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第十六話 言葉

 その日の夕食後、昼間の衝撃的な出来事の余韻で、ちょっと虚脱状態なオレとおっさんは、ギルドから持ち出したパイプ椅子を二階商業店舗のバルコニーに置いて座り、早くも沈もうとしている月を見ていた。


 オレが、それにしてもダンジョン神(自称)の悪辣あくらつさというのか、趣味の悪さはゴブ公たちよりもたちが悪いね。と言うと、


 おっさんが、ゆっくりと語り出した。

 言葉は難しい。それは本来、ひとりだけで使うものではなく、誰かと対話をするために生まれて来たものだからです。そんな基本的な約束事が通用しない。


 従来の常識を打ち砕くように、アノミーが加速するこの世界で、言葉を正しくつかわない相手に遭遇する。そしてその相手と戦う。

 本当に恐ろしいことでした。と首を振りながら言って、少し間を置いてから言葉を続けた。


 知っていますか? 君が今言ったゴブ公の公は、本来は明治維新で活躍した、薩長出身の新興貴族たちの権威付けのために作られたものなんです。当時の新聞が忖度そんたくして、誰某公だれそれこうとか、名前の後ろに――公爵とか偉い人の意味として作った――公の字を付けて、箔付はくづけして持ち上げんです。


 でも、そうしたあからさまな権威の押し付けに民衆は反発した。

 芋男爵の誰某公だれそれこうあげつらったんです。


「チョンマゲを落としてヒゲを生やし、洋服なる異国の珍妙な着物を着て、それに小判だか大判のような光り物をぺたぺたと貼り付けて、偉い偉いとかえってはいるが、そもそもは西国さいごくの田舎の畑で取れた薩摩芋じゃあないかと」

 そう揶揄やゆしたんです。※


 エテ公は猿のくせにという意味の公ですし、忠犬ハチ公は、犬にしては偉いじゃないか。という意味の公なんです。

 今も使われているのかは知りませんが、昭和の時代に不良と呼ばれた、悪ぶった学生たちが、仲間内で先生を呼ぶのに、先公などと言ったのは、偉ぶった権威の押し付けへの抗議の意を込めて、そう呼んだんです。


 明治という時代は、今まではなかった新しいもの、新しい概念や思想が、諸外国から日本に数多く入ってきた時代でした。

 言葉がなければ、理解も、説明も出来ない。それで、そんなものや考え方に対応するために、先人たちによって、沢山たくさんの新しい日本語が作られたんです。

 御維新造語などと、その当時は呼ばれていたそうです。

 公は、そんな新しい言葉に紛れ込んだ、紛れ込まされた夾雑物きょうざつぶつだったんです。


 また反対に、そうした意味の言葉、概念が日本語として明確に存在しなかったのか、従来からあった言葉に、併呑へいどんされてしまうような悲劇も起きました。

 現代中国語で、人格が高い、才能に優れると言った意味の「賢」という漢字が中国から輸入されて、日本では八世紀には「さかしい」という言葉として、万葉集でも使われていたようですが、学力、頭の良さ、理解力、知識力、理解力、頭の回転の速さ、智慧など、英語では様々なニュアンスがあるsmart intelligent clever wiseなどは「さとい」などを差し置いて、この「賢さ・賢い」に一括(ひとくく)りにされてしまった。



 科学技術が発展した今の世の中も、どんどん新しいものが作り出され、それにともなって、新しい名前、新しい言葉、新しい考え方が次々と生み出されています。

 時代と共に、従来の言葉の持つその意味が、変わっていくのも事実です。またそれは変わって行かなければならない。


 ですが、時の為政者いせいしゃや権力者たちの嘘や誤魔化ごまかしの為だけに作り出された言葉。


 本来の意味とはまったく無関係なのに、その言葉を聞いた者に誤解を生じさせて、本当の意味を隠蔽いんぺいするような企図きとを持って生み出された言葉。


 新しい何かを、昔からあったものと同じ言葉で命名して、本来のその価値を奪い取るような言葉。


 そうした言葉の押し売りに対して、我々は明治大正の人たちのように、社会として対抗していかなければならないんです。


 そうしなければ、いつか飲み込まれてしまう。


 それこそオーウェル氏がその代表的著作、『1984』の中で述べたような、一人の人間が二つの矛盾した考え方を、同時に信じてしまうような、ひとつの言葉なのに、まったく正反対の意味を持つ「言葉のようなもの」さえもが、生まれてきてしまうんです。


 その時に社会に生み出されるのが、我々が今日体験した混乱です。驚愕です。思考停止なんです。


 聖書の冒頭に書いてある「はじめに言葉ありき」が、果たして本当に神の言った言葉なのか、私には分かりませんが、我々は、我々人間の思考は、言葉で出来ている。


 だからこそ言葉の持つ意味が、その正しさが重要になってくる。

 みんなが同じように、意味が違ってしまった言葉を、その意味でとらえて、使えれば良い、というもだけのではないんです。それでは共犯者と何ら、かわりがない


 ことに日本語はラテン語派生の欧州の他言語と比べ、論理的ではない傾向があります。おそらく言葉の発生以後に付加された目的、本義が違うのでしょう。


 聖書はラテン語で書かれていました。

 だからラテン語は彼らの信じる神を語る言葉でした。間違いは許されなかった。もしも神の怒りにれれば、都市ごと塩の柱にされてしまう。

 対して日本は、日本語はそうではなかった。


 口語の「いいです」とか「結構です」なんて馬鹿げていますよ。それこそ、どちらとも取れる。

適当で良いのか? 適当で良いのか? 適当過ぎますよ。

 重箱じゅうばこ湯桶ゆとうが実際になんなのかを、学校で、その読み方のルールを教えて貰う前に知っていましたか? 見たことがありましたか?



 言葉は、人間同士がその言葉を使って、お互いを理解するための基本ツールなんです。昔からあったから良いとか、最近出来たから良い。などというものではないんです。


 そうしたナンセンスな言葉や昔定規むかしじょうぎのルール、言葉(づか)いは、社会が意識して排除して行かなければならない。そうしていかなければ、神どころか、自分の考えですら語れなくなる。


 アメリカのポリコレ、ポリティカル・コレクトネスも、本来は言葉の差別や偏見を取り除き、より正しい言葉へと近づけるという目的のための運動なんです。

 その運動が、時に暴走しているかのような報道が、されることもありますが、こうしたムーブメントは絶やしてはならないものです。


 なぜなら、言葉は時代と共にその意味が変わっていくものだからです。

 その前の言葉に対する非差別用語として生まれたBlackも、差別用語と見做みなされるようになって、アフリカ系のアメリカ人はAfrica Americanと呼ばれるようになった。

 そして未来にはまた別の言葉が、必要になってくるのかも知れない。


 我々は自分たちの未来のために、私たちが、自分たちが使う言葉を、より正しい言葉へと近づける使命を、必然的に持っているんです。

 これは未来のために、決して看過してはならない問題なんです。


 こっちの世界に来てからというもの、何だか考えさせれることばかりだ。



 翌日、おっさん以外のメンバーが一新いっしんされた池田さんたち攻略組は、全員が元コンビニの雑貨食料品店で売っていた、金貨一枚の耳栓を全員が装備して攻略を開始、無事二十三階層の攻略が完了した。

 有り難いことに、二十四階層のゴブリンは元に、「グギャグギャ」に戻っていたようだ。


 念のため、ルーティーンワークとなっていた攻略階層のリスポーンゴブリン討伐は二十三階では行われないことになった。また、以後は耳栓が攻略組の常備品と定められ、山田さんの提案によって簡単なハンドサインも、検討後に採用されることとなった。


※部分辺りが出典不明箇所です。あれからも調べたのですが、確認出来ませんでした。

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