第二十四話 ダンジョンマスター
転移四十七日目、攻略開始から四十五日目 到達階層四十九階
四十九階を攻略し、明日はいよいよ五十階層の攻略開始となる。
その日の夜、いつものようにオレ佐藤鈴木の三人と一緒に牛丼店でカレーを食べていると、おっさんが唐突に語り出した。
ビルが林立する都会暮らしなのに見晴らしが良い。日が当たる。駅や国道に近い立地でも、騒音や環境音に悩まされない。夏に窓を開けていても蚊が入ってこない、ゴキブリが出ない。
まあこれは新聞勧誘員や宅配便の配達員とシンクロして侵入してくる生存戦略に長けた個体が居て、マンション低階層での繁殖・出現が確認されているようなので、いずれ上層階の住人も遭遇することになるとは思うのですが……
海外では生活困窮者の住居になることもあるタワーマンションが、日本で大人気な理由としては、一極集中による住環境の悪化の他に、多くの日本人は自ら率先して、ヒエラルキーに組み入れられることを望んでいるからなんじゃないかと考察できるんです。
現行の相続税評価額の評価方法は、階数による価格差を設けていなかった為、実際には高く売れる高層階の課税金額が実質的に低く抑えられる「タワマン節税」なる言葉となった――課税システムの穴を突いた――相続税の合法的脱税方法がありましたので、上層階を購入する富裕層にはそうしたメリットもありました。
しかし、タワーマンションの固定資産税を決めるための相続税評価額の評価方法は、実情に合わせたものに変更になると決まっていますから、最早意味は無い。と言ってオレ達を見る。
オレはおっさんの意図が掴めず、これはどっちだ? と思う。佐藤と鈴木はフンフンと頷いている。
つまりですね。学校生活を快適にするために、クラスカーストの収まるべきところに自ら率先して収まるのと、自身の仕事や年収を勘案して、タワーマンションの然るべき階層に住む住人たちの行為は、等価性があると思われるのです。と、爆弾を落としてきた。
マンション販売業者は、ただ単に地上高の高いだけのマンションを建設しているのではなく、社会に出て、これまでのような誰の目にも明かだった集団内の階級序列が、会社内という場に限定され、自らが所属する社会のなかで、その立ち位置が分からなくなってしまった人間の居るべき場所、という付加価値を付けて、より高く売れる商品にして売っているんです。
建物の下に積層ゴムなどのアイソレータを入れた免震構造であれば、大きな地震の時にも建物の揺れは抑えられますが、耐震構造や制振構造ならば上階ほど大きく揺れる。
高層階専用の高速エレベーターがあっても、大地震後の停電のことを考えれば、階層が高いほど不便になるのに、見晴らしが良いなどの理由を付けて、当たり前のように上階ほど販売価格は高くなる。それは何故なのか? と言ってオレたちのほうを見る。なんだか目付きが鋭い。
そんな押し付けられた価値観を、何も考えずに有り難く受け入れて、率先してヒエラルキーに組み込まれようとする人たちが、そのタワーマンションの「上階ほどステータスが高い」と喧伝される付加価値を認めて、ほか人よりも、高く買うからです。
安いものには相応の理由があるものですが、高いものには理由がないこともあるものです。より高く売るためには、高い理由に見せ掛けた何かを、購入者に信じ込ませる必要がある。
そのための演出として、高層階と低層階用のエレベーターを分けたり、駐車場の場所に格差を付けたりする。
「上階ほどステータスが高い」の意味は、他の誰かよりも多くのお金を出せば、その人の頭の上で暮らせますよ。という「購入者の購買力」という「ステータスの高さ」でもあるはずなのですが、しかしそんな売り口上をするタワーマンションはありません。価格表で暗に指し示すだけです。
そして恐ろしいことに、建物が老朽化した際の解体の費用については、この価格には含まれていないんです。入居後に支払うことになる大規模修繕費の積み立てはあっても、解体や建て替えについては想定されていない。
現在の技術だと解体には建設費の数分の一となる莫大な費用が掛かるのですが、四十年、五十年先の未来には、その時入居している住人のほとんどが建て替えに賛成するような、劇的に安く、短期間で施工可能な解体技術や建築技術が確立されているはずだという希望的観測によって、次々に建設されてしまっている。
まるで将来の富を搾取することで現在の富を過剰に膨らませている今の社会のようなものです。
それに対して元タワーマンションだったダンジョンマスターは、自分の中に身勝手に作られたヒエラルキーや、愚かとも思える楽観主義に大いに不満を持っていた。
だからそれを全否定してぶっ壊すという願望こそが、異世界転移チートによって、この世界で絶大な力を獲得した彼の夢であり、ここはそのための場所だと思っていました。でもおそらくは違うんです。違ったんです。
おっさんは大きく息を吸って、言葉を続ける。
確かにモンスターが同時に出現する個体数は、上階へと進む毎に増えてはいますが、出現するモンスターは常にゾンビ、もしくはゴブリンでしかない。そして食事がすべて金貨一枚。という設定。
これらは従来の価値観の否定、ヒエラルキーの否定のように思えます。
しかし、その破壊願望のためだけに、わざわざ誰かに壊させたり、ダンジョンを攻略させる必要はないんです。ナンセンスなヒエラルキーが壊れた世界は、彼によって完成してしまっているんです。
彼はたった一人でこの世界に転移してきたわけではありません、私たちまで引っ張ってきた。
そして、ダンジョンの攻略を通じて、我々にその存在、そしてその圧倒的な力を認めさせた。
その時点で、マズロー氏の言うところの、彼の社会的欲求(Love/Beionging)と、承認欲求(Esteen) は成就される。
そして、その上にある自己実現欲求(Self-actualization)も、この世界では達成されることになる。
じゃあそれが為されたあと、何をするのか?
おっさんはオレたちを問いかけるように見て、言葉を続ける。
彼は、自身の最上階よりも高い所へと行こうとしているんです。マズロー氏の五段階目、自己実現欲求(Self-actualization)ですよ。
誤解してはいけませんが、自らの利益に反する利他的行動を取ることもまた、個人の欲求に根ざしたものであり、自己実現のための欲求に含まれるものと考えられています。
彼が変えたいと思っているのは、この自分の世界じゃない。自分を超えて存在する他、私たちがいた、あちらの世界なんです。
彼が最初に、我々にダンジョンの攻略報酬として示した選択肢は二つでした。
一つは記憶を残したままの全員の帰還。
これは、我々が、当たり前のように受け入れている、そうした既存の価値観や、それを基本とした考え方を、ダンジョンを使って揺らがせながら問いかけ、啓蒙というのか? 教育というのか? ネガティブに言えば洗脳になりますか、それを変えようとしているということ。
例えば、我々に楽観を許さないような、日本語を喋るゴブリンの出現やドロップ率の急低下現象がありました。
帰還後もこの世界で経験したことの記憶が残るというのは、そうした意図があるからのように思えます。
そしてもう一つが、たった一人の、特定の人間の願望の成就です。
それは人類がこのまま発展を続け、存続していくのならば、あちらの世界で、いつかは到達してしまう未来なのかも知れません。
自らが否定、拒絶していた価値観、あちらの世界の価値観を受容することも、彼の自己実現の欲求となるのか? それとも、それこそがマズロー氏の「超越」になるのか? 私には分かりませんが、多くの人間は己の中に矛盾した欲求、矛盾した欲望を持っているものです。その道はひとつではない。
そしてそれは、この世界で勇者となった人間が、何れ神に近しい力を持ち、この世界に飽いて、元の世界へと帰還すれば、おそらく成し遂げられることになるんだと思います。
象徴的な言葉で言えば、英国の社会人類学者であるフレイザー氏の「王殺し」ですね。
彼の選んだ道は、そうした二つの道なんです。どちらでもいい。どちらの選択でも前に進める。と、彼は考えた。恐らくはそういうことなんです。
オレたち三人はおっさんの言葉の迫力に言葉を失う。
超越とは解脱のようなものなのだろうか?
おっさんから投げかけられた問題が大きすぎて、考えることすら出来ない。分からない。
確かにダンジョン神(自称)は神へと到る道、と言った。
神をつくる? そんなことが本当に可能なんだろうか?
おっさんはそんなオレたちの沈黙を理解してくれたかのように、もう遅いですし、そろそろ帰りましょうか。と言って席を立った。
おっさんが店を出て行く後ろ姿を、牛丼店のワンオペ店員さんが、じっと見ていたような気がした。
その夜はなかなか寝付けなかった。
タワーマンションの固定資産税、相続税評価額の評価方法の変更は二〇二四年一月です。




