第八十四話 過ぎた誕生日
「十一歳になったよ」
そう答えると、リリの口が開いたまま止まった。
ポルテの食堂で、ニルスが背比べの話をしていたところだった。柱につけた印を見ながら、リリが去年より伸びたと自慢し、リシェは十歳だからもっと上まで届くだろうと言ったのだ。
「……いつ?」
「春の第2月15日」
「もう過ぎてる!」
リリの声に、奥で皿を並べていたハンナが振り返った。
「何が?」
「リシェの誕生日!十一歳になってた!」
リシェは柱から離れた。何か言い忘れていたらしいが、なぜリリがこんなに驚くのか分からなかった。
ニルスも顔を向ける。
「この前来たとき?」
「その少しあとだと思う」
「何で教えてくれなかったんだよ」
「言うものなの?」
リリは椅子から下り、ハンナのところへ駆けていった。
「お祝いしなきゃ!」
*
「誕生日には何か食べた?」
ハンナに尋ねられ、リシェはその日のことを思い返した。
朝は施設の食堂へ行った。鉢を見て、午後は図書館で本を読んだはずだった。
「いつもと同じです」
「そう。今までのお祝いはどんなふうだったの?」
「お祝いは……していません」
机の上に、皿が一枚置かれた。
ハンナはすぐには次を尋ねず、リシェの隣へ座った。
「孤児院で決めてもらった日なんです。本当に生まれた日かは分からなくて」
「じゃあその日がお誕生日だね」
リリが言った。
「何が食べたい?」
「もう過ぎたよ?」
「過ぎてもするの!」
リシェがハンナを見ると、笑って頷いてくれた。
「少し遅れても大丈夫。リシェが十一歳になったことを、みんなで喜びたいんだよ」
返事をする前に、リリがまた尋ねた。
「甘いものは?」
「好きだけど……」
「じゃあ甘いもの!」
「それだけじゃ夕飯にならないだろ」
ニルスが口を挟み、ハンナは二人を静めるように手を上げた。
「まずは日を決めよう。リシェ、お仕事が早く終わる日はある?」
話がどんどん進んでいく。リシェは鞄から予定を書いた紙を出し、机へ広げた。
*
翌日ゼフィが施設へ来ると、イネスは仕事の予定を確認していた。
「三日後の夕方、ポルテで食事をするそうだよ。リシェの誕生日のお祝い」
ゼフィはリシェへ目を向けた。
「十一歳になったんだね」
「はい。少し前に」
「知らなかったな。おめでとう」
「ありがとうございます」
口にすると、まだ落ち着かなかった。昨日から、年齢を伝えるたびに同じ言葉が返ってくる。何かを仕上げたわけでも、依頼を達成したわけでもない。
イネスが紙を机へ置いた。
「当日は早めに仕事を終わらせよう。札の整理は前の日に済ませればいい」
「私も何か持っていった方がいいですか?」
「君は来てくれればいいよ」
肩のロギが首を傾けた。
『僕とフィエルも?』
『一緒に来てって、リリが言ってた』
『楽しみだね』
リシェは足元へ目を落とした。フィエルは椅子のそばで眠っている。その背を指先で撫でてから、予定の紙へ印をつけた。
*
約束の日、ポルテへ入ると、食堂の奥の机が二つつなげられていた。
ブルーノが椅子を運び、ニルスは人数を数えている。リリはリシェを見つけるなり、席へ案内した。
「ここ!」
椅子の背に、布で作った小さな飾りが結んであった。
「私が結んだの」
「ありがとう。かわいいね」
リリは結び目を一度確かめ、満足そうに隣へ座った。
フィエルを下ろすと、机の下へ入ってリシェの足元に落ち着いた。ロギは椅子の背へ移り、飾りの端を嘴で持ち上げる。
「それ、ほどかないでよ」
リリに言われ、赤い鳥はそっと離した。
やがてイネスとゼフィが来た。最後にカイルが扉を開け、リシェを見て手を上げる。
「十一歳か。ちびっこも少し大きくなったな」
「名前で呼ぶようになりますか?」
「それとこれとは別だろ」
笑いながら座り、持ってきた包みを机の脇へ置いた。
ハンナが料理を運んでくると、リリが勢いよく立ち上がった。
「先に言う!」
「何を?」
「おめでとうって!」
ニルスに答え、リシェへ向き直る。
「お誕生日おめでとう!」
みんなも口々に続いた。
リシェは机を見回した。リリも、ニルスも、ハンナたちも、自分の返事を待っている。
「……ありがとうございます」
声が少し小さくなった。それでも、リリはうれしそうに椅子へ戻った。
「食べよう!」
*
料理は、リシェがポルテで好きだと言ったものだった。
肉と野菜の煮込みに、焼きたてのパン。皿へ取り分けてもらっていると、ブルーノが笑った。
「よく食べるようになったな。最初に来たときは、ずいぶん細かった」
「背も伸びたんだよ」
ハンナの言葉に、リリが柱を指した。
「あとで印、つけよう」
「宿の柱に?」
「私とニルスもついてるから」
リシェは柱を見た。大小の印が並んでいる。一つ増やしていいのだと思うと、背筋を伸ばしたくなった。
カイルがパンをちぎり、ゼフィへ顔を向けた。
「そういえばゼフィリスさんの誕生日は?」
「もう長いこと気にしていないね」
「お祝いしないの?」
リリに尋ねられ、ゼフィは少し考えた。
「昔はしていたよ。でも、毎年数えることもなくなってしまったから」
リシェは椀を置いた。
「先生は、何歳なんですか?」
「二百何十歳かだね。細かいところまでは覚えていないんだ」
「二百……?」
リリが指を折りかけ、そのままニルスを見た。
「私の何倍?」
「十倍よりずっと多い」
「それは分かるよ!」
カイルが吹き出した。
「俺も百を超えた辺りで数えるのをやめそうだ」
「いつの間にか、去年はいくつだったか曖昧になってね。調べれば分かると思うけど」
ゼフィの話し方は、リシェが本のページ数を忘れたときと変わらなかった。
「一歳違っていても困らないんですか?」
「私は今のところ困っていないよ」
リシェは自分の十一年を思った。その何倍もの時間を過ごしているのに、先生は目の前で同じ煮込みを食べている。
「だから君の誕生日も聞きそびれてしまったね」
「先生も数えていないなら、私も言わなくていいと思っていました」
「リシェは言って!」
リリがすぐに口を挟んだ。
「来年は過ぎる前に!」
「うん。来年は言うね」
約束を聞くと、リリはようやく食事へ戻った。
カイルは南で泊まった宿の話を始めた。階段が狭く、荷物を持ったまま曲がれなかったという。
「後ろから押されたら、どうするの?」
「押すなって言う」
「それでも押されたら?」
「荷物を渡して、そいつに先に行ってもらう」
ニルスが笑い、ブルーノは自分の宿の階段へ目を向けた。
話は旅の道具へ移り、やがてカイルが忘れ物をした話になった。ゼフィが少し笑っただけで、カイルはすぐにそちらを向く。
「ゼフィリスさんだって、忘れることあるだろ」
「あるよ。ただ宿へ剣を置いて出たことはないかな」
「戻ったからいいんだって」
リシェも笑った。椀の中身が減ると、ハンナがもう少し食べるか尋ねてくれる。
首を縦に振ったところで、リリが声を上げた。
「甘いのもあるから、残しておいてね!」
*
食後には、焼いた果物を載せた菓子が出てきた。
リリがリシェの前へ皿を置き、顔を覗き込む。
「どう?」
「おいしい」
「母さんと作ったの。私は上に並べた」
「全部自分でやったみたいに言うなよ」
「そこが大事なの!」
ニルスと言い合う声を聞きながら、リシェはもう一口食べた。甘い果物と、端の香ばしい生地を一緒に噛む。
何か言わなければと思ったが、口に出す前に胸が詰まった。
ハンナが水を置いてくれる。リシェは飲み込んでから、皿へ目を落とした。
「誕生日って、こんなふうにするんですね」
机の上が少し静かになった。
「毎年同じとは限らないけどね」
ハンナは椅子へ座り直した。
「好きなものを食べたり、おめでとうと言ったり。大きくなったねって、話したりするんだよ」
「何かできるようにならなくても?」
「もちろん」
リリがすぐに答えた。
「十一歳になったんだもの」
その言い方には、ほかの理由が必要だという様子がなかった。
隣で、ゼフィが静かに言った。
「この一年を過ごしてここにいる。それを喜んでもらっていいんだよ」
リシェは返事をしようとして、やめた。代わりに菓子の皿を少し寄せ、もう一口食べた。
今度は、ゆっくり味わった。
*
「これ、使うか?」
カイルが机の脇の包みを渡してきた。
中には丈夫な革の手袋が入っていた。今のものより少し厚く、指先は動かしやすそうだった。
「外の仕事も増えるだろ。サイズが合わなかったら、替えに行こう」
イネスからは新しいノートをもらった。
「仕事の記録は施設の紙に書くけど、君の発見は別に残したいだろうから」
ゼフィは薄い本を差し出した。旅先でよく使われる地図の記号や、地形の見方が載っている。
「今度一緒に読もう」
机の上へ置いていくと、リリが小さな紙を持ってきた。
リシェと、銀白色のフィエルと、尾の長い赤い鳥が描かれていた。
「ニルスも描いたよ。フィエルの足」
「リリが六本にしたから直しただけだよ」
リシェは絵を両手で持った。
「部屋に飾ってもいい?」
「そのために描いたんだよ!」
リリが笑い、リシェも笑った。
*
帰る前に、柱の前へ立った。
靴を脱ぎ、背中をつける。ブルーノが頭へ平らな板を当て、ニルスが脇へ印をつけた。
「できた」
離れて振り返ると、新しい線の横に名前が書いてあった。
リシェ、十一歳。
リリの印より上で、ニルスよりはまだ下だった。
「来年また測ろうね」
「もっと伸びるかな」
「私も伸びるから、追いつくかもしれないよ」
リリが自分の頭を押さえた。
リシェは柱の名前へ指を添えてから、みんなに礼を言った。
*
施設へ戻る道は、ゼフィが一緒だった。
新しいノートと本を鞄へ入れ、手には絵の包みを持っている。フィエルは隣を歩き、ロギは肩の上で静かにしていた。
「先生」
「うん?」
「来年も、あの日になったら言っていいんですか?」
「もちろん。今度は私も覚えておくよ」
リシェは包みを持ち直した。
生まれた日のことは知らない。孤児院で決められた日付だということも変わらない。
でも、春の第2月15日を来年は忘れずに伝えようと思った。
部屋へ戻ると、まず絵を広げた。机の正面に立てかけ、少し離れて見る。
ロギが棚へ移り、首を傾けた。
「僕の尾、長いね」
「本当に長いでしょう」
「うん。よく描けてる」
フィエルも机へ鼻を近づけようとしたので、リシェは抱き上げて見せた。
「フィエルもいるよ」
絵の中の銀白色の体を指す。鼻先が紙へ触れる前に少し離すと、フィエルはリシェの頬へ顔を寄せた。
温かさを感じながら、もう一度絵を見る。
三人とも、笑っているように描かれていた。




