第八十九話 摘む前の仕事
「採ってくるだけではだめなんですか?」
リシェが尋ねると、イネスは机へ三枚の紙を並べた。
どれにも、同じ薬草の名前が書かれている。採った場所と日付は違っていたが、葉の状態を示す絵はよく似ていた。
「薬師から届いた報告なんだ。同じように使えるはずのものが、仕入れるたびに品質が違うらしい」
「古くなっていたんでしょうか」
「保存の仕方は確かめてもらっている。だがそれだけでは説明がつかない」
イネスは一枚をリシェの方へ寄せた。
「そこで、生えているところから調べ直したい。今度の調査、記録を任せてもいい?」
リシェは紙を持ち上げた。
いつもの手伝いなら、見る鉢も書く項目も決まっている。今回は森で何を見るかから、考える必要があった。
「私が書くことを決めるんですか?」
「一緒に考える。ただ現地で気づいたことは君の判断で残してほしい。私が見落とすものもあるから」
紙の下には調査補助の報酬が書かれていた。普段の採集よりも多い。
「これは施設のお給料とは別ですか?」
「別。外での調査を頼む分だよ。冒険者ギルドを通して、同行者と君の役割も確認する」
リシェはもう一度、三枚の紙を見た。
葉を集めるだけではなく、違いの理由を探す仕事だった。
「やりたいです」
*
出発までの数日、リシェは図書館と作業室を行き来した。
その薬草を採ったことはあった。だが、知っている採り方だけでは、調査の準備にならない。
本に書かれた生育場所を写し、施設へ届いていた過去の標本も見せてもらった。イネスと相談して、記録の紙に項目を作る。
日当たり。土の湿り方。株の大きさ。花の有無。
紙へ線を引いていると、ロギが机へ降りた。
『ずいぶん書くところがあるね』
『あとで比べたいから。同じことを見ておかないと分からなくなるでしょう』
『全部同じだったら?』
リシェは筆を止めた。
『それも書く』
ロギは首を傾けてから、紙の端を嘴で押さえた。
風でめくれかけていたのだと気づき、リシェは文鎮を置いた。
*
調査には、イネスとゼフィが同行した。
森へ入ったのは、夏の暑さが強くなる前の朝だった。木々の下には湿った空気が残り、日向へ出ると肩に日差しを感じた。
フィエルは道の端を歩き、ロギはその背に乗っていた。
目的の薬草は、以前にも採集者が使っていた場所で見つかった。道から少し入った斜面に、何株もまとまって生えている。
イネスがしゃがみ、葉を確かめた。
「ここを一つ目にしよう」
リシェは周囲を見た。
斜面の上には木があり、その陰が株の半分ほどを覆っている。足元の土は、表面が乾いていた。
すぐには葉を採らず、紙を取り出す。場所を描き、株へ小さな目印を置いてから、順番に見ていった。
「ここの土、少し下も見ていいですか?」
「うん。根を傷めない場所で」
端を浅く掘ると、中は湿っていた。リシェは指先についた土を確かめ、記録へ書き添えた。
葉の色も、厚さも、見た目ではよくそろっている。
採る株を決めたところで、イネスが袋を出した。
「これを一番の袋へ」
リシェは札を確かめ、葉を入れた。
*
二つ目の群生地は、斜面を回った先にあった。
同じ薬草が、明るい場所へ広がっている。花をつけた株が多く、周りには背の低い草が混じっていた。
リシェは一つ目の紙を開きかけ、閉じた。
先に見たものへ合わせて書かないよう、今いる場所を確かめる。
イネスは少し離れた株を見ていた。ゼフィが周囲を見回り、フィエルもその後をついていく。
リシェは葉を支え、裏へ返した。
虫に食われた跡は少ない。指に触れた厚さも、さっきと大きく違うようには感じなかった。
それでも、株全体を見ると、何かが違った。
「イネスさん。こっちは下の葉が少ないです」
呼ぶと、イネスが隣へ来た。
「枯れて落ちたのかな」
「ここに残っています」
茎の下に、縮れた葉がついていた。リシェはその位置を描き、花の数も記録した。
「採るのは同じくらいの葉にしますか?」
「そうしよう。ただ、花のある株とない株は分けたい」
用意した袋だけでは足りなくなった。
イネスが予備を出し、リシェは札へ記号を書き加えた。
項目を決めてきても、現地で増えるものがある。空白を残した紙が、そこで役に立った。
*
昼前、木陰で休憩した。
フィエルは水を飲み、ゼフィの足元へ伏せた。ロギはリシェの肩へ移り、手元の食事を覗き込んでいる。
イネスは二つの袋を離して置き、札を見比べた。
「午後にもう一か所見よう。採る量は少なくていい」
「今日のものを薬師さんにも見てもらうんですか?」
「うん。こちらで状態を確かめたあと、同じ扱いで比べてもらう。今日だけでは品質が違う理由までは分からないから」
リシェは紙へ目を落とした。
日当たりも、土も、花のつき方も違った。違いがたくさんあるほど、何が関係しているのか決めにくい。
「一つ目と二つ目で違っていたら、次はどこを見ればいいんでしょう」
「まず結果を見よう。それから、もう一度来るか、施設で比べるか考える」
イネスは食事の包みを開いた。
「今日はあとでその相談ができる記録を持ち帰ろう」
リシェも紙をしまい、パンを手に取った。
*
午後の採集を終えると、ゼフィが帰る時刻を知らせた。
リシェは最後の札を結び、袋と紙の記号を一つずつ照らし合わせる。
一つ、文字が違っていた。
袋には三つ目の場所の記号があるのに、札へ書いた番号は二つ目になっている。
「あ、待ってください」
中身を置いた順番と、採った株を確かめ直す。イネスにも見てもらい、札を直してから袋を渡した。
帰る前でよかった。
息をつくと、ゼフィが荷物を受け取った。
「持ち帰ってからでは、確かめに戻るのも大変だからね」
「はい。もう一度見ます」
今度は声に出し、紙と袋を合わせた。
最後まで終えると、イネスが頷いた。
「それで全部。帰ろう」
*
施設へ戻ってからも、その日の仕事は続いた。
袋から標本を出し、採集場所ごとに分ける。イネスと決めた扱いにそろえ、今日のうちに残すものと、乾かすものを分けた。
フィエルは作業室ではなく、リシェの部屋で休ませた。
植物への影響を調べている途中なので、今回の標本は離しておくことになっていた。ロギも一度ついていき、戻ってくると棚で静かにしていた。
すべての札を確かめ終えた頃には、窓の外が暗くなっていた。
「お疲れさま。続きは明日」
イネスに言われ、リシェは椅子へ腰を下ろした。
「採るより、戻ってからの方が長かったですね」
「混ざったら、調べたことが使えなくなるからね。丁寧にやってくれて助かった」
机の上には、形のよく似た葉が分けられていた。
同じ薬草。
それでも、今日は一つずつ違う場所から来たものとして見える。
リシェは帰り際、明日の作業を尋ねた。
*
依頼の報酬を受け取ったのは、数日後だった。
記録を提出し、担当した作業を確認してもらう。アリサから返された登録証と一緒に、リシェは銅貨を受け取った。
財布へ収める前に、枚数をもう一度数える。
普段の近郊採集より多い。
施設の給料から部屋代や食費を引いた残りに、依頼で得た分が加わる。最近は、次にいくら必要か考えても、以前のようにすぐ不安にはならなくなっていた。
ギルドを出ると、リシェは本屋へ寄った。
少し前から気になっていた、薬草の採取と保存を扱う本を手に取る。何度か店で開いたが、そのたびに棚へ戻していた一冊だった。
今日も値段を確かめる。
買ったあとに残る分を数え、店の人へ差し出した。
「これをください」
包んでもらう間、ロギが肩で身を乗り出した。
『また葉の本?』
『今度は採ったあとのことも載ってる』
『机の本が増えるね』
『うん』
リシェは包みを受け取り、鞄へ入れた。
帰ったら、イネスにも見せよう。
それから、今日の標本がどうなっているか確かめたい。薬師から結果が戻るまでは、まだ時間がかかると聞いていた。
待つ間にも、読んでおきたいページがあった。




