第九十五話 雪の下の道
『七人いるよ』
ロギの声が届き、リシェは手袋を握り直した。
『二人は横になっている。ほかの人は起きてるけど、寒そうだ』
入口では、ゼフィが救出隊と石の状態を確かめていた。リシェは彼がこちらへ戻るのを待ち、ほかの人に聞こえないよう声を落とした。
「七人とも見つかったそうです。二人は横になっています」
ゼフィは短く頷いた。
「崩れた石の近くに人はいる?」
ロギへ尋ねると、すぐに返事が来た。
『入口のすぐ裏にはいない。でも、大きな石が部屋の方まで斜めに重なってる』
リシェが伝えると、ゼフィは入口へ目を戻した。
「分かった。ロギには動きがあったら知らせてもらおう」
そのとき、石を動かしていた冒険者が手を止めた。
低い音がした。
入口の上から細かな土がこぼれ、誰かが鋭く声を上げる。
「離れろ!」
道具が引かれ、人が後ろへ下がった。
『リシェ。こっちでも石が動いた』
胸が縮んだ。
リシェはゼフィの袖へ触れ、聞こえたことだけを伝えた。
ゼフィはすぐに作業の責任者へ向かった。
*
入口から人を出すには、大きな石を動かさなければならなかった。
だが、その石は奥へ倒れ込んだものと重なり、上の崩れた壁も支えている。外から引けば、部屋側へ何が落ちるか分からない。
支えを増やして状態を確かめる間、作業は止まった。
カイルが別の冒険者と外壁を見に出る。
ゼフィはリシェを、物資の置かれた場所へ連れていった。
「しばらくここで待っていて。中の人の様子が変わったら教えてね」
「はい」
リシェは鍋へ入れる水を運び、頼まれた場所へ小さな火をつけた。薪へ火が回ると、火の番をする人に任せ、巻いてあった毛布を広げ直す。
目の前には、渡すための物がそろっていた。
それなのに、石の向こうへ届けられない。
『ロギ。ほかに道はない?』
『今、部屋の奥を見てる。ただ倒れた棚や石があって、まだ全部は確かめられていない』
『分かった。気をつけてね』
返事を待つ間、リシェは冷えた指を握ったり開いたりした。
フィエルが足元へ寄ってくる。背を撫でようとしゃがんだとき、少し先の木の根元に、小さな光が見えた。
*
淡い光が、苔の残った石のそばを漂っていた。
リシェが顔を向けると、こちらへ近づいてくる。膝の辺りを一度巡り、また石の方へ戻った。
周囲を見た。
救出隊は入口に集まり、カイルたちもまだ戻っていない。ここから数歩のところなら、待機場所を離れずに近づける。
リシェはフィエルを伴い、木のそばへ寄った。
「こんにちは」
水音や作業の声に紛れるほど、小さく呼びかけた。
光が揺れる。
近くで、もう一つ見つかった。木の根の間にいて、こちらへゆっくり動いてくる。
リシェは膝をついた。
いつもなら、そばへ来てくれたことがうれしかった。見えた姿を目で追い、伝わってくる喜びを感じて、それで終わっていた。
今日は、尋ねたいことがあった。
「この建物の中へ行ったことはある?」
光の一つが、指先へ寄った。
言葉は返らなかった。
「中に人がいるの。出られなくなっていて……ほかに外へ続くところを知らない?」
すぐに答えを求めず、待った。
木々を抜ける風が頬へ当たる。光は石のそばへ移り、また戻ってきた。
近づきたい気持ちとは違う、何かを促すようなものが伝わった。
リシェは手を開いた。
「そっち?」
小さな光が、指の上から離れた。
『こっち』
リシェは息を止めた。
ロギではなかった。
フィエルから届く声とも違う。目の前のかすかな光から、短い意味が、言葉の形で届いていた。
その光を追う灰青色の瞳に、小さな金色の星が浮かんだ。
「……道があるの?」
精霊は木の根を越え、建物の脇へ漂った。
リシェは立ち上がりかけ、そこで止まった。
これ以上、黙ってついていくことはできない。
「待っていて。人を呼んでくるから」
通じたかどうかは分からなかったが、小さな光は石の上へ留まった。
*
リシェは待機場所へ戻り、ゼフィを探した。
入口の作業が一段落するのを待ち、目が合ったところで近くへ来てもらう。
「先生。少しこちらに」
物資の陰へ移ると、声を落とした。
「この辺りの精霊にほかの道を知らないか聞きました。そうしたら向こうへ来てほしいみたいで」
ゼフィの視線が、リシェの瞳で一瞬止まった。灰青色の中に、金色の星がまだかすかに残っていた。
彼はそれを口にせず、木のそばへ目を向けた。
「どこまで行った?」
「あの石までです。その先へはまだ行っていません」
「分かった。足場を確かめながら見てみよう」
ゼフィは近くの冒険者へ、外壁の脇を調べると伝えた。リシェはその隣で待ち、二人で木の方へ向かう。
精霊はまだいた。
リシェが戻ると、石から離れ、低い壁に沿って動いた。
「壁の向こう側です」
ゼフィにだけ聞こえる声で伝え、目で追う。
雪の溜まった窪みの手前で、光が止まった。
『かぜ』
また、言葉が届いた。
リシェは胸の高鳴りを抑え、ゼフィへ伝えた。
「風、と言っています」
ゼフィが先へ出た。
棒で雪の下を確かめ、足場を選んで窪みへ近づく。壁際の枯れ草をそっと払うと、黒い隙間が現れた。
リシェにも、かすかな空気の動きが分かった。
*
「下がっていてね」
ゼフィは小さな石を一つ除き、隙間を覗いた。指先で縁をたどり、積み重なった石とは違う、整った角を確かめる。
「開口部かもしれない」
リシェは肩へ顔を向けかけ、ロギがいないことを思い出した。
『ロギ。外で風の通る隙間を見つけたの』
『どの辺り?』
入口から見た向きと、壁に沿って歩いた距離を伝える。ゼフィにも場所の説明を手伝ってもらった。
『こっちにも細い通路がある。確かめてみるよ』
待っている間、リシェは精霊へ目を向けた。
小さな光は雪のない石へ寄り、その上で揺れていた。
これまでにも、誰かをここへ誘ったことがあったのだろうか。
尋ねたかったが、今は礼だけを囁いた。
「教えてくれてありがとう」
光がふわりと浮いた。
しばらくして、隙間の奥に赤いものが見えた。
小さな鳥が顔を出す。
『つながってる』
リシェはゼフィを見た。
『途中に段差はあるけど、部屋の奥まで行けるよ。こっちの石は入口の崩れたところとは離れている』
「部屋へ続いているそうです」
ゼフィは隙間と周囲の石を見比べた。
「こちらを広げられるか、作業する人にも見てもらおう」
*
戻ってきたカイルは、雪を除いた壁を見るなり膝をついた。
「こんなところにあったのか」
「空気が通っている。中までつながっている可能性があるよ」
ゼフィの説明を聞き、カイルは石の縁を確かめた。
整った形が、雪と土の下から少しずつ出てくる。大きな入口ではなかったが、もともと建物に設けられた場所らしかった。
救出隊の数人が移ってきた。
周囲を調べ、上の壁を支えてから、土と石を取り除く。リシェは安全な場所まで戻り、ロギから届く内部の様子をゼフィへ伝えた。
『今の石を外したら、こっちへ光が入った』
リシェが伝えると、ゼフィは開口部へ顔を寄せ、奥へ声をかけた。
「こちらに声は届きますか!」
少し間があり、返事がした。
今度は、外にいる人たちにも聞こえた。
「聞こえる!」
カイルが顔を上げる。
「先生、声が近い」
「うん。ここを使えるか確かめよう」
*
内側へ来られる人に、通路の様子を見てもらった。
倒れた木材はあるが、入口側のような大きな崩落はない。狭い段差を越えれば、外壁の隙間へ近づけるという。
外から土を除き、内側から邪魔なものを寄せる。
毛布と飲み物が、先に渡された。
リシェは運ぶ包みを受け取り、作業する人へ手渡した。最初の一つが奥へ届くと、ロギから知らせが来る。
『受け取ったよ。みんな、こっちへ移り始めてる』
胸へ溜めていた息が、少し抜けた。
あのまま入口だけを掘っていたら、まだ何も渡せなかったかもしれない。
リシェは木の方を見た。
教えてくれた光は、もう見つからなかった。
*
最初の一人が出てくるまでには、さらに時間がかかった。
通れる幅を確保し、出入りで石を崩さないよう支える。内側へ入ったカイルが足場を確かめ、ゼフィたちが外で受け取る。
やがて、土で汚れた手が現れた。
護衛の男が、頭を低くして外へ出る。腕を支えられ、雪の上で膝をついた。
「こっちへ。ゆっくりでいい」
毛布を持つ人が迎え、火の近くへ連れていった。
二人目、三人目が続く。
リシェは器へ温かい飲み物を注ぎ、差し出した。手が震えて持てない人には、そばの仲間が手を添えた。
「まだ二人いる。動かせない人から出すぞ」
中からカイルの声がした。
リシェは次の毛布を広げた。
*
怪我人の一人が運び出されると、フィエルが立ち上がった。
顔の青白い人が、毛布の上へ寝かされる。手当てをする人が呼びかけると、ゆっくり目が開いた。
フィエルはそちらを見ていた。
リシェが首の横へ触れると、足は止まったが、気持ちは向こうへ向いたままだった。
ゼフィが近くへ来るのを待ち、リシェは声を落とした。
「フィエルに、少しそばにいてもらってもいいでしょうか。植物のときみたいに、何かできるかもしれないので」
ゼフィはフィエルと、横たわる人を見た。
「手当ての邪魔にならないか聞いてみよう」
短く相談して戻ると、毛布の端を示す。怪我人にも尋ね、そばへ伏せさせてよいと確かめてくれていた。
リシェはフィエルの前へしゃがんだ。
「少し一緒にいてくれる?」
鼻先が手へ触れる。
フィエルはゆっくり歩き、毛布の脇へ伏せた。横たわる人の指が動き、柔らかな毛へ触れた。
*
最後の一人が外へ出ると、遺跡の中に残った者はいなくなった。
人数を確かめる声が上がり、救出隊は搬送の準備へ移った。
ロギが開口部から飛び出し、低い枝へ留まった。翼を一度振ってから、リシェの肩へ戻る。
『全員外に出たね』
『うん。ありがとう』
『リシェも道を見つけたね』
リシェは雪を除かれた壁へ目を向けた。
自分だけでは、見つけられなかった。
そばにいた精霊へ尋ねたら、こちらだと教えてくれた。ゼフィが隙間を確かめ、ロギが中へ通じると知らせてくれた。
その先を開いたのは、カイルと救出隊だった。
毛布を掛けられた人たちが、少しずつ外の寒さから守られていく。
リシェは肩の赤い羽へ、指先でそっと触れた。
*
フィエルは、まだ怪我人の隣にいた。
呼吸は先ほどより落ち着き、水を求める声も出ていた。手当てをする人が器を支え、少しずつ飲ませている。
温まったからかもしれない。手当ての効果かもしれない。
リシェは理由を決めず、毛布のそばへしゃがんだ。
「フィエル」
銀白色の耳が動いた。
移動のために怪我人が持ち上げられると、フィエルも立つ。少し見送ってから、リシェの足元へ戻ってきた。
差し出した手へ鼻先が触れ、眠たさが伝わった。
「疲れたね」
背を撫でると、体を預けてくる。
ゼフィに様子を伝え、休ませることにした。今日歩いてきた疲れもあるので、何が理由かはまだ分からなかった。
リシェはフィエルの隣に座り、救出隊が荷物をまとめるのを見ていた。
精霊が知っていることを、人は知らない。
人が困っていることも、尋ねなければ精霊には伝わらないのかもしれない。
リシェは、あの小さな光が留まっていた石をもう一度探した。
次に会ったら、みんな外へ出られたと伝えたい。
そして、まだ聞いてみたいことがあった。




