人居ない。
角を折られた鬼神・朔天童子は、未だ押し入れに居る。
"居る"……縛られた鎖は解放され、先日「何処へなりとも行くが良い」と言われたと言うに。
何故か、朔天童子は其処より離れようとせず。
今は青年姿で着流しに身を包み、この押し入れで眠り、人の如く飯を食い、酒を飲んで暮らしている。
「自慢の四本角を見事に折りやがって……。
……でも、面白ェ出来事だったからよ。
此処に居りゃァ退屈はしなさそうだ…ケヒヒ」
そう話す、朔天童子……否、角無き鬼はもう"童子"ならず、朔天と呼ばれている彼であった。
どうも角は鬼の力の源であると言う……が、今では角の幹のみ生やした只の青年。
源三郎と本気の腕相撲勝負をした折、楽勝であったにも関わらず「力が落ちた」と三日程寝込む程度には、心の傷になっているらしい。
……尚、折られた角三本は総て、朧が何処かへ隠し、封印したと言う。
源三郎は其れと無くし乃雪に始終を訊き、漸く全貌を理解したのはつい先日の事だ。
酷い事を……消沈する間も余り無く、仕事を持つ彼は忙しそうに日常へ戻っていった。
し乃雪はと言うと。
朔天と言う押入れの話し相手が出来、毎日が楽しげだ。
「しかしの、角無し鬼に"息子"とはもう言わせぬよ?」
其の言葉は自信に満ち、む、と口を噤む朔天が少々可哀想に見えて来たのも、近頃の事であった。
春の匂い混じる、夜半。
桜は五分咲き。
もうじき出窓の景色は太夫を飾り、其れは見事な吉原錦となるであろう。
昼の名残りと疲れの所為か。
源三郎と言う客が来ていると言うに、うつら、うつら……し乃雪は目を閉じ、舟漕ぎを始めた。
「……やれやれ、」
呆れながらも一口酒を含み、魅入る。
開け放しの押し入れの縁に座る朔天、ケケ、と笑い、源三郎の顔をくいと覗き見た。
「殺さねェのかい?」
さらり吐いた一言。
「お前よ、なァ鴉獄。
命じられていやがるんだろう?」
「……何を急に、」
「お前、確か伊賀の忍だよなァ?
其れも、悪名高き妖忍集団・"氷雨衆"と来た……。
幕府に通じる氷雨衆であるお前がよ、こうして俺や蘭樹から離れねェってならァ、理由は一つだ」
ケケケ、耳障りな笑い声。
しかしし乃雪に配慮しているのか、声は小さい。
この鬼神……思いつつ、しかし朔天の手にある大きな杯に酒を少しばかり酌をし、溜息と共に金の目を向ける。
「……其の様な命は受けておらぬ」
「へぇ、」
「俺が受けた命は"待機"だ」
「ほぉん? …あの"氷雨 鍬刃"が?」
「嗚呼」
「……この数百年で、どれだけ甘くなったんだ?アイツは」
笑いながら、継がれた酒を飲む朔天。
腕を組みつつ、源三郎は鳶色の目を空へ向け、独り言の様に言を返す。
「例えば、なぁ朔天。
お前さんは今でも強いが、其の角が総て戻ったら。
力が総て戻ったら……
神達が目を付けているこの江戸を、飛び出せるかい?」
「…………しねェな」
「何故だ、」
「無理だ。
この鬼神でも、八百万と蘭樹を相手にしたら直ぐに首が無くなる。
…………おお怖ェ、この男は恐ろしいよ。
神を味方にしていやがったとは、よぉ?」
「つまり、なぁ。そう言う事、さ」
笑いながらそう言った源三郎に、朔天は大きな溜息で返し。
「……よォ。お前が持って来たこの漬物、ぜんご漬けってェ言うのか?美味ェなァ、」
苦笑気味に、ボリ、と其れを齧った。
細い月が、窓より此方を覗いている。
輝く眼下にし乃雪の美しい眠り猫が重なり、一つの絵の如く。
二人は、暫し其の様子に見惚れ、無言にて杯を交わし。
さわ……と風が冷たくなった所で、源三郎は立ち上がり、し乃雪の身をそっと抱き上げた。
偶にやる行為だ。
こうして窓より下ろし、布団へ寝かせる。
まるで子供の様に無垢な寝顔を横に、自分も眠りに付くのである。
が。
「……偶には柔らかな羽毛に包まれて眠りたいのぉ……」
し乃雪よりそう零され、ビクン、と源三郎の身が震えた。
「っえ!?」
「ん?何じゃ、俺は変な事を言うたかえ?」
ぱちくりと目を開けたし乃雪が、あっけらかんと言い放つ。
如何して良いか分からず、源三郎は思わず手を離し、華奢な其の身がドスンと布団の上へ落ちた。
「痛ッッ…てぇ!」
「お前が変な事を宣うからだ!」
「変な事とな!? 自分を否定するかえお前さんは!?」
「だってよ、えっ何時……何時其れを、」
慌てふためき、言葉にならぬ様子。
あわあわと頭をかきむしる其れに、朔天とし乃雪はクスクス、ケタケタ、笑う。
「のぉ、落ち着け源の字よ」
「だってよ!隠していたぞ!?俺はよ!!あッ朔天お前漏らしたか!?」
「俺はなァんにも言って無ェよ?」
「源三郎、あのな」
布団の上にあぐらをかいた白い人、源三郎を見上げる瞳は少女の如く。
「初めてお前さんを見た時より、お前さんが妖である事は知り得ておったよ。
でなければ、お前さんを指して茶室へ招く事が出来ると思うかえ?
人の姿は霞んで見えるこの"鬼の眼"で、……のぉ?」
……そう言えば、何時ぞやにし乃雪は零していた。
――― この眼は、人の世はぼぉんやりとぼけて見える。
光も、人より眩しく感じるらしい。
が、"妖"の姿には酷く敏い。
故か否か、妖に懐かれ易いらしゅうての……
……あの言葉、"人の姿"である自分には関係無いと聞き流してしまっていた。
よもや、以前笑って返された「ちゃあんと見えておったよ」と言うあの言葉は、世辞では無く。
「…… 何だよ、そうかよ……」
そもそも、人であったなれば此処へは招かぬわえ。そう言ったし乃雪の笑顔が何とも意地悪で、源三郎の明らかに消沈する姿が二人……否、一人と一体の笑いを誘ったのは、言うまでも無い。
嗚呼、吉原は其れ其の物が異界であったのか……そう思い知る、春の夜。
人の声遠退く眼下の静寂が、今宵も丑三つ時の到来を知らせた。
終わらぬ吉原錦、ひとつふたつと提灯を消し行く今宵この晩。
僅かな眠りの時を迎えた所で、アヤカシ太夫と色男のおとぎ話は
ひとまず一巻の終わりと相成りまして候。
アヤカシ太夫♂とイロオトコ 続




