第九十七話 去年とは違う春
救出へ向かった人たちが全員街へ戻ったと確認された数日後、リシェはギルドへ呼ばれた。
アリサへ登録証を渡し、救出で担当したことを確かめる。ゼフィも隣に座り、リシェが話せる範囲を補ってくれた。
火を用意したこと。湯や毛布を運んだこと。指示された場所で待機したこと。
精霊とのやり取りは、二人の間に留めた。
最後にアリサが報酬を渡した。
「こちらは救出の補助に参加した分。確認してね」
リシェは枚数を数え、紙へ名前を書いた。
帰り際、受付の前で遺跡から救出された護衛に呼び止められた。片腕を布で支えているが、顔色はあの日よりよかった。
「君も来てくれた子だね」
「はい。お体はもう大丈夫ですか?」
「しばらく仕事は休めと言われたよ。でも戻ってこられた」
男は腕を動かしかけ、やめた。
「あの温かい飲み物、ありがたかった。ありがとう」
リシェは返事をしようとして、少し間を置いた。
「帰ってこられてよかったです」
外へ出ると、ゼフィが歩き出すのを待ってくれた。
リシェは財布をしまい、隣へ並んだ。
*
フィエルは数日で普段の暮らしへ戻った。
食事も取り、廊下を歩き、リシェが外出の支度をすると扉で待つ。エルネストにもう一度見てもらい、ゼフィとの練習も短い時間から再開した。
怪我人に何が起きたのかは、結論が出なかった。
イネスとエルネストは記録を合わせ、似たことがあれば知らせてほしいと言った。それ以上、誰かに寄り添わせて試すことはしなかった。
リシェは作業室で過ごす間、小さな精霊へ話しかけるようになった。
毎回返事があるわけではない。
気持ちだけが伝わる日もあれば、そばへ来ても、何を考えているのか分からない日もあった。
ある午後、鉢を移そうとすると葉の上にいた光が手元へ寄った。
『そこ』
リシェは動きを止めた。
「ここでいいの?」
光は鉢へ戻り、葉の上をゆっくり巡った。
それが返事なのかはまだ分からない。イネスと決めた位置へ鉢を置き、リシェはその様子も覚えておいた。
聞こえる言葉が少し増えても、聞けば何でも分かるようになるわけではなかった。
*
雪が減り庭の道に土が見え始めた頃、ポルテの食堂に小さな紙が貼られた。
春の第2月15日、と書いてある。
その下にはリシェの名前があった。
「忘れないように」
リリは得意そうだった。
「去年は過ぎてたでしょう」
「覚えていてくれたんだね」
「ニルスが書いたの。私だとお客さんに見えないって」
「字が小さすぎたんだよ」
食器を運んできたニルスが言った。
リシェは紙をもう一度見た。
誕生日はまだ少し先だった。その日を待っていてくれる人がいることが、去年とは違っていた。
イネスにも早く帰る日を相談し、当日の朝には、ゼフィから「十二歳だね」と声をかけられた。
夕方、ポルテへ着くと、リリが扉を開けた。
「今日は過ぎてないよ!」
その声に食堂から笑いが起き、リシェも笑って中へ入った。
*
食事のあと、去年と同じ柱の前へ立った。
ニルスが頭の上へ板を当て、ブルーノが印をつける。
離れて見てみると、十一歳の線は思っていたより下にあった。
「こんなに?」
「去年の印はそのままだよ」
ハンナが言った。
リリも靴を脱ぎ、すぐ隣へ背をつける。
「私も!」
「今日はリシェの誕生日だろ」
「でも伸びてるかもしれないもの」
ニルスに言い返し、顎を上げた。かかとが少し浮く。
「それはなし」
カイルに指摘され、リリは口を尖らせた。
机の端では、ロギが菓子の包みを覗いていた。フィエルは椅子の下へ伏せ、去年よりずっと長くなった体を横たえている。
リシェは柱へ書かれた新しい数字を見た。
十二歳。
去年は、過ぎてから教えた。今年はこの日が近づくたび、仕事の予定を確かめた。
みんなが席へ戻ったところで、リシェは立ったまま口を開いた。
「今年も一緒にお祝いしてくれて、ありがとうございます」
「来年もね」
リリが言う。
リシェは頷き、自分の席へ戻った。
*
その月の終わり、街へ旅の一座が来た。
広場に台が組まれ、芝居の題を書いた布が掛かる。ポルテの客も食事をしながら話していて、リリは上演の日を何度も確かめていた。
リシェも午後の仕事を調整し、ニルスとリリと出かけることにした。
待ち合わせの場所へ行くと、リリはいつもより早く来ていた。髪を結ぶ紐も、見慣れないものに替わっている。
「新しいの?」
「うん。母さんに結んでもらった」
そう答えたあと、リリは通りの向こうを見た。
荷物を運ぶ人と、広場へ向かう家族が通っていく。ニルスが三人分の入場の支払いをしている間にも、何度か同じ方へ顔を向けていた。
リシェが隣へ寄ると、袖を引かれた。
「リシェ、あのね」
「うん?」
リリはニルスの方を一度確かめ、それから声を落とした。
「好きな人ができたの」
リシェは顔を近づけた。
「この前転んだときに荷物を拾ってくれたんだ。私が持ってたの、いっぱい落ちちゃったのに、最後まで探してくれたの」
「優しい人なんだね」
「うん。今日芝居を見に来るって言ってた」
そこでリシェは、通りへ向けられていた視線の理由が分かった。
リリは髪の紐へ手を当てた。
「これ曲がってない?」
「大丈夫。きれいに結べてるよ」
返事を聞くと、リリは手を下ろした。
ニルスが戻ってきたので、話はそこで終わった。
*
芝居が始まると、リリは前を向いて声を上げて笑った。
道に迷った旅人と、知ったかぶりをする案内人の話だった。案内人は間違えた場所へ着くたび、ここも見せたかったのだと言い張る。
リシェは最初、舞台の後ろの布ばかり気にしていた。
人が出入りするたび、森が町へ変わり、同じ箱が椅子にも荷物にもなる。役者が帽子を替えて現れると、隣の子が「あの人、さっきもいた」と囁いた。
肩のロギも、じっと舞台を見ていた。
『今の人、さっきと違う声だったね』
『同じ人だと思う』
『面白いことをするなあ』
フィエルは足元へ伏せていたが、大きな物音のたびに顔を上げた。リシェが背へ手を置くと、また顎を下ろす。
やがて旅人が、自分の持っていた地図を広げた。
案内人は覗き込み、少し黙ってから、今まで反対へ歩いていたことを白状した。
周りで笑いが起きる。
リシェも声を出して笑った。
*
終演後、人が立ち上がると、広場は急に狭くなった。
リシェはフィエルを隣へ呼び、ニルスとリリが離れないように歩いた。
途中で、リリの足が止まる。
向こうから来た同じ年頃の男の子が、片手を上げた。
「見に来てたんだ」
「うん。面白かったね」
「最後地図が逆だったところ、笑った」
リリは大きく頷いた。
男の子は連れの大人に呼ばれ、すぐに走っていった。リリも手を振り、姿が見えなくなるとリシェへ顔を向けた。
何も言わなかったが、頬が少し赤かった。
リシェは笑って、彼女の手を取った。
「帰ろうか」
「うん」
ニルスは少し先で、道を空けて待っていた。
*
ポルテへ戻ると、リリはハンナへ芝居の話を始めた。
身振りまでつけて案内人の真似をするので、ニルスが台詞を直す。そのたびに、食堂にいた人たちも笑った。
リシェはフィエルへ水をやり、空いた席へ座った。
ロギが椅子の背へ移る。
『本で読む話とは違うね』
『人が動いて、声が聞こえるからかな』
『また見たいな』
『私も』
今度は別の話を見てみたい。
そう思いながら食堂を眺めると、ブルーノが入口で客の荷物を受け取っていた。春になってから、宿へ出入りする人がまた増えている。
リシェは肩から鞄を下ろし、膝の上へ置いた。
中には、今朝使った調査記録と、帰りに買うつもりだった紙の見本が入っていた。
「あ」
「どうした?」
ニルスが尋ねる。
「紙を買うの忘れた」
「明日でいいんじゃない?」
リシェは少し考え、頷いた。
今日は芝居を見た。リリの話も聞いた。
買い物は明日の帰りに寄ればよかった。
窓の外では、片づけを終えた一座の荷車がゆっくり通りを進んでいた。




